アルバカーキーAlbuquerqueという町のホステルでの会話。
| 「へー、あちこち行ってますね。このあたりだとニューメキシコ州以外ではどこに行きました?」 | |
| 「このへんは全部行ったよ。あ、でもオクラホマには行ったことがないな」 | |
| 「おれもオクラホマに行ったことはないな。行こうと思ったこともないや。」 |
と、オクラホマは相手にされていません。というより、バカにされきっています。客Aはニューヨーク市、客Bはロサンゼルス在住なのに。もしかして全米からバカにされている...?
ぼくのお気に入りの小説のひとつに、スタインベック著『怒りのぶどう』があります。不況で土地を失ったオクラホマの農家たちが仕事と食べ物を求めてルート66を西へと移動するのですが、道中「オーキー」などと罵倒され、賃金を買い叩かれ、ひどい目にあいながらも、たくましく生きるという話です。上の会話を聞きながら、『怒りのぶどう』を思い出していました。
日本でいえば、ときどき京都の人が滋賀県民を田舎者として小ばかにするようなことがありますね。(あるいは、福岡の人が佐賀県民を、東京の人が埼玉・千葉県民を。)
客観的にみれば、大津市や草津市は京都市よりも中産階級が多いのでよっぽど都市的ライフスタイルが発達しているし、レジャーも盛んで訪れる観光客は京都よりも多いくらいなのですが、京都人にとって"滋賀県民は田舎者だ"というイメージは根強いようです。京都人は自分たちが田舎者だって気づいていないこともあるしなぁ。
さて、「オーキー」に相当する罵倒語は「滋賀作」になるのでしょうか。ただ、からかうように「オーキー」と発音すれば、英語圏では語感だけで間違いなく侮蔑をこめた罵倒語だとわかるのに対して、「しがさく」は語感が弱いですね。たとえはやしたてるように発声しても、それだけで侮蔑をこめた罵倒語だとはわからない。たぶん、会話の中で発生した罵倒語ではないのでしょう。
差別語、罵倒語は、語感が大切です。発声するだけでそれとわからなければ意味がない。たとえば、日本人を差別する英語にJapとかNipとかあります。でも、英語では罵倒語として通用する語感があっても、日本語としてはやはり語感が弱い。「じゃっぷ」とか「にっぷ」と呼ばれたって、なかなか腹は立ちません。
日本人をバカにするとしたら、たとえば「ぽんじん」「にぽん」「はぽん」とかが語感としては適切でしょう。からかうように、あるいは吐き捨てるように「ぽん」と発声すれば、確実に侮蔑の意図が伝わります。外国人から、「おいおい、またポンジンが集まって徒党を組んでるぜ、ははは」とかって笑われたら、きっと、めちゃくちゃ腹が立つことでしょう。
アメリカでは、普段は差別する側といえる人を対象に、「差別されてみる訓練」をしてくれるレッスンがあります。お金を払ってわざわざ差別される体験をしにいくの。すごいでしょう。
こういうのって、バカにされてみなければ、侮蔑された人の本当の気持ちはわからないものですからね。「差別語は使っちゃいけない」なんて杓子定規にとらえるだけでは何の役にも立ちません。実際に差別されてみれば、そしてそれで実際に傷ついてみれば、少しは理解も進むだろうという考えなのでしょう。
オクラホマは、可もなく不可もない、ごくふつーの田舎めいた州でした。でも、↑のようなことを考えていたので、なんとなくサビシイ印象があるのでした。

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