平成8年ラ第66号即時抗告申立事件

陳述書(4)

抗告人 李 在一
相手方 置野昭子

 上記当事者間の頭書事件について、下記のとおり陳述致します。

1997年5月19日
  抗告人 李 在一

名古屋高等裁判所民事1部 御中

十三 親子関係について

 私は李姓並び朝鮮籍への単国籍化が、子どもの人格形成上において必要だと考えています。原審の決定ではその必要性が理解されていないばかりか、私から親権が剥脱されるほど子どもに有害だと判断されました。李姓と単国籍化が子どもの福祉の観点といった子ども自身にもたらす影響について判断されること自体には、私自身にも異存はありません。しかしそういった判断の結果に連動して親権の変更が左右されることについて私には異論があります。それは単国籍化によって生じる子どもの福祉上の内容と、親権変更の問題は必ずしも同質の問題だと私には思われないからです。子どもの姓(氏)並び単国籍化の問題を親権者変更に直結されることについて、私には子どもの福祉とは異質である次のような疑問があるのです。

 親子の公証関係について

 たとえば日本人同士の離婚においても、特に子どもが幼児である場合子どもは親権者となった者の戸籍に記載され、姓(氏)も親権者の姓になることは少なくないと思います。そのように親権者と子どもの親子関係が公証されることは社会通念上からも奇異なことではないはずです。

 その際たとえ親権者と監護者に分かれていても、親権者との親子関係を示す子どもの公証あるいは帰属状態については監護者のほうが優先され親権者が除外されるとは思えません。もっとも日本人同士の場合なら親権者と監護者に分かれていた場合、子どもは親権者のほうの戸籍に記載されても、同居している監護者とは住民票という公証制度があるので、子どもとの親子関係についての公証の有無が生じる余地がほとんどないと思われます。なぜならその場合、社会生活上において親権者としての親子関係は戸籍によって証明されるからです。

 ところが日本人と外国人との「国際結婚」の離婚に伴う親子関係の公証については、前述したような日本人同士の場合とは異なった制度になっています。たとえば本件のように「国際結婚」において両親が離婚し、外国人が親権者になったとしましょう。外国人には戸籍や住民票はありません。在日外国人の社会生活上における戸籍や住民票に該当するものは外国人登録基本台帳のみです。近年の新国籍法のもとでは子どもは二重国籍を有しているといわれていますが、子どもは日本人配偶者の戸籍にのみ記載され、そのことに連動して外国人である子どもの親の存在は男女問わず子どもの住民票から欠落しています。二重国籍を有しているといわれていても子どもが戸籍に就籍されることは義務化された制度になっており、他方の外国人登録基本台帳には子どもは記載されないのです。

 こうした制度の下に、子どもと外国人親との親子関係についての公証関係についてみると、そもそも「国際結婚」における社会生活上の親子関係を公証するものは、実態として日本人配偶者との婚姻関係しかないという事実があります。子どもは日本人配偶者との親子関係が公証されています。その日本人配偶者と外国人配偶者との婚姻関係が公証されることにより、子どもと外国人親の親子関係が公証されるといういわば間接的公証関係になっています。

 したがって離婚により日本人配偶者との婚姻関係が消滅することは同時に、外国人親権者であっても社会生活上においては子どもとの親子関係の公証が消滅するに等しいのです。しかしながら通常では、たとえ婚姻関係が消滅し、それに伴い社会的に親子関係が公証されることがなくとも、相手方のように親子関係を無視する人はきわめて希であると思います。ところが、本件では、私が親権者であっても相手方の戸籍に子どもが記載されている限り、社会生活上の親権者は相手方のみになってしまうという事実があります。

 国籍との異質性

 私が親権者であっても、このような制度上のもとに私を父親であると認めようとしない相手方の姿勢から、私は親権者として親子関係を公証する必要のために子どもを外国人登録基本台帳に記載しようとして朝鮮籍に単国籍化したわけではありません。私が子どもを単国籍化したのは他の理由によるものです。

 けれども仮に私が親権者として、子どもとの父子関係を公証する動機から単国籍化の措置をとったとしても、親権者として親子関係を社会的に明らかにすることが社会通念上から批判の対象になるとは思えません。このように子どもとの親子関係の公証の有無と、子どもの国籍の所在とは実際に異質の問題であると思います。

 なぜなら社会生活上において親子関係が公証されないという事実は、たとえ離婚成立時の和解条項に私が親権者であると定められていても、社会生活上において私は何ら子どもの親権者すなわち父親たりえないということになるのです。

 本件の場合、現実に社会的には監護者である相手方のみが親権者として扱われることになります。すなわち離婚の成立時に私は親権者でありながらも、子どもの父親であるという実態を失うということになるのです。実際では子どもの父親としての親子関係存続の有無は婚姻関係が消滅した下では、唯一監護者である相手方の意思にのみ左右されることになります。たとえ私が親権者であっても相手方が私を排除しようとすれば、こういった制度上の背景から相手方次第で父親としての私の排除が容易に可能となるのです。

 そのようなことが生じないようにするための信義則が和解条項であり、それ故に朝鮮民族尊重の誓約条項まで定められていたのです。けれども本件における相手方の主張からも十分にうかがえるように、相手方は当初から私を父親として認めようとせず、むしろ排除することに躍起になってきたのです。

 私が疑問に思うのは、李姓と単国籍化を福祉の観点から仮に問題があると判断されたとしても、前述したような背景から相手方の意向どおり親権すなわち私が子どもの父親であるということを社会的に排除しなければ解決できない福祉の問題とはどのような質の問題なのかという疑問なのです。私が父親であるということをやめなければ守れない子どもの福祉とはどういった「福祉」なのでしょう。いうまでもなく子どもにとって父親の存在は福祉上の問題になるわけではありません。

 しかしながら本件において福祉の問題と親権の変更が連動しているとされるならば、私が朝鮮人の父親であるという事実が子どもの福祉に反しているとされるに等しい判断であると思います。私は在日朝鮮人ですが、まぎれもなく人として子どもの父親であることを否定されたくありません。

 貴裁判官におかれましては私が子どもの父親であるということを認めていただくことを願うばかりです。

十四 李姓並び単国籍化を求めた時期の経緯について

 李姓並び朝鮮籍への単国籍化を私が初めて意識したのは、先の離婚訴訟時の和解調停において親権者と監護者に分けられるということを聞いた時期からです。本件ではその手続きについて私は相手方から無断でおこなったと主張されていますが、むしろ私が姓(氏)の変更申請及び単国籍化が現実に必要であると痛感したのは離婚成立後の相手方の姿勢からその必要性を改めて確信したのです。

 ここでは私が相手方のどのような姿勢からそう確信したのかということについて、その時期の前後の情状を次に時系列にそって述べます。

 最初の面接日について

 和解成立後の4月12日が初めての子どもとの面接日でした。子どもを乗せた私の車が発進しようとしたとき、相手方は突然車のフロントガラスに飛び出しへばりついて子どもの名を絶叫しました。私はこのような相手方の異様な態度から、子どもの情緒に悪影響が及ぶと思い、子どもと二人で会うことを断念しかけたのですが、子ども自身が早く行こうとせがむのに気を取り直して出発したほどの状態でした。

