差別には2つの次元がある

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 「差別には2つの次元がある。」

 これは、差別研究の分野では、誰もが知っている常識、定説の一つといっていいでしょう。

 つまり、差別には、「序列化」と「差異化」という2通りのロジックがある。その結果、差別事象は「格差づけ/見下し」と「異化/排除」という2通りの次元で表出する、ということです。

 差別のこの2面性をしっかり理解しておかないと、具体的な事象を観察しても、その差別性を認知することが難しくなります。片方の次元にのみ注目していると、もう片方の次元で現れた差別を見落とすことになってしまうわけです。

 以下、もう少し詳しく説明していきます。

1. 序列化のロジック

 (1)ある集団に帰属する者を、「われわれより劣った者だ」とみなす。そして、(2)「あの人たちは劣っているのだから不利な扱いを受けても仕方がない」と考える。これが序列化のロジックです。このロジックに沿った差別的な考え方の具体例をいくつか示しましょう。

    • 女は論理的思考能力という点でわれわれ男性に劣る。大事な仕事を任せられず、昇進が抑えられても仕方がない。
    • 黒人は知能においてわれわれ白人に劣る。奴隷として白人に奉仕するのは神が定めた摂理だ。
    • 朝鮮人は誠意においてわれわれ日本人に劣る。入居にあたって、日本人の3倍の保証金を納めてもらうのは当然だ。

 ようするに、特定の社会的カテゴリーに所属する人を「劣っている」と決め付け、侮辱し、一方的に攻撃する。そして、資源を奪ったり、資源の入手を制限したりする。また、資源の分配に不平等を持ち込んだりする。そして格差が固定すると、「ほら劣っている」と見下しが改めて強化される。そうした一連のプロセスとしてあらわれる差別の次元を、序列化のロジックと呼ぶわけです。

 さて、序列化のロジックについては、どちらかというと、直感的にわかりやすい面があると思います。

 なぜなら、多くの場合、序列化のロジックには偏見をともないますし、侮辱や不平等など差別に付随しがちな現象も観察されやすいからです。(ただし、偏見を持っている人は、自分が偏見を持っているという事実になかなか気づかないというのは、よく知られた事実です。)

 結果として、「差別」だと認知しやすいし、「差別」だとクレイムを付けやすい。逆にいうと、「差別ではなく区別だ」と反論しにくい。

 それに対して、次に紹介する差異化のロジックは、直感的には少々わかりにくいかもしれません。

2. 差異化のロジック

 (1)ある集団に帰属する者を異質だとみなす。そして、(2)忌避したり、関係を絶ったり、資源を共有するための集団や組織から排除したりする。 これが差異化のロジックです。このロジックに沿った差別的な考え方の具体例をいくつか示しましょう。

    • 部落の奴らはおれたちと身分が違う。結婚するなんてもってのほかだ。おれたちが管理している山で薪を採るなんて泥棒だ。おれたちと同じ場所で働くなんて許せない。
    • 女は子どもを生み育てる性であり、企業は男の世界だ。外で働くのは男にまかせて、女は家庭内で家事や育児をするのが合理的だろう。専業主婦はむしろ女の天職だ。
    • 朝鮮学校に通う生徒は他の児童とは違う。外国人だし、独裁者崇拝の洗脳教育を受けている。同じ大会に出場するなんて許せない。ましてや、ウチの県の地域代表になるなんておかしい。

 さて、どうでしょう。「なるほど、これらは差別的な考え方だな」と感じましたか? むしろ、今の日本だと、一番下の例に対しては共感を示す人も少なくないかもしれませんね。「嫌いな奴らと付き合いたくないというのが、なぜ『差別的な考え方』になるんだ」と。

 差異化のロジックに差別性を与える要件は、「排除」にあります。見下しの感情があろうとなかろうと、偏見を持っていようとそうでなかろうと、ある社会集団のメンバーを重要な機会から恣意的に排除すれば、それは「差別」だというクレイムの対象になります。

