アイデンティティへの脅迫

金明秀
Myung-Soo KIM




 Breakwellは,その編著Threatened Identities(1)において,「脅迫」という概念をベースとしたアイデンティティ論の新たなアプローチを試みている[Breakwell 1983]。彼の言うところの「脅迫」とは,「ある人の個人的ないし社会的アイデンティティを攻撃するあらゆる考え,感情,行動,経験」のことである。だとするならば,在日朝鮮人は,近代の日本において,もっとも脅迫を受けてきた民族的集団であると言っていいだろう。1970年代までに実施された各種の調査をみると,朝鮮民族への社会的距離はあらゆる人種・民族の中でも最悪,もしくはそれに近い値を示し,“明るい−暗い”や“好き−嫌い”といった印象でも,朝鮮民族はもっともネガティブな位置に置かれてきた。また,朝鮮民族にたいする劣等的な価値観は,こうした態度レベルの差別感・偏見にとどまらず,たとえば,学校でのいじめ,就職・入居・付き合い・恋愛・結婚をめぐる具体的な差別事象として,しばしば顕在化してきたことは周知のとおりである。

 しかしながら,最近では,朝鮮民族のことが語られる際に,必ずしも否定的な語感を伴う場合ばかりではなくなってきたようにも思われる。若い世代――日本人も在日朝鮮人自身も――を中心にして,朝鮮民族ないし韓国へのイメージがそれなりに好転しつつある兆しもうかがえる。

 実際のところ,在日韓国人青年はどれだけの脅迫を体験しているのだろうか。つまり,どれだけ偏見を認知し,どれだけ差別事象を経験しているのだろうか。以下,この章では,(1)在日韓国人青年が経験した脅迫の内容を記述的側面から取り上げ,ついで(2)脅迫への対応としてどのようなプロセスが生じるかを特定する。

1 アイデンティティへの脅迫

1-1 直接的な被差別体験

 Breakwellの整理によると,脅迫の種類には「個人への打撃」「集団への所属についての打撃」「所属集団への打撃」の3通りがあるという。個人への打撃とは,個々人の有する資質に劣等的な価値を付与するものであり,たとえば身体障害者は典型的な標的になりやすい。一方,民族的マイノリティ――とりわけ在日朝鮮人のように不可視的な民族的集団の場合――が直面しうるのは残る2つ,とりわけ出自集団への所属が劣等視されることによって,自尊心self-esteemに何らかの傷を受けるというパターンである。すなわち,民族的差別や偏見などが,在日韓国人青年にとって典型的なアイデンティティへの脅迫となる。

 そこでまずは,在日韓国人青年が,その生活史においてどの程度の民族差別を体験しているのかを概観しておくべきであろう。表1は,「あなたは,これまでに自分自身が民族的差別を受けたことがありますか」という設問(問31a)にたいする回答の分布を示したものである。

表1 被差別体験の程度
回 答実数(%)
とてもよくあるある20( 2.5)
よくある52( 6.5)
少しはある258(32.5)
ほとんどない222(28.0)
まったくない242(30.5)
無回答6――
 計800(100.0)

 自分自身が直接的に民族的差別を受けたことがあるかどうかについては,「とてもよくある」(2.5%)と「よくある」(6.5%)を合わせて,いわば頻繁に差別を体験したと回答した者が1割弱。「少しはある」と答えた者が約3割。そして,「ほとんどない」「まったくない」と答えた者が,やはり,それぞれ3割前後である。質問文から率直にカテゴリーを統合するなら,被差別体験が“ある”と答えた青年が4割強,“ない”というニュアンスで答えた青年が6割弱,とまとめられよう。

表2 一番心に残る被差別体験の時期
回 答実数(%)
8歳までの時(小学校低学年)75(15.9)
9〜12歳の時(小学校高学年)142(30.0)
13〜15歳の時(中学校)67(14.2)
16〜18歳の時(高校)87(18.4)
19歳以上の時102(21.6)
非該当・無回答327――
 計800(100.0)

 では,生活史のどの段階で,民族差別を体験してきたのであろうか。表2は,自分自身が受けた民族的差別のうち一番心に残っているものの時期を尋ねた設問(問31b)にたいする回答の分布を示したものである(2)。「一番心に残っている」被差別体験の時期として,最も回答比率が高かったのは,小学校高学年である。全体の3割を占める。小学校高学年の時期の差別といえば,いわゆる“いじめ”の形態をとった,友だち関係中心の差別事象が,その多数を占めると思われる。偏見を内面化する年齢を9歳程度だと述べたAllportの名著を想起させる結果である[Allport 1954=1968]。