 また、息子が私の財布を見て「あっ、どうぼうや」と言うのです。私が尋ねると「お父さんはママのお金を盗んだ泥棒なんやて、ママが言うとったもん」と言うのです。私は息子に「お父さんは泥棒とはちがうぞ」と言うと、息子は笑いながら「だってママが言うとったもん、それにお父さんとちがうもん」と言うのです。そこで「おまえもお父さんじゃないって思うのかい」と尋ねると、息子は「ぼくはお父さんって知ってるけど、お父さんって呼んだらママにすごく怒られるもん」と言うのです。私は「わかった、それじゃお父さんと二人だけでいるときのことは、ママには秘密にしておこう」と言うと、息子は「絶対秘密やで、ママにはないしょやで、絶対言わんといてな」とはしゃいで言うのです。

 面接終了時では、相手方は次回面接時間について午後6時から7時半までの短時間を主張し、その理由として相手方自身が保育園に午後6時でないと子どもを迎えにいけないと説明しました。それなら私が直接保育園に迎えに行くことを提案すると、私が保育園にいくと園長が困るのでそれはやめてほしいと言いました。そこで園長がなぜ困るのかと問うと、相手方は沈黙しているだけで何も答えようとしません。

 このように相手方は常に面接時間をなるべく短時間にしようとするときだけに限っては、私に子どもの眼前で怒鳴るように口をひらくのですが、それ以外は私が何を話しかけても黙っているだけです。

 このとき私はこれからの子どものことについて話しあいをしたいので、連絡先や住所も知りたいと言いましたが、相手方は私を無視して帰っていきました。

 面接交渉において相手方が面接時間を短時間にしようとするために子どもの眼前で怒鳴る行為は1年以上にわたって続きました。そして私が話しかけることに対しては一貫して沈黙し無視する態度は現在まで同様に続いています。以下に私に対する相手方の姿勢を子どもとの会話を列挙することで述べます。

 姓(氏)の変更申請以前の状況

 @息子が、私の家のトイレに入るのを拒むので、私がいっしょに行ってあげようとしたときの息子との会話。

 A息子が食事になかなか手をつけない状態から。

 Bテレビから北朝鮮の核査察についてのニュ−スがながれたとき

 C最初の面接日に子どもに買い与えたオモチャについて。

 姓(氏)の変更申請申立てをした以降

 @もっと私と遊んでいたいとせがむ息子を説得して帰る車の中。

 A相手方は2回目の面接から、私に露骨に敵意を示す男性同伴(原審段階で私の怨念から私が相手方に復讐しようとしているという趣旨の意見書を出した西村氏、以下西村と記す。)で来ることが多く、92年5月18日の面接開始状況。

 単国籍化した以降

 @子どもがスケッチブックに絵を描く中に、盛んに日章旗と日本人という漢字を描いていました。

 A息子に朝鮮人と日本人のダブルであるということを教えたとき

 B息子と川で遊んでいたとき息子が突然

十五 李姓並び朝鮮籍への単国籍化を必要だと考えた理由について

 原審では子どもの朝鮮籍への単国籍化を「日本国籍離脱の手続き」と表現されていますが、日本国籍の離脱は子どもの朝鮮籍への単国籍化の手続き的経緯にすぎません。子どもの国籍が日本籍から朝鮮籍へと変更されたのではなく、日本籍と朝鮮籍の二重国籍者から朝鮮籍への単国籍者になったというのが事実です。したがって私は本件において国籍が日本籍から朝鮮籍へと変更されたという誤解が生じることのないよう「単国籍化」という表現をしている次第です。

 また相手方は「名前」の変更だという認識のもとに主張を展開していますが、わが子の場合姓名における「置野」という日本姓から「李」という民族姓への変更を意味しています。「置野」という「family name」の変更であり、「聖徳」という「first name」の変更ではないということも述べておきます。

 私が子どもにとって李姓並び朝鮮籍への単国籍化をおこなった経緯は異なりますが、そのことが必要だと考えたのは次に述べる通り同一の理由によるものです。

 問題の所在について

 子どもは幼児期において朝鮮人としての民族性も有していながら、すでに述べてきたように相手方から二つの民族性を保持しているということが意図的に隠されてきました。相手方のそういった意図はともかく、本来子どもにとっては二つの民族性を有していることを教えられる姿が自然であると思います。

 私が「自然」だと思うのは、子どもにとってそのように知らさせたり教えられたりすることが、ことさら個人的見解によるものであるとか、正誤の判断がされるようなことではないという意味において「自然」であると思うのです。

 そのように考えていた私にとっては、子どもが二つの民族性について知ることは国籍の所在や姓のありかたとは別次元のこととして認識していましてたので、ことさら関係があると考えていたわけではありません。

 ところが相手方は、二つの民族性を有する子どもに対して、朝鮮人は劣った存在だという意識でもってそのことを徹底して隠し続けたのです。相手方は子どもを日本人としてのみ育てようとしたのではありません。なぜなら日本人として育てようとすることが、最初からたちまち他方の朝鮮人性を隠し続けたり排除すべき理由にならないと私は思うからです。二つの民族性を有しているということを隠さないでも、日本人として育てることは容易にできると私は思います。もし仮に二つの民族性を有している子どもに日本人性以外の民族性を隠し必ず排除しなければ「日本人」として育たないというような発想があるとすれば、それは人間の存在を矮小化した発想であると思います。

 さらに他民族の存在を拒絶しなければ成立しない「日本人」像の意識があるとするなら、それはあまりにも偏狭であると思います。たとえば日常生活の基本構成でもある「衣・食・住」がすでに国際関係を無視しては成立しない今日において、そのようなことは求められている共生社会の公益に反するような発想ではないでしょうか。

 相手方が子どもにとって父親である私の存在を隔離(排除)することによって隠してきたのは、私が「帰化」をしようとしない在日朝鮮人であったからです。もし子どものことに関係なく、夫婦として私の存在が嫌であったのなら、長期間にわたって子どもから父親である私を排除したり、二つの民族性を有していることを隠し続ける必要はないはずです。

 私は結婚生活において相手方と子育てについて、一度たりとも話し合いができた記憶がありません。それは私が相手方にどれだけ求めても、無視と拒絶のみで一度も応じてもらえなかったからです。子育てについて私は現在に至っても相手方から無視されています。私を無視するのは、朝鮮人でもあるということを何としても排除したい相手方にとって、在日朝鮮人である私が父親の存在であってはならないと考えているのだと思います。私には子どもを前にしてあくまで父親の存在を否定し続ける相手方の態度は、母親としてふさわしい姿であると思えないのです。

 私は、子どもが二つの民族性を有していることを決して認めようとしない相手方の態度は子育てに値しないと考えています。それはもはや子育てではなく、子どもに民族差別を強いる加害行為でさえあると思います。子どもの眼前でも父親の存在を積極的に否定してきた母親である故に、残念なことに母親でありながらわが子に差別を強いて、そのことが子どもにとって如何に深刻な問題をもたらすのか理解できないのです。

 アイデンティティーの危機について

 前述したような環境で子どもが放置されたまま育っていけば、当然のことながら子どもは問題を被ります。それは変えようのない自己の出自に子どもが劣等感を抱くようになるからです。相手方から朝鮮人としての民族性を隠すことを強いられた結果、子ども自身が隠すようになれば、子どもにとってそれは自己の出自を隠すことを意味しています。隠すという意識は、恥ずかしいことあるいは悪いことだという前提がなければ生じません。自己の出自に劣等感をもって育つことは、子どもの人格形成上においてきわめて有害だと思います。

