平成五年行ウ第一号

 原 告  李   聖 徳
 被 告  津  市  長

一九九四年一二月八日

 原告訴訟代理人
  弁護士  伊 藤 誠 基
  弁護士  梅 山 光 法

津地方裁判所 御中

     準備書面

第一 原告の外国人登録が何故なされなければならないのか

一 はじめに

 原告の法定代理人李在一は在日朝鮮人であるところ、原告は既に日本国籍を離脱しているので、その国籍は外国人登録がなされれば李在一同様外国人登録証明書には国籍「朝鮮」と表示されるはずのものである。ところが、李在一の国籍とされる「朝鮮」は日本国政府から国籍としての扱いを受けていないばかりか、「朝鮮」という国家は現実には存在せず、父子共に「本国」によって戸籍制度であれ、登録制度であれ把握されない存在になっており、しかも、原告は本件の処分によって例え外国の制度であれ何らの公的な登録もなされない二重に深刻な事態に陥っている。その原因は今日まで続く朝鮮半島における南北分断という政治的混乱、冷戦状態にあることもさることながら、後述するように主として在日韓国・朝鮮人という存在を生み出した日本の責任に帰せしめることができる。
 ところで、在日韓国・朝鮮人の人達の数は現在どの位いの数に上るのであろうか。一九九二年末の外国人登録者統計(入国管理局)によれば、六八万八一四四人(全外国人の五三・七%)、そのうち五八万五一七〇人(八五%)が特別永住者であるとされる。また、特別永住者総数は五九万一九三人とされるので、大半が在日韓国・朝鮮人ということになる。それでは、これらの人達の国籍や本国における戸籍、登録は一体どのようになっているのであろうか。以下、外国人となった原告が何故本国によって把握されざる存在になっているのか、その責任の所在が何故日本にあるのかについて過去の経過を辿ることにより、原告の外国人登録の必要性を訴える。

二 在日韓国・朝鮮人の生まれた背景

 少し教科書的説明になって恐縮であるが、ここは我慢して過去を振り返ってみる必要がある。
 在日韓国・朝鮮人にとって不幸な歴史は一九一〇年の日韓併合条約に始まる(その前でも、一八七六年に日本は朝鮮に対して江華島条約によって開国を強要させてはいるが)。日本はこの条約によって朝鮮半島を植民地化し、朝鮮総督府によって植民地支配を開始することになる。この時をもって朝鮮人は日本人(日本国籍)となるのであるが、純粋日本人となるのではなく、外地人といって日本本来の領土に住む内地人と区別された扱いを受ける。
 日本が最初に行った事業は土地調査事業といって、近代的土地所有権の確立という名目で、朝鮮総督府が土地を農民から取上げ、日本の進出企業や日本地主に安価で払い下げるという土地収奪であった。これによって朝鮮の多くの農民は自作農から小作農に転落したばかりか、一九二〇年代から三〇年代にかけて日本の食料供給基地とされたことに伴って疲弊し離農する者が多く出るようになった。当時朝鮮には離農者を吸収できるだけの産業が育っていなかったので、朝鮮北部に住む人達は中国東北部に逃れ、南部に住む人達は日本への渡航を余儀無くされた。
 一九三七年日中戦争が始まり、一九四一年太平洋戦争が始まると、軍需産業を支える労働力不足のため、一九三九年からかの有名な朝鮮人の強制連行が始まる。一九四〇年には朝鮮人固有の姓名を奪い強制的に日本式に改める悪名高き創氏改名制度ができ、朝鮮語教育も否定され、朝鮮人の民族性は完全に奪われることになる。
 一九四五年八月日本は終戦を迎えるが、当時日本には約二一〇万人もの在日韓国・朝鮮人が在留していたとされる。日本の敗戦によって帰還熱が生まれるが、祖国に帰るにも持ち出し財産が制限されていたことと、祖国が米軍政下に置かれ政治的、経済的に混乱していたことから結局約五〇万人もの在日韓国・朝鮮人が残留することになり、これらの人達とその子孫が今日の在日韓国・朝鮮人を形成することとなった。
 出版物を見ながら書いているのであるが、改めて、学校の日本史で平安時代や戦国時代のお勉強をするのもよいが、日本の近・現代史、特に植民地支配の歴史と在日韓国・朝鮮人の由来について学校できっちりと教えられてこなかったことが残念でならないことを痛感する(大抵年間授業時間の時間切れで終わる。)。生きた植民地支配の歴史が教えられていれば、北朝鮮がらみの問題で朝鮮学校の女性徒が着ていたチマ・チョゴリがカミソリか何かで切り裂かれることもなかったのである。

