在日朝鮮人をめぐる時事問題
Vol. 8


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  • 1996/02/27 配信

    日弁連の要望書2点

     日本弁護士連合会(日弁連)は,最近,在日朝鮮人に関連して二つの要望書を作成しています。一つは,今月22日に三菱重工と日本政府にあてたもので,戦時の未払い賃金,退職金などの支払いについて,人道的な視野から自発的な処置を求めたもの。もう一つは,本日27日に菅直人厚相に提出されたもので,在日朝鮮人の高齢者や34歳以上の障害者が老齢福祉年金や障害基礎年金の支給対象から除外されていることについて,国民年金法を改正するよう申し入れたものです。

     それぞれ簡単に解説しておきましょう。

     昨年12月14日にお伝えしたとおり,戦時の未払い賃金問題については訴訟が起こされているだけでも4件にのぼります。

     戦中・戦前,日本に出稼ぎに来ていたり強制連行された朝鮮人労働者にたいして,一部の日本企業はかなり差別的な待遇をしていたことが明らかになっています。たとえば,この三菱重工の場合,毎月手取りで57〜80円ほどの賃金を支払っていたと主張しているのですが,日弁連の調査によれば,実際に得ていた賃金は15〜30円足らずであったとのこと。送金を名目に半分ほどを控除していたのではないかと日弁連は見ているようです。

    註1) ただ,必ずしもすべての日本企業が朝鮮人労働者に差別待遇をしていたというわけではありません。詳細な実態はいまだ不明ですが,各種の聞き取り調査のなかで待遇面での差別はなかったと証言する体験者も少なくはありません。このことは明記しておきたいと思います。

     このようなかたちで控除された積立金,預貯金,退職金などの未払い金が,敗戦の混乱や集団帰国などの状況のなかで「居所不明」を理由に放置されているケースがあるわけです。

    註2) 帰国はほとんどの場合,自費でなされました。日弁連の要望書は帰国費用についても支払いを求めています。

     もちろん,本当に居所が「不明」だったわけではありません。たとえば強制連行のケースなら,連行当時の住所は分かっていたわけです。なお三菱重工の資料によると,徴用工の数は広島だけでも4200人ほどにのぼります。

     この問題,時効は成立しないとの見方が優勢のようですが,1)企業側としては未払い賃金を「供託金」として政府に提出しており,2)政府としては1965年の日韓条約によってこの問題も完全かつ最終的に解決ずみとの立場にあるため,先行きはまったく闇の中です。

     もう一つの要望書の解説に移りましょう。

     この要望書は,「在日朝鮮人の高齢者や障害者の多くが国民年金に加入できず,年金が支給されないのは国連人権規約に違反し,憲法にも抵触する恐れがある」として国民年金法を改正するよう菅直人厚相あてに提出されました。

    註3) 厚生年金や共済年金などには国籍条項はありませんでした。しかし,近年まで在日朝鮮人は一般企業に就職することがきわめて困難であったため,国民年金への加入が認められる82年まで圧倒的多数の在日朝鮮人が無年金で放置されていました。

     ところで,障害基礎年金のほうはともあれ,高齢福祉年金については素朴な疑問として,「掛け金を支払っていないのなら年金を受け取れないのは当たり前ではないか?」と思われる方もいらっしゃると思います。年金加入が当たり前の若い世代であれば,こうした疑問を持つのももっともでしょう。

     まぁ,保険料を支払いたくとも国民年金に加入することさえできなかったわけですが,それでは答えになりませんので別の説明をしたいと思います。

     そもそも,日本国民であれば誰もがみんな国民年金に加入できて,保険料をきちんと支払ったうえで年金が支給されているというわけではありません。たとえば,国民年金法が成立した1959年11月1日の時点ですでに障害を生じていた人,あるいはすでに35歳を越えていて最低25年間の被保険者期間(保険料を支払う期間)を満たすことができなかった人などは,国民年金の基準から外れてしまいますね。そして,沖縄復帰当時の沖縄県民はそれまで国民年金に加入していませんでしたので,当然,保険料も支払っていません。

     ですが,こうしたケースが無年金とならないよう,日本国民には「経過措置」がとられたのです。たとえば,被保険者期間を年齢に応じて最短10年まで縮小したり,国民年金に加入しなくても70歳から高齢福祉年金を支給したり,年金制度スタート以前の障害者や母子家庭にも年金を支給したり。

