高崎経済大の事件

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 市立高崎経済大学の2年生が自殺したことを受けて、大学は「理不尽で教育的配慮を欠いた留年通告をした」という理由でゼミの担当教官懲戒免職処分にしたそうな。いろいろな意味で前代未聞のできごとです。

 やはり気になるのは、(1)どういう先生だったのか、(2)どういう指導を行っていたのか、(3)どういう学生だったのか、(4)どういう大学なのか、の4点。

(1)どういう先生だったのか

 詳しい報道がないのでよくわかりません。ただ、大学側によれば、「准教授は、他の学生に対しても人格を否定するような暴言やセクハラ発言などがあった」(読売新聞)ということ。これがどこまで公正な事実かわかりませんが、少なくとも、解雇された先生は高圧的な指導に偏りがちで、それが他の先生たちから好ましく思われていなかったということは伝わってきます。

 ちなみに、その先生は「調査結果は納得できない。間違ったことはしていない」「『留年』と言っただけで辞めさせられては、教育にならない」と反論しているそうです。そうとう、自分の教育方針に確信をお持ちのようですね。でも、ゼミの指導なんて一人ひとりの学生の個性との体当たりなのですから、そう確信を持ってやれるほど簡単なものではないとボクは思いますが。

(2)どういう指導を行っていたのか

 解雇された先生は、夏休みの宿題を年末になっても出せなかった学生に、「1月15日までに課題を出さないと即留年」というメールを送っていたそうです。

 問題の課題は、「アダム・スミスの重商主義批判の論点を説明させるなど10の設問から五つを選んでリポートするのと、新聞社説10本の要約とそれについてのコメントをまとめるという内容」(同上)。これに対して、大学のコメントは「大学院生並みの厳しい課題。ある課題がこなせなかったというだけで即留年というのもおかしい」(同上)というもの。

 おそらく、「10の設問」はたしかに大学院生並みの厳しい課題なのでしょうが、できない場合の救済策として、「社説10本の要約とコメント」という課題があったわけですよね。だとすると、たとえ2年生とはいえ、通年のゼミの課題としてはいちがいに厳しすぎるとはいえないでしょう。

 ただし、通年のゼミの単位を夏休みの宿題だけで不合格にするというのは、たしかにおかしい。通常、ゼミでは出席、発表、授業中の発言、課題の4点が評価対象となります。合格は60点以上なら、夏休みの課題の配点だけで40%を超えていることになる。たいへんアンバランスな、というよりも恣意的な評価方法であるといえます。恣意的な評価は、学生に不安、不信、不満を与えるだけでなく、アカデミック・ハラスメントの温床ともなります。

(3)どういう学生だったのか

 最後に先生に送ったメールには、「出来損ないの面倒を見させてすみませんでした。お世話になりました。ゼミ楽しかったです」とか、「留年すると分かっています。人生もやめます」などと書かれてあったそうな。礼儀正しそうな、あるいは真面目そうな印象を受けます。少なくとも、不当に反抗的な態度をとる(みずから教育機会を放棄する)ような印象はない。

 学力的には、「社説10本の要約とコメント」という課題ができないわけですから、そんなに出来がよかったわけではないのかもしれません。

 ただね、かりに学力に問題があったとしても、2年生のゼミでしょう。完成した知識を期待することはナンセンスで、むしろ激励してやる気を引き出しながら、自力で学習していく基礎的な素養を身につけさせることが授業の目標であるはずです。そもそも、上述の学生像が誤りでなければ、いちがいに厳しいとはいえない課題を何ヶ月も出せずにいたのは、学力の問題というより、先生に対して萎縮してしまっていたせいだと考えるのが自然です。本人に「出来損ない」といわせてしまったのは、明らかに指導のミスであるとボクは思います。

(4)どういう大学なのか 

 高崎経済大学のウェブをみると、少人数制の丁寧な教育をウリにしている大学だという印象です。だからこそ、この事件に異例なほど厳しい処分を下したのでしょう。

「高崎経済大学のゼミナールは教員と学生、あるいは学生相互の議論や交流の場として、とてもアットホームな雰囲気を持っています。「少人数精鋭教育」を大学の理念として重視する高崎経済大学ならではの学生生活の充実感を十分に味わってください。」(高崎経済大学学長メッセージより引用)
 しかし、こういうゼミの運営をこれまで放置しておいて、重大な問題が発生してからようやく対処に動くというのは、「教育重視」という看板からするとちょっと違和感があります。

 ボクが想像するに、問題は二つあったのではないかと。

 第一に、大学の経営方針や教育理念を各先生に徹底させるような仕組みは整備されていなかったのではないか。言い換えると、教員の裁量を絶対不可侵とする旧い態勢が残っている大学なのではないか。

 第二に、「教育重視」を謳いながらも、「どういう教育を重視するのか」についてきちんと検討してはいなかったのではないか。この先生も、見方によっては「指導に熱心」というとらえ方ができないことはありません。たとえ権威主義的で統制主義的な教育スタイルであっても、たとえ学生を萎縮させてしまって本来の力量を引き出せないような教育スタイルであっても、やはり「教育重視」にかわりない...そういう考え方だったのだとすると、問題はこの先生だけではなく、大学にもあったといわざるをえないでしょう。民事で保護者から訴えられると大学は負けるんじゃないでしょうか。

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このページは、mskimが2007年4月11日 10:13に書いたブログ記事です。

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