平成8年(ラ)第66号即時抗告申立事件

抗告理由書

抗告人  李 在一

相手方  置野昭子

上記当事者間の頭書事件について、即時抗告の理由は下記のとおりである。

1996年4月22日

抗告人代理人

弁護士 伊藤誠基

弁護士 梅山光法

名古屋高等裁判所

  民事第1部 御 中
 

一 原審判の内容

1 原審判は、未成年者の親権者を抗告人から相手方に変更し、併せて抗告人による監護者の変更の申立を却下している。

2 しかしながら、原審判が上記主文に至った理由をみるに、まず、本件について適用されるべき準拠法の判断における前提事実に誤認があるばかりでなく、法的解釈にも誤りが存する。

 また、親権者及び監護者の変更の当否の判断においても、そこで認定した事実に誤認があるばかりか、それをふまえた法的評価においても、本件が、朝鮮人の父親たる抗告人と日本人の母親たる相手方との間に生まれたいわゆる「混血者」である未成年者にとって、同人が朝鮮人に対する過去の歴史的現実及び現在の実態のみならず、自己の身近な生活環境においても、根強い差別構造、意識を抱える日本社会ないし生活環境の中で生きる上で、同人の真の幸福ないし福祉とは何かが問われているにもかかわらず、これを全く正解しない論旨となっている。

 従って、原審判は速やかに取り消され、真実と適正な法的評価に立った裁判が下されるべきである。

3 そこで、以下では、原審判のもつ上記各問題点を項をわけて順次指摘することにする。

二 原審判における本件の準拠法の判断について

1 原審判は、本件に適用されるべき準拠法の判断をなすにつき、審判書理由の「二 当裁判所の判断」の「2 準拠法について」(一)で、前提とする事実認定ないし法解釈を(1)ないし(6)のとおりしている。

 しかしながら、右各事実認定ないし法解釈には到底看過できない事実誤認ないし解釈の誤りが次のとおり存する。

2 まず、(1) については、抗告人は、出生以来、外国人登録上の国籍欄の記載が朝鮮となっており、大韓民国(以下、韓国という)慶尚北道以下の地名は、同人の戸籍上の本籍地がそこになっているにすぎず、これを原審判が生活上の本拠等でいう住所又は居所として理解しているのであれば、明確な誤りである。

 この点、審判書は併せて(5) において、抗告人が父親の死亡1年前に韓国に同道した旨認定しているが、同人はこれまで渡韓したことは一切ない。しかも、同人は韓国の親族の具体的な存在をも知らないのである。従って、抗告人にとって、韓国との「密接な繋がり」を示す関係は何らないのが真実の実情である。

 一方、審判書は(4)において、抗告人が韓国あるいは朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国という)のいずれに帰属する意思であるか鮮明にしない旨認定している。

 これに関し、抗告人は本件の調停の期日において、韓国又は共和国のいずれの国籍であるかを尋ねられている。これに対し、抗告人は、所持していた外国人登録証、免許証等を示しつつ、そこに記載されている「朝鮮」に間違いない旨答えている。

 抗告人としては、自己の生来の国籍が「朝鮮」であると述べたものであり、これは既に故人となっている父親が統一朝鮮を願っていた気持ちに息子としても共鳴できることによるものである。その席では、外国人登録証等の国籍欄に記載どおりの「朝鮮」籍に愛着も感じていることをも述べている。

 ところで、戦前における日本の朝鮮半島に対する植民地支配に連動した強制的な「在日朝鮮人」の形成史をふまえ、日本敗戦後においても「在日朝鮮人」の「帰属」については彼らの自由な意思に基づかない変遷を辿らさせられたのである。

 1947年5月に外国人登録令が施行されたとき、「在日朝鮮人」は日本国籍を保有しているとされていた。そこで、同令11条で「朝鮮人はこの勅令の適用については外国人とみなす」という規定がおかれた。そして、登録事項の1つである国籍の欄には、日本国民であるから「日本」とすべきところを、朝鮮人については出身地域名を書かせるということで一律に「朝鮮」と記載された。これが、外国人登録上の国籍欄の「朝鮮」記載の淵源である。

 その後、1948年になって朝鮮半島の南北に分断政府が樹立されるが、日本政府は1950年の外国人登録切替時を契機に、国籍欄の記載を「朝鮮」から「韓国」に書き換えるよう指導し、1951年からは韓国政府発行の国籍証明文書を添付して申請したときに限り、「朝鮮」から「韓国」への書換えを認め、他方で「韓国」から「朝鮮」への再書換えは認められないという実務方針を固定し、これが現在に至るまで基本的に踏襲されている。ここに、外国人登録上の国籍欄の「韓国」の淵源がある。

 以上のような「在日朝鮮人」の「帰属」に関する日本政府の政策をみたとき、「在日朝鮮人」の1人である抗告人に「国籍の帰属」の「鮮明」を求めるのは本来筋違いといわざるを得ない。

 しかし一方、抗告人はそれでも、以上の歴史的経過を十分認識して上記のとおり回答しており、このことによって裁判所に対しても、自己の立場を十分「鮮明」にしているということができるのである。

 そもそも、原審判からは、その審判書全体に共通して窺えることであるが、以上のとおりわずかながらも垣間見たにすぎない「在日朝鮮人」、即ちその1人である抗告人ひいては未成年者が抱えている歴史的背景の一部さえも、これを正面から理解に努めて審判に反映させようとする姿勢を看取することができない。

 なお、審判書では、当事者表示欄において抗告人の表示を「大谷章雄こと李在一」としている。しかし、関係記録の上では、まず相手方の本件申立書には抗告人の表示を「置野章雄こと李在一」とされており、「大谷章雄」なる表示はない。また、原審判の資料とされた平成4年(家)第429号子の氏の変更許可申立事件の審判書では、これが本件と同一裁判官によってなされているところ、そこにおける抗告人の表示は「李在一」となっている。その余の関係記録ではいずれも「李在一」と表示されている。そもそも、抗告人にとって、「大谷章雄」なる通称は相手方と婚姻した1987年5月以前に使用していたものであって、その後「置野章雄」という通称を使用していたが、翌88年に外国人登録上も通称を抹消する措置をとっている。従って、それ以降は、抗告人は「李在一」という本名だけである。

 にもかかわらず、審判書に「大谷章雄」なる表示があることは、抗告人にとって不可思議でならない。原審判は、この表示を何を根拠に用いたのか明らかにして欲しいところである。