 すでに教育界では、もしこのような劣等感を子どもが成育過程で克服することができなかった場合、「生まれてこなければよかった」という意識が高じて自殺する可能性もあるということが現実の事例から警鐘として報告されています。自殺事例は最悪に位置していますが、ことさら教育関係者でなくとも自己の出自に劣等感を抱いたまま成長することが、如何に健全な人格形成に有害であるかは自明のことであると思います。こういった問題は「アイデンティティーの危機」と表現されています。

 アイデンティティーの危機は、大局的には社会に厳存している根強い差別意識と因果関係にありますが、私は個々人の人生において克服や解決が十分可能な問題だと考えています。

 子どもの人格形成におけるアイデンティティ−の危機は、その原因が放置されることによって生じる一種の病理現象と類似しています。たとえば個人差はあるものの発病までに長い潜伏期間を要するというような類似性です。私は子どもの出自に劣等感を強いる相手方の養育姿勢こそが、アイデンティティーの危機を招く原因になると判断したのです。

 したがって私がそのことを放置することは、むしろ父親として失格であると思います。子どもに劣等感を強いる相手方の意思を変えることは残念ながら困難でありますが、子どもにアイデンティティーの危機が生じることのないための環境として、李姓と朝鮮籍への単国籍化が必要であると私は考えたのです。

 こういった私の教育方針が、「国籍離脱」という単国籍化の手続き行為のみを中心にされ、子どもの福祉の観点からその益害が判断されるという次元が私にはピンときません。子どもの人格形成の行方における是非が判断されることこそが、子どもを独立した人格をもつ一人の人間として最大に尊重することではないでしょうか。またこのことは福祉の観点においても同様であると思います。

 李姓並び単国籍化の経緯について

 李姓及び朝鮮籍への単国籍化は、社会的に子どもが在日朝鮮人であるということを示すものです。けれども私は社会に子どもの朝鮮人性を誇示したいわけではありません。わが子自身にとって小さいうちから二つの民族性を有しているということを理解させた上で、そのことは何ら恥じることでなく自然のこととして認識させていくためには李姓及び単国籍化が必要であったのです。

 なぜなら子どもは二つの民族性を有しながらも、社会的には先述した公証制度から日本人としてのみ扱われています。したがって子どもにとって結果的には二つの民族性について教えられることは親の養育姿勢にのみに決定されることになります。公証制度は親の養育姿勢を左右するものではありませんが、朝鮮人性を隠そうとする相手方にとっては好都合な制度です。

 このような性質をもつ公証制度上に民族性を隠蔽しようとする相手方の意図が重なると、子どもの二つの民族性は家庭や社会において朝鮮人性が消えてしまうことで事実上喪失してしまうのです。

 このことにより当事者である子ども自身がどれほど強い孤立感あるいは疎外感を抱くことになるでしょうか。自己の出自の真実をまわりの誰にも知られることなく、たった一人でまるで封印するかのように隠し続けて生きていかなければならないとしたら、それはきわめて残酷ですらあると思います。

 さらに私との面接交渉を通じて相手方は、それまで隠してきた態度を一転させ、子どもに如何に朝鮮人という存在が恥ずべき悪い存在であるかという価値観を注入することに躍起になりました。これを放置することが子どもにとって有害だと判断した私は、その解決方法としてそれまで朝鮮人としての民族性が隠されてきた形になっている子どもを、社会的に明らかにした上で二つの民族性を子どもに教えていくことが、アイデンティティ−の危機に陥ることを回避させるだけでなく、今後の子どもの生育過程では有益であると考えたのです。

 私は当初から単国籍化よりも、子どもの姓を李姓にすることを優先して考えていました。なぜなら外見上の差異においては、日本人と朝鮮人の形態人類学的差異は現実には判別不可能であり、表象における差異はまったくありません。このような社会においては国籍の所在より、むしろ 「なまえ」だけが民族的差異に根拠を与えるものとしての役割をもつからです。

 たとえば近年増えつつある「日本国籍保有者」あるいは「帰化者」であっても、民族名を求める在日朝鮮人の存在はアイデンティティ−の確立を始め当事者にとっては、そのことのほうがより人間らしく生きられるという認識があるからなのです。民族性の誇示などということではありません。

 離婚成立後、李姓及び単国籍化の手続きについて、私は子育てについて相手方との関係を確かめてから実行の有無を考えていました。私には、母親であり同居している監護者を無視して手続きをしようなどという考えは最初から毛頭ありませんでした。また私は現在でも相手方を無視したとは思っていません。なぜなら子育てについて私と話し合うことからして無視する態度をとり続けたのは相手方だからです。

 相手方が子育てについては私を無視して、子どもに差別的価値観を注入していた姿勢から、私は何の迷いもなく和解成立の3月23日から約1ヵ月後の5月7日に氏(姓)の変更手続きを申し立てました。「離婚による親権の確定」という申立書の雛型にあった理由どおりの内容で申し立てたのです。このとき私は担当係官から1週間ほどで李姓への変更は認められるであろうということを聞きました。

 ところが本件の原審の決定を下した同一裁判官の職権によって、氏(姓)の変更は調査命令にまわされてしまい、李姓への変更の可否は不明になってしまったのです。

 そのことに連動して、面接時の子どもの衣服・下着・帽子・靴下・靴には32ヵ所も「置野姓」が記入され、置野姓の名札が複数ぶら下げられ始めたのです。相手方は沈黙して私を無視しているだけでしたが、そのことが李姓への変更は絶対認めないという相手方の強い意思表示でもありました。

 このような状況から、私は迷うことなく翌月の6月2日に子どもの朝鮮籍への単国籍化の申請を津法務局でおこなったのです。結果的にこの単国籍化によって李姓への変更がやっと確定したのです。

 もし仮に氏(姓)の変更申し立てが通常どおり認められ、その上で相手方が「李姓」を尊重するならば子どもの単国籍化は必要ありませんでした。この点をさらにいうなれば相手方が、子どもの有している二つの民族性を尊重し、子育てについて私を無視することなく協力関係を築こうとする意思さえあれば、李姓も単国籍化も何ら必要のないことなのです。もっともそのようになれば本件のような問題は当然のことながら離婚さえする必要も生じなかったと私には思われます。

十六 李姓並び単国籍化の意義について

 私と相手方とは、先述してきたように子育てにおける養育のなかで、二つの民族性を有している点についての教育方針が異なっています。 私としましては、どちらの教育方針が子どもにとって益害なのかと判断される点については、子どもの真の幸福についてご理解されることを願うばかりです。

 しかしながら親権の変更を左右する本件においては、直裁的に教育方針の益害が判断の根拠になるとしたら私には疑問があります。それは教育方針の内容についてではなく、原審でも「確執」と表現されているように子どもを前にして私と相手方が対立しており、子どもが対立の渦中におかれているというような認識があることです。そういった認識は事実誤認なのです。

 なぜなら私と相手方の教育方針が異なっていることは事実ですが、そのことで子どもが対立の渦中におかれているという事実はないからです。この事実について述べることは同時にわが子にとっての李姓並び単国籍化の意義を述べることと同一の意味があります。

