平成八年行サ第一二号外国人登録申請却下処分取消請求上告事件
上告人 李 聖徳
被上告人 津市長
一九九六年一一月一二日
上告人訴訟代理人 弁護士 伊藤誠基 弁護士 梅山光法
最高裁判所 御中
外国人登録法(以下、外登法)一五条二項が一六歳未満の未成年外国人の外国人登録にかかる代理申請権限を同居の親族等に限定し、非同居者ではあるが、法定代理人親権者である者からの代理申請権限を認めないのは、国際人権規約二四条2、子どもの権利条約七条一項で定める子どもの登録される権利を侵害するものであり右外登法の代理申請規定はこの限度で右両条約の各規定に反し無効である。
よって、国際人権規約二四条2、子どもの権利条約七条一項に反する外登法一五条二項を適用して本件処分の適法性を判断した原判決は右両条約の解釈適用を誤った違法があり、破棄を免れない。
原判決が、非同居者からの申請を却下した本件処分は、国際人権B規約二四条2、児童の権利条約七条一項に反しないとしたことは国際人権B規約二四条2、児童の権利条約七条一項の解釈適用を誤ったものであり、破棄を免れない。
原判決が、外登法一五条二項は本件のような非同居者からの申請を認めていないとして本件処分を適法と判断したのは、外登法の解釈適用を誤ったものであり、破棄を免れない。
原判決は、上告人は本件申請が受理されないことによる具体的不利益を被っていないと判断しているが、上告人の不利益についての誤解に基づくものであり、右判断の誤りは原判決の結論に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れない。
原判決が、本件が子どもの人権と福祉にかかわるものであるとする一方、本件の問題は李在一と置野昭子との間の、上告人の国籍の去就及び外国人登録申請の是非を巡る深刻な意見の対立が原因であり、両者の話し合いによって解決されるべき家庭内問題であるとしているのは理由不備、理由齟齬であり、原判決の結論に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れない。
原判決が、本件代理申請が一旦被上告人において受理されたにもかかわらず、本件処分を有効と判断したのは、外登法の解釈適用を誤った違法があり、破棄を免れない。
外国人登録法(以下、外登法)一五条二項が一六歳未満の未成年外国人の外国人登録にかかる代理申請権限を同居の親族等に限定し、非同居者ではあるが、法定代理人親権者である者からの代理申請権限を認めないのは、国際人権規約二四条2、子どもの権利条約七条一項で定める子どもの登録される権利を侵害するものであり右外登法の代理申請規定はこの限度で右両条約の各規定に反し無効である。
よって、国際人権規約二四条2、子どもの権利条約七条一項に反する外登法一五条二項を適用して本件処分の適法性を判断した原判決は右両条約の解釈適用を誤った違法があり、破棄を免れない。
一 およそ今日の近代国家においては、子が出生した場合、統治機関によって登録されなければならないことは自明の理である。登録によって、統治機関は子に対して統治権を現実に行使することが可能となるばかりではなく、登録された子は統治機関に対して様々な保護を受けることができるようになり、成人に達してもこのような関係は変わらない。
登録制度は本来的にこのような二面性を有しているが、日本国憲法は登録制度について何も規定していない(ちなみに、憲法一〇条は日本国民の要件は法律で定めるとし、これを受けて国籍法が定められているが、国籍法は登録制度ではない。)。しかしながら、登録制度が近代国家にとって欠くべからざるものである以上憲法は当然の前提としているものと考えられ、登録制度を法律で如何様にでも定めることができるというものではない。登録制度は、憲法前文の国民主権主義、福祉国家主義、平和主義、国際主義の理念に適合していなければならない。
ところで、登録制度は、国により様々な形態がとられ、千差万別であるが、唯一これを規制しているのが市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、国際人権B規約)二四条と子どもの権利条約七条である。両規定は登録制度の持つ権利性の側面に着目して、子どもの登録される権利は何人も侵すことのできない前国家的、自然権的な基本的人権であることを明らかにしたものということができる。両条約は憲法の精神を具体化したものといってよい。
従って、国際人権B規約及び子供の権利条約の右各規定は、日本国においては、子どもの登録制度の憲法ともいえるものであり、これに反する登録法は無効である。
二 以上の観点に立って日本の登録制度をみた場合、子どもの登録手続きを定めた外登法一五条二項は、日本国民の登録制度である戸籍法と対比すると、代理申請資格を同居者に限定して登録を事実上阻害している点で不合理な規定であり、外国人の子どもの登録権を侵害している。
日本人の子の場合、子が出生すれば一四日以内に役場に届け出なければならないことになっている(戸籍法四九条一項)。いわば、子どもの登録の第一歩である。届出は、嫡出子の場合、父又は母であり、離婚していれば母が行い(法五二条一項)、非嫡出子の場合は出産した母親が行うことになっている(法五二条二項)。父又は母が届出を怠った場合は、他の戸籍法上の届出懈怠と同様三万円以下の過料に処せられる(法一二〇条)。更には、市長村長が正当な理由なく届出を受理しない場合は、届出権者は家庭裁判所に不服申立ができるし(法一一八条)、正当な理由なく受理しなかった市長村長は五万円以下の過料に処せられる(法一二二条一号)。