 もとより、人にとってその氏名はその人格的生存ないしアイデンテイテイを示す重要な標識である。このことは最高裁のいわゆるNHK日本語読み訴訟判決においても明らかにされているところである。しかるに、原審判が抗告人に対し「大谷章雄」なる現在では架空の氏名を表示したのは到底許されることではない。更に、既に指摘したとおり原審判は重大な事実誤認等が存するが、上記のことも果して原審判がどこまで関係記録を精査して最終結論に至ったのか極めて疑問をもつ証左の一つといわざるを得ない。

3 更に、原審判は、(6) において、共和国の国籍法が、本件の未成年者の如き場合ではその国籍は父母の合意を必要とするところ、その合意なきときは未成年者は日本国籍離脱により無国籍になる旨定めているように断じている。

 なるほど、同国籍法5条は「外国に居住する朝鮮民主主義人民共和国の公民と外国公民との間に出生した子女の国籍は、父母の合意によってきめられる」と規定している。しかしながら、その合意がいかなる手続に基づき、何時の時期までにしなければいけないのか、が不明であるだけに、その合意がなされていない場合の子女の共和国国籍の取扱いについて未だ子細になっていない。

 従って、合意がないからといって、無国籍者となると断じるのは性急な議論であるといわざるを得ない。

 そうすると、法例21条に定める子の本国法については、共和国国籍をふまえて決する余地もありうるのである。

4 以上のとおり、原審判は準拠法の判断の前提となる事実認定ないし法解釈だけを取り上げてみても重大な事実誤認ないし解釈の誤りが存するのである。

 そこで、上記指摘の事実をふまえて本件に適用されるべき準拠法について付言するに、仮に、外国人登録上の国籍欄に「朝鮮」と表示されている者については、この表示を国籍を意味するものではないとしつつ、韓国又は共和国いずれの法がより当事者と密接な関係を有するかという観点から本国法を定める取扱いをするにせよ、上記のとおり抗告人ないし未成年者はいずれとも「密接な関係」を有しないのであるから、右取扱いに従って適用すべき本国法を結論づけることはできない。

 次に、抗告人は上記のとおりいずれの政府ないし国籍にも帰属しない意思を積極的に表明している者であるが、かようないわば「中立者」に対する本国法をどのように決定するかが問題となりうる。このとき、少なくとも国際私法上は、日本政府が承認した国の法を優先的に本国法とみなすことのできる十分な法的根拠は乏しいといわざるを得ない。

 ところで、共和国は、1995年9月6日付最高人民会議常設会議決定第62号をもって、「朝鮮民主主義人民共和国対外民事関係法」を制定し、施行している。

 同法47条は、「他国に住所を有しているわが国の公民の養子縁組、養子離縁、親子関係、後見、遺言については、住所地法を適用することができる」と規定している。従って、これによれば、本件で適用すべき法は住所地である日本法ということができるのである。

 即ち、民法819条6項が本件に適用されるべき裁判規範ということになる。

 そこでは要するに、「子の利益のため必要があると認めるとき」即ち子の福祉のため必要があるか否かが判断基準とされることになる。この場合、子の希望、意思も考慮した上で、監護意思の程度、その態勢の優劣や継続性などが考慮されることになるが、本件では、下記に述べるとおり、原審判は誤認事実に基づき明らかに法的評価を誤った判断をしているのである。

三 原審判における親権者及び監護者の変更の当否判断について

1 原審判は、未成年者の親権者及び監護者変更の当否判断をするにあたって「3 親権者及び監護者の変更の当否について」(一)で(1)ないし(8)のとおりの事実認定をしている。

 しかしながら、その認定には重大な誤認があるか又は裁判官の強い先入観が反映されたものとなっており、到底是認できない。

 そこで以下、個別に上記事実認定上の問題点を指摘するが、これに先立ち、抗告人と相手方との婚姻及び離婚に至る経緯、そして離婚訴訟とこれに続く調停離婚の経過及びその内容等が本件においては重要な事実関係であるので、ひとまずこれを明らかにする。

2 抗告人と相手方との婚姻及び離婚等の経緯

(1) 抗告人と相手方との交際の経緯

 抗告人と相手方は、抗告人が津市で結成したアマチュア劇団「劇団サークル・エム」の活動を通じて知り合い、1986年9月頃から交際を始めた。

 相手方は、抗告人との結婚を真剣に考えており、恋文を送り、手編みのセーターを贈ったりして親密な交際を求めてきたが、抗告人は自己が日本人ではなく在日朝鮮人であることから障害なく結婚生活が営めるものか多少の不安を抱いていた。

 しかし、このような抗告人の迷いに対して、相手方は「朝鮮人であることは関係ないし気にするほうがおかしい。」と励ましてくれたことから、二人の仲は急速に結婚を前提とした交際に発展していった。

(2) 抗告人と相手方の婚姻の経緯

 その結果、1987年2月頃、相手方は抗告人との間で懐胎したことから、抗告人も相手方との結婚を決意して、津市内の実家を訪ね、相手方の父置野正彦及び母和子に懐妊の事実と結婚の意思を伝えた。

 ところが、和子は、「朝鮮人との結婚は絶対反対です。」「子供はすぐに始末しなさい。」と頑に反対し、正彦も「私の会社(置野弱電工事)は順調にいっており、この時期に朝鮮人との結婚は困る。なんとか子供を始末してくれ。」と取り合おうとしなかった。

 しかし、相手方は、両親の反対にあっても「子供は生むし、とにかく結婚する。」という意思を貫き、話し合いは平行線を辿った。

 その後、相手方は、両親から毎日妊娠中絶を強要されるという理由で同年2月中旬頃から、三重県一志郡○○町の抗告人の実家で、抗告人とその母親らとともに同居生活を始めるようになった。

 同居生活が約1か月間続いたことから、同年3月末頃、正彦から条件付で結婚を許すという申し出を受けた。その条件とは、<1> 抗告人が置野家の養子になること、<2> 正彦の経営する置野弱電工事に入社すること、<3> 結婚式は正彦が仕切ることであった。

 これに対し、抗告人は、<1> は帰化をしないという条件で引受け、<2> はとりあえず半年間働いて結論を出すことにすると答え、<3> は特に肯定も否定もしなかった。

 しかし、ともかくも相手方の両親から結婚の同意が下りたことにより、ようやく同年5月3日新町松竹殿で挙式を済ますことができた。もっとも、和子は二人の結婚に反対の意思を事あるごとに不遜な態度と言動で示し続けた。