 対立的確執について

 そもそも李姓並び単国籍化は、朝鮮人性を隠そうとする相手方の意思が強いという前提があって実行したことです。すなわち相手方が当然のようにそのことの否定を子どもに強いることを私は予想していました。残念なことに私の予想は本件の存在が意味しているように適中していたわけです。

 そこからおそらく子どもにとって「母親は日本人であることを要求し、父親は朝鮮人であることを求める」というような状況に映るのだと思われます。ここから父母の対立関係が子ども自身に持ち込まれているという認識になり「確執」という表現になるのだと思われます。

 けれどもそのような問題認識であるとするなら、その中心に子ども自身が「一体どうしたらいいんだろう?」と困ってしまうことを想定していると思われます。子ども自身が困惑するだろうから、その原因をなくすことが子どもの福祉に資するというような結論にも帰結するのだと思われます。

 私が事実誤認だと指摘したいのは、子ども自身が困惑するという捉え方にあります。たとえば確かに二つのうち一つを選ばなければならない時期に、自分の両親が正反対の意見である場合、困惑する可能性もあります。しかしその場合とて基本的には子ども自身の選択がされるはずであり、困惑状態が持続するわけではありません。李姓と朝鮮籍の単国籍となったわが子にとっては、両親の異なる意見のうちどちらかを選ばなければならないような局面は事実上存在していないのです。

 しいていうならば、相手方は今後も子どもに対して日本人だけであることを要求し続けることでしょう。その内容はともかく相手方による教育は子どもに日本人であるという自覚を促すことにはなるでしょう。

 しかし同時に子どもの学校生活では李姓が使用され私と会うことによって、朝鮮人でもあるという二つの民族性について年齢相応に意識して考えはじめます。そのことが子どもの生育過程で有益であると私は考えますし、またそのような子どもの姿が生育過程の「教育」だと考えているのです。

 このことでもし子どもが困惑するようになるとすれば、自己が日本人なのに朝鮮人だとされる点でしょうか、あるいは自己が朝鮮人なのに日本人だとされる点でしょうか。いずれにせよ、それは二つの民族性を有しているという認識になるならば子ども自身にとっては何の矛盾も困惑も生じないはずです。

 もし仮に困惑が生じるとすれば、少なくともそれは両親の異なる意見が原因ではなく、子ども自身が朝鮮人を嫌悪する価値観を持ったときに生じる困惑です。私はそのような質の困惑が子どもの生育過程において有害だと認識しているのです。なぜならそれは子どもにとって容易に劣等感に転化されていくからです。

 あるいは子どもは日本人のみの存在だとする相手方の意思に、私が同意しないことが子どもにとって対立的な確執になるでしょうか。私はすでに述べてもきたように子どもが日本人になることに反対しているわけではないのです。私は親として子どもが劣等感を有するようになることには同意できないのです。このようなことが対立的な確執だと認識されることに私は大きな異和感を憶えます。なぜならそこにはあるべき理性と良心を何ら見出すことができないからです。

 学校生活について

 子どもが対立関係の渦中におかれている事実がないという具体的な状況として、わが子の学校生活があります。学校は教育機関であると同時に公共性を持ちます。学校は教育については学校独自の裁量も持ちますが、それは子どもの学校生活の範囲内であり、仮にわが子のように学校に求める方針が親として私と相手方とで異なった場合、学校が苦慮することは必至です。学校にしてみれば親権者と監護者に分かれていても、子どもの父母であるという認識が変わるわけではありません。

 この場合学校が苦慮することは、学校内の問題について親から指摘されるのであればどのような指摘にも積極的に応じていただけますが、学校の責任範囲外である家庭の事情が教育現場に持ち込まれても困惑するだけです。

 そのような構図を要約すると、新国籍法から二重国籍者となった児童については、国籍に関係する方針は父母両系主義による両親に任されているのであり、その両親の見解が異なった場合、その判断を公共性を持つ学校に求めることは筋ちがいなのです。

 また新国籍法によって二重国籍を認めた上の公証制度からは、公共性を持つ学校が一方の親の意見により他方の親の意見を無視することになる日本人か朝鮮人かと限定した判断などできようもないのです。

 したがって、もし私が子どもを単国籍化しなければ、子どもの朝鮮人性を認めようとしない相手方の養育姿勢が学校現場に持ち込まれることになります。そのようになれば学校側の苦慮はもとより、児童の教育をめぐって学校現場に混乱が拡大されていくことになるのです。

 もしそのようになれば、わが子の学校生活に悪影響を及ぼすことは過去の保育園での実例をいうまでもなく目に見えていたのです。したがって学校が持つ公共性の側面から予想された混乱は、単国籍化によって解消したのです。

 すなわち、少なくとも二重国籍児童についての親が関わるべき範疇の判断が学校側に迫られるような局面を回避することができたという意味において。

 さらに学校の基本である教育面から述べます。

 子どもは単国籍化により法的には朝鮮人となりました。しかし私は学校に子どもを朝鮮人児童としてのみ扱う必要を求めてきませんでした。私が学校に親として望んできた教育方針はあくまで二つの民族性を有しているという点の教育的配慮です。その点について、私はあえて学校側に相手方の意向も尊重することを要望してきたのです。

 具体的には学校側には子どもの姓については公的な姓である李姓の使用を要望しました。ただし、当人である子どもが置野姓を使用しても、そのことは子どもの自主性を尊重する精神から容認していただきたいと要望してきたのです。それまでの経緯から相手方が置野姓を子どもに強要することも明らかであったからです。

 私は小学校入学に際して、このようなことについて詳細な協議を学校側とおこなってきました。たとえばクラスの他の児童が、学校では李姓が使用されているのに、当人が置野姓を使用していることに疑義の声があった場合、「李はお父さんの名前で、置野はお母さんの名前、聖徳くんはお母さんの名前が好きなんだね」というような説明でもって対応していただきたいと協議してきたのです。

 このような私の要望は学校の先生方にとってはたいへん好意的に理解していただけました。なぜなら私のそのような教育方針は、公教育の目的に合致していると判断されたからです。

 それは近年の人権教育の高まりにより、学校現場ではすでに在日朝鮮人児童における最大の教育課題として、劣等感に陥ることなく健全な人格形成に資するためには、日本人児童と同質に扱うのではなく、民族性を尊重することが重要であると位置づけされているからです。

 そこでは児童自身が民族性を「隠す」ということが問題であり、その有効な解決手段として民族名の使用を教育現場では奨励するようになってきているのです。私の学校側に対する要望はこのような教育理念と合致するものでした。

 したがってわが子が、学校生活においてたとえ相手方から置野姓を強要され李姓を禁じられた結果、李姓をぬりつぶし置野姓に書き変えても、公的に李姓が使用されている限り、わが子にとってそのことが「隠す」という行為に直結していきません。すなわちわが子はアイデンティティ−の危機に陥ることなく、これから自己の二つの民族性についての学習を重ねることが容易な環境となるのです。

 また現在までにわたって子どもが学校生活を、陳述書(2)で述べたように明朗・快活に謳歌している事実は、相手方の姿勢を含めた上でも、わが子に対するこれまでの教育方針が学校と私との協力関係により成功してきたことを証明していると思います。

 私には入学当初から子どもがいじめを受けるのではないかという懸念がありました。あるいは相手方の強要により、わが子が学校で困惑してしまうのではないかという心配もありました。そのため私は学校生活でのわが子の様子について頻繁に学校を訪れたものです。その都度、先生方からは「大丈夫です、子どもさんはたいへん元気ですよ、何も心配されるようなことはありませんよ」とむしろ私は励まされてきました。