以上の規定から分かるのは、第一に、届出は父又は母が行うとしている点である。理由は、子をもうけた親であれば子どものために登録をしようと考えるのが自然であるし(子どもの登録に責任を持てる立場にある)、子どもの登録事項(出生場所、生年月日、親との身分関係等)を最もよく把握しているからである。従って、同居、非同居を問うていないことが重要である。同居者の届出が問題となるのは、父又は母が届出をすることができない場合である。この場合は、同居者が第一順位、出産に立ち会った医師、助産婦又はその他の者が第二順位として届け出ることになる(法五二条三項)。しかし、その前にも法定代理人がいればその者が届出をすることができる(法五二条四項)。
第二に、登録は一面義務であるとともに権利でもあることを明らかにしていることである。不服申立制度や届出を受理する側の制裁規定は登録制度の権利性をも明らかにしたものということができる。
戸籍制度は以上のようにして子の登録に遺漏なきを期し、国際人権B規約二四条2、子どもの権利条約七条に定める子どもの登録権を実質的に保障するものといえる。
ところが、日本で出生した外国人あるいは上告人のように出生後外国籍を取得した未成年外国人の場合、外登法一五条二項による届出手続きによらなければならない。同規定は、同居人でなければ登録申請できないとし、その中で、第一順位が配偶者、第二順位が子、第三順位が父又は母、第四順位がその他の親族、第五順位がその他の同居者となっており、非同居者の父又は母は完全に申請資格から排除されてしまっている。
特にひどいのは、父又は母であっても、子と同居していなければ申請資格がないのに対し、同居していれば他人でも申請資格があるとされていることである。これは如何様に考えても合理化できるものではない。子どもの登録は父又は母によって申請されてこそ一番の利益に叶うものであり、それ以外の者に申請資格を認めるのは、戸籍法に照らすと、補完的意義を有するに止まるものである。ここにおいて、外登法一五条二項は主客転倒した規定であると言わざるを得ない。
三 もっとも、ここで戸籍制度と外国人登録制度の違いが問題となってくるが、仮に制度の趣旨、目的が若干異なるとしても、身分関係の公証制度としての基本的機能は同一であり、子どもの登録制度としては、日本国民の場合は戸籍、住民登録制度、外国人の場合は外国人登録制度があり、何れも子どもの権利条約七条に服するものと一般に解釈されているのであるから(甲二一)、条約適合性の判断にあたっては、両者を区別して検討すべきではない。外国人だからこの程度の代理規定でよいとはいえない筈である。
四 しかるに、原判決及び引用する一審判決は、一六歳に満たない未成年外国人の登録の代理申請資格をどの範囲の者に認めるかは、手続的な事柄であり、立法政策の問題である上、外登法の規定は、一六歳未満の外国人について同居者により漏れなく登録できるように代理登録の申請義務者を規定しているのであって、その規定の仕方自体が、国際人権規約B規約二四条一、二項、児童の権利に関する条約七条一項の精神に反するものとはいえない、としている。
原判決の説示で評価できるところがあるとすれば、代理申請規定がなければ子どもの登録権を侵害し国際人権規約B規約二四条一、二項、児童の権利に関する条約七条一項に反すると解釈できることである。国際人権規約B規約二四条一、二項、児童の権利に関する条約七条一項の裁判規範性を承認しているものと理解してよい。しかし、代理申請規定の定め方は事務手続上の問題であり、立法政策の問題であるとしたのは、明らかに矛盾であり、理由に齟齬がある。
上告人に国際人権B規約、子ども権利条約が適用されるとするなら、代理申請の規定の仕方についても条約適合性の判断をしなければならない。なぜなら、代理申請の規定の仕方が不合理であり、子どもの登録を阻む結果となる場合だってあるからである。本件は正にこの場合に該当しているのであるから、何故法定代理人親権者である上告人の父李在一からの外国人登録申請が許容されないのか理由を示すべきである。
上告審においては、特に、法定代理人親権者である父親からの登録申請が許容されないのは不合理であり、子どもの登録権を侵害するものであるとの明確な判断を求めるものである。
五 従って、外登法一五条二項が一六歳未満の未成年外国人の代理申請資格を同居者に限定し、非同居者ではあるが法定代理人親権者である者からの代理申請を認めないのは、戸籍法が子の登録の第一次的届出義務者を同居、非同居を問わず子の父又は母としていることと対比すると著しく不合理であり、何ら正当化すべき根拠がないので、子どもの登録権を侵害するものとして、国際人権B規約二四条2、子どもの権利条約七条一項に違反し、この限度で無効である。
よって、外登法の右規定の適用を前提として本件処分を有効と判断した原判決には国際人権B規約二四条2、子どもの権利条約七条一項の解釈適用を誤った違法があり、破棄を免れない。
原判決が、非同居者からの申請を却下した本件処分は、国際人権B規約二四条2、児童の権利条約七条一項に反しないとしたことは、国際人権B規約二四条2、児童の権利条約七条一項の解釈適用を誤ったものであり、破棄を免れない。
一 国際人権B規約二四条二項は、「すべての児童は、出生の後、直ちに登録され、かつ、氏名を有する。」と規定している。
また、子どもの権利条約七条一項は、「児童は出生後直ちに登録される。児童は出生の時より名前を持つ権利及び国籍を取得する権利を有し、かつ、可能な限り親を知り、及び親に養護される権利を有する。」と規定している。
子どもが出生すれば、国家により登録されることは、子どもの基本的人権であることを明らかにした規定であるが、何らの留保もできない、いわば絶対不可侵の人権でもある。
ところが、上告人は、父親であり、且つ、上告人の法定代理人親権者である李在一から外国人登録申請がなされたにもかかわらず、未だ登録されないという不利益を受けているものであり、如何様に考えても、未登録の状態を正当化できる根拠はない。
にもかかわらず、原判決は、本件処分が国際人権B規約二四条二項、児童の権利条約七条一項に反しないとしたのは、子どもの登録権が絶対不可侵の人権であることを軽視したもので、この一事をもってしても違法であることを免れない。