(3) 相手方及び和子らの民族差別的言動等

 右挙式後、両名は抗告人の実家で新婚生活を送ることになったが、抗告人が相手方の実家を訪ねる度に、和子からすさまじい民族差別発言を浴びせかけられた。

 例えば、「三国人、半島人はすぐに半島に帰りなさい。」「人間には上下があるんです。あんたは下の人間であることをよく自覚しなさい。」などと侮蔑し、時にはテ−ブルを叩き、食器を引っ繰り返したりなどの行為にまで及んだ。

 ところが、相手方自身はこうした夫に対する母親の態度に対してただ黙って見ているだけで、諌めようとはしなかった。そして、同年○○月○○日相手方は未成年者を出産したが、退院しても抗告人の実家へは戻らず、抗告人が面会を求めても和子と一緒になって拒否するようになった。それは、抗告人が置野家を訪問しても家の中へ入れてもらえない状態であった。

 これに対し、抗告人は再三にわたり相手方を健全な夫婦生活に戻るよう説得した。そしてようやく1988年3月津市内に別途アパ−トを借りて同居生活をするようになったが、相手方は毎日のように未成年者を自己の実家に連れて帰り、夫婦生活に非協力的な態度をとり続けた。

 同年4月になると、相手方は無断外泊もするようになり、また、以前交際していた男性のほうが良かった等と言い出し、抗告人は相手方との結婚生活の行き詰まりを次第に感ずるようになっていった。

 そして、同年9月頃、相手方は和子が1年間中国へ留学するということを口実にアパ−トから自己の実家へ帰ってしまい、以降両名が再び同居することはなかった。

(4) 婚姻破綻と離婚訴訟等

 以上のようにして、両名の結婚生活は、和子の異常な民族差別発言や態度、そしてこれを制止しようとしなかったばかりか積極的に同調した相手方の豹変した態度によって僅か1年半の結婚生活で破綻してしまったのが真実の実態であった。

 ところが、相手方のほうから1989年3月離婚調停の申立が津家庭裁判所になされた。これに対し、抗告人は、前記のとおり相手方の身勝手な態度や和子から受けた数々の罵倒、民族侮辱に強い憤りをもっていたこと、この間未成年者とも面会できない状況が続いたことから右申立にそのまま応じて合意することはできなかった。

 そして右離婚調停が不調に終わるや、相手方は同年8月18日津地方裁判所に離婚訴訟(同裁判所平成元年(タ)第24号)を提起した。抗告人も弁護士を依頼して応訴し、1990年6月16日、婚姻関係の破綻は和子の民族差別的言動と夫婦生活への不当介入、それに和子に同調した相手方の態度が原因であるとして、金1000万円の慰謝料の支払いと未成年者の親権者を抗告人に指定されることを求める反訴(同裁判所平成2年(タ)第11号)を提起した。

 右訴訟は弁論手続を経て、1990年9月14日から1991年6月7日まで合計6回の双方当事者尋問が実施されたが、その終了後担当裁判官から和解勧告がなされた。

(5) 調停離婚に至る経緯

 和解における最大の課題は未成年者の親権の帰属問題であり、これに尽きたといっても過言ではない。

 抗告人は、婚姻関係が破綻してから離婚訴訟中、未成年者との面会を相手方や和子から頑に拒否され、未成年者の行く末を案じていたことから、親権を相手方に譲ることは到底できなかった。

 このような状況をふまえて、1991年10月18日担当裁判官から、親権者は抗告人、監護者は相手方にしてはどうかとの和解案が提示され、金銭問題については相手方側から弁護士を通じて解決金として金100万円を支払うとの案が示された。これを受けた同年11月20日の和解期日において、抗告人は、親権と監護権の双方を要求する、これを和解の優先的な問題としたい、解決金の問題も内容が示されないものでは納得できない旨回答した。

 そこで、同年12月20日、担当裁判官から最終和解勧告として、「抗告人と相手方は離婚する。抗告人は相手方両親と離縁する。」「差別的な扱いについて相手方とその家族は謝罪しなさい。」「慰謝料として相手方は金500万円を支払いなさい。」「親権は父親、監護権は母親にしなさい。」という4点の提案があった。そしてこの提案を翌1992年1月29日の期日に双方回答することになった。

 そこで、同日、「離婚する。離縁する。」「婚姻生活の破綻が民族差別によるものであることを認め、相手方とその両親である正彦及び和子は今後民族差別をせず、民族を尊重することをもって謝罪する。」「父子として子供との面接を保証する。」「抗告人は置野弱電工事の株式を返す。」(但し、抗告人は同社の株式をもたされていたことは知らなかった。)との合意はなされたが、親権と監護権の問題は保留となった。

 同年2月26日の和解期日では、抗告人は前記裁判官の最終和解案を受け入れる旨回答した。同人としては、未成年者を自らの手で監護することこそが未成年者が将来日本人と朝鮮人との間の子として誇りをもって生きていける最良の養育方法であると考えていたので監護権を相手方に譲ることなど毛頭考えていなかったし、また、実際にも上記のとおり相手方及びその家族による文字通り「激しい」民族差別の意識、言動が未成年者の人格形成に与える悪影響に強い危惧をもっていたので、未成年者を相手方の監護下に置くことは反対であった。しかし、相手方が母親として子供の養育にあたりたいと願う心情も理解できないわけではなかったので、断腸の思いで決意して右回答をした次第であった。ところが、相手方は「親権については、もう一度考えたい。」「父子の面接は2か月に1度とする。そして、その約束を履行しないときは1回につき金15万円を支払う。」「謝罪については、『差別的な扱いと誤解されるようなことはありました。』ということをもって謝罪としたい。なぜなら、民族差別的な意識はなかったから。」との提案をしてきた。これに対し、抗告人は裁判官の和解案でないと和解はできない、そうでないなら和解はできないとの強い意思を表明した。そこで、その方向をふまえて同年3月23日の最終和解期日を迎えることになった。

 同日になって、冒頭に相手方から抗告人の親権を1年間だけなら認めてよいという再提案がなされた。しかし、それまでの和解の流れとしては既に親権を抗告人に帰属させることは裁判官の意思においても明確にされていたのであり、他方問題の監護権を相手方に帰属させることを双方で確認することが実質的な課題として最終的な和解期日が迎えられたのが、実態であった。従って、勿論のこと、抗告人はかような時限的な親権などかえって未成年者にとって不利益であるとして一蹴した。

