李在一氏が立ち向かわねばならなかったこと──それは,一言でいえば“結婚と子育てにおける民族差別”である。
それは,日本と朝鮮という2つの国,そこに生きる2つの民族の近代以来のかかわりあいの中で,繰り返し,繰り返し,起こってきたことである。数えきれないほど多くの韓朝鮮人が,そして,その者とかかわった日本人が,直面し,立ち向かわねばならなかった事柄だろう。すでに何十年,いや百年ちかくも,さまざまな時と所で経験された事柄だろう。ある者らは結婚をあきらめ,ある者らは夫や妻となった日本人の親,兄姉と縁を切った。また,ある者らは,夫や妻である自らの出自をひた隠しにした。それは,周りの日本人に対してだけでなく,ときには,自らの子らに対してさえもそうだった。日本人と韓朝鮮人の間に生まれた子が,韓朝鮮人の血をも受け継ぐということを“出生の秘密”とされ,明かされることなく,日本人としてのみ育てられることがしばしばだっただろう。
つまり,李在一氏が立ち向かっている問題は,けっして彼一人の問題なのではない。それは,李在一という一個人の人生の出来事でありながら,じつは,近代以来,今日につらなる,日本人と韓朝鮮人との間の関係の根幹にふれる問題なのである。
李在一氏のケースについて,これまでさまざまな意見が表明されてきた。その中で,結婚とか子育てというものは,確かに多くの人々に共通の問題だろうが,そうは言ってもやはり,当事者自身の人格や性格に何か特有の事情があったのではないか,という意見がときどき寄せられてきた。李在一氏自身の行動に問題があったのではないか,相手の元妻の性格が特異だったのではないのか。民族差別の風潮があっても,本人らが力を合わせ,いろいろな困難を乗り越え,うまく結婚生活をいとなみ,子育てしている例だってたくさんあるではないか。所詮,「夫婦喧嘩は犬も食わない」と見るのが当たっているのではないのか。こういった意見だ。
しかし,李在一氏のケースで見過ごしてはならないこと,それは,そうした当事者自身の個人としての人格や性格とは別次元の,私たちの日常を取り巻く“民族差別の先入観”ではないだろうか。元妻の父親は,「娘が朝鮮人と結婚すれば,自分の会社にとってまずい」と思い,その影響を消し去ろうとした。元妻の父親をそのように奔走させた“先入観”が確かにあるはずだ。元妻の母親は“自殺未遂”を演じてまで,それだけ自分の決意を見せつけ,娘の翻意を促そうとした。この元妻の母親にこうしたなりふりかまわぬ振る舞いをさせた“先入観”が必ずあるはずだ。そして何より,わが子の本当のルーツを消し去り,黒を白と言いくるめても朝鮮人の夫を排除し,それがわが子のためだと信じて疑わなかった元妻の“先入観”があるはずだ。
さらに目を転じて,日本社会における役所や裁判所など“公的な”機関は,一見,合理的で洗練された法制度の“顔”をよそおってはいる。しかし,こういった役所や裁判所ですら,“民族差別の先入観”と無縁ではないと言わざるをえない。李在一裁判における92年7月以降の新たな展開は,その点を露見させてきたと言える。
「この日本社会の法制度は,もっぱら日本人にとっての,日本人だけのためにあるのだ。」「この日本社会の中で,韓国・朝鮮人を低く見て,忌み嫌うのは当たり前であり,そのこと自体,何ら“さしたる問題”ではない。問題なのは,韓国人,朝鮮人らが権利を主張し,自己主張することだ。」あたかも,このように言わんばかりの空気が役所や裁判所を支配し,李在一氏の歩もうとする道に立ちふさがってきた。
こうした“民族差別の先入観”は,人々の意識の中に,ある確実な偏見や損得勘定の基準を与えながらも,容易に見えにくい抽象物である。まさに“いわずもがな”の,ある観念なのである。だからこそ,こうした“先入観”をかいま見させる出来事は,できるだけ多くの人々の意識にはっきりと,よく分かるかたちで知らされなければならない。多くの人々に気づいてもらわなければならない。暴露されなければならない。それが,李在一裁判の意義の一つなのである。
