在日朝鮮人の社会階層を研究テーマとするとき、従来は主に国勢調査などのセンサスデータが用いられてきた。しかしながら、公表されるデータの中から「在日韓国・朝鮮人」という項目が消失し、かわりにニュー・カマーを含む「韓国籍・朝鮮籍」が登場するようになって以来、在日朝鮮人の階層研究は、基礎的な足場を失うとともに、主観的な印象に頼った議論が趨勢をしめるようになった。
一部には、独自の調査をもとにして、在日朝鮮人の職業実態をとらえようとする試みもあったが、調査地域が限定されていたり、特定の組織を対象とした配票法であったりと、データ収集の限界に起因する問題を抱えていた。
本研究は、在日朝鮮人を対象にしたものとしては、初の全国規模のサンプリング調査である「一九九三年在日韓国人青年意識調査」から、本人および父親の教育と職業をとりあげ、その基礎的な分布を紹介する。
1.1 調査の基本設計
「一九九三年在日韓国人青年意識調査」(1)の母集団は、「日本生まれで、韓国籍を持つ、十八〜三〇歳の者」(2)である。一九九三年六月二一日から同年九月二一日までの三カ月間、訪問面接法により実施された。ただし、調査期間最後の一カ月間、一部に、留置調査法を併用している。
母集団を代表するものとして、在日大韓民国青年会の保有する名簿を用いた。在日大韓民国青年会(以下、青年会)は、在日大韓民国居留民団(3)(以下、民団とする。なお現在は、在日大韓民国民団に改称)の傘下団体であり、その保有する名簿は、民団の保有する名簿から十八〜三〇歳を抽出したうえで、若干の更新と追加をおこなったものである(4)。
この名簿から系統抽出をおこなった結果、約二千名の調査対象者を選出した。このなかから、名簿の記載間違いによって訪ねあたらなかった者や対象年齢外だった者、帰化によって韓国籍を喪失した者、死亡者など、青年会の名簿自体の不備による調査不能を調査対象者から除外した結果、最終的な調査対象者数は一七二三名になった。
回収された調査票はちょうど八〇〇票であり、回収率は四六・四%である。回収率は低めの値になったが、青年層を対象とした調査であり、なおかつ都市部の比率が高くなっていることを考えると、やむをえない値であると考えられる。事実、東京と大阪を除いた地域では、平均回収率が七割を越えていることを考えると、都市部における社会調査の難しさが、全体の回収率を引き下げる直接の要因になっているといえる。
1.2 デモグラフィックな特性
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| 360 | (45.0) |
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| 440 | (55.0) |
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| 41 |
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| 69 |
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| 89 |
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| 97 |
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| 99 |
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| 71 |
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| 76 |
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| 65 |
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| 57 |
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| 46 |
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| 42 |
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| 25 |
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| 16 |
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| 7 |
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| 800 |
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| 年齢 |
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| 40-44 | 21 |
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| 45-49 | 128 |
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| 50-54 | 236 |
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| 55-59 | 166 |