 そこで裁判官は、自己の提示した和解案を維持することとしつつ、併せて面接交渉の履行状況等をみて1年後に変更の問題を協議してみるということでよいのではないか、と相手方を説得した。相手方はこれにようやく応じ、抗告人としても相手方側が今後相も変わらず「激しい」民族差別意識等を未成年者に注入するような養育ないし教育をするのであれば、監護者の変更を申し出ることができるとしてこれに同意した。そして、その後面接の回数、養育費の金額、支払方法等細部の詰めをして調停離婚の形式にてこれが成立したのである(津家庭裁判所平成4年(家イ)第36、86号)。

(6) 調停離婚条項の意義

 以上によって成立した調停離婚条項の要旨は次のとおりである。

 <1> 抗告人と相手方とは、未成年者の親権者を抗告人、監護者を相手方として、調停離婚する。

 <2> 相手方及びその両親は抗告人に対し、連帯して本件慰謝料として金500万円の支払い義務あることを認める。

 <3> 抗告人は相手方に対し、未成年者の養育料として平成4年4月から毎月金4万円を支払う。

 <4> 相手方は抗告人に対し、平成4年4月から1か月に2回の割合で未成年者との面接交渉をさせる。

 <5> 抗告人と相手方とは、<4> の面接交渉の履行状況をみて、調停成立の日から1年後に未成年者の親権及び監護権の帰属の変更について協議する。

 <6> 相手方及びその両親は抗告人に対し、相手方及びその両親並びにその親族が、抗告人及びその親族に対する民族差別的言動について謝罪し、今後そのような言動のないこと、及び朝鮮民族を尊重することを誓約する。

 前記のとおり本件和解の最大の課題は未成年者の親権の帰属の問題であったが、離婚訴訟における審理をふまえ、これを抗告人に帰属させることは一貫した流れであった。これは、とりもなおさず右訴訟の審理により心証形成した担当裁判官の明確な意思の表れであったからである。そして、和解期日を重ねるに従って、右の帰属の問題は親権それ自体よりは、監護権を分属すること及びそれを誰に帰属させるかについて論点が絞り込まれ、それについて当事者の合意形成の努力が裁判官の主導のもとになされてきたというのが実情であった。従って、<5>の協議は、この一連の経過をふまえて条項化されたにすぎないものである。

 また、注目すべきことは、<6> の条項を設けていることである。これは、本件離婚調停および訴訟が相手方から起こされたものの、真実の実態は相手方及びその両親らの抗告人に対する民族差別意識及び言動がいかに「激しい」ものであったかを如実に物語る証左である。しかも、それ故に、<2> のとおり金500万円もの相当高額な「慰謝料」が抗告人に支払われるようになったのであり、またそれ故に、担当裁判官の心証として未成年者の親権を抗告人に帰属させるのが相当との意思で、和解が進められてきたのである。

 更に、<4> の面接交渉の回数について、担当裁判官から「抗告人は親権者だから何回会ってもいいが、隔離の防止策として最低の回数を定めておくものである。」と説明されて、1か月に2回の条項化に至ったものである。加えるに、当時担当裁判官としては、相手方らが未成年者を監護するとなると、未成年者を抗告人に物理的に会わせない、目に触れさせないばかりか、朝鮮人の父親たる抗告人の存在を全面否定する養育をする危惧をもっていたことから、右の「隔離」防止策発言に及んだのである。従って、上記<5>の条項もこれが意識されていたからこそ、「前項の面接交渉の履行状況をみて」との表現になったのである。

(7) 調停離婚後における相手方らの条項遵守違反

 上記調停離婚成立後、所轄官署への離婚届の提出は相手方がすることとされた。ところが、抗告人が、法の求める14日間の届出期間を経て、相手方の本籍地の市役所で戸籍謄本を取り寄せたところ、相手方は未だ離婚届を提出していないことが判明した。そこで、抗告人は津家庭裁判所の担当官にこの旨を告げたところ、同担当官から相手方に届出の勧告をする旨回答された。しかし、裁判所からの勧告にもかかわらず相手方は離婚届を提出しなかった。そのため、抗告人自らが離婚届出をしたのである。

 抗告人は、前記離婚訴訟時から未成年者が自己の親権に服したときは、当然のこととして自らの氏である「李」姓にすることを前提としていたのであるが、相手方はこれを嫌い、故意に離婚届出の提出を怠ったものである。しかし、上記調停条項では<6> のとおり民族差別的言動をせず、朝鮮民族を尊重する旨の誓約があるにもかかわらず、離婚当初から相手方の対応はこのような状況であった。

 次に、相手方は、離婚後、未成年者の住所地を抗告人に無断で変更してしまった。これに気付いた抗告人が、親権者の地位に基づき、かつ今後の面接交渉の機会確保のため、相手方に未成年者の現住所を知らせるよう求めたものの、相手方はこれを無視して頑と応じなかった。

 そして重要なことは、抗告人と未成年者との面接交渉に関してである。

 抗告人は相手方に対し、未成年者との面接交渉を毎月2回をこえる回数を強く求めてきたが、相手方はこれを無視するか、頑に拒否してきた。また、相手方に対して未成年者の今後の養育のありかた、監護環境等について、面接交渉時のわずかな時間だけでは十分話し合いができないので、別途機会を設けて話し合いをしたい旨求めたが、これまた無視ないし頑なな拒否に終始した。

 そればかりか、到底看過できないことは、面接交渉を通じて未成年者が父親である抗告人に喋ってくれる相手方らの言動である。即ち、調停離婚直後から、相手方は、未成年者に対し、同人が抗告人のことを「お父さん」と呼ぶと、父とは呼んではならぬときつく叱りつけ、「あの男は本当の父親ではない。」「父親は3人おり、あの男は父親ではない。」などと教え込んできている。そのため、未成年者は現在でも人前では抗告人のことを「この人」とか「あの人」と呼ぶことがある。

 更には、抗告人のことを、「泥棒」だとか、「人間の形をしているだけで、人間ではない。」、「李の家は人を殺して建てた家である。」と教え込み、抗告人が未成年者と面接交渉をするにあたっても、抗告人やその家族と「食事をしてはいけない。絶対に風呂へは一緒に入ってはいけない。」「家は汚いから、行けば刺されると死んでしまう虫がいる。」などと文字通り未成年者と抗告人を「隔離」する言動を続けているのである。