三 複雑な在日韓国・朝鮮人の国籍・戸籍の変遷

 この問題を調べていると、ただでさえ良くない頭が一層悪く思えてくる程難解である(私のみ)。
 整理すると自信はないが次のようになるかと思われる。

1 先ず一九一〇年日韓併合条約で朝鮮人は日本国籍を取得したとされる。
 また、戸籍については、日本本土である内地と朝鮮、台湾、関東州などの外地に区別され、朝鮮人は朝鮮戸籍(外地戸籍)に記載されることになった。そして、朝鮮人が婚姻、養子縁組、認知などの身分行為により内地戸籍に入籍することは認められていたが、就籍、転籍により内地戸籍に入籍することは禁止されていた。すなわち、一九二三年朝鮮戸籍令ができて、ほぼ日本の戸籍と類似のものが作られていったが、内地の朝鮮人も朝鮮戸籍に入籍されることになった。
 参考までに住民登録については、一九一四年に内地で寄留法ができたが、朝鮮人の場合は、創始改名後の一九四二年朝鮮寄留令が出され、これに基づく登録が行われるようになった。寄留制度というのは徴兵がらみの制度で、本籍だけではそれから離れて生活している人間を把握することができず、それで一定期間離れて生活している者に対して寄留先の土地で届けを出させようとしたものである。寄留制度は現在でいう住民登録制度に繋がってゆくことになる。

2 一九四五年八月一四日ポツダム宣言受諾、九月二日ミズーリ号の船上で降伏文書に調印されて終戦を迎えることになるが、朝鮮人はまだこの時も日本国籍を有する者としての扱いを日本政府から受けることになる。
 ところが、一九四七年五月二日外国人登録令(外国人登録法の前身)が施行され第一一条で「台湾人のうち法務総裁の定める者及び朝鮮人は、この勅令の適用については当分の間外国人とみなす。」とされ、当時日本国籍を有するとされた朝鮮人は外国人登録の対象とされてしまった。
 その後、一九四八年になると、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立して分断の歴史が始まることになるが、韓国では国籍法が制定され、戸籍については朝鮮戸籍令が当面存続され、日本の戸籍制度の枠組みが維持されることになった。北朝鮮については、戸籍制度が廃止され、公民登録制度が作られたが、実体がはっきりせず、国民は手帳式の公民登録証を携帯し、一種の国民背番号である公民登録番号が付されているようである。

3 一九五二年四月二八日対日平和条約が発効した。これに伴う民事局長通達(昭和二七年四月一九日付民事甲第四三八号民事局長通達)によって在日韓国・朝鮮人は一律に日本国籍を喪失することになった。この通達は、平和条約によって朝鮮及び台湾が日本の領土から分離するので、これに伴って朝鮮人、台湾人は内地居住者を含めてすべて日本国籍を喪失すると定めていたが、一遍の通達で国籍を喪失させるのは違法であるとの訴訟が起こされたことは周知のとおりである。一九六一年四月五日の最高裁判決は、通達は平和条約の解釈として出されたものであって、条約で既に朝鮮人の日本国籍は喪失しているとの判断をしている。この点について、大沼保昭東大教授は、平和条約では領土の放棄がうたってあるだけで、国籍問題の処理については条約の草案の過程で議論されていなかったという実証的研究を発表している。ちなみに、ドイツでは、オ−ストラリア人に対して国籍選択の自由を与えており、国際慣習法的にも日本の措置はかなり強引であったと言える。
 この一九五二年という年は外国人登録法と出入国管理令が施行された年であり、在日韓国・朝鮮人は日本で名実共に外国人の扱いを受けることになり、在日韓国・朝鮮人の人達は戦後における在日韓国・朝鮮人に対する管理体制の新たなスタートと見なしている。

4 ともかくも国籍問題は一応処理されたのであるが、在日韓国・朝鮮人の戸籍、登録制度はどうなったのであろうか。朝鮮に居住している人達については、韓国なり北朝鮮なりに居住していることにより、韓国なら国籍法、戸籍法(一九六〇年)によって、北朝鮮なら公民登録制度によって公的に把握されることになったのであるが、在日韓国・朝鮮人については、いわば置いてきぼりにされたのが実際ではないだろうか。
  一九六五年韓国との国交正常化(日韓基本条約)により日本は韓国を国家として承認したので、この時を境に在日韓国・朝鮮人で韓国を国籍とする人が急増した。また、一九七三年には在日韓国人向けの「在外国民の就籍、戸籍訂正及び戸籍整理に関する臨時特例法」が制定され、韓国籍を選択すれば、この特例法によって比較的容易に韓国での戸籍を作ることができるようになった。在日韓国・朝鮮人の多くは出生届、婚姻届けを本国の役場に届け出ないので、例えば海外旅行をしようと思っても戸籍がなくては旅券を取得できずあわててこの制度を利用する人が多くなったという。特例法ではもとの戸籍を探索するのが原則であるが、在日韓国・朝鮮人の場合戸籍がわからなかったり、始めからない場合が多いので、現時点での身分関係に基づいて戸籍を作れるようにしたものである。
 しかしながら、原告法定代理人のように韓国籍を取得する意思のない在日韓国・朝鮮人にとっては、相変わらず祖国によって把握されない不安定な法的地位に留まっており、良くも悪くも、外国人登録法が唯一公的な登録制度となっているのである。
 従って、このような在日韓国・朝鮮人のために、その存在を自ら作り出した日本は外国人登録法を、居住関係、身分関係を公証する側面をも有するものとして解釈、運用する義務が信義則上求められているのである。

