皇国史観と皇民化政策


 日本がアジアとの関係を築いていくうえで,「歴史観が問われる」とか「歴史認識が問題である」みたいな言われかたをすることがありますよね。その意味は,戦前の皇国史観の残りカスをいまだに引きずってはいないか反省することが必要だ,ということなのです。

 では,そもそも「皇国史観」ないし戦前の歴史観はどうしてそこまで悪く言われるのか,ということなのですが,この史観は,大東亜共栄圏の建設の名のもとに国民を大規模な侵略戦争へと駆り立てるのに少なからぬ役割を果たしたのです。というより,国民を侵略戦争に駆り立てるために「創られた」イデオロギーであるという側面を持っています。などと唐突に言っても始まりませんね。まず,皇国史観の内容を簡単にでも知っておく必要があるでしょう。

 詳しくは専門の歴史書にゆずりますが,皇国史観の基本的な主張は次の3点にまとめられます。(1)日本は神国であり、皇祖天照大神の神勅を奉じ、「三種の神器」を受け継いできた万世一系の天皇が統治してきたとする、天皇の神性とその統治の正当性と永遠性の主張。(2)日本国民は臣民として、古来より忠孝の美徳をもって天皇に仕え、国運の発展に努めてきた、とする主張。(3)こうした国柄(「国体」)の精華は、日本だけにとどめておくのではなく、全世界にあまねく及ぼされなければならない、という主張。

 ちょっと分かりづらいですかね。在日朝鮮人との関係で考えるときには,国家主義的な側面を無視することはできないのですが,まぁ,とりあえずいま問題になっているのは3番ですので,それだけ説明することにしましょう。

 3の主張の背景にあるのは,まぎれもなくエスノセントリズム(自民族中心主義)です。問題はそれが,植民地支配や侵略戦争を肯定・正当化するものとして積極的に賛美された,ということなのです。たとえば,韓国併呑(いわゆる日韓併合のことです)に関しては「我が属国百済が滅亡してより久しいものがあつたが,ここに全半島はまた本来の皇土と化するに至つた」などと語られていますし,また「満州国建設」については「肇国の精神に基づく世界新秩序建設の巨歩」と意義づけています。いずれの場合にしても,日本の侵略を「皇化に浴せしめる」理想的な事業であるとする考え方が土台になっています。「江藤妄言」がいうところの,「日本はいいこともした」というやつですね。


 で,この皇国史観にもとづいて朝鮮人にたいしておこなわれたのが,「皇民化政策」というものです。これを一言でいえば,朝鮮固有の文化的伝統を劣位なものであると規定したうえで,それを完全に抹消するためになされた政策のことです。キーワードは「内鮮一体」です。

 具体的には,「一邑面一神社主義」といって各村ごとに神社が建てられ参拝が強要されたり,各家庭にも神棚が設置させられて「天照大神」への礼拝が命令されたりしました。また,「皇国臣民の誓詞」(1937年)というものが定められて,学校,官庁,各職場で日常的な斉唱が義務づけられました。日本語を国語として常用することが強要されたのもそのころです。1939年には「創氏改名」といって,日本式の氏名を用いるように直接・間接の圧力が加えられたりしたわけです。改名を拒否する者にはあらゆる公的・私的な圧迫,疎外,嫌がらせが及ぼされ,結果として朝鮮人のおよそ8割が創氏改名に追い込まれたといいます。

 あ,創氏改名については誤解が多いようなので補足しておきましょう。これは単に名前を変える(改名)という意味ではありません。「創氏」と「改名」なのです。もともと,朝鮮の家系は男系血統の血族集団から成り立っているのですが(したがって夫婦別姓です),これを戸主を中心とする「イエ」の観念に置き換えることを「創氏」といいます。そして,改名よりもこの創氏のほうに抵抗が強かったのです。というのも,朝鮮人にとって,血族集団を単位とする家系の概念は生活習俗のかなり基底的な部分にかかわっていまして,たとえば今の韓国でも,姓と本貫が同じ男女は結婚できなかったり,族譜(チョッポ)といって家系図のようなものを代々うけついで大切にしたりします。当時の日本において,「イエ」制度が生活の根幹にかかわっていたようなものですね。

 族譜をご存じない方のために,うちの族譜の写真を貼付しておきましょう。ちなみに,私(金明秀)の場合,父方の本貫が「金海金氏」で母方が「慶州金氏」なので,父系血統にならうと金海金氏ということになるのですが,父親はもうこの世にいませんし,この金海金氏というのはかなりの勢力を持つ氏族ですので,とてもじゃないけどその族譜など手に入りません。したがって,実例として添付するのは母方のものです。

 まぁそういうことで,氏というのは朝鮮人がとても大切にしていたものだったということですね。日本敗戦後,国教分離指令や「天皇人間宣言」,「教育勅語」の失効によって皇国史観の生命は絶たれたかにみえました。まぁ,少なくとも皇国史観という言葉は死語と化したと言ってよいでしょう。しかし,1950年以降いわゆる逆コースに乗って,紀元節の復活や靖国神社法案,元号法の制定,天皇への敬愛や尊厳性の強調,文部省の教科書検定における国民の主権者意識や権利意識への批判的姿勢など,皇国史観の影は常に見えかくれしています。