私の民族意識について

――李在一氏による抗告人陳述書より抜粋――

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民族意識について

 私は日本で生まれ育った在日朝鮮人ですから、一般的日本人が自覚している範囲内の日本人性というものは理解しているつもりです。それと同時に私には在日朝鮮人としての民族意識があります。私が在日朝鮮人として持っているこの民族意識というものが一般的日本人には認識されていないことも理解しています。

 日本社会における在日朝鮮人の存在は、日本と朝鮮の複雑な現近代史や流動化の激しい国際的政治状況の関係故に、その存在は翻弄されもしてきました。その結果在日朝鮮人の実存が日本人社会では不可視的存在になっています。けれども一般的な日本人社会において在日朝鮮人が不可視的存在であっても、当然のことながら当事者である在日朝鮮人にとっての実存は今日までまぎれもなく存続してきたのです。  

 本件において私は子どもの出自でもある二つの「民族性」ということを繰り返し述べてきました。またわが子にとって国籍と民族性の関連についても述べてきました。いうまでもなく「国籍」と「民族」は必ずしも同一の概念ではありません。

 ところで「国籍」や「民族」とは個々の人間にとって一体何を意味するのでしょうか。この回答はひとつではないはずです。このような問いかけに私の「自我」は、生まれてきてすでにそこに在ったもの、あるいは準備されていた居場所、もしくは出会いのひとつというような感覚があります。究極的には社会を始め世界そのものが「私」という存在も含めて私の「自我」からすると同様の感覚があります。

 そのような感覚を有している私が、本件において在日朝鮮人としての私の民族意識を述べる必要を痛感しています。なぜなら原審では「民族性」を指摘した私の民族意識をあまりにも実態と乖離した民族意識として認識されていることがうかがえるからです。

 私には本来本件は私の民族意識の内容に左右されるような性質ではないと考えています。けれども在日朝鮮人が社会的には不可視的存在である現実から、事実に反した憶測で民族意識が認識されるのであれば、私自身の民族意識について述べておく必要があると思う次第なのです。

 しかし周知のように民族意識というものは、その性質上必ずしも在日韓国朝鮮人一様のものではなくかなり多様化している現実や、たとえ同質のことを示していても個々人の表現が異なる場合も少なくありません。そこで抽象的になることを回避し、より具体的に述べる必要性から、私自身の人生を交えて述べることで、民族意識について実存に即したご理解を求めたいと思います。

 私の原体験とアイデンティティーについて

 私は物心がついた頃から、家庭においては両親から「おまえは日本人ではなく、朝鮮人だ」ということを日常的に聞かされてきました。ところがそれでいながら、私は小学校の高学年になるまで、自分のことを日本人であると感じていました。それは私の生まれ育った地域には、朝鮮人世帯は私の親族だけで、まわりはすべて日本人であり、学校や近所の遊び友達もすべて日本人であったことによります。

 これは「国籍」について、日本は血統主義を採用していますが、日本で生まれ日本人と同じように日本で育つと、幼い頃にはあたかも生地主義のようにまわりの友人たちと同じ(つまり日本人であるということ)だという感覚を共有してしまうことから、そのような錯覚を生じてしまうようなことが私自身の体験上からはありました。

 さらに、20代後半に私が公式に通称名を抹消するまで、私には生まれたときから「李在一」と「大谷章雄」という二つの名前があり、友人や地域社会の大人たちからは日常的に「大谷やん」とか「のりちゃん」と呼ばれていましたので、家庭内で両親から朝鮮人だと教えられる点を除いては、地域社会の日本人児童の生活と何ら変わる日常ではありませんでした。ですから両親から「おまえは朝鮮人だよ」と言われても、幼い私にとっては朝鮮人というのが、日本人とどうちがうのかがまるで理解できませんでした。そんな幼い頃の私にとっては、おそらく日本人児童が自ら日本人であることに無意識な日常があるように、私も自分が朝鮮人であるということに無意識な日常がありました。

 そのような日常のなかで今にしてふりかえると、私の民族意識というものにとどまらず、おそらく私のアイデンティティーを決定づけるような出来事がありました。

 それは私の祖母の存在によります。私は4才から5才にかけて腎臓に問題があり、その当時入院生活をしていた時期があるのですが、そのとき病院に泊り込んでつきそってもらったのが祖母でした。そんなこともあって幼い頃の私はいわゆる「おばあちゃん子」でありました。そして祖母は廃品回収業をしており、当時いわゆる「ぼろ屋」と呼ばれる仕事をしていました。廃品を山と積んだリヤカーを引っぱって旧街道を行く祖母の姿は私の地域においては見なれた光景でした。

