大阪市教組が民族教育の集会
今月4日,大阪市教職員組合は,在日朝鮮人生徒在籍校すべてに民族学級などを設置することを運動方針に掲げ,「在日朝鮮人教育・戦後50年からの出発のための記念集会」を開催しました。
先般,日教組が国家主義への原理的な反対方針を脱却したことは,個人的には非常に好ましいことだと考えていました。身体感覚を逸脱した社会認識にとらわれ,リアリティからかけ離れた理念上の反対運動に固執する反面,いじめや差別の問題には無関心であるなど,今となっては弊害のほうが大きいように懸念されていたからです。
ただ,大々的に運動方針を転換したとはいえ,抑圧された人間性の解放について,理念も実践も追いついていなかったということを内省する論点はいまだ見えていませんでした。また,国家主義と民族主義のちがい,愛国心と自民族中心主義のちがいなど,基礎的なところにさえ議論が尽くされていないことには不満と不安を感じていたところです。
従来の争点を十分に整理することなく,いたずらに時流に迎合する姿ばかりが目についていたわけで,このままでは,権力を目の当たりにして理想と存在意義を失った社民党の二の舞ではないか――そう考えていました。
先月2日におこなわれた日教組の研究集会でも,「横並びでなく個性を伸ばす教育」や「人権意識を高める教育」など美辞麗句が踊るばかりで,当事者からは長年いじめの問題を放置してきた姿勢を厳しく糾弾されるなど,運動方針が現実の問題に大きく遅れをとっている姿を露呈しました。
しかし,今回の市教組による民族教育に関する集会は,真摯に民族教育の劣悪な歴史と現実を見据え,かつ必要性と重要性を確認する内容だったようで,教職員組合の未来にひとまず明るい期待を抱かせられるものだといえるでしょう。教組は日本随一の“良心”の団体であったはず。今後の実践に期待したいところです。
中体連が外国人学校の参加を決定
つい最近内定していたことではありますが,日本中学校体育連盟(中体連)は,昨日8日に開催された理事会および評議員会において,1997年度の全国中学校体育大会に外国人学校生徒の参加を認めることを正式決定しました。
参加資格の具体的な改正内容ですが,1)年齢や修業年限が日本の中学校と同じで,単独の学校で構成されている,2)活動が学校教育の一環として継続的に行われている,3)責任ある教員が引率する,といった条件をつけた「特例措置」ということです。
これで,外国人学校の生徒が参加できないスポーツ大会は,国体だけになったのでしょうか? 高体連はまだ部分的開放でしたっけ? 私は最近この問題をフォローしていませんので,詳しい方のコメントをお待ちします。
さて,学生のスポーツ振興を目的とした社団法人といえば,中体連のほかに高体連,高野連などが有名ですね。スポーツ以外でも,全日本吹奏楽連盟(吹連)という組織があることをご存じでしょうか。吹連は,中体連や高体連とはちがって,全年齢層を活動対象にしている点が大きな違いです。しかし,組織下部に学生部門が設けられており,事実上の活動は中体連や高体連とほぼ同じといってかまいません。
この吹連では,かなり早いうちから「国籍条項」を撤廃していました。たしか,僕が中学2年生ぐらいのころからだと思いますので,もう15年ほど前になるはずです。朝鮮学校がはじめてコンクールの全国大会に出場したのは,85年のことだったでしょうか。「学校教育法第一条に定められたいわゆる“一条校”ではないから外国人学校の参加は認めない」などというヘリクツは,吹連ではとうの昔に否定されていたわけです。
そう考えてみると,中体連の門戸開放というグッドニュースも,正直なところ“いまさら”の感を拭えません。まぁ後は,それぞれの外国人学校の活躍を通じて,門戸開放の意義を実践で示していくことが望まれます。
日韓併合の基礎知識