あるいは,ひるがえって,1970年代から本格的に取り組まれてきた,在日韓朝鮮人が日本社会で“人間らしく生きる”ためのさまざまな運動というものを背景に考えてみると,この李在一裁判は,はたして,いかなる位置づけをもつのだろうか。この点で,一橋大学教授の田中宏氏と共に,李在一氏側から裁判所への意見書を提出された和光大学教員の萩原重夫氏の見方は興味深い。
萩原氏の見方は,こうである。戦後,日本社会に在日韓国・朝鮮人という存在が生み出され,生活の基盤を作り出していく際,まず取り組んできたことは,民族団体を結成して「集団的」に運動し,生活条件の改善を求めてきたことだった。こうした運動は,単に最低限の生活条件,たとえば恣意的な強制送還の阻止や医療保険への加入要求といったものにとどまらず,70年代以降,住宅の確保や就職差別への抗議といった,社会生活上の民族差別の撤廃,言い換えれば“より人間らしく生きる”ための条件整備へと向けられてきた。これらの運動は,いずれも「集団的」に取り組まれてきたものだ。いずれの課題も,「集団的」「全体的」に解決されるべき課題だったのだから。けれども,在日韓国・朝鮮人が日本社会で“より人間らしく生きる”ためには,それだけでは十分でない。いまや,在日韓国・朝鮮人が取り組むべき課題は,具体的な一人一人の個人にかかわる課題へと必然的に進まずにはおられない。個人にとっての結婚や,家庭生活や,教育といった問題における課題である。こうしたレベルでの国籍差別,民族差別が解消されなければ,“真に人間らしく生きる”ことは,依然としてできないのである。こうして,今日,「在日韓国・朝鮮人問題」は,「集団レベル」の課題から「個人レベル」の課題へとその重点が移りつつあるかのようである。李在一裁判は,その重点の移行における“一つの里程標”たる意味をもちうるかもしれない。
もちろん,こうした“里程標としての意味”や,先にふれた“民族差別の先入観の暴露”といった李在一裁判の意義づけは,仮にそれらが的外れでない正しい見方だとしても,どこか第三者による傍観者的なとらえ方であることは免れない。「李在一氏裁判は,私たち在日韓朝鮮人の歴史の1ページに何かを刻むのだろうか」と,どこか傍観者的に分析してみたりするだけのことである。
ところが,当の李在一氏自身にとっては,彼の裁判闘争は,彼の毎日の日常そのものでありつづける。かた時も頭の片隅から離れない,彼の現実の人生である。李在一氏は「裁判など,するものではないよ。僕の人生にとって,この10年ちかくの年月は,いったい何だったのだろうと自問してしまう。他にもやりたいことがたくさんあったような気がする」と,かつて語っていた。
しかし,そんな李在一氏を励まし,力づけるものは,彼の息子の成長そのものであるようだ。息子の聖徳君は,いま小学4年生(97年8月現在)になっている。離婚裁判が終わり,定期的な面接交渉がもてるようになったこの6年間で,李在一氏は彼の息子との間の父子関係をしっかりと築いてくることができた。両親がそろっていない家庭環境で育つ聖徳君にとって,「李」という姓も,自分の父親が朝鮮人だということも,心の奥底では何ら本当の悩みの種ではないように見える。聖徳君にとっては,自分の父親をたくましく感じ,誇らしく感じてさえいるようにも見える。聖徳君は自分の学校の友達にこう語ったという。「オレの父さんと母さんがケンカしとってな,それで,オレには父さんと母さんの名前の両方があるんサ。」
李在一氏は,この裁判闘争を,どこか,彼の息子に対する,いくぶん変則だが,彼なりの「家庭教育」「民族教育」だと考えているようなふしがある。そして,この裁判闘争を通じての李在一氏なりの息子へのメッセージは,確実に伝わっているように思われる。
こうした李在一氏の自分の人生を賭けた日々の実践が,この裁判闘争の真の原動力である。そして,その原動力ゆえにまた,うえでふれたような,“李在一裁判の意義づけ”も現実的な意味をおびてくると言えるのである。私たち,この裁判の支援者は,この原動力を無駄にできないと思わずにはいられない。
1995年3月,津地裁は外国人登録法に関する行政訴訟で原告敗訴,つまり,李在一氏の請求をしりぞける判決を下した。裁判所は,息子の聖徳君が外国人登録未登録の状態でもやむを得ないとしたのである。