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| 60-64 | 66 |
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| 65-69 | 33 |
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| 70- | 16 |
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| 無回答 | 9 |
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| 計 | 675 |
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また、就職や結婚にともなって転居者は自然に増加するが、調査時点ではこの動向を十分にとらえきることができず、名簿の不備として処理された対象者が多かった。二三歳より上の年齢層で人数が漸減していることは、この説明に合致している。
表1-3は、回答者の父親の年齢を五歳間隔で示したものである。成育家庭での家計支持者を「父親」と回答した者のみ取り上げたため、サンプル数は六七五名になった。父親の年齢は、四五歳から五九歳までで全体の約八割を占めている。調査対象者が一八〜三〇歳であることを考えると、妥当な数値だろう。
在日朝鮮人の教育達成については、よく二つの異なった説を耳にする。一つの説は、経済的な障害から高等教育を受けたくても受けられなかった親の世代が、子どもにはそのような不満を抱かせたくないと思い、高い教育期待を持つようになるというものである。もう一つの説は、高等教育を受けても一般企業への就職の道が閉ざされていた親の世代が、大学に行っても無駄だという考えを持つようになり、子どもにたいする教育期待を失ってしまう(したがって、学歴よりも手に職をつけろ、ということになる)というものである。
どちらの説も、親の教育期待を問題にしているので、今回の調査でそのまま検証することは難しい。ただ興味深い点は、いずれの説も、親の世代における学歴のメリトクラシー不在や、教育機会の不平等を前提にしていることである。つまり、日本社会との比較で、民族集団間の構造的な不平等を自明のこととしているのである。これらの説は、正しいか間違っているかはともかく、在日朝鮮人の教育機会について、たんに階層間でどれだけ違いがあるかを確認するだけではなく、日本人との比較からどのように異なっているかについても論じる必要性を喚起してくれる。
そこでまずは、単純集計レベルでデータを概観しながら、本調査と日本人の教育達成水準の差異を検討することにしよう。
2.1 教育水準
表2-1は、回答者の達成学歴を、一九九〇年に実施された国勢調査のデータと比較したものである。本調査男性と国勢調査の男性データで明確な違いがあるセルと言えば、本調査データの方で中学校卒がほとんどいない分、高校卒の比率が高くなっているということぐらいである。しかし、本調査男性の中学校卒はサンプル数がきわめて少ないため、データ固有の傾向にすぎないということも考えられる。かりに、中学校卒と高校卒をあわせた比率を考えてみると、本調査が六八・〇%、国勢調査が六四・〇%となり、両データで顕著に違いの見られるセルはなくなってしまう。そうすると、特筆すべきことは、むしろ両データの類似性であると言えよう。また、女性についてもやはり、男性とまったく同様の結果になっている。つまり、単純集計のレベルで見るかぎり、教育の達成水準という側面では、在日韓国人青年と同世代の日本住民との間にほとんど違いは認められない、と結論づけられるだろう。
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%(実数) |
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20歳代男性 |
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20歳代女性 | ||||
| 大学・大学院 | 22.8 | ( 67) | 25.2 | (1779) | 7.4 | ( 27) | 9.3 | ( 697) |
| 短大・高専 | 9.2 | ( 27) | 10.9 | ( 768) | 32.2 | (118) | 31.2 | (2341) |
| 高校 | 66.0 | (194) | 54.4 | (3841) | 59.1 | (217) | 54.0 | (4058) |
| 中学校 | 2.0 | ( 6) | 9.6 | ( 675) | 1.4 | ( 5) | 5.5 | ( 411) |
| 在学中 | ― | ( 59) | ― | (1354) | ― | ( 66) | ― | ( 709) |
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| 100.0 | (354) | 100.0 | (8420) | 100.0 | (433) | 100.0 | (8219) |
表2-2 本調査父親と国勢調査の学歴
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%(実数) |
40歳代 |
40歳代 |
50歳代 |
50歳代 |
60-74歳 |
60-74歳 | ||||||
