平成8年(ラ)第66号即時抗告申立事件
抗告理由補充書
抗告人 李 在一 相手方 置野昭子
上記当事者間の頭書事件について,抗告人は即時抗告の理由を下記の通り補充する。
1997年3月13日
抗告人代理人 弁護士 伊藤誠基 同 梅山光法
名古屋高等裁判所 民事第1部御中
1 この補充書では,抗告人が,本件未成年者の親権者として,未成年者の日本国籍離脱(すなわち,朝鮮籍への国籍の単一化)という手続きをなしたことの理由,及びそうした日本国籍離脱という事柄が未成年者を中心とする本件当事者らにとって有する意義について述べる。
2 ここで,あらかじめ断っておかなければならないのは,本件のように,在日朝鮮人(ここで在日朝鮮人とは,朝鮮半島に民族的出自を持つ日本在住の韓国籍,朝鮮籍の人々を指すものとする。)と日本人との間のいわゆる「国際結婚」のケースで子どもが生まれた場合,両親のいずれが朝鮮人であれ,いつ如何なるケースでも,子の国籍を朝鮮とか韓国とかにして日本国籍は離脱すべきであるなどという考えを抗告人がもって述べているわけではない,ということである。
今日,こうした「国際結婚」で生まれた子どもは,いわゆる「ダブル」と呼ばれるべき,二重の民族性ないし生活文化を身につけ,しばしば「複眼思考のできる人格」などと表現されるような豊かな人間性を育むことができると言われている。
この点,これら「ダブル」の子どもたちが日本で生まれ育ち,将来も日本で生活してゆくことが確実である場合,そうした子どもたちは日本国籍を保持しているほうがよいという意見もあろう。
しかしながら,こうした一般論的意見の次元で考えるだけで,本件の問題について,その本質を理解し,正しい解決策を見出すことは到底できない。本件が抱える,その固有の特殊で具体的な事情を十分に考慮してはじめて,本件について何が正しい方向なのかが理解しうるということができる。
3 一般に「国際結婚」のケースで夫婦ともに,互いに相手の民族性を尊重しあい,両者の民族性を子どもに受け継がせよう,「ダブル」の子どもとして育てようと共に共鳴し,協力して仲良く家庭生活を営むのであれば,何ら問題など生じない。
そうした家庭環境を築いてこそ,先に述べた「複眼思考のできる人格」に子どもを育てることのできる,すばらしい「国際的な家族」となる。こうした場合,子どもの国籍を日本とし,さらには,外国人であった夫婦の一方さえも日本国籍を取得し,家族全員が日本国籍者となったとしても何ら差し支えないと言えよう。かつて外国人であった夫婦のどちらか一方の民族性や民族文化を尊重し,日本文化に比べて卑下したり,ないがしろにしたりすることなく,家庭内で平等に,大切に受け継がれてゆくなら,たとえ家族の国籍がみな日本国籍であっても,やはり依然として「国際的な家族」なのである。
ここで肝心なことは,日本以外の他民族の民族性を十分尊重するという人としての普遍的原理を承認するということである。夫婦ともにそうした価値観を共有し,協力しあって,子どもの教育にその価値観を反映させうるならば,何ら問題はない。
ところが,本件固有の特殊事情であり,最も重大な問題は,相手方,つまり未成年者の監護者たる母親とその親族らが,極端な朝鮮人差別,朝鮮民族蔑視の意識を保持し,しかもこれを当の未成年者に注入し続けてきたことである。このことが,本件を上記の一般論的な考え方とは異なる,別の解決策を求めさせる要因 となっているのである。
1 一で述べた本件の前提を踏まえて,抗告人が未成年者の日本国籍離脱の手続きをなした理由をみてみると,それは単純な一つの理由からというのでなく,複合的で多面的な理由があった。
これを整理すると次の三点に集約することができる。
2 未成年者の福祉という観点に立った教育上の必要性 ―「アイデンティティーの危機」を避けさせ,差別にも負けないよう教育すること。
(1) 相手方との離婚調停の結果,未成年者は成人に達するまで,監護者たる相手方の元で監護・養育されるということになった。
しかし,離婚調停に至る過程での相手方の対応,離婚調停後の相手方の態度,未成年者の教育についての抗告人による相手方への協議の申し入れに対する相手方の一貫した無視と拒絶の姿勢など抗告理由書で具体的に指摘し,かつ抗告人の各陳述書で述べた諸事情から判断して,抗告人は,相手方の考え方が離婚以前といささかも変わっていない次のようなものであるということを確信した。