この外登法訴訟一審では,李在一氏側は,外国人登録制度は今日,事実上,定住外国人が公的社会サービスを受ける際の公証機能をも果たすようになっているため,親権者として,自身の子に利益を受けさせるために登録を求めることは,国際人権規約などにおいて認められた定住外国人の権利だと主張した。
これに対して,「被告」側(津市長。ただし,実質的に法務省)は,まず最初に,「外国人登録制度は,日本に在留する外国人の“管理”を目的としているのであって,在留外国人の個人的利益の保護を目的とするものではなく,在留外国人が外国人登録制度によって受ける“便益”は,単なる“反射的利益”にすぎず,権利または法律上保護された利益に該当しない」などと述べて,李在一氏の請求を“門前払い”せよと主張した。
このように,李在一氏には「訴える資格がない」として“門前払い”を求めた法務省の主張に対し,一審判決において津地裁は,「外国人登録制度が,各種公法関係及び私的関係における身分,居住関係の公証制度としての機能を果たしていることから,これら外国人登録制度によって自己の身分関係及び居住関係を証明しうることによって享受する利益は少なくとも法律上保護に値する利益であり,登録申請を拒否した本件処分の取消しを求める原告には訴えの利益が認められる。」として,裁判の“門前払い”はしなかった。
この点は,この行政訴訟一審判決おいて,部分的には,評価されてよい点かもしれない。法務省が「外登法は,外国人に義務は定めていても,権利はいっさい認めていないから,“権利主張”としての裁判など“門前払い”せよ」という姿勢を取るのに対して,裁判所は少なくともそうした“主張”に一応耳をかたむけ,審理はしてみよう,というのであるのだから。
この点にかかわって,ここで李在一裁判における外登法訴訟の意味を考えておきたい。李在一氏によるこの外登法関連の裁判について,「“悪法”である外登法に従って,息子の代理登録申請を認めよ,などという話しは,これまでの出入国管理法や外国人登録法への批判や反対運動の観点からして,どこか本末転倒ではないのか」といったような疑問がしばしば寄せられた。
もちろん,入管法や外登法の抜本的な改正を求める運動なり,裁判闘争なりも大切だろう。しかし,現実的には,それらの改正が一朝一夕で実現されるわけではないし,それには日本国内外のさまざまな条件の成熟も必要だろう。それと同時に,現行の外国人登録制度が,とりわけ定住外国人にとっての実際の公証制度の機能を果たしていることも事実であるのだから,現行の外登法の枠内においてすら,外国人の基本的人権を尊重させる法解釈をおこなわせるということは,十分,意味のあることだと言わねばならない。外登法に対して“あの手この手”で四方八方から,“悪法”の側面を切り崩す闘いを挑む必要があると言えるのではないだろうか。
ところで,この一審裁判の途中,息子の外国人登録がなされないため,住民としての公的な社会サービスを受けられなくなる恐れがあるという李在一氏側の訴えに対して,「被告」側の津市,法務省は,「具体的に不利益を被っている事情はない」などと裁判の書面で述べていた。ところが,実際には,聖徳君が住民として登録されていなかったことから,聖徳君は津市による母子家庭医療費助成の対象者から漏れていた。それに気づいた津市は,外国人登録のない外国籍の子どもでも,他の方法で居住が確認できれば各種の医療費助成を支給するとわざわざ条例を改正し,95年10月から施行した。新聞でも「外登証なしでも助成」などと報道された。(読売新聞・名古屋版,95年9月1日)
この条例改正の意図は,「被告」側の“明らかな不当性”を消し去っておくという,李在一裁判への考慮を抜きにしては,とうてい説明されえないものだが,外国人登録がなくても医療費を助成するということ自体は,それはそれで結構なことではある。ただし,“他の方法で居住を確認”ということが,いわゆる“不法就労”や“オーバーステイ”の外国人から生まれた子どもらを排除するのでなければの話しではあるが。