| 大学・大学院 | 18.6 | ( 27) | 21.8 | (2103) | 17.0 | ( 66) | 15.2 | (1157) | 17.5 | (17) | 8.2 | ( 566) |
| 短大・高専 | 0.7 | ( 1) | 3.7 | ( 352) | 0.3 | ( 1) | 2.6 | ( 196) | 4.1 | ( 4) | 6.4 | ( 438) |
| 高校 | 51.0 | ( 74) | 47.7 | (4611) | 38.9 | (151) | 41.5 | (3168) | 26.8 | (26) | 31.8 | (2181) |
| 小・中学校 | 29.7 | ( 43) | 34.0 | (2594) | 43.8 | (170) | 40.8 | (3114) | 51.5 | (50) | 53.6 | (3685) |
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まず、四〇歳代については、本調査の父親のほうがやや低学歴傾向にあるようにも見える。しかし、本調査の父親の場合、四〇歳代前半よりも後半が圧倒的に多いことを考えると、ほぼ同等の水準だと見なすほうが自然であろう。五〇歳代についても、「短大・高専」と「大学・大学院」をまとめてしまえば、ほとんど違いが分からない。
注意を要するのは六〇歳以上についてである。六〇歳以上は本調査父親のほうがはっきりと高学歴傾向にあるが、このことを判断するにあたって考慮に入れなければならないことが二点あげられる。まず第一に、本調査の父親の場合、表1-3から明らかなとおり、六〇歳代前半の比重が大きいということである。しかし、年齢の分布を勘案してもなお、本調査の父親の教育水準が高いように判断されるため、このことから本調査の高学歴傾向を説明するには無理があろう。
第二に、在日朝鮮人であろうと日本人であろうと、一般にこの種の社会調査では、年齢の上昇にあわせて教育達成の回答も上昇する傾向があるということである。簡単にいえば、たとえば実際には高専卒業であるにもかかわらず、「現在の基準でいえば大卒相当である」との判断から、大卒と回答する人が少なくないということである。この回答傾向がどれだけ影響しているかは不明だが、六〇歳以上の不自然な値を解釈するうえで、重要な参考になるであろう。
結局のところ、表2-2を見るかぎり、部分的に微細な揺らぎはあるものの、各年齢層をとっても、全体として見ても、本調査の父親データと国勢調査データのどちらかが高い教育水準にあると結論づけることは困難だろう。むしろ、両データの意外なほどの近似性をこそ、特筆すべきだと思われる。
そうしてみると、まず本調査の回答者本人(一八〜三〇歳)、そして次にその父親(四〇〜七四歳)と、かなり広範な年齢層を検討したにもかかわらず、日本の住民全体(国勢調査)とのあいだで、教育の達成水準に明確な違いが見られなかったということになる。前述した説の一つが言うような「在日韓国・朝鮮人は、かつて学校教育からも疎外されていたが、その不満をバネに、日本人以上の速度で高学歴化を果たしてきたのだ」という趨勢は、本調査データからはまったくうかがえないことになる。これは、従来の説が間違っていたのだろうか、それとも、本調査のデータが偏っているのだろうか。
俗説としてではなく、在日韓国・朝鮮人の学歴の特徴が「急速な高学歴化」にあると言及した研究に、小沢有作の「教育とアイデンティティ」がある(小沢有作、一九八六)。まずは、小沢がこの結論を導くにいたったデータを見てみることにしよう。
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県 民(1,066千人) 外国人( 238 人) | 0.07 0.4 | 9.8 6.7 | 45.2 60.0 | 44.6 32.4 |
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| 県 民(1.341千人) 外国人( 268 人) | 0.06 0.0 | 21.3 19.4 | 50.3 53.0 | 28.0 27.6 |
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| 県 民(1,012千人) 外国人( 211 人) | 0.06 1.5 | 30.8 38.0 | 48.5 41.7 | 20.3 18.0 |
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| 県 民( 653千人) 外国人( 147 人) | 0.1 7.5 | 41.5 48.3 | 40.1 30.0 | 9.4 15.6 |
| 60代以上 | 県 民( 653千人) 外国人( 166 人) | 0.57 41.0 | 60.7 36.1 | 27.0 11.4 | 11.1 10.2 |
表2-3に、小沢がまとめた表を一部加工したうえで引用した。一九八〇年の国勢調査から神奈川県民の学歴を抽出し、韓国・朝鮮人、中国人の調査データと比較したものである(同書、一二五頁)。なお、表中の「外国人」とは、「神奈川県内在住外国人実態調査」(以下、神奈川調査)のデータである。この表から、小沢は次のように述べている。
この表からわかることは、第1に、県民(日本人)の高学歴化の歩み以上の速さで、韓国・朝鮮人、中国人が高学歴の状態を実現していった点である。世代が若くなるほど県民の学歴構成比に近づき、全国平均のそれを上回っていくのである。これは、日本全体の動向に合わせるという動機のみならず祖父母、父母が孫や子にたいして「せめて学校だけは……」と願う、教育にかける熱意のあらわれでもあるだろう。