 以上の相手方の言動をみたとき、いみじくも担当裁判官が危惧していた「隔離」が継続的に行われており、前記調停条項に定められた民族差別的言動をせず、朝鮮民族を尊重する旨の誓約のかけらも窺えない旧態依然の実態が浮き彫りにされている。しかも、より重要なことはこれらの言動が未成年者の人格形成に与える重大な悪影響である。朝鮮人の父と日本人の母をもち、朝鮮人差別の厳しい日本社会の中で、未成年者が成長し、自己の出自と自我を確立する過程において、このような相手方の言動が未成年者の人格、心を内的に分裂させ、ひいては自己の存在そのものを全面否定させかねない強い危険を生じさせているのである。

3 原審判における事実認定の重大な誤認等

(1) 審判書(1) の事実認定について

 原審判は、審判書(1) において、離婚調停において未成年者の親権者は抗告人、監護者は相手方と定められ、調停成立の日から1年後に親権及び監護権の変更について協議する旨定められたことを、「未成年者の養育、福祉にとって最適な措置として考えられたからではなく、両者間の激しい訴訟の末に離婚をまず成立させるための妥協的な措置」であったとするが、これは明らかに事実誤認である。

 上記2において、未成年者に対する親権及び監護権の帰属の経緯を述べたが、抗告人に親権を帰属させることは離婚訴訟における審理をふまえた和解において一貫した流れであったのであり、それが担当裁判官の明確な意思であった。即ち、相手方及びその両親による抗告人に対する文字通り「激しい」民族差別的言動の事実を前にして、もとより朝鮮人を差別するように子供を養育ないし教育することが許されることではなく、とりわけそのような養育ないし教育が朝鮮人を父親にもつ未成年者の人格形成を著しく阻害し、結局同人の真の福祉に反することになることは明らかな道理であった。それ故、担当裁判官の認識としては、当初から親権を抗告人に帰属させるべく和解案が提示され、その手続が進められたのである。

 従って、和解の最大の課題は親権の帰属の問題であったが、期日を重ねるに従い、それは親権それ自体より監護権の帰属の問題に論点が絞り込まれるようになってきた。そこで、本件が相手方らの民族差別的言動及び抗告人と未成年者との「隔離」行為に専ら原因があったにせよ、当時未成年者は3歳であり、かつ抗告人としても母親たる相手方の心情を理解した結果、監護権を相手方に帰属させたものである。

 以上の経過であるから、親権を抗告人に、監護権を相手方にそれぞれ帰属させた調停条項は、決して「妥協的な措置」ではなく、未成年者の今後の養育における福祉のありかた、ひいてはその人格形成の視点をも十分視野にいれて条項化されたものだった。

 従って、1年後の協議条項は、裁判官においても上記の親権等帰属に関する条項を今後も維持することを前提としたうえで、「前項の面接交渉の履行状況をみて」協議の機会を設けたにすぎない。ここに「前項の面接交渉の履行状況をみて」とは、上記2で、当時、担当裁判官から、抗告人の面接交渉について、「隔離の防止策として最低の回数を定めておく」との説明がなされたことを指摘したように、担当裁判官は離婚後も相手方らが未成年者と抗告人との「隔離」をする危惧をもっていたため、これを意識して上記の文言を用いたのである。

 このように、1年後の協議条項の存在を過大視して、親権等の帰属条項が「妥協的な措置」とみることも真実に反するといわねばならない。

 いずれにせよ、原審判は、上記2で述べた本件の事実経過を関係記録に基づきどの程度精査したのか極めて疑問の生じる認定内容となっている。

 ところで、上記審判書に記載の「両者間の激しい訴訟」との表現をもって、原審判が何を意味しているか不明である。これに関して、少なくともここで客観的事実として明らかにしておきたいことは、相手方らの「激しい」民族差別的言動が離婚訴訟で明瞭となり、相手方らはその言動をせず、朝鮮民族を尊重するとともに、金500万円もの高額な「慰謝料」の支払いをすることが条項化されたことである。本件はこれが事案自体の核心部分であり、いわば両者つばぜり合いをしたという「激しい訴訟」では決してなかったことを付記する。

 審判書(1) では、他に「離婚は成立したものの両者の感情的対立は払拭されていなかったこと」「1年後の協議が順調に纏まる見込みは甚だ薄く、むしろ未成年者を巡って更に確執が深まる危険を多分に蔵していた」ことを認定している。

 これは事実認定というよりはその装いをとりつつ、価値的評価そのものである。しかもこれが最終的には(二)の法的評価において抗告人に不利に解釈されていることからすると、抗告人に対する非難をともなった価値的評価(事実)とみざるを得ない。その意味で、裁判官の抗告人に対する一定の先入観を垣間見ることができる。

 しかしながら、既に上記2で事実の経過を明らかにしたとおり、調停離婚条項においては、監護権を相手方に帰属させた他は、抗告人の主張や要求が殆ど受け入れられていることに注目すべきである。従って、抗告人としては調停条項をもって、相手方に対する感情的な悪意や敵意はなかった。かえって、上記2で相手方の条項遵守違反の各事実を掲記したように相手方こそ「感情的」わだかまりが未だ「払拭」できていなかったのである。かように「両者の」感情的対立は存しなかった。

 また、離婚調停後も依然と継続した抗告人に対する民族差別的言動及び未成年者に対するその意識の注入等をふまえると、1年後の協議の見込みや未成年者を巡る確執の深まる危険はいずれも、相手方側の言動にこそ起因してその帰趨が決せられる状況であったのである。その意味では、相手方らの民族差別的言動をせず、朝鮮民族を尊重することを誓約する義務の不履行ないし違反こそが正面から見据えられて、本件の判断に資する事実とされなければならない。

 それを「両者の感情的対立」とか、両者で「未成年者を巡って更に確執が深まる危険」などの抽象的な表現をすることで、相手方らが離婚後も現実にしてきた行為を免責し、逆に実質的には抗告人に責めを帰する結果に繋がらせているのは、到底許されない「事実認定」というべきである。

(2) 審判書(2) について

 原審判は、審判書(2) において、抗告人が離婚(訴訟)及び離縁にあたり、相手方及びその両親らが「民族的差別を行ってきたとして激しい非難を加え、この姿勢は現在も変わっておらず、未成年者に対しては朝鮮民族の一員であることを認識させることに意を用いている。」と認定している。