 そして当時の祖母は、朝鮮語を混在させた日本語をしゃべる存在でもありました。祖母のしゃべる朝鮮語の意味がわからないとき、祖母は仕事のかたわら楽しげに私と私の遊び仲間の日本人児童らにその意味を解説していたものです。

 私が小学校4年生当時、暑い夏の日の学校からの帰り道のことです。10数人の子どもたちといつものように下校していたとき、旧街道の前方からいつものようにリヤカーをひっぱってこちら側に歩いてくる祖母の姿が目にはいりました。いわゆる「ガキ大将」の傾向があった私は、遊び友達をまえにして、こちらに近づいてくる祖母の姿が突然とてつもなく恥ずかしい存在に思えたのです。

 つまり当時の私は、子ども心に私が平素からカッコをつけている遊び友達の連中に、「ぼろ屋」という「カッコ悪い」仕事をしている人物が、私の祖母であることを改めて知られることに、とてつもなく恥ずかしいという衝動に駆られたのです。

 さて、そのまま歩いていくと祖母と鉢合わせになるわけですから、そんな恥ずかしさから祖母をみんなから隠したいと考えた私は、まず祖母を無視して通りすぎようかと考えました。しかし、孫である私の姿を見つけた祖母は、きっといつものように朝鮮語を交えた日本語で私に話しかけるにちがいありませんから、無視して通りすぎることはできなくなります。そこで次に私が考えたことは、祖母と鉢合わせになるまでに10数人全員を連れて裏道へ行くということでした。宿場町風情が残る通学路であった旧街道は、家並みの一定区間にある路地から、旧街道と平行して続いている裏道へと抜けられたのです。当時の私には全員を先導して裏道へ移動させるほどのわがままを通せるリーダーシップがあり、そして祖母と鉢合わせする地点までには、そういった裏道へ通じる路地が幾つかあったわけです。

 しかし、実際に全員を裏道へ先導させようとしたとき、祖母の存在が恥ずかしいという思いとともに、そういった私の行為が子ども心に「偽善」であるという自己嫌悪が湧き、私は葛藤したのです。祖母との鉢合わせを回避できる最後の路地に達したとき、私は下校仲間の全員を最後の路地のまえで停止させてまで子ども心に葛藤しました。「どうしたん?」と尋ねる友人たちに、私のそんな内心の葛藤が話せるわけがありません。

 そんな私の葛藤を終わらせたのは、友人の一人が祖母の姿に気がつき「あっ、のりお君(私の通称名)のおばあさんや」という一言でした。私はとっさにみんなに「アイスクリームおごったるわ」と言い、近づいてきた祖母にこづかいをねだりました。祖母はリヤカーを止め、いつものようにきんちゃく袋の中から孫である私の要求に応じ、羨ましがるみんなを前にしてこづかいを与えました。そしてみんなと駄菓子屋に直行して、全員でアイスを食べたわけですが、私はその後、猛烈な自己嫌悪に苛まれることになるのです。

 それは、一時にせよ常に私に優しかった祖母を恥すべき存在として、みんなから隠したいとした自分自身の思いについてでした。それは子ども心にとてつもなくカッコ悪い思いであり、自分自身の醜怪さが否応なく自分自身につきささり、このときの激しい自己嫌悪はその後かなりの歳月を経ても、自分史の中においてはたびたび登場してくるどうしても許せない汚点として刻まれたのです。

 現在に及んでもこの原体験が、私のアイデンティティーの形成に根本的な影響として作用しています。つまり私がそういった自己嫌悪から解放されたり、あるいは克服しようとしたとき、私はたとえどれだけ表面的な体裁をとりつくろうことができたとしても、真に恥ずかしいことは内面から起こる人としての恥ずかしい考えかたや思いなのだということを、戒めや教訓のように私自身の中では絶えず反芻して位置づけられてきたのです。

 民族意識について

 小学生時代において、私は両親から自分が朝鮮人であるということを聞いて知ってはいましたが、子どもの私にとっては日本人と朝鮮人のちがいがわかりませんでしたので、自覚的な民族意識などはありませんでした。