先日,同じ講座の大学院生と雑談をしていたところ,話が竹島の問題におよびました。私が1905年の島根県告示は朝鮮支配の渦中になされたものであること,大韓帝国からの反論が日本政府のお抱え米人によって握りつぶされた記録があること,そもそも第二次日韓協約(1905年)は大韓帝国の代表者個々人にたいする脅迫によって強制されたものであるうえ批准書さえないということなどを説明したところ,彼は何一つ知らなかったというのです。
これが他の人だったら,こうしたことを知らなかったと言われても別に驚いたりしません。しかし彼は,研究テーマにおいても日常の社会認識においても社会正義にたいして非常に敏感な感性を持っているというだけでなく,もと高校教諭で日本史などを教えていたという経歴の持ち主なのです。彼が知らないということを,他のどれだけの日本人が知っているというのか? 歴史認識の溝,いや,それ以前に基礎的な知識のギャップについて,あらためて実感させられました。
そこで今日は,1904年から1910年までの朝鮮支配の経緯について,簡単におさらいしておきたいと思います。
まず,この間の事実について,私が高校時代の日本史で習ったことをここに書き記してみます。というのも,私が通った高校は非常に詳細な日本史を教えることで有名なところであり,日本の高校のなかでももっとも踏み込んだ記述の一つだと考えてもらってさしつかえないからです。逆を言うと,これ以上詳しいことを習っている日本の高校はあまり存在しないということです。
この年表に続いて,朝鮮総督府を頂点とする朝鮮統治の組織構造,朝鮮統治の詳細,朝鮮の抗日運動,などが教材に記載されています。
さて,年表には,この時期の重要な項目はおおむね網羅されているといっていいと思います。しかしながら,それでもなお,韓国においては“常識”レベルの基礎知識が,各項目の説明からいくつか欠落しています。“常識”がつねに“事実”であるとはかぎりませんが,少なくとも日韓の歴史認識のギャップを埋めるためには,なにが常識とされているかを知っておくことが重要でしょう。
年表から欠落していることのうちでもっとも重要だと思われるのは,いずれの協約,条約も日本軍の包囲のなかで脅迫されたものであり,とりわけ第二次日韓協約は大韓帝国政府代表者個々人への脅迫によって強制的に結ばれたものであるということです。高宗皇帝が各地に向けた親書などによると,第二次日韓協約の締結にあたっては,伊藤博文らが数十人の軍人を引き連れ,韓国閣僚を個別的に脅迫したとされています。そして8名の閣僚のうち5名の脅迫に成功したことにより,皇帝の承認を得ずに条約締結を公表したわけです。
このことの問題点は,道義的な側面と法的な側面とがあります。道義的な問題点は言わずもがなですね。一方,法的な問題というのは,当時の国際法において,国家代表に向けられた強迫によって結ばれた条約は完全に無効であると認められていたということにあります。また,皇帝の承認がないということだけを取り上げても,第二次日韓協約はもとより発効していないのです。
では,かりに第二次日韓協約が無効だったとするとどういうことになるでしょうか? 当然,第二次日韓協約を前提としている日韓併合条約も無効ということになります。さらに,「現状復帰」,すなわちもとの状態に戻す義務が日本政府に生じるわけです。
「従軍慰安婦」暴言
昨日5日の午前,住専処理をめぐって新進党議員が国会の委員会室を封鎖するなど与党と対決姿勢をとっているなか,「平成会」の女性議員が国会内の同党役員室に入ろうとしたところ,それを見て共同通信社会部の記者が「従軍慰安婦」と発言したらしい。
これを聞いた女性議員はその場で記者に抗議,記者は事実を認め謝罪。さらに,共同通信社に文書で抗議したところ,同社はただちに犬養康彦社長名で「記者にあるまじき行為」と陳謝する謝罪文を出し,発言した記者を厳正に処置することを約束したとのこと。