なるほど、小沢の言うように、六〇代以上で「不就学」の比率がいちじるしく高く、「初等教育修了」の比率を見ると、たしかに「県民(日本人)の高学歴化の歩み以上の速さで」減少傾向にある。しかしながら、「中等教育」以上に注目してみると、必ずしも高学歴化のパターンは一貫しておらず、ましてや高学歴化の歩みが県民以上の速さだとは思われない。
この高学歴化の傾向をより分かりやすく確認するため、表2-3の「不就学」に〇、「初等教育」に六、「中等教育」に一二、「高等教育」に一六年という数値を与え、平均教育年数とその上昇分を示したものが表2-4である(5)。
| 年齢 |
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| 20代 | 13.15 |
| 12.79 |
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| 30代 | 11.79 |
| 11.94 |
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| 40代 | 10.92 |
| 10.16 |
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| 50代 | 8.81 |
| 8.99 |
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| 60代以上 | 8.66 |
| 5.17 |
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まず、平均教育年数を見ると、六〇代以上では「県民」と「外国人」のあいだに三年以上の開きがあるものの、五〇代ではこれを追い抜き、それよりも若い年齢層では互いに抜きつ抜かれつで推移している。この結果を、表2-3の解釈を含めつつまとめるならば、初・中等教育の年限を戦前・戦中に体験している六〇代以上の年齢層(一九八四年時点で)では、県民とのあいだで教育年数に大きな開きがあるものの、それ以後の年齢層については、県民との間に一貫した差異の傾向は見られない、ということになろうか。
つぎに平均教育年数の上昇分を見てみよう。これも、「外国人」のほうで六〇歳代以上から五〇歳代への上昇分が三・八二年と際立って大きいことをのぞけば、「県民」より「外国人」のほうが高い上昇率を示しているというわけでもない。
以上の検討からすると、「県民(日本人)の高学歴化の歩み以上の速さで、韓国・朝鮮人、中国人が高学歴の状態を実現していった」という小沢の主張を、そのまま支持することは困難である。
むしろ、表2-3〜4から明らかなことは、神奈川調査の時点で六〇歳代以上の年齢層をのぞけば、「県民」と「外国人」の間で学歴の達成水準に明確な差異は存在しない、ということであろう。在日韓国・朝鮮人の学歴の特徴が、日本人以上の「急速な高学歴化」にあるという説は、単純集計レベルで教育水準を概観するかぎり、戦前・戦中に教育年限を終えた世代と、それ以後の世代のあいだの格差を表現したものにすぎない。戦後に教育を受けた世代だけを取りだすならば、妥当性のない主張だと言えるだろう。
さて、ここで本調査の分析に戻ろう。本調査の分析結果からは、回答者本人についても、その父親についても、日本の住民全体(国勢調査)とのあいだで教育の達成水準に違いは見られなかった。この結果は、本調査の父親のうち、神奈川調査の「六〇代以上」と同一コーホートにあたる七〇歳以上の割合が三%弱にすぎないことを考えると、神奈川調査の結果ともむしろ整合していると言える。総括すると、在日韓国人と日本人のあいだには、青年層にかぎらず民族的な枠組みでの教育水準の差異は観察されない、と結論づけることができよう。
ここまでは、達成学歴の基礎的な分布を見ることによって、民族的な枠組みでの教育機会の状況を見てきた。するとつぎに問題になるのは、父親の社会階層によって、子の教育機会に制約が課せられてはいないか、あるいはその制約状況に、民族間で差異があるかどうか、ということである。
2.2 出身階層と教育達成
直井と藤田は、教育達成に効果を及ぼす要因として、つぎの五群をあげている(直井優 藤田英典、一九七八)。
したがって、教育達成を規定する基幹的な構造を浮かび上がらせることを目的とするならば、まずは父職として測定される出身階層と教育達成との関連を検討することが肝要だと考えられよう。
表2-5は父親の職業別に、回答者本人の教育達成水準を示したものである(6)。一見してわかるとおり、父親が管理・専門職であるほど、子の最終学歴は大学が多くなり、逆に父親がマニュアル労働者であるほど、子の学歴は高校が多くなっている。すなわち、出身階層によって、教育機会に制約が課せられているというわけである。
しかしながら、出身階層によって教育達成が規定されるということは、社会学において非常によく知られた「事実」であり、表9は、単にこれが在日韓国人青年についても同様にあてはまるということを確認したものにすぎない。
表2-5 父親の職業分類と本人の学歴(全体)
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| 1(0.5) | 80(36.9) | 59(27.2) | 77(35.5) | 217(100.0) |