つまり,相手方は,未成年者の親は自分一人だけであり,未成年者は朝鮮人とは一切関わりのない「純粋な日本人」であり,そのような日本人としてのみ監護・教育しようとしているということである。
未成年者は,近い将来,とくに思春期以降,青年期頃までに,自分の父親が朝鮮人であるという自身のルーツについての一般的な社会的意味や,まだまだ少なからぬ日本人が抱く朝鮮人への誤った偏見の存在を確実に理解することになる。それは相手方やその親族らが覆い隠そうとしても,未成年者が通常の社会生活を送る以上,確実に起こりうると予想できる事柄である。
そうした事態に至ったとき,現在まで相手方が行ってきたような家庭内教育,つまり,日本という国だけを殊更美化して,未成年者が「純粋な日本人」であるという意識を執拗に持たせようとし,あたかも未成年者にとって日本人同士の置野家は「味方」であり,朝鮮人の李在一の家は「敵」であるかのごとき偏狭な考えを吹き込むような教育をほどこし続けているならば,未成年者が思春期以降の発達期に,自分はどのようなルーツを持つ人間であり,どういう価値観や考え方を持つべきかを自問自答したとき,未成年者はきわめて高い可能性で,自己のアイデンティティーの危機,あるいは,精神的自己矛盾に陥るという強い懸念がある。
なぜなら,自分の母親やその親族は,朝鮮人を毛嫌いし,蔑視し,一切関わるなというような人々であり,他方自分の父親はその当の朝鮮人なのであり,この事実は否定できない現実であるから,その二人の親の間に生まれた自分は一体どういう立場を取ればよいのか,確実にかつ深刻に悩むことが容易に予想されるからである。
ちなみに,相手方は,未成年者自身に「り というなまえがいやです。おきの にかえてください」などと書かせた陳述書を提出している。しかし,こういうこと自体が,問題の本質をはき違えた困った姿勢なのである。
相手方は,それが子どもの「意思」であると主張し,子どもであってもその意思を尊重することが子どもの福祉に資すると主張しているが,抗告理由書においても述べたとおり,氏名はその人の「アイデンティティー」を示す重要な指標であるところ,「李」という朝鮮の民族名の持つ社会的な意味と,未成年者が 「李」と「置野」という二つの姓に関わる存在であるということの意味は,未成年者にとっては,これからその意味を知り,理解してゆくべきことである。
従って,抗告人が子の氏の変更と日本国籍離脱による朝鮮籍への単一国籍化を為したのも,未成年者が,将来,自身のルーツについてはっきりと自覚するような時期になったときに,先に述べたようなアイデンティティーの危機に一挙に陥ることがないようにし,未成年者が小学生くらいのうちから,自分の日々暮らす家庭で教えられなくとも,徐々に自分自身の朝鮮人としての人格の一部を自覚できるようにするためであった。
(2) ところで,このように未成年者自身の自覚を徐々に促すような教育環境に置くためには,日本国籍離脱云々よりも,何よりも必要なことは民族名を名乗らせるということである。
今日,特に在日朝鮮人の子どもらが本名,つまり,民族名を名乗り,将来社会人になっても,民族名を名乗って堂々と日本社会で生活するようになることがきわめて望ましいこととして,日本の学校教育においても徐々に奨励されるようになってきた。
少なからぬ自治体の教育委員会が「在日外国人教育基本指針」といったようなガイドラインを策定し,在日朝鮮人を中心とした外国人生徒やその保護者らに本名を名乗って通学するよう勧めるまでになってきた。その方がこれら在日朝鮮人の子どもらの人格形成においても,また,日本人の子どもらの国際感覚,人権感覚の育成にも有益であるということが強く叫ばれるようになってきている。今日,「国際化」ということばがさけばれているが,それは対外的なことだけでなく,日本社会の中の「足元の国際化」においても必要なことであり,上記の学校教育における動きは,真の「国際化」の流れに沿ったものと評価できるものである。