 これについても、抗告人に対する裁判官の先入観が如実に示された評価的事実といえる。

 上記2で詳細に述べたように、婚姻前後当時以降抗告人に対し、相手方の両親及びその後に相手方も加わった同人らからこそ、文字通り「激しい」民族差別的言動が続けられてきたのであり、それ故に調停条項の上でも「慰謝料」だけでなく朝鮮民族尊重条項が設けられた。離婚訴訟等の核心部分は正にここにあったのである。にもかかわらず、原審判はかような本件の核心部分を正視せずに、単に「激しい非難」とだけ表現している。しかも、その後に続く相手方らの条項遵守違反にも原審判は何らの注意を払っていないがゆえに、抗告人は「この姿勢が現在も変わっておらず」としか認定できないのである。かえって、「この姿勢が現在も変わっておら」ないのは相手方らのほうである。ここに至っては、原審判は抗告人に対して悪意ある先入観をもって判断していると断じざるをえない。

 そしてこのことは、抗告人が「未成年者に対しては朝鮮民族の一員であることを認識させることに意を用いている」との認定表現にも表れている。抗告人は、朝鮮人差別の厳しいこの日本社会において、差別の側にたつ日本人の母親をもち、被差別者である朝鮮人の父親をもつ未成年者が、今後の人格形成の上で自己のアイデンティティないし人としての同一性を確立、維持しつつどう生きていくのか、に父親として最大の努力を払わねばならないことを本件調停においても主張してきた。即ち、単に「朝鮮民族の一員であることを認識させること」というが如き程度のことでは未成年者のアイデンテイテイの確立ないし人格的存立は図られないのである。

 かようにみてくると、原審判の上記表現からは、原審判は抗告人のことをあたかも民族的な偏狭意識に凝り固まった存在であるかの如き先入観をもっており、これに基づいて本件を判断しているといっても過言でない。

(3) 審判書(3)及び(5)について

 相手方からの本件親権者変更申立は、抗告人が未成年者の日本国籍離脱を直接の理由にしてなされている。

 従って、未成年者の今後の真の福祉ないし幸福にとって、上記国籍離脱の意義を明らかにする必要がある。これについては別途書面にて詳細に主張する予定であるが、ここではひとまず抗告人による未成年者の国籍離脱の動機を簡潔に述べることにする。

 抗告人は特別永住資格を有する在日朝鮮人である。ここに在日朝鮮人とは、居留民団に所属する韓国籍の朝鮮人、朝鮮総連に所属する朝鮮籍の朝鮮人、そしていずれの団体にも所属しない朝鮮籍の朝鮮人である。抗告人は、二項において述べたように、朝鮮半島のいずれの政府ないし国籍にも、また在日のいずれの団体にも帰属しない意思を積極的に表明している者である。

 抗告人は、かねてより未成年者が成長し、自己が朝鮮人の父親をもつことを自覚したときに生ずるであろう不安、動揺にいかに対処すべきかについて深刻に悩んでいた。それは、在日朝鮮人に対する制度的、社会的差別が未だなお厳存する日本社会で多くの在日朝鮮人青年が直面する精神的危機でもある。日本人と同じように日本で生まれ、日本で育ち、日本人と同じ生活をしているのに、成長に伴って厳しい差別社会に自己の身を置いていることを自覚しはじめたとき、自己のアイデンティティを確立どころか喪失しかねない精神状況に追いやられることになる。ことに、いわゆる「混血者」である未成年者の場合、一方で日本人の母親の子である側面をも併有していることから、いわばどちらつかずの立場になりかねず、結局は自己の人格的分裂を引き起こし、極めて危険な精神状況に追い込まれることが容易に予想されるのである。そして、その直接の契機は、やはり日本社会の被差別者であり、少数者である朝鮮人にも自己の出自を有することを自覚するようになったときである。そのため、抗告人は、未成年者がそのような危険な精神的危機に直面しないよう自己が朝鮮人であることを肯定的に受け止め、その誇りをもって生きていくように養育する必要を考えていた。

 この場合そのためには、人のアイデンティティの重要な標識である「氏」ないし民族姓を堂々と名乗ることが大きな契機になるとされ、抗告人もそのように考えていた。そこで、「李」姓を未成年者が名乗り、自己のアイデンティティを確立し将来の幸福を確かなものにするため、その一環として朝鮮籍への単国籍化即ち日本国籍の離脱をしたのであった。

 ところで、原審判は、(3) において抗告人が相手方と「十分な協議をなすことなく、自己の一存により」未成年者の日本国籍離脱をした旨認定しているが、これ自体事実に反する。即ち、抗告人は、離婚訴訟のときから未成年者のアイデンティティ確立の必要のため、未成年者の姓を「李」姓にすることを表明していた。相手方はこのことを十分認識していたはずである。現に、離婚届を相手方が提出しなかったのは未成年者が「李」姓に変わるのを好しとしないためであったといえる。また、上記2で述べたとおり、抗告人は未成年者の面接交渉時だけでなく、別途機会を設けて未成年者の今後の監護環境等について話し合うことを何度も求めたが、相手方はこれを無視ないし拒否した。しかも、住所変更をして連絡先を教えないようにまでした。かような経緯であるから、「十分な協議をなすことなく、自己の一存により」との認定は事の真実を反映していない認定といわざるを得ない。

 ところで、かような原審判の表現は抗告人に不利に認定しているものであるが、一方(5) においては、相手方が親権を取得したとき未成年者を帰化させて日本国籍を取得させたいと望んでいることを肯定的に評価した事実認定をしている。おそらくこれは、相手方が抗告人と「十分な協議をなすことなく、自己の一存により」帰化させたとしても、このことを肯定的に評価したものであろう。そうすると、結局原審判は、日本国籍と朝鮮籍との対比において価値的に優劣をつけ、朝鮮籍に否定的評価を与えているといわざるを得ない。国際人権規約等において内外人平等原則が法規範化している現在、かような価値的な評価が許容されるものではない。ここでも、朝鮮人である抗告人に対する原審判の否定的な先入観ないし差別的扱いを認めることができる。ことに本件では、前記のとおり当事者間で朝鮮民族尊重条項が明文化されているのにもかかわらず、これを無視する原審判の認定評価は到底看過できないことである。