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| 2(1.3) | 71(46.1) | 40(26.0) | 41(26.6) | 154(100.0) |
|
| 5(2.0) | 155(62.5) | 48(19.4) | 40(16.1) | 248(100.0) |
|
| 8(1.3) | 306(49.4) | 147(23.7) | 158(25.5) | 619(100.0) |
表2-6 父親の職業分類と本人の学歴(男性)
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| 0(0.0) | 45(45.5) | 12(12.1) | 42(42.4) | 99(100.0) |
|
| 0(0.0) | 37(53.6) | 6( 8.7) | 26(37.7) | 69(100.0) |
|
| 4(3.4) | 69(59.0) | 9( 7.7) | 35(29.9) | 117(100.0) |
|
| 4(1.4) | 151(53.0) | 27( 9.5) | 103(36.1) | 285(100.0) |
表2-7 父親の職業分類と本人の学歴(女性)
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| 1(0.8) | 35(29.7) | 47(39.8) | 35(29.7) | 118(100.0) |
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| 2(2.4) | 34(40.0) | 34(40.0) | 15(17.6) | 85(100.0) |
|
| 1(0.8) | 86(65.6) | 39(29.8) | 5( 3.8) | 131(100.0) |
|
| 4(1.2) | 155(46.4) | 120(35.9) | 55(16.5) | 334(100.0) |
それでは、教育達成というテーマについて、在日韓国人青年に固有の特徴はなにか、ということになるが、そのことを典型的に示す興味深いデータを表2-6〜7にあげた。つまり、性別による違いである。
驚くべきことに、表2-6の男性データでは、統計水準五%ではカイ二乗検定をパスしていない。また、関連の強度を示すクラマーのvも、表9の〇・一八から〇・一四へと落ち込んでいる。一方、表2-7の女性データを見ると、カイ二乗検定がパスしているのみでなく、関連の強さも〇・二七とかなり大きくなっている。
もっとも、同世代の日本人のデータを同様の分析に当てはめてみると、関連の強さvは男女とも〇・二六前後がふつうであり、むしろ女子のデータの方が、ある意味では順当な結果だということになるだろう。つまり、女子の教育機会は同世代の日本人と同じ程度で父親の職業に制約を受けるが、男子のほうはあまり明確な影響は受けていない、ということになる。いったいこの理由は、どのように説明することができるだろうか。

(破線は日本人、実線は在日朝鮮人)
図1 教育機会の「均等」が実現する形態
出身階層によって男子の達成学歴が制約を受けないといっても、同世代の日本人男性と比較したときに、その実現形態は図1のように三通りが考えられる(7)。Aの上層抑圧型は、上層出身の恩恵が十全に機能していない状態であり、親の職業いかんにかかわらず男子の学歴達成に一定の制約が課せられているモデルである。Bの下層押上型は、いわば下層出身の者ほど不利を突破するべく男子の学歴達成にコストをかけるというモデルである。Cの抑圧・押上併存型は、AとBが同時に存在する形態である。
本調査データが、この三つのうちどのモデルに近似するかを判断するためには、比較基準となる日本人のデータが必要である。そこで、一九八五年の「社会階層と社会移動全国調査」(SSM調査)を参考として用いることにした。表2-8は、SSM調査の男性票のうち三〇歳以下を取りあげ、調査当時まだ在学中であった者および父親が農林的職業に従事している者を除外した数値である(8)。
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| 0(0.0) | 20(35.1) | 3(5.3) | 34(59.6) | 57(100.0) |
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| 2(2.5) | 43(53.8) | 1(1.3) | 34(42.5) | 80(100.0) |
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| 11(8.4) | 88(67.2) | 6(4.6) | 26(19.8) | 131(100.0) |
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| 13(4.9) | 151(56.3) | 10(3.7) | 94(35.1) | 268(100.0) |
表2-6と表2-8を見比べてみると、父職が専門・管理の場合、本調査データでは高卒の比率がSSM調査データより一割ほど高くなっているのにたいして、大卒(四年制)の比率は二割ちかく低くなっている。一方、父職がマニュアルの行に注目してみると、本調査データでは高卒の比率がSSM調査データより一割ほど低く、大卒の比率は一割ほど高くなっている。つまり、上層抑圧と下層押上の圧力が同時におよぶ、抑圧・押上併存型になっているのである。
