平成8年(ラ)第66号即時抗告申立事件
平成9年1月20日
名古屋高等裁判所民事第一部御中
置野昭子
陳述書1
一.調停成立までの経緯について
まず裁判官より「親権と監護権をわけてはどうか。相手方は親権にこだわりはないと言っている。ただ面接がきちんと行われないと困るので,一時的に親権を預かりたい。もしきちんと面接が行われれば,1年後に親権を渡してもよいとのことだ。名より実をとってはどうか。」と提案されました。これに対し,1年後に親権をこちらに渡すという文を条項の中に入れてほしいと申し入れましたが,そういう確約の文は入れられないと言われました。再び裁判官より「1年後に協議すると文を入れてはどうか」と提案されました。証拠になるものもないのに1年後はたして約束が守られるか不安だったため,逆に「親権も監護権もこちらに渡したうえで,面接の履行に不安があるなら,面接させなかったらペナルティとして現金を支払うと言うことにしてはどうか」と,申し入れました。すると裁判官は「常識的に見て1回のペナルティは10万円位でしょう。」と言われました。面接を拒否するつもりではなかったのでそれでもよかったのですが,相手方は「金で解決するとは何事だ!」と激怒したらしいのです。裁判官からは「とても無理ですよ。それより親権といっても別に特別なことはありません。親権者が必要とされるのは未成年者が犯罪をおこしたときに引き取りにいく場合と,結婚するときだけです。何もこまることはありません。」と言われました。こちらは他の条件ものんでいたし,500万という大金も払うのですから,李が約束を守るものと信じ,和解に応じました。何よりも和解して,実名入り写真入りのビラがあちこちでまかれる日々から解放され,母子で安らかに生活することが最大の望みでありました。
二.伊藤弁護士の陳述書への反論
「離婚裁判前,抗告人が聖徳くんと面会することを頑なに拒絶されていましたので,この異常対応からすれば,離婚事件が片づけば,抗告人との面会は一切拒絶されるであろうことは目に見えていました。」「私も裁判を通じて,相手方の母親の異常対応を思い知っておりましたので,」等の伊藤弁護士の文は,明らかに予断と偏見に基づいた断定です。いかにも見てきたように訴えていますが,李の虚言をもとに書かれたものであり,伊藤弁護士の主観にすぎません。「相手方らの家庭環境は,朝鮮人に対する特異な見方が支配しており,」というのも偏見に基づく意見にすぎません。なぜなら離婚問題に至るまでの間,李の家族,私の家族と平穏な交流があったからです。要するに,李と私との間の確執は,離婚問題以前の仕事と生活をめぐっての二人の争いに原因があり,日本人同士でも,いざ離婚となれば起こりがちな親族間の対立にすぎないのですから,これを「朝鮮人に対する特異な見方」とするのはこじつけもはなはだしいものです。「抗告人の日本国籍離脱の手続きは,抗告人が聖徳くんの幸せを願い親権の行使としてなしたもので,子のためにしたことが,親権の変更理由になるのはおかしなことです。」とありますが,子の幸せを願ったのは事実かもしれませんが,その主観的な自分本位の願望と現実との差が著しく離れており,その主観的な願望に基づく国籍離脱の手続きは,適切さを欠いたものと言わざるを得ません。二重国籍なのだから朝鮮籍をも持っているには変わらないはずなのに,なぜ日本国籍を離脱させたのかと考えるとき,結局は親権を持っているのをよいことに,在日朝鮮人としての「親の立場=単国籍」を子どもに押しつけたに過ぎません。子どもには,将来成人してから国籍を選択するという権利が元々ありました。どうしても朝鮮籍にしたいと思うなら,面接もしているのだから,長い時間をかけて聖徳を諭すという事もできたはずではありませんか。基本的人権のひとつである「国籍選択の自由」は,何人といえども,たとえ親権者といえども本人の同意なく奪えないはずです。聖徳自身が将来国籍を選択できるという道を,李たった一人の一存で奪ったのです。
三.聖徳の精神的苦痛について
