平成七年行コ第一二号

 控訴人       李   聖 徳
 被控訴人  津市長 近 藤 康 雄

一九九六年七月一〇日

 控訴人訴訟代理人
     弁護士   伊 藤 誠 基
     弁護士   梅 山 光 法

名古屋高等裁判所民事第三部 御中

     準備書面

一 本準備書面の要点

 控訴人は、一九九六年四月二二日付準備書面で、本件不受理処分は国際人権規約B規約二四条2及び子供の権利条約七条1で規定されている子供の登録権を侵害する違法な処分である旨主張し、他方、一九九四年一〇月六日付準備書面三、3及び一九九五年九月一八日付準備書面一、3において、外国人登録制度は外国人の権利、利益をも保護する目的、機能を有する制度であることを明らかにしてきたが、本書面では、後者の問題について、近年の国際人権法分野における目ざましい状況変化を踏まえて、外国人登録制度が外国人の人権保障と一体化した制度へと変質していることを論証する。

二 相次ぐ人権関係条約の採択

 第二次大戦前は、ナチスドイツのユダヤ人迫害さえ外国からの非難は内政干渉とされ国際連盟も手が出なかったという苦い経験を経た国際社会は、大戦後成立した国際連合(一九四五年一〇月)の国連憲章一条3において、国連の目的の一つとして「経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。」を掲げ、また、同憲章五五条において、国連の促進項目の一つに「人種、性、言語又は宗教による差別のないすべての者のための人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守」を明記することによって人権保障の国際化を宣言した(甲二六・東京弁護士会人権救済センタ−運営委員会編「ハンドブック外国人法律相談」明石書店二〇三頁以下)。
 国連は、一九四八年一二月一〇日世界人権宣言を採択したが、一九六六年の総会で、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)、市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)を採択した(両規約は一九七六年発効)。A規約は社会権の保障を含み、「完全な実現を漸進的に達成する」ために「立法措置しその他の措置」をとることが締約国の義務となっているが、B規約は権利の享有主体は個人であり、前回準備書面(一九九六年四月二二日付第一、三)で述べたとおり、自力執行力がある(甲二七・日本弁護士連合会第三一回人権大会シンポ第一分科会実行委員会編「人権の国際的保障」)。
 このことは日本政府も認めるところであり、判例中にも自由権規約の自力執行力を明白に認めたものがある。すなわち、東京高裁一九九三年二月三日判決は、外国人の刑事裁判で被告人に通訳に要した費用の負担を命ずることは、「裁判所において使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けることができる」旨規定した国際人権規約B規約一四条3fに違反するとした(甲三〇・外国人犯罪裁判例集五五頁)。
 二つの国際人権規約は国連の人権に関する基幹的条約であるが、その後も今日的課題とされる人権分野について続々と条約を採択した。主要なもののうち、特に注目を集めたものに、「難民の地位に関する条約(一九五四年四月発効)」、「あらゆる形態の人種差別撤廃条約(一九六九年一月発効)」、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(一九八一年九月発効)」、「子供の権利条約(一九九〇年九月発効)」等がある(前著「人権の国際的保障」)。

三 日本における人権条約の批准状況

 国連で次々に採択される人権条約に遺憾ながら日本政府は消極的態度をとってきたが国際的潮流に抗しきれず、日弁連、民間団体等からの早期採択の要請後やっと一九七九年八月に二つの国際人権規約を批准し、以下、難民条約(一九八二年一月一日発効)、女子差別撤廃条約(一九八五年七月二五日発効)、子供の権利条約(一九九四年五月二二日発効)、人種差別撤廃条約(平成八年一月一日発効)と続く。
 もっとも、国際人権規約B規約の二つの選択議定書は未だ批准していない。第一議定書は、個人が規約に定める人権を侵害された場合、国連の人権委員会に通報できることを定めたものであり、第二議定書は一九八五年一二月国連で採択されたいわゆる「死刑廃止条約」である(前著「ハンドブック外国人法律相談」二〇五頁)。
 いずれにしろ、日本においても、外国人の人権は国際的人権保障の進展の中で着実に根づいており、既存の法令、条例で人権諸条約に抵触したり、抵触する恐れのある規定、制度は改められる必要があるし、司法においても、条約に適合するよう法解釈しなければならない。