また,在日朝鮮人の生徒・学生らが学校教育を終え,社会人として就職するにさいして,今日では,公立学校の教員やかなりの職種の公務員などに就任できるようになりつつあること,あるいは,かなり多くの一般民間企業が就職差別をせず,採用の門戸を開放するようになってきたことなど,日本社会全体が在日朝鮮人に対する差別的制度を徐々に取り除くよう変化してきている。
抗告人は,自らの少年期頃の時代に比べてかなり変化しつつある,こうした日本社会の趨勢を踏まえつつも,他方で,未成年者の特殊な出生の事情と未成年者が養育される特異な家庭環境という条件を考慮すると,何としても未成年者は朝鮮の民族名を名乗らせ自己のルーツを卑下することなどないよう成長させる必要があると考えた。それは,今日の日本社会での朝鮮人差別の風潮や制度の弱まりということから判断して,むしろ,民族名を名乗らせることによって経験するかもしれない「不利益」や「緊張感」といったことよりも,自己のルーツを卑下し,隠して成長することの方が精神的に大きな弊害をもたらしうると考えたからである。
未成年者に民族名を名乗らせる必要性を考慮しつつ,抗告人は,そのための準備として,すでに離婚裁判が開始された初期の頃から,未成年者の父親である自分自身が民族名のみを使用して生活するようにしてきた。これは,社会人である抗告人が今更ながら日常の氏名を何らかの都合で変えたというようなことではなく,何よりも,いずれ離婚裁判が決着して未成年者にはじめて対面したときに民族名で父親であることを未成年者に告げるためであった。
離婚調停成立後,抗告人は,直ちに未成年者の氏の変更の申し立てを行ったが,その申し立ては,本件原審を担当した同じ裁判官によって調査命令に付され,変更が認められなかった。抗告人は,未成年者に民族名を名乗らせるという最優先の課題,しかも小学校入学時からそれが確実となるよう,そしてそのころには未成年者自身がその民族名に慣れ親しんでいるよう,少しでも早く民族名を名乗らせるという課題を達成する必要を痛感した。
その必要性は,離婚調停後の監護者である相手方の姿勢,及び未成年者に対する監護・養育の歪んだありかたを確認するに及んで,一層強く,かつ現実的なこととして感じられるようになった。
そのために抗告人は,未成年者の氏の変更が実現する可能性が強いと思われた未成年者の日本国籍離脱という手続きへと進んだのである。その際,先にふれたように日本社会での在日朝鮮人を取り巻く環境の変化という趨勢も考慮に入れて,一旦日本国籍を放棄させてさえ民族名を名乗らせるようにする方が,長い目で見て,未成年者にとって有益であると判断したものである。
この点,抗告人は,仮に未成年者が成人してから自ら日本国籍を再取得しようと考えた場合,それが比較的容易であるということを法務局担当官の説明で確認したという事実がある。
3 抗告人と未成年者の父子関係を明確にし,父親たる抗告人の価値観をも伝達,継承できるようにすること
(1) 抗告理由書および抗告人の各陳述書で既に述べたように,抗告人は,相手方が未成年者を出産したのち未成年者が生後五カ月くらいになってようやく相手方および未成年者と三人で同居するようになったが,それもわずか二カ月ほどの期間に過ぎなかった。
それ以外の期間のすべてにわたって,相手方の実家を訪ねても相手方の母親らに門前払いされて相手方や未成年者に面会することを拒絶されたり,実家にいるはずの相手方に電話をかけても取り次いでもらえず連絡が取れなかったりと,とにかく,抗告人が未成年者に会うことを一切拒絶され,隔離されてきたのである。
相手方が未成年者を連れて同居していたアパートから家出したのち,やがて離婚裁判が始められ,それが終結してようやく抗告人が未成年者に会うことができるようになるまでの三年以上もの期間の間,抗告人が未成年者に面接したいと如何に日々強く願い続けていたかは,ここで述べるまでもなく容易に想像できることであろう。
抗告人は,こうして,ほぼ未成年者の出生時から,離婚調停が成立するまでの間,未成年者の正真正銘の父親でありながら,相手方やその親族らの拒絶により,父親としての存在を名実共に否定され続けるという理不尽な立場に追いやられてきたのである。
