| それでも私は、子どものためになんとか健全な家庭生活をとりもどそうと苦悩していた7月頃のことです。
私が置野に「俺にできることがあったら何でも言ってくれ」と言ったところ、置野は「実はひとつだけ、あなたにやってほしいことがあるの。」とまえおきをして、「お願い、あなたに自殺してほしいの」と言われました。このときの置野は真剣そのもので、哀願する調子で続けて言うのです。 「私、いろいろ考えたけど、やっぱりあなたに自殺してほしい。そうしたら全部うまくいくのよ。」 私は、置野から自殺するよう頼まれたことを契機に、初めて「民族差別」ということについて、改めて意識して根本的に考え始めました。 この頃から、私は在日朝鮮人をとりまく実態について、人権教育などの分野を通して新たに学習を始めました。そんなある日のことです。私が図書館から借りてきたその種の本に、子どもがハイハイで近づき触ろうとしたとき、3メートルほど離れた台所にいた置野が、突然「そんな汚い本、さわっちゃダメ!」と叫びながら、慌てて子どもを抱え隣の部屋に駆け込んだのです。また、私が「聖徳にも朝鮮民族の血が入ってるんだぞ」と言ったら、置野は「聖徳は日本人よ、置野家の人間です。」と叫びました。 (李在一氏の陳述書より)
|
| 在日朝鮮人の李在一さん(リ ジェイル,1959年生まれ,三重県四日市市の社会福祉施設職員)は,離婚した日本人の元妻との間の子どもの親権をめぐる家事審判(現在,名古屋高裁へ抗告中)と,子どもの外国人登録に関しての三重県津市を相手取った行政訴訟(現在,最高裁上告中)という2つの裁判を闘っています。
家事審判は,元妻とその親族からの露骨な朝鮮人差別で破綻した結婚生活の後,元妻のもとで育てられている,民族的に「ダブル」の子どもの子育て=教育の問題に関わっています。元妻が子どもを“日本人としてのみ”育てようとしているのに対して,李在一さんは,日本人をひたすら賛美し,朝鮮人を蔑視するような家庭環境の中で,自身の本当のルーツを教えられずに育てられれば,母親自身やその親族とは立場の異なる「ダブル」の子どもが,将来,必ずアイデンティティの危機におちいると考えています。そして,そうならないようにと,親権者の李在一さんは,子どもの姓を李姓にし,子どもの国籍も日本と朝鮮の二重国籍から,朝鮮籍だけに変えました。どのような生育環境にあっても,彼の子どもが,自らが朝鮮人と日本人の「ダブル」であることを知り,徐々に自覚していくようにするためです。しかし,親権者の李在一さんがなしたそれら手続きを不服として,元妻が津家庭裁判所に親権者の変更を申し立て,津家裁は1996年2月,子どもの親権を李在一さんから剥奪する審判を下したのです。 他方,行政訴訟の方は,法務省が子どもの日本国籍離脱を認め,その際,ただちに子どもの外国人登録をするようにと言いながら,李在一さんが津市でその手続きを取ろうとしたところ,今度は外登法が子どもの登録の代理申請を同居者に限定しているとの理由で,法務省の指示を受けた津市が李在一さんの代理申請を不受理としたことで裁判へと持ち込まれた出来事です。李在一さんは,外登法は基本的にいわゆる「悪法」なので,登録しなくてよければよいにこしたことはないものの,現実には今の外国人登録制度が,定住外国人が種々の社会サービスを受ける際の身元証明の機能をも事実上はたしているところから,利益を受けさせるために登録する権利があると主張したところ,法務省は「外登法では,義務は規定しているが権利は一切認めていない」として,争いになっているものです。つまり,この行政訴訟では,李在一さん個人の問題に端を発しながら,定住外国人にとっての外登法の性格と意味をめぐる一般的な問題へと展開しています。 |
裁判の経緯(年表)
これまでの詳細
単国籍化(日本国籍離脱)の意義
私の民族意識について(李在一氏の陳述書より)
離婚裁判(津地裁,1989年8月〜92年3月)
親権変更家事審判原審(津家裁,1992年7月〜96年2月)
親権変更家事審判抗告審(名古屋高裁,1996年3月〜)
外登法行政訴訟一審(津地裁,1993年1月〜95年3月)
外登法行政訴訟控訴審(名古屋高裁,1995年3月〜96年9月)
外登法行政訴訟上告審(最高裁,1996年9月〜)
このWebページは97/08/27にスタートしました。
最終更新日時はです。
Webmaster: 李修二(s-lee@na.rim.or.jp)