さて,津地裁における外登法訴訟一審判決は,「一六歳に満たない未成年外国人の登録の代理申請資格をどの範囲の者に認めるかは,手続的な事柄であり,立法政策の問題である」とか,「原告(聖徳君のこと)が外国人登録を受けていないことによって,原告本人が具体的に不利益を被っているとの事実は証拠上認められない」などとして,結局,現実にいかなる公的機関にも正規に住民として登録されていない状態を黙認するといった,裁判所としての“判断回避”の結論を下した。
李在一氏は確かに自分の息子と同居していないので,外登法上の代理申請資格を欠いている。しかし、李在一氏からの申請を認めないといつまでも彼の息子の不登録状態は解消されない。親なのに同居していないという形式的理由だけで代理申請資格を認めない現行の外登法にこそ重大な欠陥があると言わねばならない。「(事務)手続的な事柄」とか,「立法政策の問題」だという理由で片づけるのでは,外登法は,子どもの登録権を保障した国際人権規約や子どもの権利条約よりも優位すると言っているに等しい。
かくして,外登法訴訟は,李在一氏側の控訴で,名古屋高裁に舞台が移った。
ところが,95年9月,控訴審の審理がはじまった最初の公判で,こともあろうに裁判長が,「この子の国籍は,韓国かね,“北鮮”かね?」と発言したのである。この裁判長,何とまあ,社会常識,人権意識に乏しいことか。“北鮮”“南鮮”という呼称が,植民地時代以来の朝鮮に対する差別用語であることは,広く知られたところであろう。これは単なる略称ではない。「朝鮮人は“頭”がない民族だから“朝鮮”でなく“鮮”だけで十分だ。だから朝鮮人は“鮮人”だ。(独立運動家などは“不逞鮮人”と呼ばれた。)そして地名の場合は,“北鮮”“南鮮”で十分だ」といったところから生まれた蔑称である。いくら年輩者だとはいえ,こうした感覚の人物が高等裁判所の裁判官にいるのである。
李在一氏は,この差別発言がなされたそのときは,顔を真っ赤にしながらも,ただじっとおし黙っていた。しかし,後日,訴訟代理人とも協議した結果,裁判官忌避の申し立てをすることに決めた。この裁判は,李在一氏にとって,単に訴えが認められ,息子の外国人登録がなされればそれでよい,というだけのものではない。訴えにいたった背景,外登法の理不尽さやその矛盾,こうしたことを全面的に訴えかけるために裁判を闘っているのである。そうであるならば,その裁判を指揮する当の裁判長が,「在日韓国・朝鮮人問題」に対する姿勢において,一点でも疑いの念を抱かせるような裁判長であれば,もはや全身全霊の力を注いで訴えかけるに値しないと言わねばならない。そうした李在一氏側の疑念を払拭させるためにも,裁判官忌避の申し立ては必然だった。この件は,新聞報道でも大きく取り上げられた。
裁判官忌避の申し立てそのものについては,民事訴訟法上の慣例から予想通り,同年12月,同じ名古屋高裁の他の裁判官らによって却下の決定が下され,ついで,翌年3月,やはり予想通り,最高裁からも却下決定が届く。けれども,誰かがこうした声をあげなければ,司法界においてすら,朝鮮人への蔑称がときに何の臆面もなく使われ続けるだろう。李在一氏の申し立ては,無意味ではなかったはずだ。
まもなく,控訴審公判が再開されて,96年9月に言い渡された名古屋高裁による控訴審判決は,一審判決を越える何ら新しい知見や法解釈を付け加えるものでもなく,原告敗訴の判断を下した。津地裁での一審裁判にもまして理路整然と正論をぶつけた李在一氏側の書面にも,ほとんど正面から答えていない,おざなりな判決だった。これはある面,控訴審公判が再開されて以来,李在一氏側としても予測していたことだった。差別用語を用いる裁判長による裁判指揮。それと同時に,日本の現行の司法制度では,行政府を敗訴させる判決は,今日,下級審ではほとんど出てこないという。なぜなら,裁判官の人事を握っているのは事実上,行政府なのだから。唯一,期待を寄せることができるのは,それ以上,裁判官の人事云々が問題とならない最高裁だけである。
外登法訴訟は,今,最高裁へ上告中である。
さて,時期は前後するが,96年2月,現在進行中の李在一裁判のもう一方の軸である,親権者変更問題の家事審判に対して,津家裁が,親権者を元妻に変更せよ,という審判を下した。
