平成8年(ラ)第66号即時抗告申立事件
名古屋高等裁判所民事1部 御中
1997年(平成9年)2月17日
被抗告人代理人 弁護士 原山恵子
準備書面
抗告人 李 在一 被抗告人 置野昭子
上記当事者間の上記事件について,抗告人の抗告理由について反論する。
記
一,原審判は,極めて妥当である。
(一)原審判は,未成年者をめぐる申立人と相手方の争いは,国籍を異にすることから生じた深刻な問題を孕んでいるが,その直接の因は,親権と監護権を分属させた点にあるとした上で,「申立人及び相手方が自己の血及び思想を受け継ぐものとして未成年者を成育させたいと望みを持つこと自体は当然である。しかし,親権及び監護権は,子の福祉に資すべきものであり,まず子の養育及び福祉を中心にこれを考えるべきである。」としている。 結局のところ,原審判は未成年者の福祉を中心に親権者,監護者の問題は考えるべきだとしているのである。
(二)この基本的な考え方は,抗告人の主張とも一致する。抗告人は準拠法は,わが国の民法819条であり,「子の利益のために必要あると認めるとき」即ち子の福祉の為必要あるか否かが,判断基準となるとしているのであり,子の福祉の観点から判断するとしている点は,原審判と同じだからである。
(三)原審判が,認定しているごとく,抗告人が,未成年者を監護,養育してきた被抗告人と十分な協議を経ないで,未成年者の生活に重大な影響を及ぼす日本国籍離脱の措置を採ったのであり,その為,未成年の聖徳は深刻な苦痛を強いられている。 本年の一月二〇日付の書面で,聖徳少年は以下のごとき文書を書いている。 「さいばんかんさま。ぼくはがっこうで,しょうじょうのなまえが,りしょうとくとなっているのがいやです。ほうそうでも,りでよばれるのがいやです。ぼくは置野聖徳でよばれたいです。 しょうじょうもすてたいときがあります。ぼくのなまえをはやく置野にもどしてください(C甲第七号証)。 三年三組 置野聖徳」 未成年者は,幼い心を痛め,小学校で緊張を強いられる生活を送っている。この点は,被抗告人の陳述書1(C甲第五号証二,伊藤弁護士の陳述書への反論,三,聖徳の精神的苦痛について,C甲第六号証陳述書2,最近の聖徳の様子)を参照されたい。 このようなことは,こどもの福祉にとって,マイナスである。これ以上の緊張を強いられるようになれば,未成年者は,学校への通学を嫌がり,不登校といった事態になることも予想される。
(四)原審判は,未成年者のおかれている前記の如き状況も考慮し,被抗告人と未成年者との母子関係は安定しているとした上で,親権者と監護者の分属状態をこれ以上継続することは,未成年者の福祉にとって利益はなく有害だとしたのである。 このように,原審判は未成年者のおかれている状況を配慮したものであり極めて妥当である。 抗告人は,しきりと,未成年者がいわゆる「混血者」として日本で育ち,日本人と同じ生活をしているのに,成長に伴って,厳しい差別社会に身を置いていることを自覚し始めたとき,自己のアイデンティティを確立どころか喪失しかねない精神状態に追いやられることになる。従ってそうした事態を避けるため,日本国籍を離脱したという。 仮に,抗告人主張のような危惧があったとしても,未成年者の意思もその監護者の意思も確認せず,一方的に自分の考えを押しつけることは,子の福祉の観点から見て大問題である。幼い未成年者にとっては,毎日の学校生活が平穏に楽しいものでなければならない。前記のごとく,「置野で呼ばれたい」,「李は嫌だ」と望んでいる未成年者に父親の思いを押しつけることは,子どもの権利条約に照らしても許されないからである。
二,抗告人と被抗告人の婚姻の経緯に関する事項についての反論