 その後,「一番心に残る」被差別体験は,中学校段階では減少しているが,高校時代,そして高校卒業後と,その回答比率が漸増している。この時期の差別といえば,就職・入居・恋愛・結婚などにかかわる差別事象が中心をなすものと推察される。

1-2 間接的な被差別体験

 ところで,自分自身が直接差別を受けていなくても,身近なところでの民族差別を見聞きしている場合もあろう。表3は,「これまでに身近な人が受けた民族的差別で,忘れられないものがありますか」という設問(問32a)にたいする回答の分布を示したものであり,表4は,そのうちで一番心に残っているものの時期を尋ねた設問(問32b)にたいする回答の分布を示したものである。

表3 身近な人の民族的差別の見聞の程度
回 答実数(%)
とてもよくある28( 3.6)
よくある34( 4.4)
少しはある177(22.8)
ほとんどない209(26.9)
まったくない330(42.4)
無回答22――
 計800(100.0)

 身近な人が受けた民族的差別の見聞も,自分自身の直接的な被差別体験と同様の回答傾向を示している。ただし,直接的な被差別体験に比べて,「まったくない」と答えた者の割合が,むしろ,多くなっている。この点については,若干の説明が必要となろう。すなわち,自分自身が差別を受けるというとき,その主体は,当然1名である。肉親をはじめとした「身近な人」は,通常,複数である。したがって,民族的差別の見聞の割合のほうが直接的な被差別体験の割合よりも多くなるのが,本来であろう。にもかかわらず,回答は逆の結果を示している。――これは,家庭などの場で,各人の被差別体験が語り合われることがきわめて少ないという現実が,背後にあることを示唆していると考えられよう。

表4 一番心に残る民族的差別の見聞の時期
回 答実数(%)
8歳までの時(小学校低学年)51(14.4)
9〜12歳の時(小学校高学年)85(24.1)
13〜15歳の時(中学校)56(15.9)
16〜18歳の時(高校)59(16.7)
19歳以上の時102(28.9)
非該当・無回答447――
 計800(100.0)

1-3 偏見の認知

 さて,ここまで,直接・間接的な被差別体験とその時期を,ややラフなかたちでスケッチしてきた。だが,一般に,質問紙調査において体験をたずねる場合,「事実」と「事実に関する認知」とを分節化することは非常に困難である。ある出来事がひとつの体験として構成される場合,そこには当人による状況の定義づけがはたらくためである。たとえば,ある青年は,外国人登録にともなう指紋押捺の強制を“被差別体験”のひとつと見なし,別の青年はそれを“なんでもないこと”と考える,といったことが十分に起こりうるのである(3)

 そこで,アイデンティティへの脅迫を代表するものとして,もうひとつの設問(問28)を用意した。「あなたは普段の生活の中で,日本人が差別感情を持っていると意識することがありますか」,すなわち偏見・差別の認知である。この設問にたいする回答の分布を示したのが,表5である。

 普段の生活のなかで「日本人の差別感情」を意識している者の割合は,「とてもよくある」(4.4%)と「よくある」(15.3%)を合わせると,約2割。「少しはある」(45.0%)までも含めると,全体の3分の2弱に達する。一方,「まったくない」(11.2%)と「ほとんどない」(24.1%)を合わせると,3分の1強である。

 直接的・間接的な被差別体験に比べて,普段の生活のなかで「日本人の差別感情」を意識する度合いは,かなり高い。差別感を持つことと差別をすることとは,基本的に同義ではない。しかしながら,スティグマを貼られる者にとって,差別というものは,明確な行為という形をとって顕在化する場合にかぎらず,とりとめのない日常会話のなかや,なにげない態度やまなざしのなかに,漠然とはしていてもいやおうなく感得せざるをえない“脅迫”として存在している,と考えられよう。

表5 偏見・差別の認知の程度
回答実数(%)
とてもよくある35( 4.4)
よくある122(15.3)
少しはある359(45.0)
ほとんどない192(24.1)
まったくない89(11.2)
無回答3――
 計800(100.0)

 ここまでは,在日韓国人青年が直面したアイデンティティへの脅迫を概観してきた。こうした脅迫にたいして,在日韓国人青年のアイデンティティは,どの程度のダメージを受け,どのような影響を被り,あるいはどのような反応を示すのだろうか。以下の節では,民族的劣等感という心理的プロセスに注目し,この問題の特定化を試みる。

