問題を教える/答を教える

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 よそのブログで前回のエントリーに関連した意見を読んで思ったんですが、どうやら「問題を教える」=「答えを教える」だと勘違いしている人って少なくないようですね。

【答を教える例】

 第四級アマチュア無線の講習会の実情を紹介しましょう。

 まず制度の概要ですが、2万円あまりの受講費用を払い、丸二日間の講習を受講して、講習後に試験を受けて合格すれば、免許証を発行してもらえるという仕組みになっています。

 丸二日というとタイヘンなようにも聞こえますが、さすがはかつて「趣味の王様」と呼ばれたアマチュア無線だけあって、もとは40時間もの時間をかけて講習が行われていたほど出題範囲が広いのです。それを二日間でなんとかしようというのですから、教えられる内容はたかが知れています。というより、たった二日間では、ちゃんと知識を習得することは不可能なのです。

 なぜそんな意味のない講習会が開かれるのかというと、(1)アマチュア無線業務に必要な知識をあらかじめ習得できた人が試験に合格すれば免許証を発行するというタテマエを捨てないまま、(2)趣味人口が急減したアマチュア無線業界を保護するために新たな免許取得者を増やしたいという経営優先策に舵を切った結果、(3)業界も、講師も、受講生も、「お金を払って免許証を購入する/してもらう」という感覚でいるからです。

 具体的には...

 講習会当日、発話にいささか難のあるご高齢の講師が登場します。ほとんどテキストを棒読みするだけの方や、テキストを棒読みするよりももっと分かりづらい方などです。拷問のように退屈な講習会が丸二日間続きます。60名の受講者の半数近くがずっと寝ています。

 ところが、受講生が全員飛び起きて、筆記用具を手に講師の発言を聞き漏らすまいと集中する時間があります。それは、二日間の講習後に実施される試験の「予想問題」を発表するときです。実際に出題されるのは10問×2分野ですが、各分野20問まで出題範囲を絞ってくれるのです。予想問題といいつつ、実際に出題される問題そのものといっても過言ではないでしょう。

 問題はいずれも4択。内容を一切理解していなくても、解答番号だけ丸暗記してくれば確実に合格できる仕組みになっています。

 これこそ、「答を教える」授業ですね。まともな教育者であれば、まずやらないことだと思います。教育ではなく、お金儲けが目的だからこそできることです。

【問題を教える例】

 アメリカの大学では、ちゃんとした授業であればだいたいシラバスの中で試験問題が明記されています。が、ここは日本ですので、日本の事例を紹介しましょう。

 科目名は「データ解析入門 I」。統計解析パッケージソフトウェアの基礎的な利用方法を学ぶ授業です。

 授業は全15回の詳細な内容が無料のテキストとともにウェブで公開されています。ちゃんと予習と復習をやりなさい、というメッセージですね。

 毎回の授業で課題が出されます。電子メールで翌週の前日午後10時までに提出します。提出期限内に出された課題には担当教員がコメント付で採点結果を返信します。期限内であれば、コメントの内容を読んで、何度でも再提出することができます。逆にいえば、担当教員は何度でもそれにつき合わされます(泣)。

 15回授業のうち、3回はパソコンを使った小テストです。小テストの過去問題はやはりウェブで公開されており、各小テストの前の授業では過去問題の解説と解答も開示されます。多くの学生は、何度も何度も、課題と小テストの過去問をやり直し、小テストまでになんとか間違いをおかさずにすむ状態になっています。

 しかし、それだけでは、小テストで満点を取ることはできません。なぜなら、半分は基礎知識ですが、残りの半分は「必ずしも難しくはないけど、ただ表面的な知識があるだけではダメで、知識をきちんと消化して応用できていないと解けない問題」が出題されるためです。

 そして15回の授業が終わったら筆記の定期試験です。定期試験の過去問題は学生たちに公表していませんが、15回目の授業で試験問題を念頭に置いた基礎知識の復習が徹底的に行われます。