二 ところで、国際人権規約及び子どもの権利条約の直接適用にあたっては、条約の国内法的効力が常に問題となる。
先ず、B規約の国内法的効力について、同規約を批准した国は、その二条一項によって、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、いかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し、確保することを約束することとなっている。
そして、日本国憲法九八条二項は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と規定している。
この憲法の規定を根拠として日本においては、条約は法律に優先するものと解釈されている。
そうすると、B規約中、直接に人民の権利を規定した条項は、それについての特別の立法をまつまでもなく、直ちに国内法としての効力を有することになる。
B規約四〇条に基づく日本政府の第一回報告書の審議を行った国連の人権専門委員会(一九八一年一〇月二二日)において、日本政府代表も、「実務において、条約はずっと以前から、日本の法制の一部を構成すると解されてきており、それに相応する効力を与えられて来た。換言すると、行政と司法当局は、条約の規定を遵守し、その遵守を保障して来たのである。条約は、国内法より高い地位を占めると、解されている。このことは、裁判所により条約に合致しないと判断された国内法は、無効とされるか改正されなければならないことを意味する。」「政府が条約を侵犯しているということで、政府に対して一個人が訴訟を起こした場合、裁判所は、通常その個人の主張に関係のある一定の国内法を見つけ出し、この国内法に基づいて判決を下す。稀な場合、関係国内法が見出せないことがある。この様な場合は、裁判所は直接その条約を援用し、条約に基づいて判決を下す。もし、裁判所が、国内法と条約の間の不一致を発見した時は、条約が優位する。」としている。
従って、国内法の規定ないし具体的処分が条約の定める要件に合致しないときは、その規定ないし処分は国際人権規約違反となり、法的効力が否認されるか、または是正の措置が講じられなければならない。
個人の側からすれば、B規約の定めを根拠として直接国内裁判所に同規約に定められた人権侵害についての救済を求めることが可能である(宮崎繁樹「国際人権規約成立の経緯」法学セミナー臨時増刊『国際人権規約』一九七九年五月)。
では、子どもの権利条約などB規約以外の人権諸条約についてはどうか。これについては国際法学者の間でも種々学説が提唱されているが、概ね次のように理解することができる。
まず、条約の条項自体が個人に直接権利を与え、義務を課する規定形式をとっている場合、それが裁判規範に適したものであれば、自力執行性があると考えられている(『子どもの権利条約の国内法的効力』宮崎繁樹著法律論叢六七巻一号)。
しかし、条項が「締約国は・・・・」で始まっている場合には、締約国にその条項の定めている内容を実現する義務を負わせているものであって、これによって個人について権利義務が発生するということはできないと解されている。
そこで、子ども権利条約七条一項の規定形式を見ると、前記のとおり、直接子どもに登録権、氏名取得権、国籍取得権等の権利を与える規定となっていることから、いずれの学説をとっても、この世に生を受けた子どもは、直接右条項が適用され、国内法の規定如何にかかわらず、登録権の行使ができるものと解すべき である。
ちなみに、条約を直接個人に適用した下級審判例も出てきている。
すなわち、国際人権規約B規約一四条3fの保障は無条件かつ絶対的であり、 被告人に通訳に要した費用の負担を命じることは許されないとした東京高裁一九九三年二月三日判決がそれである(甲第三〇号証)。
三 以上によれば、上告人法定代理人親権者李在一からの上告人にかかる外国人登録申請は、国内法である外登法が非同居者からの代理申請を認めていないからといって直ちに違法となるものではなく、同申請が法定代理権もある父親からなされ、同居の有無以外の申請条件を満たす場合には、国際人権B規約二四条二項、子どもの権利条約七条一項に基づく請求として適法になしうるものと解すべきである。
しかるに、原判決は、外登法一五条二項は非同居者からの申請を認めていない、一六歳未満の未成年外国人の代理申請資格をどの範囲で認めるかは立法政策の問題にすぎないと判断したのは、明らかに、条約無視、国内法優先の誤った解釈に由来しており、違法たるを免れない。
四 よって、外登法一五条二項によって上告人の登録申請を却下した本件処分を有効とした原判決には国際人権B規約二四条二項、子どもの権利条約七条一項の解釈適用を誤った違法があり、破棄されるべきである。
原判決が、外登法一五条二項は本件のような非同居者からの申請を認めていないとして本件処分を適法と判断したのは、外登法の解釈適用を誤ったものであり、破棄を免れない。
今日までの外登法の運用をみるとき、政府は在日韓国朝鮮人等日本の旧植民地出身者などを対象として、できるだけ「正確な内容」の事項を入管法と併せて「漏れなく管理」するよう厳しく運用してきた経過があり、それゆえに、在日韓国朝鮮人の人々を中心に各界から大きな反発を受け、社会問題ともなったことは周知のとおりである。
判例上も、外登法に基づく登録申請義務は、本邦に在留する外国人が外国人たる身分とその本邦在留の事実それ自体に基づいて賦課される義務であって、本邦に在留する資格の有無、本邦入国の合法違法等には全く関係がないものと解すべきであるとされ(福岡高裁一九五六年八月九日判決・高裁刑集九巻八号八七八頁)、外登法三条一項の規定は、旅券を提出せず、しかも不法入国の事実自体を供述しないでする不法入国外国人の登録申請を不適法とする趣旨を含むものではないとされている(最高裁一九八一年一一月二六日判決・判例時報一〇二三号一三一頁)。