2 民族的劣等感

2-1 成育過程における民族的劣等感

 本章の冒頭で述べたとおり,アイデンティティへの脅迫とは「ある人の個人的ないし社会的アイデンティティを攻撃するあらゆる考え,感情,行動,経験」のことである。言い換えるならば,アイデンティティへの脅迫とは,人々の一貫性consistencyを損ない,自尊心self-esteemを傷つけるものにほかならない。ブレイクウェルの整理によると,一貫性が問題になるのは,たとえば投獄や入院などによって生活環境が劣悪な方向へと大きく変化したり,事故によって身体に不自由が生じることによって,“かつての自分”や“本当の自分”から格差が生じる場合である。それにたいして,在日朝鮮人のような民族的マイノリティの場合,問題は,脅迫によって自尊心がどれだけの傷を負ったかということに帰着する。

 ところで自尊心といっても,ここで関心の対象になるのは,「集団への所属についての打撃」を受けた集団的アイデンティティにかかわる部分である。より具体的には,在日朝鮮人であることについての自尊心ないし劣等感である。

 そこで,本調査においては,包括的な態度としての自尊心ではなく,在日朝鮮人であるという側面に限定した自己イメージに注目し,「民族的劣等感」をたずねることにした。表6は,「あなたはこれまでに,在日韓国・朝鮮人である自分を嫌だと思ったことがありましたか」という設問(問23a)にたいする回答の分布を示したものである。

表6 過去の民族的劣等感
回答実数(%)
とてもよくあった93(11.7)
よくあった125(15.7)
ときどきあった288(36.3)
ほとんどなかった175(22.0)
まったくなかった113(14.2)
無回答6――
 計800(100.0)

 この設問に同意した者は,「とてもよくあった」(11.7%),「よくあった」(15.7%),「ときどきあった」(36.3%)を合わせると,63.7%にもなる。6割を越す在日韓国人青年が成育過程で民族的劣等感を抱かされてきた,という現実が確認される。

 では,どのような環境で育ってきた者ほど民族的劣等感を抱きやすいのだろうか。民族的劣等感の形成を左右する要因には,どのようなものがあるのだろうか。ここで,考えられるいくつかの要因との関連をデータから確認することにしよう。表7は,過去の民族的劣等感の形成にたいして,他の基本的な諸要因がどの程度の影響力をもったかを,重回帰分析によって示したものである。

表7 過去の民族的劣等感にたいする重回帰分析
設問番号内容ベータ係数
SEX性別.028
AGE年齢-.018
問5本人の達成学歴-.004
問7成育地域内同胞数-.059
問9g両親の民族意識の強さ-.109*
問11a受けた民族教育の程度-.227*
問31a被差別体験の程度.341*
問40b民族団体への参加経験-.047
問46父親の職業階層-.016
*はp<.05で有意 N=596 R2 =.176

 導入した説明変数の中で,もっとも大きな影響力を示しているのは被差別体験の程度である。ベータ係数の符号は正であり,在日韓国人青年が成長過程で「在日韓国・朝鮮人である自分を嫌だと思う」ようになった最大の原因が民族的差別を受けた体験にあると確認される。被差別体験の他に,正の符号を持つ有意なベータ係数は存在しない。

 一方,負のベータ係数を見てみると,民族教育が高い値を示していることがわかる。つまり,在日韓国人青年が成長過程でマイナスの自己イメージを持たないですむかどうかは,広い意味での民族教育をどれだけ受けながら育つことができたかということに,ある程度依存しているということである。民族教育の,ひとつの大きな効果がここに確認される(4)。また,両親の民族意識が,値としては小さいながらも,有意な負のベータ係数を示している。

 それ以外の変数は,在日韓国人青年の過去の民族的劣等感を形成するうえで,まったくもしくはほとんど影響力を持たない。成育過程で民族的劣等感を抱くかどうかには,男女の違いによる影響はなく,年齢も意味を持たず,成育地域内同胞数によっても左右されないのである。

 ようするに,在日韓国人青年の成育過程における民族的劣等感は,被差別体験によって強く内面化される一方,民族教育によってある程度除去され,両親の民族意識によってわずかながら解消されるものであると表現できよう。

2-2 青年期の民族的劣等感

 ふたたびブレイクウェルの整理にもどると,彼は,脅迫を受けた者が示す反応には,1)再解釈reconstrual,2)移動と変革,3)惰れinertiaの3通りがあると述べている。

 再解釈とは,アイデンティティに加えられる脅迫を“意味のないものだ”と思いこむことにより無害化する,あるいは自己概念のほうを変化させる――たとえば,防衛的に自尊心を強化させたり,在日朝鮮人であることは恥ずかしいことなのではなくむしろ誇るべきことだと自覚したりする――ことによって脅迫を無価値化する心理的プロセスである。