抗告人は,相手方との結婚に際し,結婚が円満にできることの条件として,当時の相手方の望みに沿って相手方の両親と養子縁組することを承諾したのであったが,抗告人のこうした「人の良さ」,あるいは,相手方の立場を理解し,出来る限りのことをしてやろうというような思いやりの気持ちがかえって相手方やその親族らの無分別,無遠慮な朝鮮人差別の姿勢を助長させてしまったのは残念である。相手方やその家族,特に母親の抗告人に対する非協力,無視,拒絶の姿勢は全く遺憾という外ない。
こうした状況を乗り越え,抗告人は調停離婚の結果,親権者となることができた。抗告人にとっては,そこに至ってはじめて本当の父親らしい立場を確保することができるようになったわけである。それまで,抗告人と未成年者の関係は,ほぼ「ゼロ」の関係であったわけだが,親権者となったからには,抗告人が社会的,制度的にも未成年者との間の父子関係を明確にし,公的機関などへの父子関係の届け出,登録なども明確にすることが親権者の義務であり,責任であると考えたのである。
(2) 抗告人は,陳述書でも自身の生い立ちなどを交えて書き述べているように,抗告人の両親は,当時の在日朝鮮人の置かれた生活条件などからやむなく抗告人に大谷章雄という日本名を名乗らせ,そのまま成人に達するまで養育してきた。それにもかかわらず,主に抗告人の両親をはじめ親族らを通じて徐々にほどこされてきた家庭内でのごく自然な民族教育の結果,抗告人は,成長するにつれ,自身が朝鮮人であることを自然で当たり前のこととして受けとめ,むしろ朝鮮人として生まれてきたことを誇らしいとさえ思うような民族意識を育んできたのである。
そして,そこにいう誇りの対象となる「民族意識」とは,マスコミを通じて歪曲され,ステレオタイプ化された「民族意識」とは異なる,自生的な民族意識であり,人間の尊厳を下支えするごく自然な民族的愛着と誇りである。
こうした抗告人の自生的な民族意識は,多くの在日朝鮮人の人々がそうであるように,何か特別な機会でもなければ,周りの日本人の友人や知人などにあえて言葉にして発するような性質のものではない内面の価値観や精神であり,抗告人としても学生時代から特に理由もなく自ら表明するようなことはあまりなかったが,青年期の初期から今日に至るまで一貫して保持している民族意識なのである。
この点は,抗告人の人間性,価値観,行動の動機などを第三者が客観的に理解するうえで重要な要点であるため,抗告人による貴裁判所への陳述書の当該部分についてはじっくりと精読されたいところである。
そこでは,抗告人は自身の朝鮮人であるというルーツを何ら卑下したり,隠したり,情けなく感じたりするようなことなく,むしろ誇らしく有り難いこととさえ考えるような精神を持っていることが窺える。そして,抗告人自身,そうした民族的尊厳をもとめる内発的な感情に裏づけられた健全な考え方,価値観を持っていたからこそ,少年期以来,今日に至るまで,自信と誇りを持って様々な仕事や活動に取り組む心の強さを保ち続けてくることができたと考えているのである。
以上のような家庭内で自然と伝達される自生的な民族意識があれば,たとえ民族差別にあおうとも,自尊心に決定的な打撃を受けずにすむということが,各種の実態調査等にも明らかにされている。これを逆説すれば,家庭内でそうした自生的な民族意識を育まれていなければ,わずかな民族差別によっても人間としての尊厳を保つことが困難になるということである。
本件では,まさにこの自生的な民族意識の未成年者への伝達,享有こそが,同人の人格的生存にとって必要不可欠なものとなっていることに思いを馳せるべきである。
(3) かような観点に立って未成年者をみる抗告人にとって,同人がこれまでの生涯の中で味わった,理不尽で理解しがたいような唯一の被差別体験は,まさに,相手方との結婚を通じての相手方やその親族との人間関係においてだけであった。 そのため,抗告人は,こんな時代錯誤で偏見に満ちた家庭環境で育てられれば,自分の息子である未成年者が抗告人自身のような活力ある人間には決して育つはずがないと,大いに懸念するに至ったわけである。