 さらに私自身も学校教育について積極的に学んでいくことは今後のわが子に有益であると考え、同時に学校との信頼関係存続のためにも、教育機関からの講師依頼には積極的に応じてきました。(別添資料6)以前から私は教師対象の講師に招かれることが度々あったのですが、小中学生を対象とする講演には自信がありませんでしたので断ることのほうが多かったのです。利己的であるかも知れませんが、私は今後のわが子の教育に有益であると判断しましたので、今後も児童対象の講演には積極的に対応し努力していきたいと考えています。

 国籍の所在について

 私が子どもを単国籍化した理由を、わが子自身に二つの民族性を有しているということを教えていくための必要性として述べてきました。また私はそのことが踏まえられるなら、わが子が日本人になることに反対でないことも述べてきました。さらに社会的にわが子の朝鮮人性を誇示したいのではないということも述べてきたつもりです。

 しかしながら子どもは単国籍化によって法的には朝鮮籍のみとなり日本国籍はありません。このことが子どもを日本人になるための道を奪ったとか、国籍選択の余地を奪ったと断じられることは事実誤認です。

 なぜなら、法的に子どもは「在日」朝鮮人になったのであり、「在日」である故に日本人としての資質の育成には何ら問題ありません。

 また日本人になるための道として日本国籍の取得は「帰化」によって可能です。なぜならこの点について単国籍化をおこなった時点で津法務局に私は念入りに確認してきたからです。

 「帰化」要件は年々緩和傾向にありますが、そういった緩和傾向においてもわが子の場合は、きわめて容易な「帰化」要件になっているとのことでした。したがってわが子がおかれてきた環境に照らすと、むしろ単国籍化は事実上子ども自身にとって国籍選択の余地を拡大・充実することであり、選択の余地を奪うというような実態にはないと思います。

 私は現時点の国籍の所在より、今後の子どもの健全な育成のほうが重要であると考えているのです。原審では現在の時点で相手方の「帰化」の意向を肯定していますが、私が本件のように即時抗告をしたのも、また、もしも本件で親権の変更が認められるような決定がなされたとしたら、私にはそれを認めることが到底できません。

 それは日本国籍者になるということが認められないのではなく、すでに述べてきたように子どもの生育過程において、子ども自身にきわめて深刻で有害な環境をもたらすからです。わが子が不幸になることを私自身がわかっていながら、その原因を放置することは、人として、親として、きわめて無責任であると思うからです。

十七 民族意識について

 私は日本で生まれ育った在日朝鮮人ですから、一般的日本人が自覚している範囲内の日本人性というものは理解しているつもりです。それと同時に私には在日朝鮮人としての民族意識があります。私が在日朝鮮人として持っているこの民族意識というものが一般的日本人には認識されていないことも理解しています。

 日本社会における在日朝鮮人の存在は、日本と朝鮮の複雑な現近代史や流動化の激しい国際的政治状況の関係故に、その存在は翻弄されもしてきました。その結果在日朝鮮人の実存が日本人社会では不可視的存在になっています。けれども一般的な日本人社会において在日朝鮮人が不可視的存在であっても、当然のことながら当事者である在日朝鮮人にとっての実存は今日までまぎれもなく存続してきたのです。  

 本件において私は子どもの出自でもある二つの「民族性」ということを繰り返し述べてきました。またわが子にとって国籍と民族性の関連についても述べてきました。いうまでもなく「国籍」と「民族」は必ずしも同一の概念ではありません。

 ところで「国籍」や「民族」とは個々の人間にとって一体何を意味するのでしょうか。この回答はひとつではないはずです。このような問いかけに私の「自我」は、生まれてきてすでにそこに在ったもの、あるいは準備されていた居場所、もしくは出会いのひとつというような感覚があります。究極的には社会を始め世界そのものが「私」という存在も含めて私の「自我」からすると同様の感覚があります。

 そのような感覚を有している私が、本件において在日朝鮮人としての私の民族意識を述べる必要を痛感しています。なぜなら原審では「民族性」を指摘した私の民族意識をあまりにも実態と乖離した民族意識として認識されていることがうかがえるからです。

 私には本来本件は私の民族意識の内容に左右されるような性質ではないと考えています。けれども在日朝鮮人が社会的には不可視的存在である現実から、事実に反した憶測で民族意識が認識されるのであれば、私自身の民族意識について述べておく必要があると思う次第なのです。

 しかし周知のように民族意識というものは、その性質上必ずしも在日韓国朝鮮人一様のものではなくかなり多様化している現実や、たとえ同質のことを示していても個々人の表現が異なる場合も少なくありません。そこで抽象的になることを回避し、より具体的に述べる必要性から、私自身の人生を交えて述べることで、民族意識について実存に即したご理解を求めたいと思います。

 私の原体験とアイデンティティーについて

 私は物心がついた頃から、家庭においては両親から「おまえは日本人ではなく、朝鮮人だ」ということを日常的に聞かされてきました。ところがそれでいながら、私は小学校の高学年になるまで、自分のことを日本人であると感じていました。それは私の生まれ育った地域には、朝鮮人世帯は私の親族だけで、まわりはすべて日本人であり、学校や近所の遊び友達もすべて日本人であったことによります。

 これは「国籍」について、日本は血統主義を採用していますが、日本で生まれ日本人と同じように日本で育つと、幼い頃にはあたかも生地主義のようにまわりの友人たちと同じ(つまり日本人であるということ)だという感覚を共有してしまうことから、そのような錯覚を生じてしまうようなことが私自身の体験上からはありました。

 さらに、20代後半に私が公式に通称名を抹消するまで、私には生まれたときから「李在一」と「大谷章雄」という二つの名前があり、友人や地域社会の大人たちからは日常的に「大谷やん」とか「のりちゃん」と呼ばれていましたので、家庭内で両親から朝鮮人だと教えられる点を除いては、地域社会の日本人児童の生活と何ら変わる日常ではありませんでした。ですから両親から「おまえは朝鮮人だよ」と言われても、幼い私にとっては朝鮮人というのが、日本人とどうちがうのかがまるで理解できませんでした。そんな幼い頃の私にとっては、おそらく日本人児童が自ら日本人であることに無意識な日常があるように、私も自分が朝鮮人であるということに無意識な日常がありました。

 そのような日常のなかで今にしてふりかえると、私の民族意識というものにとどまらず、おそらく私のアイデンティティーを決定づけるような出来事がありました。

 それは私の祖母の存在によります。私は4才から5才にかけて腎臓に問題があり、その当時入院生活をしていた時期があるのですが、そのとき病院に泊り込んでつきそってもらったのが祖母でした。そんなこともあって幼い頃の私はいわゆる「おばあちゃん子」でありました。そして祖母は廃品回収業をしており、当時いわゆる「ぼろ屋」と呼ばれる仕事をしていました。廃品を山と積んだリヤカーを引っぱって旧街道を行く祖母の姿は私の地域においては見なれた光景でした。

 そして当時の祖母は、朝鮮語を混在させた日本語をしゃべる存在でもありました。祖母のしゃべる朝鮮語の意味がわからないとき、祖母は仕事のかたわら楽しげに私と私の遊び仲間の日本人児童らにその意味を解説していたものです。