 たとえば私は男ばかりの三人兄弟の二男ですが、私の二つ年上の兄が遊び友達から「朝鮮」と罵られ学校や地域でいじめられたことがありました。それでも私には、兄が朝鮮人故にいじめられているというように考えることはできませんでした。子どもの私には、兄はケンカに弱いからいじめられるのだとしか映らなかったのです。なぜなら、子ども時代の私は人をいじめる側にまわることがあっても、またスポ−ツの勝敗をめぐって殴りあいのケンカに発展したことはあっても、兄のように人から一方的にいじめられるという経験はなかったからです。

 また、私が小学校の高学年の頃には、友人の親たちが友人たちに私が朝鮮人だからという理由から、あまり私といっしょに遊んではいけないと言っていることを、友人らの口から、親に対する不満として私に伝えられたこともありました。

 当時は、そう親に言われたからといって、積極的に私と遊びたいという子どもはいても、私と遊びたくないという子どもは私の知る限りにおいては皆無だったのです。当時は、私や私の友人たちに共通して朝鮮人が日本人社会から差別される対象であるなどという「差別」という言葉からして知らなかったのです。

 ですから友人の親たちが口にしたという「朝鮮人だから」という理由をめぐっては、私を含めたいつもの遊び友だち共通のいわば純粋な「謎」として出現しました。ですから私はその共通の「謎」を解明すべく、登校の際、そういった友人の親たちに順番に「なぜ、朝鮮人やといっしょに遊んだらあかんの?」と直接聞いていったことがありました。けれどもどの友人の親たちも「そんなアホなこと、言うとらへんよ」という返事や反応で、この件はいつの間にか風化していきましたが、それでも朝鮮人である私の中には、なぜ朝鮮人だといっしょに遊んだらだめなんだろうという「謎」として心に残ったのです。

 私がその「謎」を理解したのと、朝鮮人としての民族意識を自覚したのは、ともに同時期の中学の頃でした。その始まりは、当時、私と同世代の者たちの間で、アレックスヘイリー原作の 「ルーツ」というアメリカにおける黒人の歴史を扱った連続テレビドラマがNHKで放映されブームになっており、私もそのドラマに魅了されたことによります。その連続ドラマの最後に原作者であるアレックスヘイリーが登場して、画面から「みなさんは自分のルーツというものを知っていますか?もし知らなければ両親に聞いてみなさい、そして自分のルーツを知ったら親になんで今まで教えてくれなかったのかと聞いてみなさい、親はこう答えるにちがいありません。今までちっとも聞こうとしなかったのはおまえのほうなんだよ。」と解説しました。このアレックスヘイリーの画面から呼びかけるような解説は、朝鮮人について常日頃から「謎」をひきずっていた私にとっては、「朝鮮人」について根本的に改めて知りたいという猛烈な好奇心を喚起させる決定的な言葉となったのです。

 そこで私は自分の存在を起点として、ル−ツを逆行するために、日本の学校では学べなかった在日朝鮮人の現近代史を学習して知ることになります。

 私は抗告に及んでしきりに感じるのですが、在日朝鮮人についての理解に詳しい日本人市民の方々であっても、まず在日朝鮮人の存在や歴史について知る入り口としては、いわゆる差別問題や人権問題から入る人が一般的な傾向であるような気がします。比較しますと、私が在日朝鮮人について知りたいと思い学習したのは、私自身が朝鮮人として差別されてきたという点から入ったのではありません。私は私自身が何者であるのかということを知りたいという好奇心から入ったのです。自我の自己とは別に、朝鮮人という「私」を、私は知りたいという欲求から私は入ったのです。私が差別問題や人権問題から入ったのではないという点は、私の民族意識に大きく影響していると思います。

 なぜなら当時私は、在日朝鮮人が歩んできた苦難の現近代史を通じて、なんと朝鮮人というのは人間の道理というものにこだわり、バイタリティーに満ちたカッコイイ存在なのかと感動したからです。私がもし最初から在日朝鮮人は被差別の対象なんだと認識して、現近代史を学習したとしたら、おそらくカッコイイ朝鮮人の姿は見えなかったのではないかと思います。

 そして当時私が在日朝鮮人の歴史をカッコイイと感じたのは、物語やドラマを勧善懲悪の観点から認識してしまうといった単純な理由によります。それは今世紀の戦争を軸に朝鮮人がたどってきた運命を、私は被害者的存在として認識したのではなかったのです。