このように、一方で強権を発動してまで外国人登録を押し進め、他方で、みずから進んで外国人登録を申請した上告人に対しては、外登法の形式的解釈に拘泥して外国人登録を拒否するのは矛盾であり、本件処分は、これまでの政府の外登法の運用とは著しい齟齬がある。
従って、右のような運用実態を見れば、その是非はともかく、上告人が法定代理人親権者父を通じてなした外国人登録申請は事の自然な結論として受理されて当然のことであり、敢えて言うなれば、本件申請が受理されてこそ、「管理に資する」ことになり、政府の言う「国益」にも叶うことになるはずである。
一般に、当該法律が制定されることによって、その目的とするものの内容は冒頭に定められることが多いが、外登法は、第一条において、在留外国人の登録を実施することによって「外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資すること」を目的とする旨規定している。 問題は「公正な管理」の中身であるが、この点大阪在住の在留外国人が起こした在留期間更新不許可処分等取消請求事件(大阪地裁一九八七年行ウ第二号)において証人尋問を受けた当時の大阪入国管理局長谷岸敏行氏は次のとおり証言している。
「問 入管法一条にいう公正とはどういう意味か。
答 これは前にも証言したことがございます。この公正な管理の中身につきましては、やはり、いろんな意見がありまして、人によって、若干、異なっております。じゃあ、私はどう思うかと言いますと、私は日本国及び日本社会の利益と外国人の人権の調和をはかると、これが、公正な管理ではなかろうかと、私自身は、そのように理解しております。
問 外登法一条にいう公正の意味は。
答 同じだと思いますけれども。」
右の証言によれば、外登法の目的は、国家の外国人管理という公益を図るという目的と並んで当該外国人の人権をも保障することを含むものとして理解できる余地がある。
そこで、外国人登録制度が現実に果している機能について検討する。
法務省入国管理局監修の出入国管理外国人登録実務六法(六三年度版)によれば、外登法一条について「本条は、本法の目的を明らかにしたものである。本法は、本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を把握して、在留外国人の管理のために必要とされる正確な資料・情報を提供することを目的としている。本法は、外国人の管理そのものを目的とするものではなく、管理それ自体は、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)その他の法令が担当する。情報・資料の提供の対象となるのは、在留外国人の管理に関する行政であるが、それは出入国管理行政に限定されるものではなく、労働行政、福祉行政、住宅行政、文教行政、税務行政、住民行政等多岐にわたる。また、国の行政に限定されるものではなく、都道府県、市町村等の地方公共団体の行政もその対象にな る。」と解説されている。
この解説で注目されるのは、外登法は「管理法」ではないとしていること、また、資料・情報の利用は様々な行政サービスをも視野に入れた広範な領域に及ぶことを明らかにしていることである。
更に、外国人登録事務に従事する自治体職員の手引書ともいうべき改定外国人登録事務必携によれば、外国人登録制度の目的は、在留外国人の全体像を掌握することが目的であるとしつつ、登録された事項は、「当該外国人にかかる各般の行政、例えば、出入国管理行政についていえば在留期間の更新申請にかかる外国人、退去強制事由に該当する外国人、来日しようとする外国人の呼寄せ又は身元保証人としての外国人の身分関係や居住関係を確認する上で利用され、犯罪捜査の過程において、徴税事務の上で、国民年金や児童手当その他福祉関係事務あるいは就学手続等教育関係事務等において、居住関係及び身分関係を確認する上で欠くことのできない資料として活用されている。」と説明されており、外国人登録制度が当該外国人の国や自治体に対する権利行使の為の機能を内在させている実態を認めている。
このような外国人登録制度が本来的に持つ権利保障機能は、外国人登録済証明書の発行という形で早くから具現化されてきた。
すなわち、日本人が自己の身分関係を公に証明しようとするときは戸籍謄本、居住関係を証明しようとするときは住民票の写しが活用されているが、このような事情は在留外国人についても同じことが言えるわけで、この必要性に応えるものが外国人登録証明書である。しかし、同証明書は、当該外国人には携帯義務が課されているので、証明先に提出することができず、それに代わりうるものとしてどこの自治体でも自然発生的に外国人登録済証明書を発行してきた経緯がある。
外国人登録済証明書は外登法には何らの定めもないが、外国人登録制度自体が前記のように戸籍、住民登録制度と同様、登録者の身分関係、居住関係を公証する機能を有し、国家の管理と併せて登録者の権利をも保障する機能を内在させていることからの当然の帰結でもある。
ここにおいて、日本人の戸籍制度、住民登録制度と在留外国人の登録制度は身分関係、居住関係を公証する機能としては径庭はなく、管理と権利保障機能を併有している。
特に近年、在留外国人の国家、自治体に対する権利保障制度が充実してきており、それに伴って、外国人登録制度の重要性はますます高まりつつある(もっとも、現行制度には、在留外国人に外登証の常時携帯を罰則をもって強制するなど人権上、人道上改善すべき点が残されているが)。
