平成七年行コ第一二号

外国人登録申請却下処分取消請求控訴事件

 控訴人      李   聖 徳
 被控訴人 津市長 近 藤 康 雄

一九九五年一〇月三〇日

 控訴人訴訟代理人
   弁護士    伊 藤 誠 基
   同      梅 山 光 法

名古屋高等裁判所民事第三部 御中

     準備書面

第一 外国人登録がなされないことによる不利益

一 原判決は「代理申請義務者が登録しない場合の本人(児童)の保護については行政上別途配慮されることが望ましいことは勿論であるが、原告が外国人登録を受けていないことによって、原告本人が具体的に不利益を被っているとの事実は証拠上認められない」(第三、三、2)としているので、本項ではこれに対する反論を述べる。
 

二  先ず、外国人登録制度そのものの存在意義は、外登法第一条に定めるように居住関係、身分関係を明確ならしめ、公正な管理に資することを目的としていることは明らかであるが、ここでいう「公正な管理」とは、前回準備書面(一九九五年九月一八日付)一の3でも指摘したとおり、在日外国人の人権等の諸利益保護を図ることまで含むものとして理解すべきであり、決して国家による外国人管理の便宜上の為だけの制度ではない。
 この点、原判決も訴えの利益の判断の中で(第三、一)、「外国人登録の存在は、外国人の出入国・在留管理をはじめ労働、教育、福祉その他の行政各般の分野において国及び地方公共団体が行う在留外国人に係る関係法令に基づく管理に役立たせるため、在留外国人の身分関係や居住関係に関する正確な資料・情報を提供することを目的とするとともに、さらに、私的関係において身元を証明する方法として様々に利用されている。このように、外国人登録制度が各種公法関係及び私法関係における身分居住関係の公証制度としての機能を果していることから、これら外国人登録制度によって自己の身分関係及び居住関係を証明しうることによって享受する利益は少なくとも法律上保護に値する利益であり、登録申請を拒否した本件処分の取消を求める原告には訴えの利益がある」と外国人登録制度の趣旨を正しく理解しており、本来なら控訴人が事細かに具体的不利益の一つ一つを証明するまでのことはないはずである。
 原判決は訴えの利益の判断の中では制度趣旨を正しく理解していながら、本案では不登録による「具体的不利益」が明らかでないとしているのは甚だしい理由齟齬と言わねばならない。

三  しかしながら、敢えて具体的不利益の問題を取り上げるとすれば、控訴人は次の3点について問題提起する。

1 外国人登録をしていなければ、特別永住許可が得られないはずである。
 控訴人も日本国籍を離脱し在日朝鮮人となったのであるから、在留資格を取得する必要があるところ、とりわけ「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(以下、特例法)」(平成三年五月一〇日法律第七一号)による「特別永住許可」の申請が可能となる。
 そして、実際控訴人は特別永住許可申請を親権者である李存一の代理申請によりなしたところ、一九九四年三月一日付で、特例法五条一項に基づき特別永住者として本邦で永住することを許可する旨の法務大臣の特別永住許可書が発せられた(乙一一)。
 しかしながら、特例法五条による許可申請の為には、特例法施行規則五条一項で「特別永住許可申請書一通」「登録証明書」「平和条約国籍離脱者又は平和条約国籍離脱者の子孫であることを証する書類」が必要とされており、申請人が外国人登録していることが前提となっている。特例法四条の許可申請の際も特例法施行規則一条一項三号で「登録証明書(外国人登録法(昭和二十七年法律第百二十五号)に定める登録証明書をいう。以下同じ。)」とされているので、特例法五条による許可申請の際の「登録証明書」とは外国人登録証明書を指すことは明らかである。
 従って、国は控訴人から特別永住許可申請がなされても、登録証明書の提出がないので本来当該申請を受理できず、許可を与えることができないはずである。
 控訴人はだからといって右許可は違法であるなどというつもりは当然ないが、本件登録申請を不受理とした弊害がここにも露呈してきていることを指摘するものである。外国人登録の窓口では「法」を貫いたつもりでも、別の法令で違反していては笑止に耐えない。
 法律(外国人登録法)は厳格適用するが、省令は無視してもよいとは言えないはずである。

