反 訴 状

本籍      慶尚北道英陽郡○○面○○○六三五
住所 〒五一四 津市○○町○○○番地
             ○○○ハイツ一○二号
       反訴原告(本訴被告) 李  在 一

住所  〒五一四  津市丸之内三三番二六号
         三重合同法律事務所
      反訴原告(本訴被告)訴訟代理人
      弁護士  伊 藤 誠 基

住所  〒五一○  四日市市本町一−一○
             山本ビル一階
         三重中央法律事務所
      弁護士    渡 辺 伸 二

本籍        東京都○○市○○○三丁目○○○番地
住所  〒五一四  津市○○町○○番○○号
      反訴被告(本訴原告) 置 野 昭 子

 原・被告間の平成元年タ第二四号離婚等請求事件について、被告は次のとおり反訴の申立てをする。

離婚等反訴請求事件

    訴訟物の価額   金一○○○万円

    貼用印紙額   金五万七六○○円

                  反訴請求の趣旨

一  反訴原告(本訴被告)と反訴被告(本訴原告)を離婚する。

二  反訴原・被告間(本訴原・被告間)の長男聖徳(昭和六二年○○月○○日生)の親権者を反訴原告(本訴被告)と指定する。

三  反訴被告(本訴原告)は反訴原告(本訴被告)に対し、金一○○○万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は反訴被告(本訴原告)の負担とする。

との判決並びに第三項について仮執行宣言を求める。
 

                  反訴請求の原因

一  婚姻の成立

  反訴原・被告(本訴原・被告、以下省略)は一九八七年五月二○日婚姻入籍した夫婦であり、その間には長男聖徳(一九八七年○○月○○日生)がいる。

二  婚姻関係の破綻

  反訴原・被告間の婚姻関係は、反訴被告の実母である置野和子(以下、和子という)が朝鮮人である反訴原告に対して執拗な民族差別を加えて反訴原・被告間の夫婦関係に介入し、反訴被告自身も和子の差別行為を制止する努力を怠ったばかりかこれに同調していったことにより破綻するに至ったものである。

三  交際・結婚から破綻に至るまでの経緯

1  婚姻に至るまでの経緯

(一) 反訴原・被告は、反訴原告が一九八四年一○月頃設立したアマチュア劇団を通じて知り合い、一九八六年九月頃より交際を深めていった。
  交際が始まるまでは、反訴被告は反訴原告との結婚に積極的で、恋文を始めとし、手編みのセ−タ−、座蒲団、手袋など、頻繁に贈り物を反訴原告に届け歓心を買おうとしていた。
  反訴原告は次第に反訴被告の一途な愛情にほだされていったが、在日朝鮮人であることから結婚には一抹の不安があった。しかし、その不安も、反訴被告が「朝鮮人であることは関係ないし、気にする方がおかしい」「私にも朝鮮人の血が入っている」などと積極的な理解を示したので一気に吹き飛び、二人の交際は深くなっていった。

(二)  やがて、反訴被告は子供を懐妊した。反訴原告は結婚を決意し、一九八七年二月上旬頃反訴被告宅を訪れ、結婚の意思を反訴被告の両親に伝えたところ、和子から「結婚は絶対に許さない」と強く反対され、挙げ句の果ては泣きわめきながら反訴原告の髪の毛を持って引きずり回す始末であった。おまけに反訴被告に対して「こんなブタ朝鮮人のどこがいいの」と諌めたり、「すぐに子供は始末しなさい」と中絶を強要した。
  反訴原告は、再度翌日兄を伴って反訴被告宅を訪問したが、この時も和子から「朝鮮人との結婚は反対です」「子供は始末しなさい」と中絶を強要され、また、反訴被告の父置野正彦(以下、正彦という)からも「今、私の会社(置野弱電工事)は順調にいっており、この時期に朝鮮人との結婚は困る」「なんとか子供を始末してくれ」等と強い調子で結婚を反対されてしまった。

(三) 反訴被告の両親に反対されても反訴原・被告の結婚の意思は変わらず、同年二月中旬頃から○○町の反訴原告の実家で反訴原告の母と共に同居生活を始めた。
 同居を始めると、和子から反訴原告宅に電話が入り「朝鮮人、裁判でカタを付けてやる。私はヤクザにも負けない」等と嫌がらせを受けたが、反訴被告は「家から勘当され、籍も抜かれるけど私は大丈夫」と反訴原告との結婚に強い意志を示した。