ここで、前述した二つの説を思い起こしてもらいたい。一つの説は、経済的な障害から高等教育を受けられなかった親の世代が、反動的に子どもにたいして高い教育期待を持つようになるというものであり、もう一つの説は、学歴のメリトクラシーを享受できなかった親の世代が、子どもにたいする教育期待を失ってしまうというものであった。
この二つの説は、これまで対立的なものとして捉えられることが多かったが、前者が下層抑圧を、そして後者が上層抑圧をそれぞれ説明したものだとするならば、ここで発見された教育水準についての抑圧・押上併存のしくみを、非常にうまく説明することができるようになる。
もっとも、本調査では親の教育期待や本人の教育アスピレーションなどが変数に含まれていないため、これはあくまで推察の粋を出ない。今後の研究においては、心理、主観的な変数を含めたより詳細なデータを収集することによって、学歴達成の具体的なプロセスを解明することが望まれよう。
3.1 父世代の職業構成
父親の職業を、職務に必要とされる知識、技能、仕事の種類や水準など、職業の背景にある社会的資源の獲得状態などをもとにして、「専門的職業」「管理的職業」「事務的職業」「販売的職業」「熟練的職業」「半熟連的職業」「非熟練的職業・単純労働者」「農林的職業」の八カテゴリーに分類して示したものが、表3-1である。
表3-1 父世代の職業の種類
| 実数(%) |
|
| (除農業%) | ||
| 専門 | 16 |
| 40 |
| ( 7.7) |
| 管理 | 205 |
| 96 |
| (18.5) |
| 事務 | 17 |
| 72 |
| (13.9) |
| 販売 | 139 |
| 70 |
| (13.5) |
| 熟練 | 88 |
| 120 |
| (23.1) |
| 半熟練 | 138 |
| 83 |
| (16.0) |
| 非熟練 | 27 |
| 38 |
| ( 7.3) |
| 農林業 | 4 |
| 129 |
| − |
| 無回答等 | 41 |
| 84 |
| − |
| 計 | 675 |
| 732 | (100.0) | (100.0) |
父親世代の職業構成の特徴を把握するために、一九八五年の「社会階層と社会移動全国調査」(SSM調査)から、「父親の主な職業」を同表のなかに示してある。SSM調査のデータは、回答者の年齢を三〇歳以下に限定したものである。
SSM調査回答者の父親(以下、SSM父親)にくらべて、本調査回答者の父親(以下、本調査父親)で印象的なのは、まず農業従事者が圧倒的に少ないことである。日本人社会では、農業従事者がある意味で産業構成の基幹を担っていたこととくらべると、いちじるしい対照をなしている。
朴在一は、在日朝鮮人が一九五二年の時点で農林的職業に従事していた比率を、五・三%であると推定している(朴在一、一九五七、六九頁)。農林的職業は、就業にあたって一定の土地所有が前提になるため、一般に、新規に参入することが難しい領域である。それから四〇年近くたったいま、本調査父親に農業従事者がほとんどいないというのも、ごく自然な結果だと理解できよう。
次に目をひくのは、本調査父親で管理的職業がかなりの比率をしめている点である。SSM父親では、農業従事者を除いた比率でも、管理的職業は一八・五%であるのにたいして、本調査父親では、その二倍近い三二・三%にも及んでいる。
SSM調査では、家族従業者以外の雇用者数が五名をこえると、「経営者」としてコード化される。これは、雇用者数が五名を越えると、実質的に経営を中心的な職務にせざるをえないという判断などから設けられた基準である。すぐ後に述べるとおり、本調査父親の大部分が自営業主や零細企業の経営主であることを考えると、「経営者」の内実が、SSM父親のそれと大きな隔たりがあるということは、容易に理解できよう。つまり、これは実態的な職業の種類を反映した値ではなく、カテゴリー分けのプロセスで生じた、見かけ上の分布の違いを含んでいるというわけである(9)。
表3-2 父親の従業上の地位
| 実数(%) |
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| |||
| 経営者・役員 | 89 | (17.6) | 40 | ( 5.9) |
| ( 7.7) |
| 一般従業者 | 124 | (19.2) | 365 | (53.6) |
| (63.6) |
| パート・アルバイト | 5 | ( 0.8) | 5 | ( 0.7) |
| ( 0.6) |
| 自営業主(雇用者なし) | 169 | (25.5) | 194 | (28.5) |
| (15.0) |
| 自営業主(雇用者あり) | 258 | (36.6) | 77 | (11.3) |
| (13.1) |
| 内 職 | 2 | ( 0.3) | 0 | ( 0.0) |
| ( 0.0) |
| 無 職 | 7 | − | 4 | − |
| |
| 無回答 | 6 | − | 47 | − |
| |
| 計 | 660 | (100.0) | 732 | (100.0) |
| (100.0) |
その他の特徴的な違いとしては、販売的職業は多いが、事務的職業は少ない、という点があげられる。事務的職業が少ないというのは、とりもなおさず一般従業者が少ないことの帰結であり、販売的職業が多いというのは、自営業として飲食店や小売店を営む者が多いことを直接反映した結果である。