聖徳はすでに,日本人であるというアイデンティティを持っており,子どもの権利条約で認められているように,子どものアイデンティティは守られなければなりません。現に聖徳は,小学校入学時から津市教育長が日本人としての通称名の使用を認めなかったにもかかわらず,朝鮮人としての氏を使うことを本人自身が強く拒否しており,十分に意思能力があることははっきりしています。しかもそのことによって,本人はかなりの精神的苦痛を受けており,伊藤弁護士が何の根拠で「平穏そのもの」と訴えているのか分かりません。入学してから数日は,担任の先生が「李くん」と呼ぶたびに「ちがう。ぼくはおきのです。」と反論したようです。また,1年生の机やロッカーや靴箱に貼られた「りしょうとく」という名前もすべて「おきのしょうとく」に書き直して来ました。大変勇気のいったことであろうと思うと同時に,わが子はどういう気持ちでこの名前を見たのだろうと,胸が塞がれる思いでありました。しかしそういった日々も長くは続かず,結局熱を出して寝込んでしまい,「もう学校はいやや。先生は名前を呼んでくれやん。」と言うようになりました。掛かり付けの医者からも「親がついていながら,なんで子どもにそんなつらい目にあわせる」とも言われました。結局,担任の先生は「李」とも「置野」とも呼ばず,「聖徳くん」とだけ呼ぶようになりました。それだけのことですが,ようやく聖徳は学校へ通えるようになったのです。あまりにつらい小学校生活のスタートでした。それでも全く聖徳の苦痛が解消されたわけではありません。たとえば最近の事で言いますと,3年生に進級するおり,聖徳は新クラスに自分の名前が朝鮮名で貼り出されることに悩んでいました。ある日突然「オレ,いいこと思い付いた!朝一番に学校に行って名前書き直してくるわ。」と言い出しました。そして新学期のはじまる当日の早朝,かきかたペンを何本も持って登校し,誰にも名前を見られないうちに「置野聖徳」と書き直して来ているのです。そのときは友達からも「聖徳,お前大変やなあ。気にすんなよ。」と励まされたようです。また,作品展やスポーツなどに入賞すると賞状に朝鮮名が書かれることも気にしており,「おれ,それ思うとやる気が出やんのさ。」と言うこともあります。聖徳にとって,学校生活での氏名の取り扱いをめぐる苦痛を除けば,たしかに「平穏」な生活を送っているのは,伊藤弁護士のいう通りですが,それならばなおさら,現実生活との調和と本人の希望にしたがい,親権者の変更を行い,再び日本国籍を取得するための道を開く事こそが,聖徳の幸せのために必要なのです。
平成8年(ラ)第66号即時抗告申立事件
平成9年1月20日
名古屋高等裁判所民事第一部御中
置野昭子
陳述書2
最近の聖徳の様子
(1) 最近,また聖徳が学校へ行きたくなくなるような出来事がありました。聖徳はスポーツが得意で,特にマラソンが好きです。1年生ときは学年で9位,2年生のときは6位と,良い成績を取っていました。ところが入賞して嬉しいものの,賞状には朝鮮名が記載されるということが,聖徳の悩みでした。それでも賞状だけでしたので,「誰にも見られやんように持って帰ってきた。」と家族には見せていました。その後で「(賞状の)名前,書き換えてな。わからんように置野にして。」と言うのです。そして今年のマラソン大会(12月9日)では,4位という成績をおさめ,たいへん喜んでおりました。ところが,12月9日になって急に「オレ今度の木曜日(12月12日),ぜったい学校に行かへんからな。」と言い出しました。わけを聞くと,木曜日の給食の時間に,全校放送でマラソン大会の入賞者を読み上げるとのことでした。「絶対りしょうとくって呼ぶにきまっとるもん。みんなが変に思う。もう学校行けやん。」と言うのです。私も考えました。担任の先生に相談するべきか。学校を休ませたほうが良いのか。しかし,やはり聖徳には強くなってほしいという願いがあり,すぐに学校を休むということには賛成しませんでした。聖徳とは木曜日の前日まで,根気よく話をしました。「悪いことをして名前を呼ばれるわけではないんだから,堂々としていていいんだよ。賞状がほしくても,もらえない子がたくさんいるんだから,えばってもらっておいで。」すると聖徳は「オレ,やっぱり入賞しやんだらよかったな。みんなたぶん『りしょうとく』『りしょうとく』って呼ぶと思う。工作や自由研究で入賞しやんで本当によかったな。」と言うのです。「でもクラスの子も,『気にすんなよ』って言ってくれたんでしょ。賞状は,ちゃんとママが直してあげるから。ママも聖徳の名前がきちんと呼ばれるように,今がんばってるから,聖徳もがんばれ!」等と励まして,励ましてようやく木曜日の朝,聖徳は学校へ向かったのでした。その夜,お風呂のなかで聖徳からその話が出ました。「やっぱり『りしょうとく』って呼んだわ。でもなみんな,気にしてなかったみたい。ただなあ,1,2年生のチビがなんか言ってきたりするけどなあ,大きい人達はなんにも言わへんだわ。」「そう,やっぱり大きくなるとちがうね。でも1,2年生は仕方ないよ,小さいんだから。」「うん,でもむかつくなあ。」その夜,聖徳の部屋に入ると,「りしょうとく」と書かれた4位の賞状が,床に放られたままになっていました。1日さぞかし緊張したことであろうと,聖徳の寝顔を見るとやりきれない気持ちでいっぱいになりました。李自身は成人するまで朝鮮名を名乗ったことがないはずです。聖徳の味わっている辛さを経験したこともないわけです。また,どういうわけか,李自身,現在も家族のなかで「のりお」と日本名で呼ばれているのです。これは一体どういうことでしょう。人には法律を守れと朝鮮名を強要しているのに,自分自身は親兄弟に「のりお」と日本名で呼ばせているのです。李の本質がここに見えているように思われます。