 もし武力や経済力などを中心とした弱肉強食の観点からのみ朝鮮人を見るならば、朝鮮人は常に虐げられてきた弱者でしかないというように映るのかも知れません。しかし、いろいろな偉人伝記ものがそうであるように、様々な困難や苦難に直面しながらも、それにどのように立ち向かい克服しようとしたのかという点に、人間としての普遍的な感動があると感じるのは、私一人ではないはずです。

 少なくとも在日朝鮮人が歩んできた歴史では、私にとっては朝鮮人は「善」の存在であり、苦難の中で人としての道理という正義から、自らの苦難に立ち向かってきたという意味においてのむしろ「強者」の存在でした。

 また近代から現代においても、在日朝鮮人は日本の中ではマイノリティーの存在でありながら、スポーツや芸能あるいは在日文学を始めとする各文化の分野において、多くの人々から絶賛される活躍をしているほど、文化的資質が優れているという存在でもあることを知りました。

 そして朝鮮民族の文化的資質が優れている背景として、私は、奈良時代を象徴として古代から日本に独自で多くの文化を輸出してきた朝鮮民族の文化的な歴史上の軌跡に由来する民族性を、日本各地にある古い建造物等を重ねて意識することでたいへんリアルに感じたりしたものです。

 このようにまず当時の私が朝鮮人について知ったのは、人としての称賛に値する素晴らしい存在として認識したのです。

 さらに、私の居住地域社会において世帯単位で構成されている組合の常会の順番が私の家にまわってくるたびに、私の父親は映写機を購入して、朝鮮の美しい風景を地域の日本人に見せるという上映会になることも珍しくありませんでした。

私の家に常会で集まった日本人の近所の大人たちは、「大谷さん(当時の私の家の通称姓)朝鮮ていうのは本当に美しい国やのー」と喜んでいましたし、そこから深夜にわたる宴会に発展していったことも少なくありませんでした。

 ときおり私の父は、息子である私たち兄弟を前にして「日本人を信用するな」と言うことがありましたが、私たち息子を前にした父親のそんな言葉とは裏腹に、むしろ私の両親は隣近所の日本人たちとたいへん仲のよい近所づきあいがありました。

 そんな両親から私は「おまえは朝鮮人なんだよ」と聞かされてはきましたが、両親から朝鮮人は日本人から差別されて当然の対象にあるなどということを聞かされたことは一度たりともありませんでした。私の父は強制連行で日本に渡日した経緯があり、戦前の両親の生活の苦労談などもときおり聞いたことはありますが、その種の苦労談において、日本人を恨んでいるという両親の姿勢を私には発見することができませんでした。

 そのような家庭環境とあわせて、積極的に私が学んだ現近代史から、在日朝鮮人の存在は、道徳的な生き方を生真面目なほどに志向し、文化というものをたいへん尊重する民族でもあるという認識でありました。 

 最近の日本社会においては、在日朝鮮人の存在について戦争問題を始め差別や人権問題、あるいは日本の国益の有無といった観点からしか語られていない傾向が顕著ですが、そのような「社会問題」を抜きにして語られるバイタリティーに満ちた生身で等身大の人間像としての在日朝鮮人像がきわめて少ないことに、私の内心では現在に至るまで異和感がありました。

 なぜなら、私の自覚している民族意識とは、さしずめ在日朝鮮人が歩んできた現近代史を通し、そこに祖母や両親の生き方を重ねて、在日朝鮮人総体の「生き方」に対する愛着といった意識です。こういった意識は必ずしもすぐさま種々の「社会問題」と直結して醸成される意識ではありません。またこの種の愛着が特異な意識とは私には思えません。

 世界のどの民族にでも共通して、自己の民族性を好ましいものとして愛着をもつことは自然であり普遍的なことではないでしょうか。

 ただ抗告に及んで、私は以上に述べてきた私の民族意識というものが、原審をまえにして考えると、私が述べたままご理解されるとは到底思えない不安があるのです。そこで私が不安に思うことを以下に順次述べることで等身大の私の民族意識というものについてのご理解を願う次第です。

 日本人社会における在日朝鮮人像の認識について

 何度も繰り返すようで恐縮ですが、そもそも私がどのような質の民族意識を有しているかということについては、親権を私から剥脱するような判断とさほど関係がないのではないかと私には思われます。