このことについて一番詳しい速報を出した毎日新聞によると,問題の記者がその場で語った内容はつぎのようなものだったらしいです。
さて,この記者の発言は弁解の余地もないほどあきれたものですし,発言した記者の社会認識も程が知れるというものですが,ここでは関連する別の話を述べておきたいと思います。それは,「従軍慰安婦」という表現です。
戦時中に民間業者や日本国によって強制的に性労働に使役させられた女性たちのことが問題として表面化して以来,「従軍慰安婦」というのは彼女たちのことを意味する言葉になりました。詳細な実態はいまだ明らかではありませんが,朝鮮半島だけでも5〜7万人,そのほとんどが強制連行であったと言われています。
私が主張したいのは,国家によるこの組織的かつ大規模な誘拐,拉致,監禁,強姦の制度を,いまだ「従軍慰安婦制度」などというあいまいな言葉で表現していていいのだろうか,ということです。
外国の古い戦争映画などで,女性のダンサーたちが戦地でラインダンスを踊るシーンなどが出てきます。もともと「慰安婦」という言葉は,そういった慰問団の女性をイメージさせる言葉です。「従軍慰安婦」という言葉は,性労働の実態をごまかして指し示すために援用された,まやかしの表現にすぎないのです。だから,共同通信の記者がジョークめかして使ったりするわけです。
先月9日にお伝えしたとおり,国連人権委員会の報告書は彼女たちを「性奴隷」であると規定しました。我々は,わずかながら実態を知るものとして,そして現代に生きるものとして,もはや「従軍慰安婦制度」などというまやかしの表現を捨て,「戦時性奴隷」「戦時性奴隷制度」と言うべきではないのでしょうか。
1904.02 日韓議定書 日露開戦直後,韓国が日本軍の行動に必要な諸便宜を与えることを約す 1904.08 第一次
日韓協約顧問政治といわれるように外交は日本政府が推薦する外国人を顧問とする。外交権の制限と財政に対する日本の指導権が確保された 1905.11 第二次
日韓協約統監政治・保護条約。日露戦争終結によって米・英・露の承認のもとで韓国の外交権を奪い統監府を設置。初代統監伊藤博文 1907.06 ハーグ
密使事件第2回オランダのハーグ万国平和会議に韓国皇帝の密使が独立を訴える。列国は韓国には外交権がないと黙殺する。韓国皇帝退位させられる 1907.07 第三次
日韓協約韓国の内政権を掌握し韓国軍隊の解散(1907.8.1を期して)を認める 1907.08 義兵運動 韓国軍隊の解散に対して起きた反日闘争のこと。同時に韓国では愛国啓蒙文化運動が起きる 1909.10 伊藤博文
暗殺事件枢密院議長に転じていた伊藤博文,ロシアに赴く途中,ハルビン駅頭にて韓国青年安重根に暗殺される。 1910.08 日韓併合
条約一切の統治権を掌握,朝鮮総督府設置。初代総督寺内正毅
註)韓国が竹島の領有を主張しているのは,そのためです。つまり,1905年の島根県告示は法的に無効であったという主張なのです。
まぁ,今さら「すべてを元に戻せ」などと言っても言われてもどうしようもありませんが,少なくとも,1)韓国では,日本の朝鮮支配は無効な条約にもとづく“侵略”であったと思われているということ,2)そしてそう思われてもしかたがないことを日本はやってしまったのだということ,ぐらいは認識しておいてほしいものです。
疲れていたのでついポロリと、無意識に出た。これから国会が(予算案採決をめぐり与野党間で)戦闘状態に入るということを頭に思い浮かべ、連想して、つい言ってしまった。決してそちらに向かって言ったのでない。
また,同じく毎日新聞から引用すると,平成会の山崎順子氏は「かつて精神的苦痛,性的搾取を受けた人々への言葉を,からかいで使うこと自体が,人権感覚から程遠い」と批判。畑恵氏は「女性議員全員への侮辱だし,忌まわしい過去を背負った従軍慰安婦と呼ばれる人たちや女性全般への冒とくだ」と厳しく非難しているとのことです。