 私が小学校4年生当時、暑い夏の日の学校からの帰り道のことです。10数人の子どもたちといつものように下校していたとき、旧街道の前方からいつものようにリヤカーをひっぱってこちら側に歩いてくる祖母の姿が目にはいりました。いわゆる「ガキ大将」の傾向があった私は、遊び友達をまえにして、こちらに近づいてくる祖母の姿が突然とてつもなく恥ずかしい存在に思えたのです。

 つまり当時の私は、子ども心に私が平素からカッコをつけている遊び友達の連中に、「ぼろ屋」という「カッコ悪い」仕事をしている人物が、私の祖母であることを改めて知られることに、とてつもなく恥ずかしいという衝動に駆られたのです。

 さて、そのまま歩いていくと祖母と鉢合わせになるわけですから、そんな恥ずかしさから祖母をみんなから隠したいと考えた私は、まず祖母を無視して通りすぎようかと考えました。しかし、孫である私の姿を見つけた祖母は、きっといつものように朝鮮語を交えた日本語で私に話しかけるにちがいありませんから、無視して通りすぎることはできなくなります。そこで次に私が考えたことは、祖母と鉢合わせになるまでに10数人全員を連れて裏道へ行くということでした。宿場町風情が残る通学路であった旧街道は、家並みの一定区間にある路地から、旧街道と平行して続いている裏道へと抜けられたのです。当時の私には全員を先導して裏道へ移動させるほどのわがままを通せるリーダーシップがあり、そして祖母と鉢合わせする地点までには、そういった裏道へ通じる路地が幾つかあったわけです。

 しかし、実際に全員を裏道へ先導させようとしたとき、祖母の存在が恥ずかしいという思いとともに、そういった私の行為が子ども心に「偽善」であるという自己嫌悪が湧き、私は葛藤したのです。祖母との鉢合わせを回避できる最後の路地に達したとき、私は下校仲間の全員を最後の路地のまえで停止させてまで子ども心に葛藤しました。「どうしたん?」と尋ねる友人たちに、私のそんな内心の葛藤が話せるわけがありません。

 そんな私の葛藤を終わらせたのは、友人の一人が祖母の姿に気がつき「あっ、のりお君(私の通称名)のおばあさんや」という一言でした。私はとっさにみんなに「アイスクリームおごったるわ」と言い、近づいてきた祖母にこづかいをねだりました。祖母はリヤカーを止め、いつものようにきんちゃく袋の中から孫である私の要求に応じ、羨ましがるみんなを前にしてこづかいを与えました。そしてみんなと駄菓子屋に直行して、全員でアイスを食べたわけですが、私はその後、猛烈な自己嫌悪に苛まれることになるのです。

 それは、一時にせよ常に私に優しかった祖母を恥すべき存在として、みんなから隠したいとした自分自身の思いについてでした。それは子ども心にとてつもなくカッコ悪い思いであり、自分自身の醜怪さが否応なく自分自身につきささり、このときの激しい自己嫌悪はその後かなりの歳月を経ても、自分史の中においてはたびたび登場してくるどうしても許せない汚点として刻まれたのです。

 現在に及んでもこの原体験が、私のアイデンティティーの形成に根本的な影響として作用しています。つまり私がそういった自己嫌悪から解放されたり、あるいは克服しようとしたとき、私はたとえどれだけ表面的な体裁をとりつくろうことができたとしても、真に恥ずかしいことは内面から起こる人としての恥ずかしい考えかたや思いなのだということを、戒めや教訓のように私自身の中では絶えず反芻して位置づけられてきたのです。

 民族意識について

 小学生時代において、私は両親から自分が朝鮮人であるということを聞いて知ってはいましたが、子どもの私にとっては日本人と朝鮮人のちがいがわかりませんでしたので、自覚的な民族意識などはありませんでした。

 たとえば私は男ばかりの三人兄弟の二男ですが、私の二つ年上の兄が遊び友達から「朝鮮」と罵られ学校や地域でいじめられたことがありました。それでも私には、兄が朝鮮人故にいじめられているというように考えることはできませんでした。子どもの私には、兄はケンカに弱いからいじめられるのだとしか映らなかったのです。なぜなら、子ども時代の私は人をいじめる側にまわることがあっても、またスポ−ツの勝敗をめぐって殴りあいのケンカに発展したことはあっても、兄のように人から一方的にいじめられるという経験はなかったからです。

 また、私が小学校の高学年の頃には、友人の親たちが友人たちに私が朝鮮人だからという理由から、あまり私といっしょに遊んではいけないと言っていることを、友人らの口から、親に対する不満として私に伝えられたこともありました。

 当時は、そう親に言われたからといって、積極的に私と遊びたいという子どもはいても、私と遊びたくないという子どもは私の知る限りにおいては皆無だったのです。当時は、私や私の友人たちに共通して朝鮮人が日本人社会から差別される対象であるなどという「差別」という言葉からして知らなかったのです。

 ですから友人の親たちが口にしたという「朝鮮人だから」という理由をめぐっては、私を含めたいつもの遊び友だち共通のいわば純粋な「謎」として出現しました。ですから私はその共通の「謎」を解明すべく、登校の際、そういった友人の親たちに順番に「なぜ、朝鮮人やといっしょに遊んだらあかんの?」と直接聞いていったことがありました。けれどもどの友人の親たちも「そんなアホなこと、言うとらへんよ」という返事や反応で、この件はいつの間にか風化していきましたが、それでも朝鮮人である私の中には、なぜ朝鮮人だといっしょに遊んだらだめなんだろうという「謎」として心に残ったのです。

 私がその「謎」を理解したのと、朝鮮人としての民族意識を自覚したのは、ともに同時期の中学の頃でした。その始まりは、当時、私と同世代の者たちの間で、アレックスヘイリー原作の 「ルーツ」というアメリカにおける黒人の歴史を扱った連続テレビドラマがNHKで放映されブームになっており、私もそのドラマに魅了されたことによります。その連続ドラマの最後に原作者であるアレックスヘイリーが登場して、画面から「みなさんは自分のルーツというものを知っていますか?もし知らなければ両親に聞いてみなさい、そして自分のルーツを知ったら親になんで今まで教えてくれなかったのかと聞いてみなさい、親はこう答えるにちがいありません。今までちっとも聞こうとしなかったのはおまえのほうなんだよ。」と解説しました。このアレックスヘイリーの画面から呼びかけるような解説は、朝鮮人について常日頃から「謎」をひきずっていた私にとっては、「朝鮮人」について根本的に改めて知りたいという猛烈な好奇心を喚起させる決定的な言葉となったのです。

 そこで私は自分の存在を起点として、ル−ツを逆行するために、日本の学校では学べなかった在日朝鮮人の現近代史を学習して知ることになります。

 私は抗告に及んでしきりに感じるのですが、在日朝鮮人についての理解に詳しい日本人市民の方々であっても、まず在日朝鮮人の存在や歴史について知る入り口としては、いわゆる差別問題や人権問題から入る人が一般的な傾向であるような気がします。比較しますと、私が在日朝鮮人について知りたいと思い学習したのは、私自身が朝鮮人として差別されてきたという点から入ったのではありません。私は私自身が何者であるのかということを知りたいという好奇心から入ったのです。自我の自己とは別に、朝鮮人という「私」を、私は知りたいという欲求から私は入ったのです。私が差別問題や人権問題から入ったのではないという点は、私の民族意識に大きく影響していると思います。