 しかし現実に親権の変更を判断した原審からは、私の自覚している民族意識とは異なる認識が引用されている部分があります。自己の民族に愛着があるという私の民族意識というものについては、先述した以上でも以下でもありませんが、すでにそこでも述べたように、いわゆる「社会問題」を抜きにして理解される生身で等身大の人間像としての在日朝鮮人像がきわめて少ないことに、従来から私には異和感がありました。

 この私が感じてきた異和感とは、差別や人権問題などといったいわゆる「社会問題」の中で登場して語られ理解されることの多い在日朝鮮人像が、在日朝鮮人の日常的な姿と同一に重ならないという異和感です。つまり、種々の「社会問題」を念頭に置いた視点からの在日朝鮮人像は、必然的に在日朝鮮人にとっての問題部分に焦点を絞った視点になりがちです。これらはそもそも最初から問題視の観点のみから在日朝鮮人を視るということになるので、当然のことながら在日朝鮮人にとってのデメリットの実態を正確に理解しようという観点であると思われます。

 したがって、「社会問題」から視た在日朝鮮人像は、あくまで「社会問題」の範疇に限定されるのであって、こういった観点からの人間像は必然的に日常生活を営んでいる生身で等身大の人間像としての在日朝鮮人像では決してありません。

 なぜなら問題視の観点からは、在日朝鮮人をさしずめ社会的な視点から、長短なら「短」の部分、光と影なら「影」の部分、メンタリティーである喜怒哀楽なら「怒」と「哀」の部分、貧富においては「貧」の部分・・・などといった具合に「社会問題」の範疇においては選別されていくからです。

 私は、よりよい社会をめざすために様々な問題を解決していくという動機からであれば、こういった問題視の観点は必要であるし尊いとさえ考えています。しかし、こういった問題視の観点が、在日朝鮮人の実存的な人間像として一般に認識されるとしたら、現実の人間像から乖離してしまいますからとんでもないことだと思います。

 私が、従来から日本人社会で語られ理解されがちな在日朝鮮人像に異和感があったのは、現実とはかけ離れている人間像に対してです。ですから、たとえば私は個人的に種々の「社会問題」の範疇の中において、デメリットに相対されて使用されることが多い「民族の誇り」などという表現については好きになれません。なぜなら、民族の誇りというものは本来、デメリットとは何の関係もない独立した概念であると私は考えているからです。それはちょうど別々の性質である長短や光影を同時に混在させて捉えられているような奇妙なものに私には映るからです。

 確かに在日朝鮮人は、事実として様々な「社会問題」にさらされて生きてきました。その結果として「病んでいる」在日朝鮮人がいることも事実です。しかしかといって、在日朝鮮人が一様に「病んでいる」などという印象で理解されたとしたら当事者としてはたまったものではありません。それもまた偏見以外の何物でもないと思います。むしろ現実では、バイタリティーに満ちた陽気な在日朝鮮人のほうが圧倒的に多いのです。

 抗告に及んで私は、ぜひとも生身で等身大の人間像としての観点から、私の民族意識というものをご理解していただきたく願うのです。たとえ「社会問題」を通しての認識や印象が、日本人社会を圧倒的に占めているとしても、日常生活の場では事実としてむしろそういった「社会問題」をのり越えたところで、人としての喜怒哀楽をもち陽気で逞しい在日朝鮮人がいるのですから。

 ですから私は抗告に及んでは、私の民族意識のご理解を願うのに際して、日本人社会における在日朝鮮人像の認識についての趨勢から、在日朝鮮人の長短なら「長」の部分、光と影なら「光」の部分、メンタリティーである喜怒哀楽なら「喜」と「楽」の部分、貧富においては「富」の部分・・・などといった具合に選別して述べたい衝動にも駆られます。

 しかし、それは本件において私が願う等身大の民族意識の理解という点からは無関係であると考えます。なぜなら親子関係が寸断されるか否かという致命的な意味をもつ本件に及んで、私がご理解を願う私の民族意識とは、あくまで生身で等身大である私自身の人としての民族意識だからです。

 在日朝鮮人である私の日本観について

 そもそも在日朝鮮人である私が、どのような日本観をもっているのかということは、親子関係存続の可否の判断に、本来であるならば関係ないのではないかと私は考えます。しかし単国籍化が問題とされた原審では、私の民族意識の憶測から、私の日本観まで類推されていることがうかがえます。