2 外国人登録をしていなければ、再入国許可も得られない。
 出入国管理及び難民認定法二六条は、在留外国人の再入国許可の制度を設けているが、控訴人が一六歳になるまでの間に海外渡航しようとしても、外国人登録をしていなければ、再入国許可を受けられない可能性がある。
 再入国許可制度は、在留外国人が一時的に海外渡航する場合、本制度がなければ本邦から出国するとそれまでの在留資格、在留期間が消滅してしまい、再び本邦に入国する時には再度所要の査証を取得し、上陸許可手続きを経なければならなくなるが、この不都合を解消するために設けられたものである(「出入国管理及び難民認定法逐条解説」五〇四頁・日本加除出版)。
 再入国許可は法務大臣の自由裁量により与えられるものとされているが(この裁量権の行使の濫用が問題とされる場合もあるが)、法務大臣は、再入国許可申請があった場合、出入国の公正な管理を図る観点から、申請者の在留状況、渡航目的、渡航の必要性、渡航先国と我が国との関係、内外の諸情勢等を総合的に勘案した上再入国の許否を判断することになっているという(前書五〇六頁)。
 従って、窓口では必ず登録証明書を提出させているはずであり、控訴人はこのままでは再入国許可申請をしても受理されず、海外渡航することは叶わな
 被控訴人(国)側からすれば、外国人登録は要件ではないと主張するかもしれないが、再入国許可申請に際して外国人登録されていない不利益が完全に解消されるわけでもないであろう。
 憲法二二条は何人も外国に移住する自由を奪われないと規定し、この自由は海外渡航の自由を含み、特に在日朝鮮人である控訴人は日本人に準じた憲法的保護が与えられるべきであるから、控訴人にとって再入国許可が与えられないことは海外渡航の自由が奪われるに等しいことになる。

3 外国人登録をしていなければ、自治体の各種助成制度の適用もない。
 今日地方公共団体では、住民に対し様々な福祉行政上のサ−ビスを提供しているが、今般津市では、母子家庭医療費助成、乳幼児医療費助成、心身障害者医療費助成の各制度について、それまで同市内に住民登録されているか外国人登録をされている者に限定していたのを改め、未登録であってもこれら助成を受けられるよう条例改正し、本年一〇月一日から実施されている。
 控訴人はそれまで母子家庭医療費の助成対象者であったが、日本国籍の離脱により支給が打ち切られていたのに気づいた津市は未登録による不利益を被ることのないようにとのことで右条例の改正に踏み切ったという。
 右の条例改正で控訴人が津市内に居住する限り右行政上の利益を享受することができるが、転居した場合には同じような問題が避けられず、本来日本人の子供達と同様の行政サ−ビスが受けられてしかるべき控訴人が未登録による不利益をこれからも被る恐れがある。

四 よって、日本に在留する外国人、なかんずく特別永住者である控訴人が日本国内で生活する以上、公法関係においても、私法関係においても自己の居住関係、身分関係を公証しなければならない場面はいたるところで出て来る筈であり、外国人登録制度が当該外国人の各種生活関係の形成にとっても必要不可欠な重要な制度であることは被控訴人とて既に理解しているはずである(こんなことは改めて説明するまでもないほどである)。
 原判決は未登録による具体的不利益を示せというが、住民登録をしていない場合の不利益を示せと言っているに等しい問い掛けであり、愚問である。

