朝鮮民主主義人民共和国の思い出
― PART3 ―

 1989年,朝鮮民主主義人民共和国(以下,共和国)では,前年に大韓民国で行われたソウルオリンピックに対抗して,第13回世界青年学生祝典を開催しました。私(金明秀)はその訪問団に同行したわけですが,3週間弱ほどの滞在中に観光などの恩恵にあずかりました。以下の写真は,その時に撮影したものの一部です。
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 これは当時の福岡県知事である奥田八二氏から。何年のものかは見なかった。


 妙香山の古寺院にて。


 こういう車両もあった。


 古都,開城(ケソン)駅の外観。ケソンは38度軍事境界線にもっとも近い駅。

 この室内が朝鮮半島で唯一38度線をまたげる場所。中央テーブル上のマイクコードが38度線のしるし。現在ではコードをまたいで韓国側に行ってもいいことになっているが,なかなか大胆に入っていける雰囲気ではない。
 足元にみえるコンクリートブロックが38度線のしるし。向こう側では米軍(国連)兵がこちらの訪問者の写真をとっている。この場の説明では,韓国人の軍人はこの場の勤務には就かないという話だった。たしかに,韓国側に韓国人らしき軍人が映っている写真や映像はいまだかつて見たことない。あ,でも一度だけサピオの写真はそれっぽかったかな。

 訪問者が去った後の情景。兵士の数に注目。
 38度線からピョンヤンまで201kmという標識。振りかえると,ソウルまで70kmの標識がある。その標識の写真もとったのだが,駐留している将軍と並んでオノボリさんみたいに映っているから,とてもじゃないけど見せられない。

 ケソンの町並み。共和国で古都の建物が残っている(つまり朝鮮戦争で壊れなかった)のはケソンだけという。



 高麗ホテル(円柱形の2連ビル)最上階にある回転展望台のトイレ。すさまじく豪華なもの。ちなみに,便器は3つある。



 祝典の警備についている警官隊。フラッシュの到達範囲ぎりぎりだったのでちょっと暗いかな。

 本場のピョンヤン冷麺。もっとも有名なお店が混んでいるということだったので,2番目に有名なお店で。ところが,僕はこの冷麺がどうしても苦手でねぇ,残してしまいました。ラーメンの街,博多でうまれ育った在日三世の悲しさよ。


 光復通りの昼下がり。上下全12車線だったかな。もちろん,有事には滑走路にもなります。


 横断歩道はありません。地下をわたります。ソウルも基本的に似たようなものだけど,この道に横断歩道はいっさいありません。


 繁華街にはこういう電話ボックスもありました。中央郵便局の横のものよりも新しいですね。


 私たち一行が宿泊していたのは,ホテルではなく,新しく建築された高級マンションの一室だった。


 元山にかえるバスの車中から。集団登下校か集団移動中の小学生。歌を歌いながら行進するおなじみの風景。ピョンヤンからやや外れているせいか,あまりそろっていない。


 元山にかえるバスの車中から。穀倉地帯の風景。あぜ道にもいろいろ植えてある。単位面積辺りの収穫高が世界一の田畑。耕作地が小さいので,とにかく効率よくつくる。


 元山にかえるバスの車中から。田園風景。


 元山の小学生たち。おそらく授業で海水浴に向かっているところだと思う。ピョンヤンの行進より足並みや歌声がそろっておらず奔放なかんじ。なぜかちょっとホッとした。
 共和国の道路に信号機は存在しない。こうして交通整理のお兄さんやお姉さんが一日たって忙しくしている。3交代制だったかな。真夏でも休みなしでやっている。日射病にならないのだろうか。すさまじい激務のはず。もちろんこの写真,交通整理のお姉さんは背景の金日成主席を真似しているわけではない。


 元山で海水浴風景。平日の日中なので,授業中(だと思う)の小学生しかいない。


 いちおう海水浴は有料。人民の平均月収が7000ウォンで,入場料が10チョンだからタダのようなものだけど。


 元山からまたフェリーで出発。人民たちは見送りに駆り出されていると思うとなんだか申し訳ないが,さすがにこれでお別れとおもうと,やはり嬉しい。


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