そして,抗告人としては,自らがこうした価値観を保持しているのであるから,今や未成年者の親権者となったのを機会に,父子関係を明確に公証できる形の手続きを追求すると同時に,将来,未成年者にも自らと同じような価値観や人生観を育んでもらうよう,抗告人と同じ朝鮮籍の在日朝鮮人という立場を受け継いで欲しいという考えも一部にはあった。
抗告人のこのような考え方と行動は,父親であり,親権者である人間にとっては,どの国の如何なる立場の人間であれ,当然で自然な希望であり,何ら特異なこととみなされる理由などない。 ところで,本補充書の冒頭で述べたように,こうした考えと同時に,未成年者は「ダブル」の子ども,すなわち,朝鮮人の子どもであると同時に日本人の子どもでもあるのだから,父親の朝鮮人としての価値観を受け継ぐと同時に,当然,母親の日本人としての価値観をも受け継ぐべきであるとの考えも,抗告人にはあった。
従って,抗告人は結婚生活が破綻した当初の時期から未成年者の日本国籍離脱について考慮していたわけではない。抗告人がその点を考慮し始めるようになったのは,離婚調停が大詰めを迎え,裁判官から親権者と監護者を分離し,それぞれ父親,母親とするという勧告案が出され,抗告人の当時の訴訟代理人らとの協議の結果,もはや未成年者を引き取るということは到底かなわないことだと確信するようになってからのことである。
未成年者は,成人に達するまで監護者のもとで養育されるであろうことはほぼ確実であり,親権者には定期的な面接交渉を通じてのみの教育の機会があるだけということになる。しかも,監護者側の家庭環境からして,そこでは未成年者をただ日本人としてのみ教育しようとするであろうことは確実と考えられた。さらに監護者自身については,抗告人による未成年者への民族教育を妨害こそすれ協力するような見込みもまったくあり得なかった。
それならば,親権者としては,父子関係を明確に登録させ,氏の変更をなし,国籍を朝鮮籍のみとしつつ,面接交渉を通じての抗告人自身による伝授・教育と,日本の学校教育において在日外国人生徒に対してなされる学校側の配慮とを通じて,未成年者に朝鮮人としての側面の教育をほどこそうと考えるようになったものである(いわゆる二重国籍の子どもを「ダブル」の子どもとして扱うような教育的配慮は,東京都下などで一部事例が見られるようになったとはいえ,三重県下の学校教育においては今日まだ何ら考慮されておらず,そうした子どもは日本人の子どもとしてのみ扱われている。)。
(4) ところで,抗告人が未成年者の日本国籍離脱をなしたことについて,未成年者が将来,差別的な扱いを受けたり,朝鮮籍であるということで不利を被ったりするのではないか,それは未成年者の福祉に決して資する行為ではない,というような考え方がある。おそらく,明示的に述べてはいないものの,本件の原審判の判断には多分にそうした見方が作用していると言えようことは既に抗告理由書で指摘したとおりである。
こうした考え方には,明らかに,日本国籍を持っている者がそこから離脱して朝鮮籍になるのは不合理であり,ここ日本社会においては,日本国籍が朝鮮籍に比べ格段に有利で価値のある立場である,といったような判断があるように思われる。
しかしながら,抗告人としては先にも述べたように,朝鮮籍が日本国籍に比べて決して不利で価値の低い立場だなどとは毛頭考えていない。むしろ,本件のケースに限って言えば,教育上の観点,人格形成上の観点など,目先の有利・不利でない幅広い利点を考慮するならば,日本国籍に比べ何ら遜色のない,むしろ未成年者にとって好ましい立場でさえあると考えているのである。
しかも,今日,在日朝鮮人の地位と立場はますます改善されてきており,少なからぬ分野において日本人とまったく同等になりつつあるというのが実際の情勢である。
また,そのように,在日のマイノリティー集団などの人権と法的地位をますます向上させていくことは,今後,日本が国際社会の中でこれまで以上のリーダーシップを担うような国に発展して行くという国益にとっても必要なことであると叫ばれるようになってきている。
こうした幅広い視野と価値観を背景に考えるとき,原審判の判断はきわめて浅薄,稚拙であると言わねばならない。
4 相手方及びその親族らの朝鮮人蔑視の意識を払拭してもらいたいこと