すなわち、一九八二年一月一日発効した難民条約二四条は、労働法制と社会保障の分野について、締約国は合法的にその領域内に滞在する難民に対し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える旨規定し、批准に伴って国民年金法及び児童の手当てに関する三法(児童扶養手当法、特別児童手当法、児童手当法)等いくつかの法律から国籍条項を撤廃し、在留外国人にも適用できる立法改正を行った。
そうなってくると登録の果たす役割は一段と高くなってくるはずであり(ちなみに、国民年金、厚生年金、国民健康保険制度等は登録が要件である。甲第二九号証)、今や外国人登録制度は在留外国人の権利保障と一体化したと言っても過言ではない(甲第三二号証)。
右に見たように外国人登録制度が、在留外国人にとって戸籍、住民票にも比肩すべき機能を有する制度であるとした場合、登録申請の手続きもまた合理性を有していなければならないことは言うに及ばない。一方で制裁を課してまで登録を強制しておきながら、申請手続きの不備で登録を事実上阻む結果となることは著しく正義の観念に反する結果を招く。
登録申請手続きの合理性は、本人自ら申請できない場合の代理申請手続について最も問題となる。
そこで、外登法一五条二項の規定から引用すると、同規定は、代理申請できる場合を、外国人が一六歳に満たない場合、又は疾病その他身体の故障により自ら申請若しくは登録証明書の受領若しくは提出することができない場合に限定し、代理人も法定の順位に従って定まる同居者が行うことになっている。つまり、如何なる代理申請も同居者においてしなければならず、非同居者からの申請は手続上違法となり、受理されないという結果となる。上告人の本件申請が却下されたのも正に同じ理由からである。
しかしながら、これでは同居者のいない在留外国人の場合、代理申請の途は閉ざされてしまう(このような事態はいくらでも想定できる。)。また、一六歳未満の未成年外国人で同居者がいない場合、例え非同居の父母がいても親からの代理申請ができなくなる。もっとも、本件では同居の母親がおり、同人による申請は可能であるが、非合理的な理由で代理申請を拒んでいる場合、上告人の法定代理人親権者がいて同人が申請の意思があるにもかかわらず、非同居者という理由だけで申請ができなくなってしまう。これは余りにも不合理という外ない。子どもの登録権行使を著しく阻むものとして上告理由第二点で指摘したように国際人権B規約二四条二項、子ども権利条約七条一項に反する所以である。
外国人登録の代理申請資格を同居者に限定した実質的理由は、被上告人がこれまで主張してきたところによると、登録の正確性を担保するためであるということである。
確かに、同居者であれば一応その申請内容の正確性は担保されたものということができるが、逆に同居者でなければ登録事項の正確性が担保されないかが問われなければならない。特に親であれば、子どものために登録をしてやるということは至極当然のことであり、正確性の担保も十分期待できるので(出鱈目、杜撰な登録をする親はいない。)、同居、非同居をそもそも問うべきではない。むしろ、子どもにとっては親から正確な登録申請がなされてこそ初めて利益に叶うのである。本来同居者が代理人になるのは、父母や親族の申請が期待できない場合の次善の策としてである。
登録事項をみても、同居者でなければ申告できないようなものは含まれていない。
外登法四条一項によれば、登録事項は、「一 登録番号、二 登録年月日、三 氏名、四 出生の年月日、五 男女の別、六 国籍、七 国籍の属する国における住所又は居所、八 出生地、九 職業、一〇 旅券番号 一一 旅券発行の年月日、一二 上陸許可の年月日、一三 在留資格(入管法に定める在留資格及び特別永住者として永住することができる資格をいう。)、一四 在留期間(入管法に定める在留期間をいう。)、一五 居住地、一六 所帯主の氏名、一七 所帯主との続柄、一八 申請にかかる外国人が所帯主である場合には、所帯を構成する者(当該所帯主を除く。)の氏名、出生の年月日、国籍及び所帯主との続柄、一九 本邦にある父母及び配偶者(申請に係る外国人が所帯主である場合には、その所帯を構成する者である父母及び配偶者を除く。)の氏名、出生の年月日及び国籍、二〇 勤務所又は事務所の名称及び所在地」となっている。
これらの登録事項のうち上告人法定代理人親権者父李在一において申告できない登録事項は皆無である。しかも、登録事項六、七、一三の国籍、在留資格に関する事項は上告人の監護者母である置野昭子よりも李在一の方が正確な登録をなし得るくらいである。逆に同居していないことから正確性に問題が生ずるのは一六、一七であるが、これも李在一は親権者として面接交渉しているので、上告人の所帯主の氏名、続柄は周知の事実である。その他の登録事項は親であれば当然に正確な登録をなし得る事柄ばかりであり、同居の有無とは関係がない。 仮に、登録事項に疑問があれば、外登法一五条の二は市町村長に職員による事実調査権限を与えているので、不正確な登録を防止する手だては十分講じられている。
そして、何よりも、上告人法定代理人親権者父李在一は一九九二年六月二四日被上告人に対して本件登録申請をなし、一旦受理されて(この点は後記上告理由で述べる。)外国人登録証明書交付予定期間指定書を受領しているのであるから(甲第六号証)、本件登録事項の正確性が問題となるような事情は全くなかった。
してみれば、外登法が同居者にのみ代理申請権限を認めたのは、同居者であれば一応登録の正確性を担保できること、在留外国人を漏れなく登録させるため本人による申請が期待できないか、未成年である場合、本人以外の者に過料という制裁を課して代理申請義務を負わせる以上、非同居者にまで代理申請を強制することは過剰な負担を負わせることになり妥当ではないとの政策判断があってのことであろうと思料される。
そうだとすれば、外登法は、一五条二項に定める同居者でなくとも、合理的理由のある非同居者からの申請を必ずしも排除するものではないと解釈すべきであり、むしろ外登法の趣旨に合致こそすれ、背反するものではない。かく解しても非同居者にまで代理申請義務を課することにならないことはいうまでもない。