四 難民条約批准の意義

 日本政府は人権条約を批准しても、例えば子供の権利条約の時のように、既に国内法的に制度が整備されているので、新たな立法措置は必要でないと言うことがあるが、難民の地位に関する条約(難民条約)を批准した時は、国民年金法及び児童手当てに関する三法(児童扶養手当法、特別児童手当法、児童手当法)等いくつかの法律からいわゆる国籍条項を撤廃し、外国人にも適用できる立法改正を行った。
 すなわち、難民条約二四条は、労働法制と社会保障の分野について、締約国は合法的にその領域内に滞在する難民に対し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える旨規定していたからである。
 従来、判例でも、学説でも、社会保障に関する権利は、生存権、社会権の一種として国は自国民に対してのみ保障すべき権利であり、外国人の社会権は所属国の責任であると解されていたが、難民条約は国籍の壁を取り払って難民の外国人にも社会保障に関する権利を付与するよう規定している点で画期的であった。この条約は国連では前記のとおり既に一九五一年に採択され、一九五四年に発効しているが、わが国が批准したのは実に二七年後のことであった(甲二八・田中宏一橋大教授著「在日外国人」岩波新書一六〇頁以下)。
 これらの法改正に伴って、外国人が制度的に享受できない社会保障制度は殆どなくなっている(勿論、実態として外国人の社会福祉、人権保障が万全であるということではないし、様々な矛盾、解決しなければならない課題が数多く残されている。)。未だ外国人に保障されないのは、敢えて言えば、社会権ではないが、選挙権、被選挙権等の参政権と公務員就任権ぐらいなものである(入国する権利等国際慣習法上も認められていない「権利」は除外する)。
 もっとも、公務員就任権については、先頃川崎市が職員採用試験から国籍条項を撤廃するなどの動きがあり、この外にも全国的に各都道府県、市町村等の多くの自治体で検討が開始されており、外国人の人権保障が燎原の火の如く広がりつつあるのが今日的状況である。
 最高裁も、在日韓国朝鮮人が定住外国人の自治体に対する参政権を争った事件で、訴えこそ認めなかったが、「憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとした趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に密接な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権、被選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。」(一九九五年二月二八日第三小法廷判決)とささやかながら一歩踏み込んだ判断を示している。 経済、環境、国際交流そしてパソコン通信やインタ−ネットによる情報の各分野でグローバル化が進んでいる今日、在日韓国朝鮮人を始めとした定住外国人やニューカマーと呼ばれる滞日外国人を国家管理の対象としてのみとらえるのではなく、異なる文化、生活習慣、民族性を持つ人々に日本で快適な活動、仕事ができ、また、発言できる環境を保障することによって日本の社会を向上させて行こうとする前向きの姿勢が求められているのである。
 かかる外国人との共生の思想は、決して独善的なものではなく、国際的潮流と既に外国人の社会保障に関する権利が日本国民同様保障されるに至っている現実を見れば、人類普遍の原理といっても過言ではない。

