昨日は学問の特性から「標準化」と相性が悪い分野があるという話を書きましたが、他の観点からも「標準化」と相容れない学問分野がありうると思います。
他の観点とは、たとえば、市場規模が小さいということもその一つ。学科をもたない学問分野と言い換えてもかまいません。
昨日、社会学については一般に専門の科目が20単位足らずと書きましたが、それは、「学科」とはいわないまでも、社会学を学べる「専攻」があり、社会学の教員が3名以上いるようなところにかぎられます。専攻もなく、専門の教員が2名以下のような場合だと、学科のカリキュラムの中に20単位も確保するのは困難でしょう。せいぜい、講義で8単位+ゼミで8単位ぐらいあればいいほうだと思います。
同じことが、市場規模の小さな学問すべてにいえます。
学生数の少ない分野だと、講義4単位+ゼミで8単位しかカリキュラムに用意されていないケースも珍しくはありません。
たった12単位では十分に学ぶことができないという理由で、わざと留年して5年計画で学ぶことが一般的になっているようなところもあったりします。
少人数制で5年間も学べば相当に密度の濃い教育が行われるはずです。ゼミに入ってからの学習を単位数に換算すれば、40単位にも50単位にもなるような学生もいるのですが、公式に認定される単位は、やはり12単位のままなのです。
単位制を前提とした標準カリキュラムなんて、こんなケースにはまったく意味がありませんよね?
しかし、大学にしのびよる新自由主義はこういうケースの存在を許してはくれません。各学問領域ごとに標準カリキュラムを策定するということになれば、おそらく、こういうケースは淘汰されていくことでしょう。
かつては、戦後の文部(科学)省の方針で、総合大学はできるだけ多くの学問領域をそろえておくことが望まれてきました。が、今後は、複数の教員をそろえた「専攻」すら開設できない学問領域はその大学から駆逐されていき、一校あたりの学問領域数が減っていくことになる。
いくつかの大学から駆逐された学問領域の教員がどこかの大学にまとめて雇用されて、その学問領域の学科なり専攻なりを構成することができれば、マクロな観点からは問題は少ないといえるかもしれません。
でも、学生数が減少している現在、いわば不人気領域ともいえる学科を作るリスクを負うような私立大学はあまりないでしょう。いまや国立大学法人だって経営優先のはず。
とすれば、日本で学べる学問領域そのものが縮小してしまう危険性が高まっている、ということでしょうかね。

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