(2) そしてもう一つ,平成9年になり3学期が始まったばかりのことです。聖徳はクラスの学級委員に選ばれました。ところが,学級委員になると「李聖徳」と名前の入った任命証を受け取らねばなりません。そしてまた放送で各クラスの学級委員の名前が呼ばれます。これが聖徳にとってはとても苦痛なのです。実は2年生のときにも選ばれていたのですが,辞退していたのです。更に3年生になっての1学期,2学期は友達に選挙で聖徳に投票しないように頼んでいたようなのです。聖徳は「学級委員」のバッヂを家に持って帰り,私に見せました。そのバッヂをさわりながら「オレ本当は学級委員やりたいんやけど,名前のことがあるで絶対いやなんや。」と,言いました。「前のマラソンのときもなんとか乗り越えられたんだから,できないかなあ。だってせっかくお友達が選んでくれたのに,みんながっかりするよ。それに,やりたくても選ばれない子はたくさんいるんだよ。」と励ましたのですが,マラソンの賞状のときの事がよほどこたえているらしく,納得しません。そして「6年になるまでに1回でいいから学級委員やりたいんや。なんでオレの名前変えたんや!」と泣きながら床を叩いていました。私はもう,ただただ抱いて泣きたいだけ泣かせるしかできませんでした。担任の先生も,別の子を選ぶのは簡単な事なのだけれど,それよりも聖徳が名前を呼ばれないようにするため,何事にも積極的になれないようになるのではないかと,大変心配してくれました。こうして立て続けにこういうことが起きると,李にとって聖徳は何なんだろうと思います。親権者であれば,ここまで子どもの心をズタズタにしても許されるということでしょうか。
(3) ところで,聖徳が前記のようにマラソン大会の賞状のことで悩んでいるとき,聖徳が通っている学童保育の役員から「学童保育の指導員の先生から,『最近聖徳の元気がなく,様子がおかしいけど,どうしたんだろう』って言われたんだけど,何か困ってることないですか。」と連絡がありました。もちろん原因ははっきりしています。役員の方も,指導員の先生も事情は知っています。それで,とても聖徳のことを心配しているのです。指導員の先生も,「聖徳は大好きな百人一首のときもボーッとしていて,以前のようなやる気が全くなくなってる。友達の話も何も耳に入ってなくて,笑ってても口が笑っているだけで,目が全然笑ってない。本当におかしかった。学童保育では思い当たることがなかったもんで,何かあったんかなと思いました。」と話してくれました。百人一首は聖徳の大好きな遊びで,家でもがんばって練習しています。けれどもマラソン大会の賞状の苦い思いから,相当傷つき,色々なことにやる気が失せているのです。聖徳は朗らかで,明るく,積極的な性格の子どもですが,こうして暗い気持ちを抱え込むのではないかと,私はもちろん,学校の先生も,周りの大人達も,みな心配しています。「平穏な生活をしている」とのんきに現実を見ないでいるのは李在一だけなのです。
(4) 聖徳が言うには,李に名前の事をなんとかしてくれと訴えると,「そんなこと言うとオモチャ屋につれてってやらんぞ。」「ゲームソフト,もう買ったらん。」などと言われるそうです。一番説明しなければならない李のこの態度には,怒りを通り越して,あきれるばかりです。一体何を考えているのでしょうか。育児というものは,子どもにおもちゃを買い与えたり,ゲームセンターにつれていくことではありません。いやなこと,面倒なこと,色々なことを根気よく日々解決していくことが育児です。そこに愛情と責任感がなければ続けられるものではありません。聖徳もこの無責任な大人を冷静な目で見ていると思います。また,李は面接の約束を連絡もなくすっぽかしたり,面接終了時間の午後8時30分も,ほとんど守った事がありません。こういう態度は聖徳にとって良い影響を与えることはないと思われます。
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