 そして、最終的な成績は、出席、課題、小テスト、定期試験から厳格に評価されます。

 どうでしょう? 日本では、このへんが「問題を教える」タイプの典型的な授業ではないかと思いますが。

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 初等教育では、問いも単純だし、問いと答えがシンプルな対応関係にありますので、「問題を教える」ということがすなわち「答を教える」ことを意味する場合が多いと思います。

 しかし、高等教育では話が違います。問いが複雑ですし、問いに対して解法が複数あったり、それどころか解答が無数にあったりします。「問題を教える」ということと、「答を教える」ことの間には、非常に大きな違いがあるわけです。

 それでも、「わざわざヒントを与えて甘やかす必要はないだろう」と考える人もいるかもしれません。

 でも、「問題を教える」のは、ヒントを与えるためではありません。その科目の「到達目標」を明示するためです。より正確にいえば、「到達目標」を学生に周知し、そこに向かって効率的に学習を進めてもらうためです。

 ちなみに、上で紹介した「データ解析入門 I」と同種の授業は多くの大学で開講されていますが、僕が知っているいくつかの大学(K南大学とか、R谷大学とか、K西大学とか)に比べて、少なく見積もっても1.3倍以上の進度を誇ります。平均的な熟達度はそれ以上ですね。入試難易度は、それらの大学に比べて(残念ながら)はるかに劣っているにもかかわらず、です。

 ただし、それだけの効率に見あった学修時間が必要となりますので、この「データ解析入門 I」を受講して、甘やかせてもらったと思う学生は一人もいないでしょう。教員も大変ですが、学生の負担も大きい授業です。

 大学の授業で「問題を教える」というのは、こういう教育モデルを意味するんだと僕は思います。

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コメント(2)

それは いわゆる 課題 というヤツに該当するのではないでしょうか?

でも、教育の目的を慮れば、その方がいいと思いマス。。。

いつもどうもー。

そうですね、例に出した授業のように、過去問を解かせるというのは、実践的な課題の一つといえるかもしれません。

ただ、「問題を教える」というのはもっとストレートなものでして、たとえばぼくが持っている授業の一つでは、初回の授業で配布するシラバスに40個のキーワードを「試験問題候補」として明示してあります。で、中間試験で10問、定期試験で10問、それぞれランダムに出題(語句説明)する仕組みになっています。

40個というと、だいたい毎回の授業で2〜3個ずつのキーワードということになります。それらの用語を手がかりに復習してもらいたいというメッセージなのですね。

ところで、ぼくが大学生だったころ、人文・社会科学の授業といえば、学習の進め方についてのメッセージを明示するどころか

「何をどう学習するべきかということ自体を、学生が勉強して読み取るべきだ」

というスタンスが一般的だった用に思います。もう少し好意的に解釈すれば;

「学習の進め方は学生によって違うのだから、それぞれの学生が自力で自分に適した学習方法を発見する必要があるのであって、教員が学習の手がかりを明示するのは邪道だ」

というところでしょうか。

それはそれである種の教育哲学の反映でしょうが、昔のヨーロッパの大学じゃあるまいし、単位制にはなじまない。少なくとも効率的な教育とはいいがたい。

まぁ、大学教育で「効率」を論じるなんてナンセンスだ、ぐらいの感覚だったんでしょう。

でも、いまや大学教育でも定量的にoutcomeが求められる時代です。

前の方のコメントにもありましたが、(outcome保証のために)科目担当者が恣意的、独善的に授業内容と成績評価を決定する体制は崩れつつあり、組織で体系的に教育を実践する体制に変化していっています。そのほうが効率的だからです。

そして、個々の授業でも、到達目標(試験問題)をもっとハッキリと示してあげることで、効率的な学習をサポートするべきだと思います。

ぴよさんへのリプライを借りての補足でした。

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このブログ記事について

このページは、mskimが2008年2月10日 19:53に書いたブログ記事です。

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