 しかし、差異化のロジックは、序列化のロジックとは違って、見下しや侮辱のようなわかりやすい「悪意」を伴わないことも少なくないため、「差別」だと直感的には認知しにくい面があります。だから、「差別」だというクレイムを受けても、「いや、差別ではなく区別だ」という反論が必ず出てきます。また、その反論に同調する人が少なからず出てきます。差異化のロジックの差別性は、どうにもわかりにくい。

 ジム・クロウ法制期のアメリカ南部においては、「黒人がバスで座ってよいのは後部座席だけ」という規定がなぜ「差別」と訴えられているのか理解できない人が多かった。単に隔離しているだけであって、差別じゃない。お互い不愉快だから、ただ区別しているだけじゃないか、と。

 同様に、選挙人登録の際に識字テストを行う規定(教育から排除されて識字率の低かった黒人から実質的に参政権を奪う仕掛け)についても、当時は「差別」だという訴えがなかなか認められなかった。市民として最低限の知性を要求しているだけであって、別に黒人を差別しているわけじゃない、と。

 国交のない北朝鮮を支持している朝鮮学校はカリキュラムを公式に確認できないから、無償化から除外する。形式的な問題であって、別に朝鮮学校を差別しているわけじゃない、というのも同じロジックですね。違法な人権侵害であることは明白なのに、その差別性がなかなか理解されない。

 しかし、わかりにくいならばなおのこと、ある社会集団のメンバーを重要な機会から恣意的に排除するようなことがあれば、それは「差別」ではないかと疑ってかかるべきでしょうね。後年、「あいつはひどい差別主義者である」との糾弾を受けるかもしれませんよ。

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コメント(6)

北朝鮮ではひどい人権弾圧がなされていますが、このような北朝鮮を支持している朝鮮学校が、今回の無償化から除外されるのを「人権侵害」と怒るとしたら、ほとんど喜劇ですね。北の人権弾圧を肯定するような教育を施すことこそ、教育を受ける子供たちに対する人権侵害ではないでしょうか?

税金を財源とし、財源が無限ではない以上、
資格や要件を満たすことが条件となるのは妥当です。
それが国が定める教育関連の法律と指導要綱にそった
運営や授業を行う高校のみという縛り。

日本の教育システムの中にない各種学校、
アメリカンスクールや朝鮮学校などは
残念ながら対象とはならないでしょう。
ただ、勘違いしてはいけないのは、
そこに通う方々を差別しているのではないということ。

社会には様々な制度がありますけど
対象とされる場合もあれば
そうでない場合も有る、当たり前のことです。

解りやすい解説有難うございます。
とても良く理解できました。

しかし自分の身に置き換えて考えてみるとすごく難しいことを要求されているように思えます。
今や部落問題も以前ほど大きな問題と思われなくなりましたが、例えば自分の子供が部落(海外におけるスラム)出身の人と結婚をしたいと言ってきたとき忌避・拒絶しないか?と問われた場合、恐らく拒絶するでしょう。
もちろんその相手や家族親族友人知人が反社会的な行為を働く様な人物ではないかもしれません。
しかし現実問題として本人の思想や行動がどうであれ、何処かで反社会的集団や行為との接点がある可能性が高い。という恐怖・不安が勝るであろうと容易に想像できます。
もしそのことで差別主義者だと罵られ、糾弾される恐れがあったとしても恐らく拒絶する方を選択するでしょう。

差異化のロジックとして3つの例を挙げていらっしゃいますが、
3つ目はちょっと強引かな、と思わざるを得ません。

性別、部落出身はともに先天的差異であり、朝鮮学校は出生後の選択によるものですよね。
子供の頃、朝鮮学校というものがあると聞いて、羨ましくなった事があります。何故なら、その中では差別は無いだろう、と考えたからです。
実情は知りませんが。

3つ並べるなら、女子校、部落学校(いまはそんなものないですが)と並べるのが筋だと思います。

私は自分のルーツに関しては父や祖父から学びました。特にそれで不都合は無かったです。御先祖には感謝し敬う気持ちが当然あります。
私が感じているのは、在日の皆さんには我々と違って「言語」と「言語に裏打ちされた習俗」というものが壁としてあるのかなぁ、という事です。

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このページは、mskimが2010年3月25日 15:03に書いたブログ記事です。

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