五 外国人登録制度の二面性

 国の見方によれば、外国人登録制度は在留外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資することを目的とすることにあり、外国人個人の権利、利益を保護するためのものではないという。
 しかしながら、数は少ないが、外国人登録法関係のどの概説書を見ても、外国人管理のためだけの制度であるなどと露骨に書いてある出版物はない。
 例えば、改定外国人登録事務必携は、自治体の外国人登録事務に携わる職員の為の手引書であるが、ここでは、外国人登録制度の目的は、在留外国人の全体像を掌握することが目的であるとしつつ、登録された事項は、「当該外国人にかかる各般の行政、例えば、出入国管理行政についていえば在留期間の更新申請にかかる外国人、退去強制事由に該当する外国人、来日しようとする外国人の呼寄せ又は身元保証人としての外国人の身分関係や居住関係を確認する上で利用され、犯罪捜査の過程において、徴税事務の上で、国民年金や児童手当その他福祉関係事務あるいは就学手続等教育関係事務等において、居住関係及び身分関係を確認する上で欠くことのできない資料として活用されている。」と説明されている。
 しかし、同著は注で、「外国人登録は、外国人の私生活の面において、例えば、諸取引銀行等の信用、結婚等の身分行為に際して自己の居住関係及び身分関係を明らかにするため各方面で広く活用されている。しかし、このように私生活での利用は、外国人登録制度が本来の目的としていたものではなく、むしろ目的外の分野で利用され副次的効果をあげているものというべきである。」と余計な断り書きをしている。被控訴人がしきりに外国人登録制度が外国人個人の利便の為に利用されている実態があったとしてもそれは反射的利益であるにすぎないと述べているのと同じ趣旨である。
 しかしながら、かなり以前からどの自治体でも登録原票に基づく外国人登録済証明書の発行が一般的、常態的に行われるようになった段階で、外国人登録制度は明らかに国の外国人管理行政的側面と外国人の権利保障的側面を併せ持つ制度と化してしまったものと解するのが自然である(萩原重夫意見書−甲二四−も外国人登録の二面性を指摘する)。
 国は、外国人登録事務は国の機関委任事務であるが、外国人登録済証明書の発給事務は地方公共団体の固有事務であるとして合理化しているが、外国人登録済証明書の発行は登録原票なくしてはなし得ないのであるから、外国人登録済証明書の発給事務が地方公共団体の固有事務であるとしても、外国人登録事務自体は機関委任事務と地方公共団体の固有事務を併有するものと解すべきである。

六 外国人登録制度の人権保障機能

 外国人登録制度が、同制度に基づいて地方公共団体が外国人登録済証明書の発行事務を開始することによって外国人の利益に直結する制度と化したことは前項で述べたとおりであるが、外国人登録なくしては行使し得ない権利がある。
 被控訴人は(実質的には国)、外国人登録がなくても外国人に具体的不利益はないとしているが、権利行使に登録が要求されるものに、難民条約の批准、発効とそれに伴う法改正により外国人に社会権(人権)保障の一つとして加入の認められた国民年金法を始め、厚生年金保険法、国民健康保険法、公営住宅法、職業能力開発法、住宅・都市整備公団法、地方住宅供給公社法、住宅金融公庫法、日本育英会法がある(甲二九・手塚和彰著「外国人と法」有斐閣より抜粋)。
 また、地方公共団体の住民福祉の為の各種助成制度や印鑑登録証明制度なども外国人登録が必要である。
 被控訴人は、一九九六年七月一日付第二準備書面で、特別永住許可申請や再入国許可申請に外国人登録証明書は絶対的要件ではないとか、地方公共団体の助成制度も未登録者を排除する規定があっても将来変更する可能性もあるとか、まるで他人事のように無責任な主張をしているが、絶対的要件であろうがなかろうが、それらの申請にあたって外国人登録がないことが当該外国人に不利益に働き、権利行使できなくなる「定型的」危険性があることに変わりはない。そうだとすれば、外国人登録されないこと自体が当該外国人の社会権を始めとした様々な人権を侵害していることになる。
 田中宏意見書(甲二五の一、二)が、難民条約の批准に伴って社会保障に関する様々な法令における国籍要件が撤廃されたことによって、それらの権利行使の前提たる外国人登録制度の機能も大きく変わったと指摘しているのも、以上の意味において理解することができる。
 最近、「判例研究  外国人の人権」(明石書店)を発表した萩野芳夫関東学院大学教授も、同著で、「外国人登録は、国際的人権保障の発展の背景のもとで、個人の地位保障機能が拡大されてきていることが指摘できる。すなわち、憲法二五条の保障する生存権との関係でみると、八〇年代に入って、たとえば生活保護の受給、健康保険、年金の受給など、外国人にも受給権が拡大されたが、その行使には外国人登録が必要である。身分行為に必要なことはいうまでもない。職業についても、一定の資格を必要とするもの、許認可を必要とするものの外国人への開放が進んでいるが、それらの資格取得につき外国人登録の証明が要求される。このようにみると、外国人登録は、「管理規制」のために必要というより、外国人の権利・利益の享受のために必要性が増しているというべきなのである。」(甲三二の一二七頁)と、田中意見書と同趣旨を述べている。
 ここにおいて、外国人登録制度は外国人の人権を守るための制度と変節しているのである(もっとも、外登法は外登証常時携帯義務等過去の管理法時代の古い体質を色濃く残している制度であるのでこれを廃止し、国際化時代に相応しい真に外国人の人権を保障するための新規立法をなすべきである。)。