また、半熟練労働者が多く、熟練労働者が少ないことも特徴として挙げられよう。本調査の父親が、自営業をおこしたり受け継いだりした際に、潤沢な資本や知識、技能を身に付けていたとは考えにくい。多くの学習コストを要する熟練的職業よりも、比較的それが少なくてすむ半熟練的職業の比率が高いことは、ごく自然に理解されることだろう。
さて、以上のように考えると、農業従事者の数が少ないということをのぞいて、SSM父親との大きな違いは、いずれも自営業であるかどうか(「管理」「事務」「販売」)、あるいはその自営業を営むにいたった経緯(「熟練」「半熟練」)に、すべての論点は帰着する。そこで、つぎに「従業上の地位」を見てみることにしよう。
| 人数 | 実数 |
|
| 5〜9人 | 24 |
|
| 10〜29人 | 22 |
|
| 30〜99人 | 32 |
|
| 100〜299人 | 7 |
|
| 300〜499人 | 1 |
|
| 無回答 | 3 |
|
| 計 | 89 |
|
表3-2は、父親の従業上の地位を表わしたものである。やはり八五年SSMのデータを参考として含めてある。一見してわかるとおり、本調査父親では自営業主が六二・一%と、有職者の六割強を占めている。また表3-3は、父親の職業が「経営者・役員」という者だけを取りあげて、企業の規模(家族従業者を除く従業員の人数)を示したものであるが、その半数以上は、雇用者が三〇人未満のいわゆる零細企業である。つまり、本調査父親のうち、約七割までもが零細企業や自営業を営んでいるのにたいして、一般従業者はわずか二割に満たないということになる。SSM父親で、農業従事者を除けば六割以上が一般従業者であることと比較すると、これは圧倒的な比率の違いである。国内植民地論や、二重労働市場論を彷彿とさせる、圧倒的な労働市場の閉鎖性がうかがわれる。
ここで、前節でおこなった教育達成の検討を思いおこしていただきたい。前節での結論は、青年層にかぎらず、学歴の達成に民族間の差異は見られない、ということであった。つまり、父親の世代においても、日本人と同等の学歴水準を達成していたのである。にもかかわらず、従業上の地位でこれほど大きな差異が生じているということは、とりもなおさず、この労働市場の閉鎖性が、学歴の達成によっても突破することが困難なほど強固なものであったということにほかならない。
以下は、こうした日本社会の労働市場の閉鎖性が、子の世代、つまり調査対象者本人にどれだけ引き継がれているのか、ということについて見ていくことにしよう。
3.2 在日韓国人青年の職業構成
教育の節では、出身階層による男女の教育格差を在日韓国人青年の特徴的な問題として取りあげたが、ここでは、男性にサンプルを限定して分析をすすめていく。周知のとおり、男性にとっての職業は、社会的地位としての意味を強く帯びているのにたいして、女性の場合は、職業のみで社会的地位を代表させることが難しいためである。
さて、回答者本人の従業上の地位を示したものが、表3-4である。参考として、八五年SSM調査の男性票から、回答者の年齢を三〇歳以下に限定したうえで、現職の従業上の地位を同掲してある。
| 実数(全体)(有職者) |
|
| ||||
| 経営者・役員 | 14 |
| ( 4.9) | 3 |
| ( 0.8) |
| 一般従業者 | 174 |
| (60.8) | 309 |
| (82.0) |
| パート・アルバイト | 28 |
| ( 9.8) | 10 |
| ( 2.7) |
| 自営業主(雇用者なし) | 6 |
| ( 2.1) | 17 |
| ( 4.5) |
| 自営業主(雇用者あり) | 15 |
| ( 5.2) | 12 |
| ( 3.2) |
| 家族従業者 | 49 |
| (17.1) | 26 |
| ( 6.9) |
| 内 職 | 0 |
| ( 0.0) | 0 |
| ( 0.0) |
| 学 生 | 59 |
| − | 69 |
| − |
| 無 職 | 11 |
| − | 6 |
| − |
| 無回答 | 4 |
| − | 4 |
| − |
| 計 | 360 |
| (100.0) | 456 |
| (100.0) |
まずは本調査男性に着目して、表3-2の本調査父親と比較してみると興味深い。もっとも、父親と回答者本人とでは、当然のことながら年齢が違うため、従業上の地位を単純に比較しただけでは、職業移動の実態を把握することはできない。年齢が上昇すると、従業先での地位が向上したり、雇用先から独立して自営業を営んだりすることがあるためである。たとえば、両者の間で「経営者・役員」と「パート・アルバイト」の比率が逆転している。これは典型的な「加齢の効果」による違いである。このようなものについて、青年とその親世代との間で差異があるのは当然であり、そもそも比較にはならない。
しかしながら、両者の間で「時代の効果」と思われる違いも、明らかに確認される。この表に特徴的に示されているのは、一般従業者と自営業者(自営業主および家族従業者)の比率である。回答者本人の場合、自営業者(家族従業者を含む)は七〇名であり、有職者のみに限定した比率でも二四・四%にすぎない。それに対して、一般従業者は一七四名であり、有職者のうちの六割をこえている。表中のSSM調査と比較してみると、それでもなお一般従業者の比率は二割ほど低いが、父親の事業を望んで引き継いだり手伝っている者も少なくはないと思われる。少なくとも、父親の世代に見られたような、「圧倒的」と言わんばかりの労働市場の閉鎖性はうかがえない。「一般従業者の比率拡大」は、一つの大きな時代の潮流だと見なすことができるだろう。これは、はたして日本の労働市場が開放性を高めてきたためであろうか。それとも、たんに民族系の事業体が規模を拡大してきたためにすぎないのであろうか。