(四)  ところが、同年三月末頃突然正彦から条件付きで結婚を許すという申し出を受けた。
 その条件とは、 (1)反訴原告が置野家の養子になること (2)正彦の経営する置野弱電工事に入社すること (3)結婚式は正彦が仕切る、というものであった。反訴原告は、(1)に関しては帰化しないことで正彦と了解、(2) は取敢えず半年間仕事をやってみて結論を出すこと、 (3)は具体的な話しは出なかったので同意も否定もしなかったが、取り立てて何もいうことはなかった。
  しかし、正彦の申出は反訴原告が三条件を呑めば和子を説得するというだけであり、朝鮮人である反訴原告との結婚に積極的に賛成したというわけではなかった。

(五)  その後和子も、反訴被告が両親に反対されても反訴原告と結婚し子供を出産する意思を変えなかったため、不承不承結婚に同意することとなり、挙式は同年五月三日に決定した。
  挙式を控えて、李家と置野家との親睦を計るため、津市内のホテルで両家の会食が催された。ところが、和やかなム−ドとは程遠く、和子の独壇場となった。席上、左手首に巻いた包帯を取りながら皆の前に突き出し、「みなさい、自殺のあとです」と自殺未遂したと告げ、「私に逆らったら死にます」と威嚇したり、「私の娘は安濃津高で五番以内でした」とか「うちの子は皆天才です」という話しから「世が世ならうちは子爵、男爵様じゃけんのう」と奇妙な九州弁で家柄を自慢したり、「私は作家であり、画家でもある」等々おかしな自慢話に終始した。
  次に、反訴原告の実家で反訴原告の親戚も交えた置野家との会食が持たれたが、ここでも、和子はサングラスを外さず、左手の包帯を示して、例の如く子供自慢、家柄自慢を始めた。同席していた反訴原告の祖母は和子の態度に驚き早々と中座してしまった。

(六)  ようやく挙式を迎えたが、事前に出席者の制限が加えられた。すなわち、朝鮮人であることを隠すこと、そのため、親戚は仕方ないにしても、朝鮮人とわかる反訴原告の父母の友人達は呼ばないことというものであった。

2  結婚後の夫婦生活と和子の介入

(一)  反訴被告は挙式までの約一か月間は実家で結婚準備をしていたが、挙式後反訴原・被告は反訴原告の実家で新たな同居生活を始めた。
  ところが、新婚生活を始めても、和子の反訴原告に対する民族差別を内容とする罵倒、暴言、暴力は止まるところを知らず、絶えず離婚を強要される始末であった。
  反訴原告夫婦は度々置野家から夕食に呼ばれることがあったが、その際和子から「あんたは犬や、人間やない。おとうさんにひろわれた野良犬や」「三国人!半島人はすぐ半島に帰りなさい。ここは日本じゃけんのう」「人間には上下があるんです。あんたは下の人間だということを自覚しなさい」「私の目を見なさい、朝鮮人!私は貴族様です」等と、時にはテーブルを叩き、食器を引っ繰り返しながらわめき続けられる始末であった。
  反訴原告が和子に「お母さん、同じ人間やないですか。子供も生まれることですし仲良くやっていきましょう」というと、和子は反訴原告の髪の毛を掴んで頭を回しながら、「どうしてあんたみたいなクズと一緒になるのよ、クズが!」「すぐに離婚しなさい」等と叫び、またテーブルを叩きながら泣き出し、凄惨なムードになった。

(二)  一方、和子の理不尽極まる言動に反訴被告は傍観するだけで、和子を制止したり、反訴原告を擁護する態度は全く見せなかった。
  以後、反訴被告も和子の反訴原告に対する差別的言動に黙認、同調してゆくことになった。

(三)  一九八七年八月反訴被告は実家に戻った。反訴被告の両親から出産前なので早く反訴被告を実家に戻してほしいという強い要望を受けたのと、当時反訴原告の父の初盆が近づいており、朝鮮式の儀式では身重の反訴被告に荷が重すぎると反訴原告が考えたからである。そこで反訴原告は、反訴被告の了解を得て初盆と九月の一周忌の祭事明けまで一時実家に帰すことにしたものである。
  しかし、和子に同調してゆく反訴被告は結局翌一九八八年三月まで戻って来なかった。