七 具体的不利益の主張がないとの疑問に答えて

1 原判決は、控訴人が外国人登録されないことによる具体的不利益の主張、立証がないとしているが、一六歳未満の未成年者である控訴人の外国人登録がなされていないこと自体が国際人権規約や子供の権利条約で保障された子供の登録権を侵害しているのであるから、控訴人が本件処分を争うにあたっては、そもそも具体的不利益の主張立証は不要である。

2 被控訴人も、一九九六年七月一日付第二準備書面で、控訴人の主張する不利益は一般的、抽象的不利益であるにすぎないと主張しているが、右と同じ反論が妥当する。

八 登録されない外国人の子供たち

 本件は、外国人である父親と日本人妻が離婚し、同居している母親が控訴人の外国人登録を代理申請しないことから発生したある意味では珍しいケ−スであるが、近時ニューカマーである外国人女性が日本人男性の子を出産し、その子が日本国籍を取得できないだけでなく、外国人登録もなされないケ−スが報告されている。
 例えば、外国人女性と日本人男性との間に生まれた子は、両親が婚姻しているか、父親が胎児認知をしておれば、出生による国籍取得ができる(国籍法二条一項)。しかし出生後に認知しても日本国籍を取得できず、しかも母親が日本に超過滞在しているような場合には、母親が強制退去を恐れ、子の出生届けを提出しないケ−スが多いという報告がある(甲三一・日弁連「自由と正義」一九九六年五月号一〇四頁の大阪弁護士会養父知美会員執筆「外国人の結婚・子ども・家族」)。
 このような場合、同居していない父親にも外国人登録の申請権限を与えておく必要があるし、あるいは外国人女性が生活に困窮し、施設が子供を保護する事態となれば、施設の長や職員が代理申請できるようにしておく必要性が高い。
 速やかに外登法一五条二項を改正し、代理申請権限を拡張すべきものと考えるが、改正されるまでは、子供の権利条約等に適合するよう、法の欠缺を埋めるための法解釈をするのが司法の責務である。

九 結語

 以上のとおり、外国人登録制度は人権保障機能があり、その申請は外国人にとって「義務」であると同時に「権利」でもあるのであるから、外登法一五条二項も人権保障的観点から見直してみる必要がある。
 そして、一九九六年四月二二日付控訴人準備書面第二で述べたように、外登法一五条二項の代理申請規定は、代理申請できる場合を余りに限定しすぎており、難民条約等で認められた外国人の社会権を始めとした人権の行使を制約している不合理な規定であることがわかる。
 従って、本件で控訴人の登録権を保障するためには、外登法一五条二項の「同居」概念を拡張解釈して控訴人の親権者である李在一からの申請を「同居者に準備ずる者」からの申請として受理するか、もしくは、事務管理による代行として受理するなど、子供の権利条約、国際人権規約に適合するよう合目的的に解釈しなければならない。
 よって、被控訴人が、控訴人の親権者である李在一が控訴人と同居していないという理由のみで控訴人の登録権の行使を阻んだのは、子供の登録権を保障した子供の権利条約七条1、国際人権規約B規約二四条2に明らかに違反している。
 被控訴人のこれまでの主張は、人権の国際的保障の潮流に反し、日本国が各種の人権条約を批准していることも忘れた「違法」な主張である。

以上


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