| 在日同胞 | 43 |
|
| 一部が在日同胞 | 1 |
|
| 本国の韓国人 | 4 |
|
| 日本人 | 118 |
|
| その他の外国人 | 1 |
|
| わからない | 4 |
|
| 無回答 | 3 |
|
| 計 | 174 |
|
このことを判断するため、在日韓国人青年がどれだけ日本人の経営する企業に参入しているかを確認してみよう。表3-5は、一般従業者一七四名にしぼって、従業先の経営者の国籍を示したものである。経営者を「日本人」と回答した者(以下、「日本企業」)は六九・〇%であり、「在日同胞」「一部が在日同胞」(以下、「同胞企業」)とした者が二五・七%である。同胞企業に勤める在日韓国人青年の比率は、いまだ非常に高い。しかしながら、前述した神奈川調査によると、被雇用者のうち、調査当時(一九八四年)に二〇歳代であった者の約四割までが同胞企業に勤めていたという(前掲書、六五頁)。だとすると、まだまだ同胞企業を選んで就職口を探す青年は多いものの、この十年間で労働市場の閉鎖性には大きな状況改善があったと判断される。
以上のことを、在日韓国人青年の一般従業者が、日本企業と同胞企業をどのように選択しているのか、という観点からあらためて確認してみよう。表3-6は、「日本企業」と「同胞企業」のそれぞれについて、従業員の人数を示したものである。全体的に、同胞企業ほど企業規模が小さく、日本企業ほど企業規模が大きいという関連が読みとれる。しかし、「五人未満」の列を省いて計算すると、有意な関連は消失する(p= .89 v= .04)。上記の関連は、従業員人数が五人未満の日本企業を選ぶ青年が少なかったということから強調されていたわけだ。
| 人数(行%) | 5人未満 | 30人未満 | 300人未満 | 300人以上 | 計 | |||||
| 同胞企業 | 11 | (25.0) | 14 | (31.8) | 9 | (20.5) | 10 | (22.7) | 44 | (100.0) |
| 日本企業 | 8 | ( 7.0) | 42 | (36.8) | 27 | (23.7) | 37 | (32.5) | 114 | (100.0) |
| 計 | 19 | (12.0) | 56 | (35.4) | 36 | (22.8) | 47 | (29.7) | 158 | (100.0) |
「五人未満」のカテゴリーで同胞企業の比率が高かったということについては、やや議論が必要かもしれない。こうした零細企業の場合、在日韓国人青年にかぎらず、縁故による雇用と就職が多く、かならずしも労働市場からはじき出された結果だと言えない可能性もある。だが一方で、いまだに「誕生権経済」に追いやられる在日韓国人青年が、一定の比率で存在する可能性をも示唆している。この問題をつきつめて考えるためには、いっそう詳細なデータを入手することが必要だろう。
しかし、それ以外のカテゴリーについては、日本企業と同胞企業のどちらも同じぐらいの規模の従業先を選ぶことができているわけだ。「五人未満」のカテゴリーについての議論は残るものの、日本の労働市場の閉鎖性は、やはり解消の趨勢にあると指摘すべきだろう。
以上の検討を総合すると、「一般従業者の比率拡大」という趨勢は、日本の労働市場が、徐々に開放化の方向へと向かいつつあることによるものだと言えよう。
もっとも、在日韓国・朝鮮人青年たちに門戸を閉ざした日本企業は、依然としてあとを絶たない。また、八〇年代末ごろから、在日韓国・朝鮮人学生を対象とした就職情報誌がいくつか発刊され、いまなお関心を呼びつづけているということも、就職にあたっての不安が払拭されたわけではないことの証左だと言える。分析者である私(金明秀)自身、身近に就職差別を受けたという親族、知人・友人に、いまだこと欠かない状況がある。しかしながら、親の世代の極端に抑圧された状況からすると、改善の方向へと大きく前進が見られるということも、間違いないようである。
本論文の題材となったデータは、調査題目にあるとおり、在日韓国人青年の意識構造を解明するためのものであり、学歴や職業といった構造的変数を潤沢に準備していたわけではない。そのため、本論文ではデータ上の制約を考慮し、安易に分析的な課題に取り組むことを戒め、できるかぎり記述的に状況を整理することに努めた。
その過程で、いくつかの興味深い事実を発見し、また、さらなる究明を要する研究課題を指摘することまでは、ある程度達成できたように思う。
在日朝鮮人の学歴について、二つの異なった説をはじめに紹介したが、どちらの説も単純集計レベルでは必ずしも妥当性を確認できなかったものの、出身階層との関連を加味することによって、学歴の達成過程を解明するうえでの重要な論点になりうることが示唆された。
また、職業構成については、父世代がおかれた労働市場の閉鎖性があらためて大きな論点として指摘されたが、一方で在日韓国人青年については、着実に開放化の趨勢にあることも確認された。
とはいえ、これらはいずれも原始的で基礎的な事実の確認にすぎない。今後は、教育期待や進学アスピレーションなどの心理、主観的な変数や、社会移動の観点をも含めたうえで、総合的な社会的地位達成過程を特定化する必要があるだろう。
最後に、ここまでの検討から明らかになったことをまとめておこう。
本稿は『年報人間科学』第16号(1995年)に掲載されたものです。本稿の全文を著者に無断で転載または引用することを禁じます。