じつのところ,この審判には,李在一氏のみでなく,彼の訴訟代理人や裁判支援者らの誰もが一様に驚かされた。よもや,親権者が子の国籍を自分の国籍と同じくしたことにより,親権が“剥奪”されるようなことがあろうとは,考えも及ばなかったことである。
「親権」とはそういうものであろう。この世界で,親権者が自分の子を自らと同じ国籍にすることに不都合がある国があるだろうか。
津家裁の原審判は,文言にこそ書かれていないものの,明らかに「その変更された国籍が“朝鮮”だから,いけないのだ。日本国籍をもっているのに,それをわざわざ朝鮮籍にするなどもってのほかだ」と言わんばかりの審判である。
なぜ朝鮮籍ならいけないのか。“差別”があるというのか。ならば,その“差別”自体を問題にすべきではないのか。審判文は,一見,この問題の本質である“民族差別の先入観”には触れないように書かれていながら,“頭隠して尻隠さず”といった,予断と偏見をかいま見させる曖昧な文章で書かれている。
たとえば,審判文は,「相手方は,・・・離婚及び離縁にあたり,申立人及びその両親らが相手方に対して民族的差別を行ってきたとして激しい非難を加え,この姿勢は現在も変わっておらず,未成年者に対しては朝鮮民族の一員であることを認識させることに意を用いている」などと断定する一方,「・・・現時点においては親権と監護権を一本化するのが相当であり,これを担うのはこれまでさしたる問題もなく未成年者を監護養育してきた申立人とするのが相当である」などと述べている。
この審判結果は,離婚調停成立後も,元妻やその両親らが,当時5歳の聖徳君に李在一氏のことを「あれは本当のお父さんではない」とか,「あの男は人間ではなく,ケダモノだ」とか,「あそこの家の人間と絶対に一緒にご飯を食べたり,一緒に風呂に入ったりしてはいけない」というように教え込み,子ども自身に偏見を持たせようとしてきた事実にはいっさい触れようとはせず,元妻側については,「これまでさしたる問題もなく」と擁護する。他方で,聖徳君が将来,自己卑下したりするようなことなく,しっかりした自覚を持てるように育てられる必要があるという,朝鮮人の李在一氏の主張に対しては,真意を全く汲み取ろうとせず,ねじ曲げて解釈し,「朝鮮民族の一員であることを認識させることに意を用い」というようにしか判断しない。
きわめて偏った,時代錯誤の稚拙な審判結果である。
けれども,この家事審判原審での敗訴は,私たち,李在一裁判にかかわる者らにいろいろな意味で教訓を残した。李在一氏の訴訟代理人にしても,支援者らにしても,自分たちにとっての“良識”や“価値観”がまったく通じない日本人がまだまだ多いということを今更ながら確かめさせられた思いだった。
ところで,うえでふれた津家裁の原審判に関しては,若干の後日談がある。家事審判原審を担当した裁判官は,その審判文において,あまりにも元妻側の言い分に傾斜した一方的な事実誤認があったので,李在一氏側としては,はたしてこの裁判官は,李在一氏側が提出した陳述書や書面にきちんと目を通したのだろうか,といった疑念がわいていた。ところが,この裁判官は,李在一裁判とは別の裁判3件において,判決原本を作らず判決言い渡しをするなど,ずさんな審理をしていたとして,97年7月に名古屋高裁から厳重注意処分を受けていたことが判明した。(朝日新聞・名古屋版,97年7月31日夕刊)
もちろん,だからといってそのことが,李在一裁判でもずさんな審理をしたという根拠にはなりえない。けれども,こうしたかたちで裁判官が処分を受けるということは,まずありえない,きわめてめずらしいケースだという。李在一裁判でも,関係書類を精査し,予断と偏見を持つことなく厳正に審理したとは,とても信じがたいとは言えないだろうか。
さて,本題に戻れば,家事審判については,李在一氏は,96年3月に名古屋高裁へ即時抗告した。そして,97年5月までの1年以上の期間にわたって,相手側との何度かの反論の応酬を含めて,今度は万全を期した大部な書面を作成し,裁判所に提出した。
李在一裁判は,いま,正念場をむかえている。
(おわり)