 なぜなら当時私は、在日朝鮮人が歩んできた苦難の現近代史を通じて、なんと朝鮮人というのは人間の道理というものにこだわり、バイタリティーに満ちたカッコイイ存在なのかと感動したからです。私がもし最初から在日朝鮮人は被差別の対象なんだと認識して、現近代史を学習したとしたら、おそらくカッコイイ朝鮮人の姿は見えなかったのではないかと思います。

 そして当時私が在日朝鮮人の歴史をカッコイイと感じたのは、物語やドラマを勧善懲悪の観点から認識してしまうといった単純な理由によります。それは今世紀の戦争を軸に朝鮮人がたどってきた運命を、私は被害者的存在として認識したのではなかったのです。

 もし武力や経済力などを中心とした弱肉強食の観点からのみ朝鮮人を見るならば、朝鮮人は常に虐げられてきた弱者でしかないというように映るのかも知れません。しかし、いろいろな偉人伝記ものがそうであるように、様々な困難や苦難に直面しながらも、それにどのように立ち向かい克服しようとしたのかという点に、人間としての普遍的な感動があると感じるのは、私一人ではないはずです。

 少なくとも在日朝鮮人が歩んできた歴史では、私にとっては朝鮮人は「善」の存在であり、苦難の中で人としての道理という正義から、自らの苦難に立ち向かってきたという意味においてのむしろ「強者」の存在でした。

 また近代から現代においても、在日朝鮮人は日本の中ではマイノリティーの存在でありながら、スポーツや芸能あるいは在日文学を始めとする各文化の分野において、多くの人々から絶賛される活躍をしているほど、文化的資質が優れているという存在でもあることを知りました。

 そして朝鮮民族の文化的資質が優れている背景として、私は、奈良時代を象徴として古代から日本に独自で多くの文化を輸出してきた朝鮮民族の文化的な歴史上の軌跡に由来する民族性を、日本各地にある古い建造物等を重ねて意識することでたいへんリアルに感じたりしたものです。

 このようにまず当時の私が朝鮮人について知ったのは、人としての称賛に値する素晴らしい存在として認識したのです。

 さらに、私の居住地域社会において世帯単位で構成されている組合の常会の順番が私の家にまわってくるたびに、私の父親は映写機を購入して、朝鮮の美しい風景を地域の日本人に見せるという上映会になることも珍しくありませんでした。

私の家に常会で集まった日本人の近所の大人たちは、「大谷さん(当時の私の家の通称姓)朝鮮ていうのは本当に美しい国やのー」と喜んでいましたし、そこから深夜にわたる宴会に発展していったことも少なくありませんでした。

 ときおり私の父は、息子である私たち兄弟を前にして「日本人を信用するな」と言うことがありましたが、私たち息子を前にした父親のそんな言葉とは裏腹に、むしろ私の両親は隣近所の日本人たちとたいへん仲のよい近所づきあいがありました。

 そんな両親から私は「おまえは朝鮮人なんだよ」と聞かされてはきましたが、両親から朝鮮人は日本人から差別されて当然の対象にあるなどということを聞かされたことは一度たりともありませんでした。私の父は強制連行で日本に渡日した経緯があり、戦前の両親の生活の苦労談などもときおり聞いたことはありますが、その種の苦労談において、日本人を恨んでいるという両親の姿勢を私には発見することができませんでした。

 そのような家庭環境とあわせて、積極的に私が学んだ現近代史から、在日朝鮮人の存在は、道徳的な生き方を生真面目なほどに志向し、文化というものをたいへん尊重する民族でもあるという認識でありました。 

 最近の日本社会においては、在日朝鮮人の存在について戦争問題を始め差別や人権問題、あるいは日本の国益の有無といった観点からしか語られていない傾向が顕著ですが、そのような「社会問題」を抜きにして語られるバイタリティーに満ちた生身で等身大の人間像としての在日朝鮮人像がきわめて少ないことに、私の内心では現在に至るまで異和感がありました。

 なぜなら、私の自覚している民族意識とは、さしずめ在日朝鮮人が歩んできた現近代史を通し、そこに祖母や両親の生き方を重ねて、在日朝鮮人総体の「生き方」に対する愛着といった意識です。こういった意識は必ずしもすぐさま種々の「社会問題」と直結して醸成される意識ではありません。またこの種の愛着が特異な意識とは私には思えません。

 世界のどの民族にでも共通して、自己の民族性を好ましいものとして愛着をもつことは自然であり普遍的なことではないでしょうか。

 ただ抗告に及んで、私は以上に述べてきた私の民族意識というものが、原審をまえにして考えると、私が述べたままご理解されるとは到底思えない不安があるのです。そこで私が不安に思うことを以下に順次述べることで等身大の私の民族意識というものについてのご理解を願う次第です。

 日本人社会における在日朝鮮人像の認識について

 何度も繰り返すようで恐縮ですが、そもそも私がどのような質の民族意識を有しているかということについては、親権を私から剥脱するような判断とさほど関係がないのではないかと私には思われます。

 しかし現実に親権の変更を判断した原審からは、私の自覚している民族意識とは異なる認識が引用されている部分があります。自己の民族に愛着があるという私の民族意識というものについては、先述した以上でも以下でもありませんが、すでにそこでも述べたように、いわゆる「社会問題」を抜きにして理解される生身で等身大の人間像としての在日朝鮮人像がきわめて少ないことに、従来から私には異和感がありました。

 この私が感じてきた異和感とは、差別や人権問題などといったいわゆる「社会問題」の中で登場して語られ理解されることの多い在日朝鮮人像が、在日朝鮮人の日常的な姿と同一に重ならないという異和感です。つまり、種々の「社会問題」を念頭に置いた視点からの在日朝鮮人像は、必然的に在日朝鮮人にとっての問題部分に焦点を絞った視点になりがちです。これらはそもそも最初から問題視の観点のみから在日朝鮮人を視るということになるので、当然のことながら在日朝鮮人にとってのデメリットの実態を正確に理解しようという観点であると思われます。

 したがって、「社会問題」から視た在日朝鮮人像は、あくまで「社会問題」の範疇に限定されるのであって、こういった観点からの人間像は必然的に日常生活を営んでいる生身で等身大の人間像としての在日朝鮮人像では決してありません。

 なぜなら問題視の観点からは、在日朝鮮人をさしずめ社会的な視点から、長短なら「短」の部分、光と影なら「影」の部分、メンタリティーである喜怒哀楽なら「怒」と「哀」の部分、貧富においては「貧」の部分・・・などといった具合に「社会問題」の範疇においては選別されていくからです。

 私は、よりよい社会をめざすために様々な問題を解決していくという動機からであれば、こういった問題視の観点は必要であるし尊いとさえ考えています。しかし、こういった問題視の観点が、在日朝鮮人の実存的な人間像として一般に認識されるとしたら、現実の人間像から乖離してしまいますからとんでもないこと

だと思います。

 私が、従来から日本人社会で語られ理解されがちな在日朝鮮人像に異和感があったのは、現実とはかけ離れている人間像に対してです。ですから、たとえば私は個人的に種々の「社会問題」の範疇の中において、デメリットに相対されて使用されることが多い「民族の誇り」などという表現については好きになれません。なぜなら、民族の誇りというものは本来、デメリットとは何の関係もない独立した概念であると私は考えているからです。それはちょうど別々の性質である長短や光影を同時に混在させて捉えられているような奇妙なものに私には映るからです。