第二 控訴人には登録される権利がある

一 子供の権利条約(以下、条約)は我が国でも一九九四年五月二二日発効した。
 この条約は発展途上国と先進国との間において、また先進国間でも各国の社会状況の違いからその意義付けは様々であろうが、いずれにしても子供の視点から人権を問いなおし、また既存の宣言、決議を集大成した意義は大きなものがある。
 控訴人は一審でも国際人権規約と並んで子供の権利条約第七条を持ち出し、本件登録申請の不受理は違法である旨訴えたが、原判決が一六歳未満の未成年外国人の代理申請資格をどの範囲の者に認めるかは手続的な事柄であり、立法政策の問題であるとして一蹴してしまったのは遺憾である。
 控訴人の登録される権利は決して立法政策の問題ではないことを再度反論する。

二 政府訳によると条約七条一項は「児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」と規定している。
 ところで、アムネスティーインターナショナル日本支部は、条約の規定が子供には難解であるので、子供達にも理解し易い訳文を全国の児童から募集し、優秀賞を受賞した中学生の訳文を出版している(「子どもによる子どものための『子どもの権利条約』」小学館)。
 右の大人の訳文を子供なりに訳すとどうなるか。
「第七条  名まえがほしい。国の人になりたい。
 1 大人のみなさん、
  もし子どもが生まれたら、すぐ国のお役所に知らせること。
  よろしくお願いします。
  ぼくらは生まれたときから、
  自分の名まえをもてる。
  名なしのごんべいじゃないからね。
  そしてどこの国かはべつとして、
  ○○国の人にもなれる。
  それから、
  自分のお父さんやお母さんがだれか、
  ということを知って、
  そのお父さんお母さんに
  育ててもらうことができる。」
 控訴人は出生時は日本戸籍に入籍され登録されたが、国籍の離脱により登録されない状態になり、今でもいずれの国にも登録されない正に「幽霊人口」になってしまっている。このような「お役所に知らせてもらえない」状態による不利益は李聖徳君にとっては重大な人権侵害である。この侵害状態の是正は李聖徳君自身が自分一人では如何ともし難いものであり、このような状態を除去することが司法を含めた我々大人の責務なのである。
 なのに被控訴人は本件の不登録問題は両親の夫婦関係に起因しているとか、原判決も代理申請義務者である母親が申請義務を怠っている場合にすぎないとかの理由で片付けているが、これは本件の当事者が子供である李聖徳君であることを忘れた大人の身勝手な解釈である。

三 控訴人李聖徳君の父親が本国に登録されていれば、恐らく父親と同様に登録されることになろうが、在日朝鮮人の場合、かならずしも本国に登録(戸籍)されているとは限らず、日本における外国人登録が唯一の公的登録制度となる。
 このことは、条約七条一項の「登録」とは、日本人の場合は「出生届」(戸籍法)および「住民票への記載」(住民基本台帳法)、外国人の場合は「出生届」および「外国人登録」(外国人登録法)を指すと解釈されていることからも明らかである(逐条解説「児童の権利条約」波多野里望学習院大学教授・有斐閣四六頁)。
 波多野氏は国連の差別防止・少数者保護小委員会の委員を務めた国際法学者であるが、同著で、日本人の子供は戸籍法上の届け出により登録されるので本条約の発効によって新たな措置を講ずる必要はない、外国人の子供の場合は出生後六〇日以内に申請すれば外国人登録されるとした上で、「このように日本国民と外国人とでは登録の手続きに差異がある。しかし、こうした差異は、純粋に行政上の必要から設けられたものであって、人種的または社会的身分によって外国人を差別することを意図しているわけではない。しかも、外国人に対して自国民とは異なる登録手続きを定めている例は外国でもたくさん見られるので、現行国内法における差異が、『国籍による差別』を禁じた本条約第二条一項にただちに違反するとは考えられない。ただし、日本の外国人登録法が、国際的な基準に照らして不備な点があれば、『国籍による差別』とは別に問題となりうる。」(五一頁)と解説しているが、これは、外国人の子供にとって外国人登録が日本の戸籍法、住民基本台帳法上の登録と同等の価値のある登録制度であることを前提とした論考であり、外国人登録されるかされないかは立法でどうにでも決められるという問題ではないことを示唆している。
 従って、戸籍法、住民基本台帳法と外国人登録法の規定の仕方、差異を殊更強調し、外国人登録申請は義務であって、権利ではないとする被控訴人の主張は子供の権利条約とは相入れないものであり、このような解釈をすること自体が憲法一四条違反であり、子供の権利条約違反である。

