多様性と標準性の調和

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 ちょうど昨日のことですが、昨日書いたエントリーに関連した学内向けの講演会がありまして、事前資料として中央教育審議会大学分科会が2007年9月に出した『学士課程教育の再構築に向けて』が配布されていました(講演会が終わってから読んだんですがw)。

 その第2章が標準カリキュラム作成に関連する部分で、そのタイトルは「改革の基本方向〜競争と協同、多様性と標準性の調和を〜」というものです。一文だけ引用します。

個性化・特色化に伴う「教育の多様性」と、国際通用性等の観点から要請される「教育の標準性」の両者を調和させていくことが必要となる。
 調和させるって、いうのは簡単ですけどねぇ。日本の高等教育全体を見据えたマクロな議論としては「調和」もありうるでしょう。しかし、昨日も書いたように、実際の教育場面で、つまり学科単位で、現行のカリキュラムと複数のディシプリンの標準カリキュラムを調和させるのは、そう簡単なことではありません。

 日本心理学会がやっている認定心理士一つを例にとっても、学際的な位置づけの科目は認定しない方針を採っています。たとえ、教育内容が標準カリキュラムに規定されているものに完璧に符合していても、データが心理学的でなかったり、教員が関連学会の会員でなければ認めないというのです。

 もし、各専門領域がこういう縦割り根性丸出しの態度で標準カリキュラムを提示すればどうなるか? というより、たぶんそうなるでしょう。

 複数の標準カリキュラムに適合させるために、まったく同じ教育内容であっても、それぞれのディシプリンの学位を持っている教員でクラスを分けたり、データを使い分けたりしなければなりません。そして、学生達は、先生が違うだけでまったく同じ内容の科目の単位を2回取得しなければなりません。

 これは、法的にも倫理的にも許されないことです。

 誰かが(たとえば文部科学省が)、それぞれの学問領域の標準カリキュラムの内容や運用方針に統一的な管理をしくなら話は別です。しかし、それは国家による教育の統制につながりますので、別の大問題が発生します。というわけで、実際の教育場面で、多様性と標準性を調和させるというのは、おそらく不可能に近い。

 予想されるうちでもっとも蓋然性が高いと思われるのは、それぞれの大学が学際性、多様性をあきらめて、ふたたび旧来のディシプリンに戻ってくるということです。学生募集の観点からも、学際的な学科は全般的に不調だということもありまして、ふたたび人気のある学問領域を前面に押し出すところが増えてきています。

 リベラル・アーツ系の大学は苦慮するでしょうが、経営的に余力のある一部の大学を除いて、おそらく幅広く学ばせるという方針は捨てることになる。そして、メイジャー(主専攻)として特定の学問領域だけを学ばせて、余力のある学生にだけマイナー(副専攻)の取得を許可する、という方向に転換するでしょう。

 560もの数に膨らんだ学位名称(うち6割は世界でその学部にしかない)も、枯れた名称のものだけに淘汰されていく。「学士(人間関係学)」なんてのはなくなって、「主専攻 心理学士、副専攻 社会学士」とかに変わっていく。

 なんだかなぁ。

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このページは、mskimが2008年2月 1日 14:22に書いたブログ記事です。

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