(1) 抗告人が未成年者の日本国籍離脱をなした理由の最後のものは,相手方及びその親族らが,抗告人やその家族に対して向けてきたような異常なまでの差別意識,蔑視感情を捨て去り,その意識や考え方を改めて欲しいという,抗告人の密かな願望であった。
この点は,未成年者の日本国籍離脱によって間違いなくそうした効果がもたらされうるなどという,抗告人としての確かな予測があったわけでもなく,理由の一部と言えるほどのものとは言えないかもしれない。しかし,抗告人としては,間違いなくそうした願望をも有していたことは述べておく。
抗告人のこの願望は,仮に親権や監護権がどちらに帰属しようとも,一人の子どもである未成年者をめぐる本件の紛争が法律上いかなる決着をみようとも,何ら変わるものではない。これは,既に離婚裁判のときから抗告人が持ち続けていたものであった。それ故に,本件の問題の真の意味での解決は,未成年者の教育についての双方の意向と価値観とを相互に尊重しあい,相手の立場を相互に認め合うことしかあり得ないわけであろう。
(2) そうした場合に最大の障害となるのは,それこそまさに抗告人と相手方とが離婚するに至った原因でもあったわけだが,相手方とその親族らの朝鮮人蔑視の意識そのものに尽きるのである。
それに対して,抗告人としては,陳述書でも述べられているように,何ら日本人に対する極端で偏ぱな認識や意識など持ち合わせていない。抗告人は,朝鮮民族の人々や朝鮮半島という地域に自身のルーツとしての愛着や誇りを保持しているのと同時に,日本にも自身が生まれ育ってこれからも生活して行く社会として,やはり似たような愛着や好感を持っている存在なのである。
未成年者も結局,そうした存在として成長してゆく以外,健全な人間性を育み,しっかりとしたアイデンティティーを築くことはできない。
しかし,相手方は,かたくなにそうした観点を理解しようとはしてこなかったのである。自らの最愛の息子は,また,自らの最愛の孫は,日本人であると同時に朝鮮人でもあるのだと,抗告人は言いたいのである。自分の子,自分の孫の一面を差別したり,嫌悪したりするようなことは,人として最大の不幸ではないのか。その点に早く気づいて欲しいというのが,抗告人の考えの一部である。
そうした願望も込めて,抗告人は未成年者の日本国籍離脱をなしたものである。
以上に関連して,相手方の1997年(平成9年)2月17日付準備書面について,その一部についてのみ,特に反論しておきたい。
同準備書面の「三 民族差別的言動についての反論」の項の末尾において,「尚,抗告人は,結婚生活中,子どもに無関心であった。聖徳を抱いたこともほとんどない。」と述べているが,真実はまったく異なっている。
その点は,抗告人による御庁への1996年7月3日付けの陳述書(1)のうち,「二 同居の子どもを連れて置野が蒸発するまで(1988年3月〜1989年1月)」の1の項にも書かれているが,ここで改めて指摘しておく。
抗告人が1989年1月当時,子どもを連れて蒸発した相手方の行方を探す手がかりがないものかと自宅内を探していて偶然見つけた,当時の相手方による投函前の直筆の手紙には次のように書かれている。
「・・・新町にいる間,彼と接触することはできず,毎日,ママは彼の悪口を言い,パパは愚痴をこぼす・・・この7カ月間で私の中での「大谷章雄像」が,かなりゆがんでしまっていたのです。あれ程憎んでいた「大谷章雄」はどこに行ったのだろうと,彼を見て思います。仕事に対する考えだってパパが言う程問題を感じないのです。家の中のことも適当に動いてくれるし,聖徳もベロベロに可愛がっています。私に対しても,ものすごく気を使っています。・・・」(なお,この手紙にいう「パパ」とは相手方の実父のことを指す)
この手紙については,津地方裁判所における離婚裁判において一証拠資料として提出されたものであるが,本抗告審においても,「資料1,乙第7号証二の(一二)の11行目,添付資料2」として,提出されている。
この手紙の文面からも明らかなように,抗告人は,子どもに無関心で,抱いたこともほとんどない,といったような性質の人物では毛頭なかったのである。
事実に反すること甚だしい主張であると言わねばならない。
インデックスに戻る