前回、「在日コリアンに地方参政権の門戸を開くかどうかというのは《日本人の問題》だとぼくは思っている」と書きました。つまり、日本人の寛容性の問題であり、日本人の地域観の問題である、という文脈でこの言葉を使ったわけですが、じつは別の文脈にもこの言葉は当てはまります。
つまり、日本人のナショナリズムの問題だ、という意味です。もう少しわかりやすく言うと、外国人の地方参政権をダシにして日本人が国民的アイデンティティを模索している側面があるという意味です。もっといえば、日本人が「日本人とは何か」という問いを立てるために、外国人を衝突壁として利用するのはやめてほしい、ということです。
...ってネタフリに続けて詳しく説明しようと思ったけど、なんだか気分が乗らないから、この話はここまで。やっぱり別の話にします。ただ、ネタフリの最後にある「衝突壁」については、ヘイトクライム#2を書くときにあらためて言及しましょうか。
今朝、Zeitbedingtさんがツイッターでこう書きました。
参政権を社会貢献の手段ととらえる見解には、あんま馴染めない。参政権の法的性質としてあえて公務性を否定しようとは思わないけど、社会貢献って法的性質じゃないし。実際、多くの投票者は自己利益に合致する(または反しない)代表者を選んでるだけじゃなかろうか。
これはおそらく、ツイッターの仕組みを理解していなかったために幻となったぼくのつぶやき(↓)を念頭に書かれたのではないかと。
@nasukoB はじめまして。参政権というのは社会に貢献する手段ですから、日本や地域社会への愛着が強く、いっそう貢献したいと考えている在日ほど欲しがります。逆に、日本は外国だと思っている在日は欲しがりません。一般論として。
なるほど、投票行動は自己利益を最大化するように行われるのだから、それを「社会貢献の手段」と表現するのは不適切だという指摘には、うなずかざるをえないかも。
ただ、現時点で参政権を持たない在日外国人が参政権の獲得を望むとき、背後にあるのは具体的に誰かに投票したいということではなく、もっと抽象的な、「私も地域の一員として意思決定の代表者を選ぶプロセスに参加したい」といった気持ちでしょう。
この点に関して紹介したいデータがあります。『在日韓国人の社会成層と社会意識全国調査報告書』の13章「権利」です。より具体的には、「日本の参政権」を望む理由についてロジスティック回帰分析を行った箇所。
分析モデルがラフなので、この結果が一人歩きするようだと困るのですが、ここで注目してもらいたいのは「地域活動参加」の係数が有意だということです。4章「地域移動」、5章「地域意識」、11章「愛着」もあわせてお読みいただけると、このデータの意味が間接的にイメージできると思います。
すなわち、在日コリアンはみな地域に強い愛着を抱いているが、普段から地域活動に参加し、今以上に愛着を持てる地域を創りたいと願う人、今以上に地域への貢献を求めている人ほど、地方参政権を求めているということです。
最後に、関連する話題なので古いエッセイを一つ紹介して終わります。
福岡安則「『在日』と日本人との共生は可能か」(月刊『アプロ・21』)

コメントする