 移動と変革とは,居住地や社会的地位を移動することによって脅迫を受けにくくしたり,あるいは脅迫のソースが特定個人の場合には説得を,集団の場合には対抗的な集団行動を起こすことによって影響力を除去する社会的プロセスである。

 そして,物理的ないし社会的な移動があたわず,かつ再解釈も困難な場合,とりあえず現状に慣れようとする,あるいは状況が改善されるまで我慢しようとするということも十分にありうることである。

 脅迫を受けたアイデンティティを,対応と民族的アイデンティティとの関わりにおいて再解釈する具体的なプロセスは第12章「脅迫とエスニシティ」であらためて考察するが,ここでは,脅迫にたいするなんらかの対処によって,在日韓国人青年の民族的劣等感がどのように変化してきたかを確認しよう。表8は,「それでは現在,在日韓国・朝鮮人である自分を嫌だと思うことがありますか」という設問(問23b)によって,青年期に達している調査時点の民族的劣等感をたずねたものである。

表8 現在の民族的劣等感
回答実数(%)
とてもよくある31( 3.9)
よくある59( 7.5)
ときどきある187(23.6)
ほとんどない255(32.2)
まったくない259(32.7)
無回答9
 計800(100.0)

 現在でも在日韓国・朝鮮人である自分を嫌だと思うことがあると答えた者は,「とてもよくある」(3.9%),「よくある」(7.5%),「ときどきある」(23.6%)を合わせても,35.0%である。青年期に達しても3人に1人強の在日韓国人青年が民族的劣等感を抱かされている。とはいえ,成育過程に内面化した民族的劣等感(表6)と比較するとき,多くの青年がそれをなんらかの方法で克服してきていることがわかる。さらに,過去に嫌だと思ったことが「とてもよくあった」という者が11.7%であったのにたいして,「とてもよくある」と回答した者は3.9%,「よくあった」が15.7%であったのにたいして「よくある」は7.5%と,民族的劣等感は現在に向かって弱まる方向へと分布が移動している。

 では,どのような条件にあれば,青年期に達してもなお民族的劣等感を抱きつづけることになるのだろうか,逆に,どのような条件が民族的劣等感の克服に役立っているのだろうか。表9は,現在の民族的劣等感にたいして,重回帰分析を適用した結果である。

表9 現在の民族的劣等感にたいする重回帰分析
設問番号内容ベータ係数
SEX性別 .056
AGE年齢-.077
問5本人の達成学歴-.068
問7成育地域内同胞数-.007
問9g両親の民族意識の強さ-.134*
問11a受けた民族教育の程度-.160*
問31a被差別体験の程度 .121*
問40b民族団体への参加経験-.156*
問46父親の職業階層-.053
*はp<.05で有意 N=594 R2 =.144

 過去の民族的劣等感にくらべて,現在の民族的劣等感は分散がやや小さくなっていることもあり,表7のように顕著に強い影響力を示した要因は見られない。マイナスの符号を持つベータ係数をみてみると,説明変数群のなかで比較的大きな値を示しているものが2つある。受けた民族教育の程度(ベータ-.160)と民族団体への参加経験(-.156)である。逆に有意なプラスの符号を示した変数は,被差別体験の程度(.121)である。しかし,個々の影響力そのものは小さいものの,その内実を注意深く検討してみると,興味深い論点が浮かび上がってくる。

 まず第1に,過去の民族的劣等感の形成に非常に大きな影響力を持っていた被差別体験の程度は,かろうじて有意ではあるもののベータ係数を大幅に低下させており,絶対値の順位でも説明変数群のうちで4番目に下がっている。これは,脅迫によって自尊心が受ける損傷の度合いは,青年期へと成長するにつれて漸次逓減するということを示唆している。ブレイクウェルが言う,再解釈のうちの脅迫を無化するプロセス,あるいは,被差別体験から時間的経過と物理・社会的移動が進展していることも考えられるため,移動のプロセスであるとも考えられる。

 第2に,過去の民族的劣等感の形成に有意な影響力を持たなかった民族団体への参加経験が,比較的大きめのベータ係数を示すようになっている。受けた民族教育の程度が,説明変数群のうちでもっとも大きなベータ係数を示していることとあわせて考えると,これは,民族団体への参加によって同胞との連帯感をつちかったり,民族教育によって自分自身の立場を自覚し民族としての誇りを身につけていくという意味で,自己概念の変化と解釈される。あるいは,団体参加を通じて脅迫のソースに対抗するという,変革のプロセスを経由した結果であるとの可能性もあるだろう。