第二 国際人権規約と子供の権利条約

一 国際人権規約B規約二四条二項は「すべての児童は、出生の後直ちに登録され、かつ、氏名を有する。」と規定されている。前記のように原告は在日韓国・朝鮮人の子として祖国に把握されない不安定な法的状態に置かれているのであるから、ここで言う登録とは本件での外国人登録法による登録を含むものである。従って、原告法定代理人による本件外国人登録申請は原告の右規約上の登録権を具体的に実現する手段に他ならず、これを無視することは規約に抵触する。B規約のうち、直接個人の権利を保障した条項は特別の立法を待つまでもなく、直ちに国内法的効力が生ずるとされており(宮崎繁樹法学セミナ−臨時増刊「国際人権規約」一九七九年五月)、国連の人権専門委員会における日本政府代表の答弁(一九八一年一〇月二二日)も同趣旨である(「政府が条約を侵犯しているということで、政府に対して一個人が訴訟を起こした場合、裁判所は、通常その個人の主張に関係ある一定の国内法を見つけ出し、この国内法に基づいて判決を下す、稀な場合、関係国内法が見出せないことがある。この様な場合は、裁判所は直接その条約を援用し、条約の規定に基づいて判決を下す。もし、裁判所が、国内法と条約の間の不一致を発見した時は、条約が優位する。」と述べている。)。

二 昨年五月に発効した子供の権利条約でも子供の登録権が保障されている。

 第七条一項は「児童は出生後直ちに登録される。児童は、出生の時より名前を持つ権利及び国籍を取得する権利を有し、かつ、可能な限り親を知り、及び親に養護される権利を有する。」と規定し、第八条一項は「締約国は、児童が、不法な干渉なく、法により認められた国籍、名前及び家族関係を含め、自らの身元を保全する権利を尊重することを約束する。」(訳文は全国社会福祉協議会によるもの。)と規定して第七条一項の権利を実現するための国の義務を明らかにしている。
 第七条一項も人権規約B規約同様直接国内法的効力を有するものと解釈してよく、原告の登録拒否は子供の権利条約上も許されるものではない。

第三 被告第九準備書面に対する反論

一 被告は、外登法一五条二項の本来的な代理申請義務者による申請は受理すれば適法、受理しなければ違法になるが、本件のような場合は受理すれば適法であるが、受理しなくても違法にはならず、原告の挙げる先例は後者の場合であるから原告の主張の根拠とはならないと述べている。
 しかしながら、本件処分が適法か違法かは、これを受理しようとする側(市長村長)の規制態度(受理するとか、しないとか)によって判断すべきものではなく、申請する側の申請行為が違法か適法かによって決せられるべきであり、どちらでも好き勝手にできるなどというグレ−ゾ−ンは行政の恣意を許すことになり、解釈論として成立しない。
 従って、申請行為が違法であれば不受理処分も適法であるが、申請行為が適法であれば不受理処分は当然に取り消されることになるのである。

二 被告は、原告が人権規約B規約等を根拠にしても法律による具体化がなければ絵に書いた餅であるかの如く主張しているが、これについては第二項で述べたことを援用する。

三 被告は、外登法と住民基本台帳法、戸籍法を対比して、解釈論で申請資格を認めることはできないと主張している。
 許せないのは、住民登録は国民の参政権に繋がる制度で、重大な利害にかかわるが外国人登録では外国人には参政権がないから大したことはないかの如き主張をしていることである。しかし、そんな言い方はないのではないか。繰り返し強調するが、原告やその法定代理人にとって外国人登録は戸籍、住民登録にも比肩すべき重大な利害にかかわる公的登録制度であり、また、固有事務である外国人登録済証明書発給事務とも今や一体となった外国人にとっても利益となる制度でもあり、このような利益は既に法的にも高められているものと言って何ら差し支えはない。従って、多少の規定上の相違は解釈論の障害にはならないし、これを楯にとって硬直した態度を取ることはかえって外国人の人権を蹂躪することになり、それこそ、不必要に外国人を差別するものとして憲法上否定的評価を受けなければならないであろう。
 原告は、本来的申請義務者が申請しておれば、直ちに外国人登録が受けられる状態にあるのであり、原告法定代理人が本来的申請義務者に代わって代行したとしても、外登法上の趣旨に適合こそすれ、何ら不都合なことが起きるわけではないのであるから、文理解釈にこだわる被告の排外的対応こそが憲法一四条違反で
ある。

以上


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