     ということで,「掛け金を支払っていないのなら年金を受け取れないのは当たり前」というわけではないのです。

     さて,話を元に戻すと,1982年に在日外国人も国民年金に加入できるようになったわけですが,残念ながら日本国民には適用された「経過措置」が,在日外国人には用いられませんでした。

    つまり,

    というスキマが生じたわけです。

     こうしたスキマを埋めるため,各地方自治体が年金にかわる福祉給付を行っている場合もありますが,かならずしも日本国民の受給額と同額が保証されているわけではありません。在日朝鮮人の無年金者は,高齢者で約6万人,障害者で約3千人と推定されています。


  • 1996/02/26 配信

    独島=竹島領土問題再考

     今月12日に掲載し,15日に修正した竹島問題の年表ですが,さらに修正すべき点が見つかりましたので,再度掲載しなおします。やっぱり専門でない作業は難しいものですね。

     さて,この「独島=竹島問題」は,いまかなりホットなテーマであるだけにHANに掲載した時事問題の中でもかなり反響の大きかったものです(これまでは「反日教育」という発想の本末転倒へのコメントが一番多かったのですが)。しかし,なぜこの国際問題を「在日朝鮮人をめぐる時事問題」で取り上げたのかということについては,どうやら十分な理解がえられていないようです。

     そこで今日は,竹島問題を論じる意図を簡単に補足しておきます。

     私は,竹島問題の「問題」とは,大別して次の3点に分けられると考えています。

    1. 同島領有の歴史的背景
    2. 国際法上の問題(とくに1905年の島根県告示について)
    3. 歴史観の問題
     一般に竹島問題といえば,1,2を指すと思いますが,いまの日韓関係を考えるうえで,そして在日朝鮮人問題を考えるうえでもっとも重要だと思われるのは,むしろ3ではないかと思うわけです。

     いろいろと聞いてみると,かなりの方が,日本政府が竹島の領有を主張している根拠を知りませんでした。せいぜい,日本政府の主張と,それを垂れ流しする日本のマスコミの主張を聞きかじっているだけです。島根県出身者をのぞけば,「竹島」という領土問題が存在することすら最近の報道まで知らなかったというひとのほうが多いでしょう。

    (註1) 島根県では,小学校の授業で竹島問題を(もちろん日本側の主張にそって)勉強しています。
    (註2) ただ,年輩の方は,「竹島」で「李承晩ライン」という言葉を思い出すかもしれません。当時,日本政府と日本のマスコミは,韓国を口汚く罵倒し,なかには在日朝鮮人を日本から追い出せという主張もありました。12日に李ラインに言及したのは,その記憶を喚起するためでした。
     そういった状態ですから,前・村山首相が「日韓併合条約は合法」という発言をして日韓関係がこじれたことだって,なぜそんな発言に問題が生じるのかということさえ理解できなかった日本人が大半をしめるのではないでしょうか。せいぜい,「また韓国が言いがかりをつけている」ぐらいに感じただけだったでしょう。「日韓併合条約」の合法性/不法性という問題は,韓国においては一般市民にとってさえ極めて重要なテーマであると思われているにもかかわらず,です。

     ここが問題なのです。日韓は,完全に意志疎通に失敗しているのです。そして,日韓のコミュニケーションを阻害している最大の要因が,「歴史観」あるいは「歴史感」の断絶なのです。

     近年の日本のマスコミ(産経新聞など一部をのぞく)は,「日本の歴史観が問われている」とか,「日韓の歴史観を近づける努力をしなければならない」といった主張をくり返しています。にもかかわらず,日韓の歴史認識がどのように隔たっているのかということについて,具体的に論及することはほとんどありません。

     竹島問題だって,「1905年の島根県告示によって日本の領有が法的に確定している」とか,「韓国が不法に占拠している」など,日本政府の主張をそのまま流しているだけで,韓国の立場では1905年の島根県告示の正当性自体が否定されているという報道など,ほとんどありません。