原判決は、外登法一五条二項が申請義務の不履行に対し過料の制裁をもって臨んでいることに鑑みれば、同規定の文理を離れて拡張解釈することは許されないとしているが、代理申請義務者の範囲と代理申請資格の有無を混同している。代理申請資格は外登法に規定はないが、外登法全体の趣旨、目的、機能に則して当該代理申請の適法性を判断すればよい問題である。原判決は、代理申請資格の範囲の問題は手続的な事柄であるにすぎないとしているが、そうであれば尚更、代理申請資格を同居者に限定することに拘泥すべきではない。
1 行政解釈
外国人登録法逐条解説(申第九号証)によれば、「本条で『同居する者』とは、俗にいう宿泊中の客と主人との間には、通常は同居関係にあるとはいえないが、一六歳未満の年少者について、その保護者が主人に監護をも依頼して旅館に宿泊させているような場合は、同居関係もあるといえるであろう。」「養護施設に入所中の児童と施設の職員は一律に同居関係にあるとはいえないが、これら施設に入所中の児童に係る各種手続きについては、別途、行政運用で民法の事務管理に準じて施設の職員が手続きを代行することが認められている。」とされている。
非同居者であっても、一定の場合行政運用で代理申請資格を認めうる場合があることを是認しているのである。
2 判例
外登法一五条二項の解釈にかかわる下級審判例として、「在監者のため同法(外登法)第一一条一項の申請手続きを当該施設の長が事務管理によって行った場合において当該申請の効力は有効」と判断した東京高裁第一〇刑事部一九五九年一二月二二日判決がある(甲第一九号証)。
在監者が在留外国人の場合、服役中に外国人登録証明書の切替交付申請をしなければならなくなったとき、外登法一五条の代理申請ができる場合に該当しないだけでなく(身体の故障ではない)、同居者もいないので、外登法一五条二項による申請は本来できないはずである。ところが、右判決は、このような場合施設の長たる刑務所長が在監者に代わって申請しても無効となるものではなく、事務管理として有効と判断したもので、下級審判決ながら、外登法一五条二項によらない申請を有効とした点は先例的価値がある。
3 右判例に対する原判決のとらえ方
しかるに、原判決は、右裁判例は代理申請義務者の存在しない場合であって、本件とは事案を異にすることは明らかである、本件は上告人は代理申請義務者である母昭子を通じて、外国人新規登録申請をしない旨表明している(その限りでは、外登法上母昭子に外国人新規登録の代理権が与えられていると解すべきである)と見ることのできる事案であるから、本件においては、そもそも、右意思に反した事務管理が成立する余地もないとしている。
先ず、原判決は、他に代理申請義務者が存在しない場合には、外登法一五条二項によらない代理申請は認めているようである。なぜなら、右の東京高裁判決は誤りだとしていないからである。
そうすると、原判決がその前に「外登法一五条二項が右申請義務の不履行に対し過料の制裁をもって臨んでいることに鑑みれば、・・・右規定の文理を離れて拡張解釈することは許されない」「また、代理申請義務者以外に本人以外の者に代理申請資格を認める規定を置いていないことは外登法の規定の体裁に照らして明らかである」と判断していることとの関係はどうなるのであろうか。
外登法の定める代理申請義務者以外の第三者に代理申請資格を認めることはできないときっぱり言い切っておきながら、在監者の事例では刑務所長による代理申請は許されるとするのは明らかな矛盾である。代理申請資格を認めるか認めないかは法定の代理申請義務者が存在するか存在しないかによって判断するという見解のようであるが、その理由は示されていないし、それこそ原判決が合理的理由も示さずに立てた勝手な立論で、独自の見解である。
次に、原判決が、上告人の意思を母親の意思に置き換えて、代理申請義務者が外国人登録を望んでおらず、代理申請義務者の意思に反した事務管理は成立しないと判示しているのも、かなり屈折した理屈で、釈然としない。
上告人の意思を考えるなら、既に日本国籍を離脱し外国人となっている以上速やかに外国人登録をしてやり、子どもの登録権を保障してやることを第一義に考えるべきではないか。母親が上告人の外国人登録を望まないのは、子どもの朝鮮籍を認めたくないからであるが、そのことと、外国人登録をしなければならないこととは別問題であり、外登法を「誤解」している。このような「誤解」に基づく母親の意思を最優先し、勝手に上告人の意思と決めつけ、事務管理による申請を不適法と判断した原判決は、国際人権B規約、子どもの権利条約、外登法に忠実に従っているとはいえない「無法判決」である。
子どもの合理的意思は、親によって一日も早く登録権を行使してもらうことであり、本件代理申請は右意思に沿うものとして事務管理が有効に成立している。
外国人登録制度は、在留外国人を管理することと共に当該外国人の権利をも保障する機能を営んでおり、このことは外登法一条の「公正な管理」の中にも折り込まれていると考えられる。
外登法一五条二項の代理申請規定は不備な点が認められるが、右外登法の目的を達成するため、非同居者からの代理申請を全面的に排除するものではないと考えられる。
本件代理申請は、非同居者からの申請であるが、上告人法定代理人親権者父李在一からなされたものであること、同父親は上告人と面接交渉をしており登録事項の正確性を担保できる立場にあること、本件申請が認められなければ上告人が国際人権B規約二四条二項、子どもの権利条約七条一項で保障された子どもの登録される権利が侵害される結果となることを勘案すると、事務管理として適法になるものと解すべきである。
しかるに、原判決は、外登法の解釈を誤って、本件代理申請を不適法と判断したものであり、破棄を免れない。