 審判書(3) は、他に、未成年者の日本国籍離脱と「これに伴う氏の変更の問題が、家庭及び小学校における未成年者の生活に強い緊張感と不安感を与えることとなった。」と認定している。日本国籍離脱等が果して原審判のいうように「生活に強い緊張感と不安感を与える」と評価できるかは強い疑問があるが、この点は前記のとおり別途書面にて未成年者の福祉等における国籍離脱の意義等を主張する中で述べることにする。

 しかし、ここで事実として明らかにしておくことは、抗告人は未成年者の小学校入学後、幾度か学校を訪ね、子供の本名使用に関することやその他学校生活について担任教諭や校長らに話をする機会をもったが、未成年者はもともと活発な性質の子であり、学校生活について何ら問題なく、むしろ頼もしい子供だと聞かされている。また、審判書Vに記載の行政訴訟において、未成年者の現在の地位により特段の生活上の不利益はないとされている。すると、原審判は何をもって「生活に強い緊張感と不安感」を意味しようとしているのか極めて抽象的であるといわざるを得ない。

 次に、国籍離脱と「これに伴う」氏の変更の問題、とされているが、事実の経過はそうではない。即ち、抗告人は、調停離婚が成立した1992年3月からまもなくの同年5月に未成年者の氏を「李」姓に変更するべく申立をした(津家庭裁判所平成4年(家)第429号)。これは前記のとおり、抗告人は未成年者の今後の幸福のためにも「李」姓を名乗らすことを考えていたのであり、しかも翌93年4月には小学校に入学することから、それまでに氏の変更をさせておくこととしたのである。ところが、裁判所の調査が進展せず、手続的進行が不明であったため、「李」姓を確実なものとするために、その一環としても国籍離脱に至ったのである。

 従って、国籍離脱に「伴って」氏の変更の問題が生じたのではなく、氏の変更の問題即ち申立は国籍離脱より前になされていたのである。この点、原審判では事実関係の捉え方が正確でないので、明らかにしておく。

(4) 審判書(4)について

 ここでは、未成年者の外国人登録を巡っても「種々の軋轢」を生じた旨認定されている。しかし、ここにいう「種々の軋轢」が何を意味しているのか不明であるが、原審判全体の特徴として、かような抽象的な事実認定ないし評価的事実の認定をして、これに結局は抗告人を不利に扱う意味をもたせて判断の基礎としていることが顕著である。「激しい訴訟」「激しい非難」「感情的対立」などがその典型例である。

(5) 審判書(6) について

 原審判は、審判書Xで調停離婚条項のうち、抗告人の養育費の支払いと面接交渉とが概ね条項に従って行われている旨認定している。

 まず、抗告人による養育費の支払いはそのとおりである。同人は、親権が自己に帰属することになったことから、調停離婚成立時に自ら申し出て毎月金4万円を養育費として支払うことを条項化した。そして滞りなく支払ってきている。この点は、原審判においても抗告人の親権に対する積極的評価として考慮すべきだったことである。

 一方、面接交渉については、上記2で述べたとおり、一応毎月2回なされているものの、これに対する相手方の非協力的態度、そればかりか未成年者に対し民族差別的意識の注入をして抗告人との「隔離」を図ろうとしていることの事実を原審判は一顧だにしていない。

 更に、調停条項の履行状況に触れるのであれば、その他の条項、とりわけ朝鮮民族尊重条項の遵守状況にも目を向けるべきであった。この意味で原審判は偏った事実認定をしている。

(6) 審判書(7)及び(8)について

 原審判は、審判書(7)及び(8)において抗告人と相手方との現況を簡単に認定して掲記している。

 まず、抗告人は「精神薄弱者施設の指導員」ではない。社会福祉関係の特殊法人たる児童施設の職員であり、職務内容は地域福祉の調査研究をし、児童心理にも造詣が深い職種である。従って、未成年者が今後抱える精神状況には単に父親としてだけでなく、いわば専門的にも対処できる条件を備えている。即ち、児童福祉法7条は、かような職員が児童福祉事業に熱意ある者であって、できるかぎり児童福祉事業の理論及び実際について訓練を受けた者であることを要求しているところ、抗告人は、職務の性質からも、日常的に児童の発達心理学、教育学の研究及び実践あるいは児童の更生自立についての援助に接するのであり、このことは、未成年者の福祉においても、十分に科学的な見識をもとにして、その養育方針を明らかにし、現在までと変わりなくその親権を任せるに相応しい環境を持ち合わせているといえる。実際にも、小学校に講師として呼ばれ、児童に対し民族教育の重要性等を喋る機会が多いのである。

 また、経済的な点についても、いわば公務員に準じる仕事であるから、労働環境は安定しており、未成年者を養育するには文字通り「格別の問題はない。」。また、面接交渉の中で、未成年者は、抗告人にすぐ肩車をしてくれるよう求めたり、スポ−ツを一緒にやりたがったりなど強く父親の存在を求めている。また、抗告人の実家の祖母や親戚らにも愛着をもつようになっており、従って、父子関係も非常に安定している。

 これに対し、原審判は、相手方について「養育の能力にも格別の問題はない」旨認定している。しかし既に指摘したとおり、相手方は未成年者に対し、朝鮮人は人間ではないとの現在の国際社会では到底通用しない価値観をもって教育しており、そればかりか父親の存在を全面否定する価値観の注入をしている。相手方自身、このような未成年者への養育が将来同人に深刻に与える影響など全く認識できていない。かような相手方に、未成年者に本当に必要とされる養育が保障されるとは到底いえない。まさに「養育の能力に問題がある」といわざるを得ない。実は、原審判自体も、このことに何らの認識をもたずに判断しているのである。

 更に、相手方の「経済的な安定」にも疑義が存する。抗告人は、相手方の父正彦の経営する置野弱電工事で就労していたのであるが、現在は身内数名程度の会社であり、昨今の弱電業界の不況の影響を受けている。相手方自身、会社の手伝いをしているのであるが、未成年者を学校終了後には学童保育所に預けて手伝わねばならない状況である。

(7) 以上のとおり、原審判の事実認定には、本件の重要な事実関係について看過できない誤認があるだけでなく、親権等変更の当否判断において考慮すべき事実を何ら認定事実として取り上げていない。しかも、朝鮮人である抗告人に不利益な先入観をもって事実認定をしているため、いきおいそれが真実に符合しないか、又は抽象的な評価的事実となってしまっており、先に結論ありきの事実認定の印象が極めて強い。