    (註3) ただ,つい最近,朝日新聞でちょっとまともな報道がありました。日本のマスコミとしては,おそらくはじめて,韓国側が竹島=独島の問題を植民地支配と関連づけているということを報じていました。
     竹島が日本の領土か韓国の領土かなどということについては,正直なところHANとしてはどうでもよいのです。それよりも,竹島問題は,日本の朝鮮支配の歴史をあらためて認識しなおすうえでまたとないテーマだということを忘れないでほしいのです。

     外務省の公式見解としては,1)1905年に島根県告示があったこと,2)それにたいして大韓帝国から反論がなかったこと,を竹島領有の主要な根拠としています。しかしそのためには,年表を見て分かるとおり,第一次,第二次日韓協約が有効であったとの立場に立たざるをえません。

     第一次,第二次日韓協約は,日本軍の脅迫のなかで暴力的に結ばれたものです。しかも第一次は単なる覚書であり,第二次については批准書さえありません。1910年の「日韓併合条約」にいたっては,拒否すると市民を殺戮するとの脅迫のなかで強要されたとの記録さえあります。

     私は,竹島問題の法的な根拠については,専門家ではありませんので分かりません。歴史学者でもありませんので,年表の細部をたびたび間違ったりします。しかし,20世紀初頭のこうした暴力的な支配へのプロセスを“いま”どう解釈するかという道義的な問題については,私に限らず誰もが論じる資格を持っていると思うのです。

    独島=竹島問題年表 第3版
    512年新羅が干山国(いまの鬱陵島)を征服し,竹島を領有
    1618年伯耆国(鳥取県)の大谷・村川両家が江戸幕府から竹島への渡海免許を下賜される
    1692-93年朝鮮からの竹島近海(つまり鬱陵島)への渡航にたいして,江戸幕府は対馬藩主の宗氏を通じて出漁禁止を申し入れたが,朝鮮は鬱陵島(および竹島)の領土権を主張して交渉は決裂
    1696年江戸幕府は李朝にたいして,鬱陵島近海への日本人遠航を禁止したとの公簡を送付
    1836-37年竹島事件(よく分からない事件ですが,形式的には,1696年の禁止令を無視したかどで浜田藩の役人が切腹しているようです)
    1875年日本陸軍参謀局発行の「朝鮮全図」に竹島が記入される
    1876年島根県が「日本海内竹島(=鬱陵島)外一島(=竹島)地籍編纂方伺」を内務省に提出
    1877年前年の島根県の「伺」をうけて,明治政府の太政官が鬱陵島は朝鮮領土であり日本地籍に含まれないとの決定を内務省に送付。ただし「外一島」については不明。
    1881年李朝の抗議をうけて,明治政府は日本人漁船の鬱陵島,竹島侵犯に謝罪の公簡を送付
    1895年閔妃暗殺・陵辱事件(日本排斥政策をとった閔妃を日本が虐殺した事件)
    1896年義兵闘争勃発(李長末期の反日武装闘争)
    1903年中井養三郎が竹島でアシカ漁を始める
    1904年日本軍の脅迫のなか,「第一次日韓協約」の覚書に調印させられたことにより,大韓帝国は財政と外交を奪われる
    1904年中井養三郎が「りょあんこ島(=竹島)領土編入並に貸下願」を提出
    1905年日本政府の閣議決定,つづく島根県の告示により,竹島は日本の領土として宣言されるとともに「竹島」が日本での正式名称となる。ただし大韓帝国には知らされず。
    1905年「第二次日韓協約」により朝鮮支配は決定的となる
    1906年前年の島根県告示を大韓帝国政府に通報
    1946年GHQ覚書により,竹島は日本の行政がおよぶ範囲外とされ,日本漁船の操業停止区域(マッカーサー・ライン)に入れられる
    1952年韓国が海洋主権を宣言した「李承晩ライン」に竹島が含まれる
    1954年日本の外務省は口上書を韓国に送付し,GHQの覚書は暫定的なものであり竹島の領有権が日本にあることを主張。たいする韓国は,日本の主張を否定する通告を出し,灯台などを建設するとともに官憲,住民を移すことで実効支配を決定づける
    1960年日韓で漁業協定成立
    今日に至る

    (註4) 上記の年表で「竹島」とは,現在領土権が問題になっている島々のことを指します。時代と国によって名称は変化しますが,一貫して「竹島」としています。


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