抗告人は,被抗告人の妊娠が判明した1987年1月下旬頃,被抗告人との結婚を考えていなかった。それ故,結婚とか子どもの問題について話し合ったことはなかった。妊娠が,判明しても,抗告人は,何とか被抗告人に人工妊娠中絶をさせようとやっきになっていた。被抗告人の両親に会うように説得したのは,被抗告人である。 1987年2月7日,抗告人は,被抗告人の親にあった。この時,抗告人は,被抗告人の両親に対して,「親の許しがなくとも…」と切り口上で迫った。当時,抗告人は定職についておらず,その点を心配する被抗告人の両親に対して,誠意を持って接しなかった。そのような抗告人の態度に両親は危惧の念を抱いたのである。 結婚に当たって,被抗告人の父親が条件を出したというが,それは,単なる提案であって,条件ではない。職も決めず,ブラブラしている抗告人に対して,業を煮やして出した提案であった。 その間,被抗告人が,「仕事を探して…」と頼んでも,抗告人は,「スナックをやろうか」とか「ビデオ屋をやろうか」と言いながら何もしなかったのである。 帰化の話しなどは出ていない。
三,民族差別的言動についての反論
被抗告人の母親の和子がすさまじい民族差別的発言をしたということはない。半島人という言葉など,被抗告人の母親も知らなかった。この言葉は,抗告人の母親がよく使っていた。被抗告人の家族がそのような民族的差別発言をしていたら,結婚にこぎつけることもなかったであろうし,被抗告人の実家を訪ねることもなかったであろう。抗告人の実家で,新婚生活を送ることなどしなかったであろう。結婚し,抗告人の実家で生活したということは,抗告人の主張するような民族差別がなかった(あるいは少なかった)証拠ではないか。 抗告人は子どもが生まれる迄の間,劇団とバンド活動に熱中し,家庭を顧みず,被抗告人がじゃまといい,実家に帰した。そればかりか,出産の一ヶ月前には,「会社をやめる」とまで言い出した。 抗告人は,被抗告人が無断外泊したと主張しているが,そのようなことは一度もない。アパートの近所の人たちと一緒に子どもを遊ばせたりして,ごく普通の生活をしていた。 唯,6月に体調を崩したことと,7月に祖母が具合が悪くなり,その後死亡したこともあり,実家に帰る回数が多くなった。抗告人は,8月25日の祖母の49日の法要の時,突然,「離婚する」と皆の前で言い出し,9月には,「実家に帰れ」としつこく迫った。そのため,被抗告人は実家に帰らざるを得なかった。 尚,抗告人は,結婚生活中,子どもに無関心であった。聖徳を抱いたこともほとんどない。
四,調停離婚に至る経緯についての反論
この点は,被抗告人の陳述書1(C甲第五号証)に書かれているとおりである。裁判官の提案は,「親権と監護権を分けたらどうか。相手方は親権にこだわりはないと言っている。唯,面接がきちんと行われないと困るので,一時的に親権を預かりたい。もし,きちんと面接が行われれば,一年後に親権を渡してもよいとの事だ,名より実をとってはどうか。」と提案された。 また,離婚訴訟中の被抗告人の法定外での嫌がらせは,熾烈を極め,被抗告人の実名入りのビラ,写真などを未成年者が通う保育園にまで届けるといったこともされた。その頃,被抗告人は,ある画廊の主人から,「置野昭子の結婚差別を考える会」と画廊の芳名録に書かれていたと聞かされたこともある。 被抗告人は,このような嫌がらせに参っていたこともあり,一時的に親権を預かるという言葉を信じ,離婚調停に踏み切ったのである。
五,平成8年11月27日の札幌家庭裁判所審判内容について
札幌家庭裁判所は,親権者である母親が,未成年者をヤマギシ会に預けた事例で,未成年者の父親から親権者の変更を求めたケースにつき親権者の変更を認めた。 母親が,未成年者を,ヤマギシ会に預けた理由は「いつでも,誰とでも,どこでもやっていける子」になってもらいたいという親心からであり,それが,未成年者のためになることだと信じているからであるという。 しかし,裁判所は,未成年者の気持ちを考慮して「未成年者が現在の生活に苦痛を感じていること」「まだ,中学生,小学生である未成年者両名を特定の思想を信奉する団体の中で生活させることがその健全な成長のために資するものかどうか疑問なしとしないこと」などの理由で,母親から父親への親権者変更を認めたものである(C甲第八号証)。
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