 従って、後に続く法的評価において、本件の核心をとらえないまま結論を導いてしまっているといわざるを得ない。

4 親権者及び監護者変更の当否判断の誤り

(1) 原審判の立論

 原審判は、(1)ないし(8)の事実認定を経たうえで、これに基づき本件における親権者及び監護者変更の当否を次のとおり法的に判断して、相手方に親権を担わせるのが相当としている。即ち、

<1> 親権及び監護権の帰属は子の養育及び福祉を中心に考えるべきである。

<2> 本件において、鎮静化する気配のない両親たる抗告人と相手方の確執ないし争いの中で成長していくのは、未成年者の福祉にとって望ましくない。

<3> この抗告人と相手方の確執ないし争いは、親権と監護権とを分属させたことが原因であるから、これを一本化するのが相当である。

<4> 抗告人は、相手方との十分な協議を経ないで未成年者の生活に重大な影響を及ぼす日本国籍離脱の措置を採り、紛争を拡大する一因を作った。

<5> 相手方は、これまで未成年者の養育を行い、母子関係は安定している。また、これまでさしたる問題もなく未成年者を監護養育してきた。

<6> <4>及び<5>を対比すると、<3> の一本化すべき親権は相手方に担わせるのが相当である。

(2) 原審判の立論の問題点

 上記<1> は抗告人としても何ら異議はない。

 これに関して、原審判は、抗告人及び相手方が「自己の血及び思想を受け継ぐものとして未成年者を成育させたいとの望みを持つこと自体は当然」との評価を加えている。これは、上記事実認定の<2> において、抗告人が「未成年者に対しては朝鮮民族の一員であることを認識させることに意を用いている」との表現に気脈を通じるものである。即ち、「自己の血・・・」との評価は抗告人と相手方の双方に向けられた文章になっているとはいえ、実質的には抗告人を意識したものであるといえる。しかしながら、上記Tの事実認定部分に関して指摘したとおり、抗告人は民族的な偏狭意識の凝り固まった存在ではない。またそのような存在として未成年者に対しているわけでも決してない。抗告人は、未成年者が日本社会に存在する過酷な差別にうちひしがれることなく、自己のアイデンティティを確立させるため、朝鮮人を父親にもつ未成年者の現在及び将来の幸福のために、親権を行使し、義務を果してきているのであって、「自己の血や思想」といった狭い範囲での養育をしているのでは決してないことを改めて付言しておく。

 次に、<2> について、一般的に両親の確執ないし争いのなかで子供が成長していくのがその福祉に望ましくないことはそのとおりである。しかし、原審判は、既にこれまで何度も指摘したとおり、抗告人と相手方との確執ないし争いの核心がどこにあるのか事実を直視した認定ないし判断を何らしていない。

 そうであるがゆえに、原審判は、<3> のとおりその確執ないし争いの「直接の因は親権と監護権とを分属させた点」に求めてしまっているのである。しかし、実際のところ、日本人同士の場合でもかような分属をさせる事例は多く存しており、にもかかわらず確執ないし紛争が高じているとはいえない。

 また、抗告人と相手方との確執ないし紛争は、原審判のいう「国籍を異にすること」自体から生じた「深刻な問題」でもない。

 要するに、原審判は、この確執ないし紛争、そして「深刻な問題」が在日朝鮮人に対する日本社会の制度的、社会的な厳しい差別のもとで、相手方らがこれを是認し、自ら差別的言動を繰り返してきたことによって生じたこと、しかもそれが調停離婚において朝鮮民族の尊重条項が設けられたにもかかわらず、その後も継続され、未成年者と抗告人との「隔離」行為となって表れていること、本件全体を通じた核心は実はそこにあること、を一切問題視していない。

 そもそも、これらの点を直視することなくして本件の適正な解決は到底図られないというべきである。加えるに、原審判は、分属に対して否定的な評価を加えているが、その一般論的な当否はともかくとして、本件において何故に抗告人に親権を帰属させる形で調停離婚が成立し、分属の条項化がされたのか丁寧な事実認定をしたうえで、評価を加えてほしいものである。

 ところで、<4> についてであるが、「相手方との十分な協議も経ないで」との事実認定に誤認があることは既に指摘したとおりである。原審判は、親権の帰属を抗告人の事情と相手方のそれとを対比して結論づけているが、抗告人について考慮した事情は「未成年者の生活に重大な影響を及ぼす日本国籍離脱の措置」を採ったことのみである。この国籍離脱の措置が未成年者にとっていかなる意義をもつかは、別途改めて書面で主張するが、原審判はこの国籍離脱に極めて否定的評価をとっている。しかし、少なくとも、抗告人としては未成年者の現在及び将来の真の幸福を考え、同人のアイデンティティの確立に資して、同人がこの日本社会で自己の出自に自信と誇りをもって生きていくことを希んで、かような措置を採ったのである。

 にもかかわらず、原審判がこの国籍離脱に否定的な評価をした背景には、既に指摘のとおり、朝鮮籍を日本籍と比べて低く評価していることが窺えるのであり、抗告人に対する否定的な先入観が反映されている。

 ところが一方、相手方については<5> のとおり、母子関係の安定や「さしたる問題もなく」としており、前記の抗告人に対する民族差別的姿勢や未成年者に対する差別意識の注入など不問にしている。この点、未成年者との父子関係の安定をも対等に判断の対象に入れないのは公平に失すると言わねばならない。

(3) 以上のとおり、そもそも法的評価の前提とする事実認定に重大な誤認等があるため、原審判がした親権等の変更の当否判断は真実の実態に基づいていないので不当な判断というべきである。

 しかも、国籍離脱の措置に対する評価やそもそも抗告人個人に対する否定的な先入観が随所に垣間見られ、その意味では先に結論ありきとの印象をもたざるを得ない法的判断となっている。

 従って、以上からすると、少なくとも未成年者の親権を抗告人から相手方に変更させる必要はなく、かえって抗告人の親権のもとで未成年者の今後の養育を保障することこそが同人の真の福祉ないし幸福に繋がるというべきである。

 よって、原審判は速やかに取消され、御庁におかれて、相当な判断が下される

ことを求める次第である。

四 今後の主張等の補充について

 本件は、既に指摘のとおり日本国籍離脱が未成年者にいかなる意義を有し、かつ抗告人にとってこれがどのように位置づけられてなされたのか、についても重要な判断の基礎となるべき事項である。

 従って、別途改めて書面にて補充することにしたい。

 また、上記主張に関して必要な資料等を提出する予定である。


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