昨日のエントリーを書いていて、ずいぶん昔に書いた卒業論文の「あとがき」を思い出しました。あまりにも気恥ずかしいのでやめようかなとも思いましたが、ちょっと思うところがあって、あえて公開することにしました。
職業としての学問に着手したばかりの22歳の在日青年が、何を考え、どういう気持ちでエスニシティを研究テーマに選んだのか、一つのサンプルとして(できれば笑わずに)お読みください。
(BLOGOSさんへ事務連絡:本稿は転載不可です)
************ここから*************
かつて両親が総連系の運動を支持していたこともあり、私は小学校教育の多くを福岡市にある民族学校で受けた。民族教育の甲斐あって、当時は生活の中にあるあらゆる民族的なものに対して絶対的な価値を感じとっていたものである。しかしその後のより高等な教育は日本の学校で受け、日本の友人とともに思春期を学ぶうちに、ちょうど日本人の若者が日本民謡や演歌に対して抱くものと同様の感覚でもって朝鮮の歌を聴くようになり、ついには「朝鮮」という言葉そのものになにかしら古くさく因習的で、克服すべきなにものかであるような語感が付けくわわるようになった。
私の高校三年生は、この89年と同じく革命ラッシュであった。韓国ではオリンピックを目前にして全社会構成員的なデモがくり広げられ、フィリピンでは2月革命が一応の勝利をあげた。どちらの場合も独裁者は因果の報いを受け、隠遁の生活を余儀なくされるようになった。それをテレビでみていた私はといえば、まあ日本の報道の性質にも大きな問題はあったと思うが、フィリピンの民衆蜂起に対して全身を震撼させ心を高揚させる一方、韓国の学生・市民運動については「またやっているのか」といった程度の冷めた失望感しか感じえなかったのである。
また高校時代といえば、ひも解いた本の中で一番こころに残っていたものは知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』の序にこう書いてあったことである。「愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言葉、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものとともに消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。」同じ頃、「朝鮮」や「在日」という言葉のついたものには興味を示しさえしなかったのにである。
とはいうものの、人格形成期に受けた民族教育のおかげか、転校後の小・中学校で下劣な輩に浴びせられた罵倒語への反感によってか(これはいまもって消え失せることはない)、あるいは日頃の会話の中で日本人の友人達によって発せられる無意識的な差別発言によってか、いずれにしても「日本」への愛着は進まず、また「朝鮮」に対する呪詛も捨てきれはしなかった。
そういった私の歪んだ民族感情が、再び呼び覚まされ意識にのぼるようになり、すこしずつはっきりと形をあらわにしていったのは、学生組織で精力的に活動を行っている同胞の友人達や誠意ある日本の友人達との、たゆまない議論と対話におかげをこうむっている。
はたしてこの論文は、同胞社会への、そしてひいては人類的な倫理社会への貢献を目指したものであるということもさることながら、自らの呪詛を清算し自らを再び問いなおす意味をもったものでもある。
前者の意図がどこまで達成されたかは非常にこころもとないが、後者については、一つの形あるものを著すきっかけとなってくれた友人諸氏にお礼を言いたい気持ちでいっぱいである。
朝まで議論を尽くしてくれた友人、面倒な調査に協力していただいた方々、草稿の一部を熱心に目を通していただいた先輩方に、この場を借りて心からの感謝を捧げさせていただきたい。
うちの横は2方向が雑木林です。片方は大学の敷地で、もう片方は里山。
子どもたちはドライブ好きなので問題ないのですが、猫はそうも行きません。



