もう3年前になりますか、非常勤で教えていたK大学での話。
およそ300名ほどの学生が集まった4月はじめの教養の授業で、ぼくはこういいました。
「日本の学生は、成績表を受け取ったら疑問にも思わずそのまま受け入れてしまう傾向があります。しかし、特に人数が多い授業ではミスもありえます。例えば、先生が成績をつけ間違えているかもしれない。かりに先生がちゃんと成績をつけていても、データを入力するときにミスが発生するかもしれない。だから、もし「こんな成績は絶対におかしい!」と思ったら、かならず教務に確認に行くように。」まぁね、ヨソの大学でわざわざいうべきことではないと思いますよ。ただ、あまりにも唯々諾々と評価を受け入れる学生が多いものだから、成績表を配布する時期にこう発言するのはクセになっていたのですね。
すると、昼休みに事務のお兄ちゃんが激怒して怒鳴り込んできました。いわく;
- 入力ミスがあったのではないかと不安になった学生が10名ほど、「入学から今までの成績すべてミスがないかチェックしてくれ」とクレームをつけてきた。どうしてくれるんだ。
- われわれ事務方は責任を持ってデータを入力している。データの入力ミスなどありえない。あってはならない。また、先生についても、成績をつけ間違うなど、ぜったいに許しがたいことです。
ちなみに、アメリカでは成績のつけ間違えなんて日常茶飯事です。可能なかぎりミスがないようにするのは大学の義務。でも、アメリカの事務職員はミスが多いし、当人たちも「人はミスを犯すものだ。いっさいのミスを犯さないためには何度も繰り返しチェックしなければならず、それをやるほどの給料はもらっていない」と思っています。だから、ミスがないかどうか確認するのは学生の義務なのです。
そして、たとえミスがなくとも、学生たちは成績に納得できなければ、「どうしてこんなに低いグレードなんだ」と訴えてきます。教員側は、クレームがつくことを前提に、厳密に成績を評価し、評価の材料をきちんと保管しておきます。
アメリカが優れているとはいいません。というより、アメリカのようにミスが多いのは困ります。それでも、「ミスはありえない」などと非現実的な前提に固執するのは気色わるいとぼくは感じるわけです。
たとえるなら、「絶対に事故は起きません。だから心配いりません」という原子力発電所と、「人はミスを犯すものです。だから、ミスを犯すリスクのある箇所を徹底的に洗い出し、そのすべてについて不断の対策を行っています」という原子力発電所と、どちらを信じるか。ぼくなら、後者のほうが安心できます。
そして、「ミスはありえない」「絶対に事故は起きない」という文句を妄信してしまう学生というのも、困ったものでしょう。少なくとも、ぼくはそう思うわけです。
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ただし、それから何ヶ月かたって、考えを一部修正するできごとがありました。別の大学のある先生からジョークめかしてこういわれたのです。
「いや、君のほうが間違っている。なぜなら、君は不用意な発言で、クレーマーを刺激してしまったのだから。」目からウロコとはこのことか!!
それまで、学生をクレーマーとみなしたことは一度もなかったのですが、いわれてみれば、クレーマーといわざるをえないような学生は確かにごく少数ながらいるものです。ウチのように学生数が少なく、しかも事務職員の多い大学なら、そういう学生にも本質的な対応(理不尽なクレームを頻発する理由を確かめ、それを取り除く)をするだけの余裕があります。だから、わざわざクレーマーと定義する必要もなかっただけのこと。しかし、K大学のようなマンモス校では、クレーマー対策は重大な課題になっているのかもしれません。
ごく少数のクレーマーを刺激しないようにするべきか、それとも、大多数の学生に疑問を持てと教育するべきか。ウチの大学では後者をとるべきだと思いますが、はたしてマンモス校でどうかと問われれば、答えに自信を持てなくなっています。

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