原判決は、上告人は本件申請が受理されないことによる具体的不利益を被っていないと判断しているが、上告人の不利益についての誤解に基づくものであり、右判断の誤りは原判決の結論に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れない。
一 原判決は、本件代理申請が認められないことによる不利益は抽象的であるから本件処分を違法とするには足りないというが、遺憾ながらこの理屈は今もってよく理解できない。
上告人は外国人登録されないから本件処分を争っているのであり、これ以上に不利益を述べる必要はない。敢えていうなら、子どもの登録権という絶対的権利が侵害されているのであるから、これ以上の具体的不利益はないのである。
具体的不利益はないとの主張はむしろ被上告人側から出されたもので、これに対して上告人は例示として、例えば、特別永住許可申請には本来外国人登録証明がいるとか、再入国許可の場合や地方公共団体の各種助成制度の場合でも必要になってくるという至極当然のことを指摘したまでで、現実にこれらの申請権限が脅かされていることを理由に本件訴えを提起したものではないのである。
右の例示は登録権が侵害されるとその結果として例えばこのような事態になるというだけの話であり、登録されないこと自体の不利益問題と登録されない結果生ずる不利益問題とは議論のレベルが違うのである。
勿論、事の本質は同じであるが、全く同じであれば、わざわざ国際人権規約や子どもの権利条約で登録権が明記される必要もない。子どもの福祉上、ある保護措置が必要になれば、本来その都度毎に登録の有無に関係なく当該措置を保障してやればよい。しかし、それでは、具体的権利保障から漏れる子どもが出て来るので、独立の権利として登録権が明記されるに至ったものと推測される。従って、子どもは登録自体に独自の利益を有するのである。
二 そこで、上告人が登録されないこと自体によって被っている不利益について検討すると、上告人が一、二審を通じて再三再四述べてきたように、上告人は何れの国においても全く登録されない状態に置かれているということである。
上告人の法定代理人親権者父李在一は、在日朝鮮人であるところ、上告人は既に日本国籍を離脱しているので、その国籍は、外国人登録がなされれば李在一同様外国人登録証明書には国籍「朝鮮」と表示されるはずのものである。
ところが、李在一の国籍とされる「朝鮮」は現実には存在せず、上告人は父同様「本国」によって「戸籍制度」であれ、その他の登録制度であれ把握されない状態になっている。父は当然日本の外国人登録をしているが、上告人は、「本国」によっても日本においても把握されないという二重の不利益を受けている。
李在一は、このような裁判沙汰になることが最初から分かっていたら、上告人の国籍離脱前に、外国人登録が可能かどうか慎重に検討をした上で対処を決めていたが、本件のような事態は予想外の出来事であった。
李在一は、一九九二年五月二五日、津地方法務局を訪問して上告人の国籍離脱手続きに必要な書類の説明を受けているが、このとき、職員から国籍離脱後は外国人登録をすること、手続きは名古屋入国管理局四日市港出張所でするよう指導された。
六月二日、再度津地方法務局を訪れ、上告人の日本国籍離脱の申請書を提出したが、このときも、外国人登録をすること、手続きは名古屋入国管理局四日市港出張所でするよう指導された。
六月一二日、津地方法務局で六月一〇日付けの国籍離脱の通知書(甲第一号証)を受取ったが、このときも全く同じ説明であった。つまり、同じことを三度聞いたことになる。
六月二二日、名古屋入国管理局四日市港出張所を訪れ外国人登録をしようとしたところ、入管ではできない、津市役所でするよう言われた。窓口が違うというのである。
六月二四日、津市役所を訪れたが、非同居者であれば代理申請できないという思いもよらない指摘を受けた。津地方法務局で三度も外国人登録するよう口を酸っぱくして言われていたにもかかわらず、いざ申請となればできないということでは納得できない。
甲第一号証にも、日本国籍を離脱すれば六〇日以内に、住所地の市区町村長に、外国人登録の申請をするよう記載されており、李在一は当然この記載も信じて全て指示されるままに手続きを踏んでいたのに、日本政府は一方で登録するよう命じておきながら他方で拒否する矛盾した対応をしているわけであり、言ってみれば国際信義に反する対応をしていることになる。
従って、日本政府が、上告人の外国人登録を受理する義務があるのに、反対に拒み続けるというのは如何にしても正義に反する。
三 右のとおり、津市は一応受理したが、三重県国際課を通じて法務省で検討されることになった。
被上告人側では、受理を認める方向で検討しており、県への照会文書でもその旨付記されていた。
李在一は、交付予定期間が八月二五日から三一日とされていたが、受理されるか不安であったので、三重県知事公室国際課を数回訪問して感触を確かめていたところ、国際課長から、「登録されなければ幽霊人口になるからおかしくなる」「時間の問題(法務省が受理すること)ではないか」と聞き、よもや拒否されるとは思っていなかった。
ところが、九月九日再度交付予定変更指定書(甲第七号証)が交付され、最終は乙第八号証をもって拒否されるに至った。
本件申請を拒否したのは法務省ということになるが、ここで重要なことは被上告人や三重県サイドでは受理に肯定的であったことである。なぜ肯定的かといえば、不登録のままでは、上告人が幽霊人口になってしまうからである。このような事態が正義に叶うわけがない。
四 以上、具体的不利益の主張がないとして本件処分が違法とするには足りないとした原判決の判断は正義の観念に著しく反し、このような考え方が原判決の結論に影響を及ぼしていることは明らかであるので、破棄を免れない。