 そこで私は、私の日本観を自ら明らかにしておく必要を感じるのです。それは私自身が今日まで生きてきた上での総合的な日本観といった本件には明らかに関係がないことまで述べようとは思いません。原審においては、私の民族意識と合わせて私の日本観が一方的に類推されているという印象がどうしても払拭できないのです。

 必要性を感じる点は在日朝鮮人である私の日本観におけるポイントとして、社会的に従来から「近くて遠い隣国」と言われてきた関係が示唆する部分についてであると思われます。残念なことに日本と朝鮮(ここでは韓国と共和国の総称的概念で「朝鮮」を使用しています。)は、東西冷戦が終結した現在でも両国の世論において今だにたびたび反目することのあるさしずめ「影」というか「闇」の部分の歴史的関係があります。そういった暗部の歴史的関係は、当然のことながら日本に世代を重ねて定住している個々の在日朝鮮人の暮らしに、事実として様々な影響をもたらしてきたと思います。そういった関係が私自身にもたらした影響の結果、私自身がどのような日本観をもっているのかということを明らかにする必要を感じる次第です。

 端的にいうならば、義務(納税義務)は課せられるが権利(参政権)はないといった現状から植民地支配までの現近代史をみると、在日朝鮮人は日本国家からかつては「皇国臣民」として服従を強制され、現代では「合理的差異」という口実のもとに、不当な扱いを受けてきた事実は否めないと思います。

 このような歴史的事実を知る人々において、「これほどひどい扱いをされてきたのだから、日本を恨んで当然にちがいない、在日朝鮮人の心の奥底には日本人を決して許そうとしない恨みに満ちているにちがいない」などといった憶測から、在日朝鮮人の民族意識や日本観を容易に過激な反日主義だと想像するのです。そのような妄想を持つ人々にとっては、在日朝鮮人の存在は触れたくもないつまらない存在として認識していることでしょう。けれども私がわが子を単国籍化した動機は決してそのような認識によるものではありません。

 ところで英語では「国」に該当する言葉として少なくとも4つの表現があるといわれています。land,country,nation,stateの4つです。これを引用して以下に述べます。

 まず私は日本で生まれ育ってきましたので、自己の故郷を示す「land」や「country」に対して人並みの愛着を持っているつもりです。そこで次に前述したような憶測の対象となる「nation」や「state」が意味する国家機構すなわち日本国家に対して在日朝鮮人としてどのような認識があるのかという点を述べます。

 ヨ−ロッパ社会では、ユダヤ人に対するナチスの残虐な行為に対する反省から、人権意識が成熟しました。ヨ−ロッパにおけるユダヤ人の存在は人権意識の確立に重要な役割を果たしてきたのです。

 そのように私は、在日朝鮮人の存在も日本を始めとする母国を含むアジアにおいて、ヨ−ロッパにおけるユダヤ人のような役割を果たせる可能性があると考えています。なぜなら在日朝鮮人は、苦難の歴史を通して人間の尊厳の大切さを痛感してきたからです。人間を抑圧する「痛み」を容易に理解できる存在であるからです。

 恨みということしか認識しない人々に対して時に私は広島の原爆投下を引用して述べることがあります。それは原爆が投下された苦しみを有する人々にとって、その恨みから「今度はアメリカに原爆を投下してもいいのだ」などと考える人は皆無であると思います。通常は二度とそのような苦しみがもたらされない平和を願うはずです。「痛み」を知る人間は、「痛み」を知るからこそそれを他者に要求などしないはずです。むしろ新たに他者の「痛み」を理解し解決しようと考えるのではないでしょうか。

 在日朝鮮人の存在も例外ではないのです。私は在日朝鮮人として微力ながらもこの日本社会をよりよくするために積極的に貢献していきたいと考えています。

 換言すると私の日本観はアジア観に等しいものです。現在の福祉関係の仕事も微力ながらその一環として、私にとっては生きがいを感じています。これが私の日本観における認識です。このように私には恨みに満ちた反日的な思想など毛頭ないということをご理解願う次第です。

 さらに付言するならば、在日朝鮮人は日本政府に様々な差別撤廃の声をあげてきました。もしそれが反日的な動機から復讐のための過激な抗議だと認識されるとしたら、それはあまりにも人間の尊厳を欠落させた悲しむべき貧困な観点としか言いようがありません。少なくとも次世代の21世紀では、アジアにおいて真の共生社会が実現することを切実に願うばかりです。


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