 確かに在日朝鮮人は、事実として様々な「社会問題」にさらされて生きてきました。その結果として「病んでいる」在日朝鮮人がいることも事実です。しかしかといって、在日朝鮮人が一様に「病んでいる」などという印象で理解されたとしたら当事者としてはたまったものではありません。それもまた偏見以外の何物でもないと思います。むしろ現実では、バイタリティーに満ちた陽気な在日朝鮮人のほうが圧倒的に多いのです。

 抗告に及んで私は、ぜひとも生身で等身大の人間像としての観点から、私の民族意識というものをご理解していただきたく願うのです。たとえ「社会問題」を通しての認識や印象が、日本人社会を圧倒的に占めているとしても、日常生活の場では事実としてむしろそういった「社会問題」をのり越えたところで、人としての喜怒哀楽をもち陽気で逞しい在日朝鮮人がいるのですから。

 ですから私は抗告に及んでは、私の民族意識のご理解を願うのに際して、日本人社会における在日朝鮮人像の認識についての趨勢から、在日朝鮮人の長短なら「長」の部分、光と影なら「光」の部分、メンタリティーである喜怒哀楽なら「喜」と「楽」の部分、貧富においては「富」の部分・・・などといった具合に選別して述べたい衝動にも駆られます。

 しかし、それは本件において私が願う等身大の民族意識の理解という点からは無関係であると考えます。なぜなら親子関係が寸断されるか否かという致命的な意味をもつ本件に及んで、私がご理解を願う私の民族意識とは、あくまで生身で等身大である私自身の人としての民族意識だからです。

 在日朝鮮人である私の日本観について

 そもそも在日朝鮮人である私が、どのような日本観をもっているのかということは、親子関係存続の可否の判断に、本来であるならば関係ないのではないかと私は考えます。しかし単国籍化が問題とされた原審では、私の民族意識の憶測から、私の日本観まで類推されていることがうかがえます。

 そこで私は、私の日本観を自ら明らかにしておく必要を感じるのです。それは私自身が今日まで生きてきた上での総合的な日本観といった本件には明らかに関係がないことまで述べようとは思いません。原審においては、私の民族意識と合わせて私の日本観が一方的に類推されているという印象がどうしても払拭できないのです。

 必要性を感じる点は在日朝鮮人である私の日本観におけるポイントとして、社会的に従来から「近くて遠い隣国」と言われてきた関係が示唆する部分についてであると思われます。残念なことに日本と朝鮮(ここでは韓国と共和国の総称的概念で「朝鮮」を使用しています。)は、東西冷戦が終結した現在でも両国の世論において今だにたびたび反目することのあるさしずめ「影」というか「闇」の部分の歴史的関係があります。そういった暗部の歴史的関係は、当然のことながら日本に世代を重ねて定住している個々の在日朝鮮人の暮らしに、事実として様々な影響をもたらしてきたと思います。そういった関係が私自身にもたらした影響の結果、私自身がどのような日本観をもっているのかということを明らかにする必要を感じる次第です。

 端的にいうならば、義務(納税義務)は課せられるが権利(参政権)はないといった現状から植民地支配までの現近代史をみると、在日朝鮮人は日本国家からかつては「皇国臣民」として服従を強制され、現代では「合理的差異」という口実のもとに、不当な扱いを受けてきた事実は否めないと思います。

 このような歴史的事実を知る人々において、「これほどひどい扱いをされてきたのだから、日本を恨んで当然にちがいない、在日朝鮮人の心の奥底には日本人を決して許そうとしない恨みに満ちているにちがいない」などといった憶測から、在日朝鮮人の民族意識や日本観を容易に過激な反日主義だと想像するのです。そのような妄想を持つ人々にとっては、在日朝鮮人の存在は触れたくもないつまらない存在として認識していることでしょう。けれども私がわが子を単国籍化した動機は決してそのような認識によるものではありません。

 ところで英語では「国」に該当する言葉として少なくとも4つの表現があるといわれています。land,country,nation,stateの4つです。これを引用して以下に述べます。

 まず私は日本で生まれ育ってきましたので、自己の故郷を示す「land」や「country」に対して人並みの愛着を持っているつもりです。そこで次に前述したような憶測の対象となる「nation」や「state」が意味する国家機構すなわち日本国家に対して在日朝鮮人としてどのような認識があるのかという点を述べます。

 ヨ−ロッパ社会では、ユダヤ人に対するナチスの残虐な行為に対する反省から、人権意識が成熟しました。ヨ−ロッパにおけるユダヤ人の存在は人権意識の確立に重要な役割を果たしてきたのです。

 そのように私は、在日朝鮮人の存在も日本を始めとする母国を含むアジアにおいて、ヨ−ロッパにおけるユダヤ人のような役割を果たせる可能性があると考えています。なぜなら在日朝鮮人は、苦難の歴史を通して人間の尊厳の大切さを痛感してきたからです。人間を抑圧する「痛み」を容易に理解できる存在であるからです。

 恨みということしか認識しない人々に対して時に私は広島の原爆投下を引用して述べることがあります。それは原爆が投下された苦しみを有する人々にとって、その恨みから「今度はアメリカに原爆を投下してもいいのだ」などと考える人は皆無であると思います。通常は二度とそのような苦しみがもたらされない平和を願うはずです。「痛み」を知る人間は、「痛み」を知るからこそそれを他者に要求などしないはずです。むしろ新たに他者の「痛み」を理解し解決しようと考えるのではないでしょうか。

 在日朝鮮人の存在も例外ではないのです。私は在日朝鮮人として微力ながらもこの日本社会をよりよくするために積極的に貢献していきたいと考えています。

 換言すると私の日本観はアジア観に等しいものです。現在の福祉関係の仕事も微力ながらその一環として、私にとっては生きがいを感じています。これが私の日本観における認識です。このように私には恨みに満ちた反日的な思想など毛頭ないということをご理解願う次第です。

 さらに付言するならば、在日朝鮮人は日本政府に様々な差別撤廃の声をあげてきました。もしそれが反日的な動機から復讐のための過激な抗議だと認識されるとしたら、それはあまりにも人間の尊厳を欠落させた悲しむべき貧困な観点としか言いようがありません。少なくとも次世代の21世紀では、アジアにおいて真の共生社会が実現することを切実に願うばかりです。

十八 結 語

 人類は多種多様の星の下に生まれてきます。子どもは親や環境を選んで生まれてくるわけではありません。子ども自身はこれからどこへ行って何になろうがそれは子ども自身の人生において自由であると私は思います。私は親としてわが子にはたくましく自由な生き方をしてほしいと願っています。私は子どもの人生に親として介入するようなことはしたくないと思っています。それは私自身もこれまで親に干渉されるようなことにはその都度反発したものです。三人兄弟のなかで私はとりわけ親不幸者であったと思います。

 けれども人の親となった私は、私の両親がそうしてきたように、子どもが成人するまでは、親として子どもが不幸になることを放置するわけにはいかないのです。そのことに最善をつくすことは親の義務と責任であり、また生きがいと喜びでもあります。

 貴裁判官におかれましては、何が子どもにとって本当の福祉であるのか、幸せであるのかということのご判断を切実に願うばかりです。

以 上


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