原判決が、本件が子どもの人権と福祉にかかわるものであるとする一方、本件の問題は李在一と置野昭子との間の、上告人の国籍の去就及び外国人登録申請の是非を巡る深刻な意見の対立が原因であり、両者の話し合いによって解決されるべき家庭内問題であるとしているのは理由不備、理由齟齬であり、原判決の結論に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れない。
一 原判決は、本件は家庭問題であるとしているが、上告人の外国人登録申請が拒否されたことの適法性が問題となっているのに、家庭内問題としてしまうのは裁判拒否にも等しい。
原判決はまた、父又は母の一方的な意思によって決せられて良いといった問題ではない、話し合いできなければ、家庭裁判所での親権者又は監護者の変更手続きを経ることによって解決することも可能であるとかお節介なことを述べているが、このようなことは本件とは一切関係のないことである。
今、上告人は外国人である。日本人ではない。しかし、日本に在留する以上、子の福祉の上から外国人登録することが求められている。現在、上告人に関し、国籍の去就とか、外国人登録の是非とかいった問題は全く横たわっていないのである。なのに原判決が未だにこのような問題が上告人の父母間で未解決の問題として残っていると見ているのは甚だしい誤解である。
本件は、話し合いで上告人の外国人登録の是非を決めるという問題ではなく、いかに外国人登録をするのかということが問われている。なるほど、両親の話し合いで同居の母親が外国人登録の代理申請をすれば事足りるが、母親の誤解でそれをしない以上、法定代理人親権者父李在一においてせざるを得ないのである。そして、その申請の適法性が問われているのが本件であり、この期に及んで話し合いをしなさい、できなければ調停もできるとの説示は、下手な法律相談を受けているのと同じである。
親権者、監護者の変更手続きがとられても、上告人の外国人登録がなされなければならない事態は変わらないのであるから、原判決の説示は理解に苦しむ。
二 いずれにしても原判決は、母親の立場を尊重するのあまり、李在一が何故上告人の国籍離脱手続きをとらざるを得なかったのかということに対する理解は不十分である。
上告人の両親の離婚は、もとはといえば、置野昭子の母親が李在一に対して激しい常軌を逸した差別発言を繰り返したことにある。このときの状況は甲第一〇号証の陳述書八項「3、置野家での暴行と差別、離婚の強要」及び同第一三号証で詳しく述べられているとおりである。いわば、置野側の家族ぐるみの嫌がらせ、差別発言、暴言を受けてきた。
そのため、離婚訴訟では、置野昭子側が李在一に対して慰謝料五〇〇万円を支払うことに同意し、かつ、民族差別発言に対する謝罪文が調停調書に記載されることになった。
しかし、民族差別発言に謝罪したからといって、置野昭子の家族らの朝鮮人に対する態度が直ちに変わるとも思えず、日本人と朝鮮人のハーフである上告人が朝鮮人としての誇りも持って欲しい、あるいは、成長して自己のアイデンティティーを喪失しないよう幼児期からの対処が重要であると考え、上告人の国籍を二重国籍から朝鮮籍の単国籍としたものである。
三 以上、原判決が、本件の問題を上告人の人権問題と理解したことは評価するにやぶさかではないが、上告人の両親間で本件登録の是非が話し合われるべきであるとしているのは、勘違いも甚だしく、この誤った認識は理由齟齬、理由不備に該当し、ひいては原判決の結論に重大な影響を及ぼすこと明らかである。
原判決が、本件代理申請が一旦被上告人において受理されたにもかかわらず、本件処分を有効と判断したのは、外登法の解釈適用を誤った違法があり、破棄を免れない。
一 本件記録を精査すると、被上告人は、一九九二年六月二四日、上告人の外国人登録申請を受理していることは明らかである。
その根拠は、被上告人は、通常の新規登録申請がされると交付される外国人登録証明書交付予定期間指定書(甲第六号証)を上告人法定代理人親権者父李在一に交付していることである。
同書面は、申請者に交付される予定の外国人登録証明書が作成されるまでの繋ぎの役割を果たすもので、六月二四日の代理申請手続きは完了している。つまり通常の受理と同じ扱いである。
同書面にも、「あなたが平成四年六月二四日行った登録の申請に基づき交付することとなる登録証明書は下記の期間に交付しますから、その期間内に本指定書を持参して来庁の上受領してください。」と明記され、期間は「平成四年八月二五日〜平成四年八月三一日」と指定されている。してみれば、六月二四日は、とりあえず、上告人法定代理人親権者父李在一からの申請書類を預かり検討するというものではなく、外国人登録証明書交付予定期間指定書が交付されている以上、通常の申請として受理されたことになる。しかも、指定書には、交付予定の登録証明書番号「K第〇一六五五四九三号」まで付されている。そして、この外国人登録番号は、上告人の特別永住許可書(乙第一一号証)にまで記載されており、受理手続きは完了したものといってよい(なお、乙第一一号証で提出された特別永住許可書は、一旦上告人の外国人登録番号が記入された後、何者かによって抹消されているが、これは不当である。)。
二 従って、一旦適法に受理された後、その後申請を却下することは、外登法の認めるところではなく、本件処分は当然に取り消されなければならない。
特に、被上告人は、本件申請は受理されたら有効との立場に立っているのであるから、本件は正にこれに該当する。
三 よって、一旦受理された本件申請をその後却下した本件処分は違法であり、これを看過して判断した原判決は外登法の解釈適用を誤った重大な違法があり、破棄を免れない。
上告人は、以上の上告理由六点において、上告裁判所の適正な判断を仰ぎたく、本件上告に及んだ次第である。
以上
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