(四)  一九八七年○○月○○日長男聖徳が出生した。反訴被告は、出産のため平木産婦人科に入院した。反訴原告は分娩に立ち会ったが、その際、和子が酒に酔って病院にやって来た。分娩中、「開門」と叫んで分娩室の扉を叩き、院長が驚いて制止を要請する始末であった。
  無事出産を終えて反訴原告が分娩室から出ると、和子は、朝鮮人の子供が生まれたことが不快とばかりに、反訴原告の頬を平手で殴った。

(五)  出産後反訴被告はまた実家に戻ったが、和子は反訴原告が子供や反訴被告と面会するのを拒絶した。
 置野家を訪問しても、子供に関しては「今寝ている」、反訴被告についても「産後の肥立ちが悪いため今寝ている」等と理屈をつけて玄関払いし、果ては「あなたは何を考えているんですか、男は育児に必要ありません」「あなたは必要ない人間です」と罵るのが常であった。

3  出産後の反訴被告の態度

(一)  前記のとおり一九八八年三月からようやく反訴原告の現住所地のアパ−トで同居が実現した。
  反訴原告は、再三反訴被告に対し、健全な夫婦生活に戻るため同居するようにと説得し、和子の反対を押し切って実現したものであったが、反訴被告の結婚生活にかける熱意は失われていた。
  反訴被告は三日とあけず、殆ど毎日実家へ子供を連れて帰り、他方、反訴原告の母宅に子供を連れていくことには最大の抵抗を示した。また、反訴原告の身の回りの世話をすることもなく、非協力的な同居生活であった。

(二) 四月に入ると、反訴被告は無断外泊するようになった。一週間のうち、二、三日アパ−トに居る程度の生活であった。
 反訴原告が注意しても、聞く耳持たぬという態度で、八月頃になると、反訴被告は以前同棲していた男性の方が良かったと反訴原告を嘲笑するような態度を示し始め、反訴原告は反訴被告との結婚生活が困難だと判断せざるを得なくなってきた。

4  別居に至る経緯

(一) 一九八八年九月反訴被告の祖母の四九日に津市内の料亭で置野家の食事会が開かれた時、反訴原告は離婚の話しを持ち出した。しかし、反訴被告を始め置野家の人々はこれを無視した。
  ところが、一方で反訴被告は、和子が一○月から一年間中国へ留学するという理由で反訴原告と相談することなく勝手に実家へ帰ってしまった。

(二)  その後、反訴原告は子供と面会するため置野宅を訪問するが、反訴被告に面会を拒絶され、翌年一月上旬頃には反訴被告から一方的に離婚を宣言した手紙が届けられた。
  同年一月一七日にも置野宅を訪問したが、反訴被告、和子、正彦らから一斉に暴行を加えられ、和子にいたっては鉢植えを反訴原告の頭に叩きつける有様で、反訴原告は血だらけになってしまった。

四 以上のとおり、反訴原・被告間の婚姻関係は既に破綻状態にあるので、反訴原告は反訴被告に対して離婚を求めると共に、反訴原・被告間の長男聖徳の親権者については、朝鮮人への偏見と差別意識に満ちた和子や反訴被告の下で育てられることは不適切であるので、反訴原告に指定されることを求める次第である。

五 なおまた、反訴原・被告間の婚姻関係は和子の異常とも思える民族差別的言動と暴力行為並びに夫婦関係への不当な介入と、同人の行動を制止する努力を尽くさないばかりかかえってこれを黙認、助長した反訴被告の態度によって破綻したのであるから、これにより反訴原告が被った多大な精神的苦痛を慰謝するため、反訴原告は反訴被告に対して、金一○○○万円の金員と本訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるものである。

証拠方法

 口頭弁論において適宜提出する。

添付書類

 一 訴訟委任状  一通

一九九○年六月一六日

反訴原告訴訟代理人
  弁護士  伊 藤 誠 基
  弁護士  渡 辺 伸 二

津地方裁判所 御中