 以上を総合すると,青年期における民族的な自己イメージは,過去ないし現在の被差別体験に一義的に規定されるのではなく,民族団体への参加や民族教育といった主体的な営みによって再形成されていくのだと結論づけられる。

 ところで,ある意味では当然のことだが,民族的劣等感を持たない青年たちは,エスニシティを大事にして生きていこうという姿勢を示す。そのことが,上にあげた基本的な諸要因以外の設問との関連から,はっきりとわかる。たとえば,現在において在日韓国・朝鮮人である自分を嫌だと思わない青年であればあるほど,本人自身「母国語の学習意欲」(問14b-c)が高く(相関係数-.41),「次世代への民族教育継承の意志」(問12a)も強い(-.41)。また,「帰化への願望」(問37)はきわめて少ない(.56),等々。在日朝鮮人である自己自身に誇りを持てるかどうかということと,実際に“民族的に生きる”こととは,相互に密接に関連しているのである。

3 まとめ

 これまでのデータから確認されたことをまとめれば,以下のとおりである。

  1. 在日韓国人青年の被差別体験は,“受けていない”というほうに分布の比重があるが,少なくとも4割強の者が,何らかの民族差別を受けてきている。身近なところでの民族差別の見聞の割合は,直接的な被差別体験よりも,むしろ少なめである。このことは,家庭などで,各人の被差別体験が語り合われ,体験の共有化がなされることが稀であるためだと考えられる。

  2. 被差別体験に比べて,普段の生活のなかで日本人の差別感情を意識する頻度は非常に高い。在日韓国人青年にとって,差別というものは,明確な行為という形をとって顕在化する場合にかぎらず,とりとめのない日常会話のなかや,なにげない態度やまなざしのなかに,漠然とはしていてもいやおうなく感得せざるをえない“脅迫”として存在している,と考えられる。

  3. 在日韓国人青年の多くが,成長過程で,民族差別のゆえに民族的劣等感を抱かされている。しかし,成長過程での民族教育が保障されていれば,否定的な自己イメージを抱かずにすむ。

  4. 成長過程で民族的劣等感を抱いていても,青年期に達すれば,多くの青年は民族的劣等感を克服している。民族的劣等感の克服に一定の効果を持つのは,民族教育と民族団体への参加である。


《註》

  1.   "threat"という用語をキーワードとする著書や論文は,この編著の出版以後に急増している。Breakwell, Glynis M. 1983, "Formulations and Searches," in Breakwell, Glynis M. ed. Threatened Identities, Wiley.
  2.  この回答結果を読むにあたって,2点留意すべきことがある。1つは,質問の仕方として,「一番心に残っているものを一つだけ選んでください」と指示したという点である。頻繁な被差別体験のある者の場合,生活史の各段階で差別を受けていることがありうる。そのような場合でも,最も悔しく思ったり,最も怒りを覚えた事象についてのみ回答されている,ということである。いま1つは,問31aで被差別体験が「まったくない」と回答した者は,この問では「非該当」となっている。また,その他にも,「心に残る」被差別体験はないと思った者や,「一つだけ」を選ぶことのできなかった者を中心にかなりの数の「無回答」がある。それらを除いた比率が示されている。
  3.  同じ理由から,被差別体験のみによって,脅迫の実態を代表することは困難である。Breakwellが,脅迫の定義を思考,感情をも含めたあらゆる経験であるとしているのは,まさにそのためである。しかしながら,質問紙を用いた計量的アプローチの場合,とくに因果序列を含む統計モデルを組み立てる場合,分析に用いる変数は測定可能であり,かつ概念のフェイズが限定されている必要がある。したがって,次節以降,脅迫を代表する指標として,直接の被差別体験を便宜的に用いることにする。
  4.  金明石によると,若い世代の在日朝鮮人にとっての民族教育の目的は,「自分らしさ(アイデンティティ)の基礎を築く」ことと「差別に打ち克ち,差別のない社会を目指す」ことであるという[金明石 1995]。また,姜永祐は「民族教育問題とは『いかに』生きるかの問題」であると述べ,実践すべき課題として,国語や歴史の学習に先立ち「本名を名のらせる」ことをあげている[姜 1987]。同様の論旨は他にも広く見られるが[金慶海 19xx; 小沢 19xx; 梁泰昊 1984; 李月順 1995a, 1995b],民族言語や文化を習得することを通じて,民族的アイデンティティを育成し自尊心を涵養する必要があることを指摘している点で,いずれの論者も共通した見解を示している。

きむ・みょんす・大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員)


本稿は,現在,博士学位請求論文として執筆中の原稿の一部です。未発表のものであるため,本稿の全文または一部を転載または引用することを禁じます。