四 勿論、条約の場合その国内法的効力が問題とされるが、国際人権規約B規約二四条一項でも児童の登録される権利をうたっており、同権利は子供にとって各種の人権、諸利益を享受する前提たる性質を有するところから精神的身体的自由権にも比すべき重要な基本的人権であることは疑う余地がなく、規定の仕方から見ても(「締約国は」とはなっていない)、登録を阻む不合理な処分は直接子供の権利条約に抵触するものである。

第三 あらためて「同居」の解釈について問う

一 控訴人について登録される権利があるとすれば、同居の概念について厳格な解釈を採用し、本件申請を不受理とすることは違法な処分である。
 原判決は、外登法は一六歳未満の外国人について同居者により漏れなく登録できるようにしていること、本件不受理処分は単に父李存一に代理申請資格を欠くことを理由になされたものであるにすぎないとしているが、このような理屈だけで控訴人の未登録の状態(人権侵害状態)を正当化できるものであろうか。

二 代理申請資格を同居の親族に限定した理由は、登録の正確性を確保し、管理の適正を期することにあるとされるが、なる程同居者による申請は正確な登録を一応担保するものと言えるが、反対に同居者でなければ正確な登録を期しえないかと言えばそうではあるまい。本人の親権者で面接交渉を続けている李存一もまた登録すべき事項について正確な申告をなしうる立場にあることは言うまでもないことである。「同居」していないということで正確性について疑問が生ずれば職権で調査すればよいのであり、本件申請により不正確な登録がなされる恐れは皆無である(現に被控訴人は本気で本件申請を受理しようと考えていた)。

三 もともと「同居」概念は社会通念により決せられるものとされているが、社会通念も時代と共に変遷するものであり、このような外延が必ずしも明確ではない概念を社会通念だけを拠り所に代理申請資格を云々することは妥当とは言えない。
 外登法がもし「同居」にこだわるというのであれば、明文をもって「同居」概念を規定しているはずであるが、このような規定を置いていない以上、同法の「同居」概念は、社会通念に加えて、立法目的に則して解釈して差し支えない。
 すなわち、李在一は控訴人の法定代理人親権者であり、面接交渉により控訴人の身分関係、居住関係を同居者と同程度によく把握しうる立場にあるものであるから、「同居者に準ずる」ものとして本件代理申請を受理しても外登法は必ずしも排除するものではないと解釈することも可能である。

四 従って、代理申請人である李在一が同居者でないとの一事をもって、本件申請を受理せず、控訴人を外国人登録されない状態に置くというドラスティックな結論を導くことは著しく不合理であり、不正義である。

第四 結語

 本準備書面は、控訴人にとって外国人登録されることが自己の生活関係の形成にとって如何に大切なものであるか、また、代理申請資格者の範囲をどのように定めるかは立法政策の問題、事務手続上の問題ではなく、控訴人の「お役所に知らせてもらう」権利を実現するための人権問題であることを改めて訴えるものである。
 二一世紀は人権の時代である。外国人行政も管理主義から人権主義に転換しなければ我が国は真にアジアの人々から理解と尊敬を集めることはできないであろう。「豊かな国日本」はハイテクと軍事で国威を示すのではなく、国際化時代を迎えた今日、人権先進国としてその範を示す時期に来ている。その際、司法の果たすべき役割は重大であり人権分野でこそその本領を最も発揮できるのであるから、人権行政の指針を与えるような前向きの判断が求められている。
 一審判決が本件処分は法律に従ってなされたから適法であるという人権をどこかに置き忘れたかのような判断をしたのは誠に遺憾であり、速やかに原判決を取消し、違法な本件処分を取消すべきである。

以  上