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SONGです。
太郎さん、早速のレスポンス有り難うございます。
貴方の仰りたい主旨は、概論的に充分理解できるところです。
先に結論を言ってしまいますと、今現在の<日本(人)社会><在日韓朝鮮人社会>の問題は双方とも、充分に論議尽くされていないのが現状だと思うのです。勿論、「どの時点まで来ればそれは充分なのか?」と問われれば、確固たる線引きは誰も付けられないのは分かっています。
日本人社会に於いても、極右的な方達の韓朝鮮人に対する嫌悪感は現実に存在しますし、在日社会や本国のネイティブ・コリアンにも、反日を唱える方が居ることも確かですね。(かなり少なくはなりましたが、共和国系在日組織の方達の中には、未だにファナティックにナショナリズムを叫けぶ方も居ます。)
日本の首都の長なんか見てみますと、明かに韓朝鮮人に対して平然と差別的な用語を駆使して排外しようとしています。小泉首相などを見ていましても、東京都知事などと同じ穴のむじなの様に(これは、私個人の見解です。)感じているのですが、これを賞賛するような圧倒的な支持率を見ていますと不安になってきます。(まぁ、何をやってくれるのかも分からないが、何かやってくれそうと言うだけで、まるで芸能人のファンクラブの様な感覚で支持する方を差し引いたとしても・・・。)
>>日本政府に於ける根底に流れている概念に、先の侵略戦争の罪を覆い隠そう
>>という意識はあると思うんです。同化・排外を押し進めることによって、
>>在日韓朝鮮人にっとて<理不尽な存在>をなし崩しにしていきたいという
>>意識はあるのではないかと私は考えます。
>
>うーん、ここはちょっとわかりません。。。
>日本政府が「在日朝鮮/韓国人の方が日本国籍を取得することで、日本の朝鮮半島
>統治の非を訴える声が小さくなる」などと考えているのでは?
>ということでしょうか?私はむしろ、在日朝鮮/韓国人の方々が日本国籍の
>取得によって、日本の歴史認識の舵取りに参加することの方が、より公正な
>歴史事実の追求が可能なのでは、と考えています。
それは、現時点に於いては不可能に近いことだと思います。
なぜなら、先にも言いましたように未だに論議が尽くされていない現状で、日本の歴史認識の舵取りに参加することは不可能としか言いようがありません。何も、私は日本人と同じテーブルに付くことを拒否しているわけではありません。強いて言うなら、歴史認識の舵取りに参加するのは、日本国籍を取得する前に行いたいと思います。今がそんなに成熟した社会とは到底思えない節があるように思えるからです。これは、在日にも同じ事が言えるのです。
>>在日の日本国籍取得が進んできますと、確実に民族としての自覚や自負心という物は薄れていくのが現実でじゃないでしょうか。
>
>実は、私はこれほど素晴らしいことはないと思っています。
>日本民族と朝鮮民族が区別がつかないほど双方に影響しあって交じり合う社会・国家。
>民族意識を剥き出しにして、双方相容れない社会に比べたら、全然いいと思いません?
>
貴方が仰られていることは理解は出来る部分もあるのですが、民族の母語や食文化、風習まで混じり合って風化していくことは、私にとっては許されないことなんです。これを継続していくことの最終手段はやはり教育なんです。勿論、家庭教育から始まり学校教育、生涯教育なんです。先の投稿でも言いましたが、日本社会がこの民族教育を保護発展してくれるとは到底思えないんです。
私は、あるスポーツの大会に出場するために、毎年春に沖縄の宮古島に行きます。そこには腹を割って話が出きる友人が沢山居ます。彼らはかたくなに、自身のルーツや食文化、芸能文化を守っています。琉球国を統治した日本政府が、彼らの文化やエスニシティーを保護しようとする姿勢は私は見たことがありません。これは、アイヌに於いても言えることでしょう。
>というよりも、朝鮮半島と日本ははるか昔からそういう関係だったはずです。
>「日本文化」として世界に知られるものも、大陸・朝鮮半島発祥のものが数多く
>ありますし、それを伝えた朝鮮半島人も、日本人として生きた方が大勢いました。
>イデオロギーや漠然としたアイデンティティーなんてモノよりも、旧来の日本文化に
>朝鮮文化を追加・融合することの方が、よっぽど自覚や自負心の拠りどころになると
>思いませんか?
思う部分と、そう思わない部分があります。
考えようによっちゃ、貴方の理論は常に日本人が主体として考えている節がありませんでしょうか?
全く、本論から外れますが、小学校時代大好きな先生が居ました。私は、子供の頃から腕っ節だけは強く大人も手に付けられない程のきかん坊でした。ある日、友人が朝鮮人のことを揶揄したような歌を唄っていました。(友人達は差別的な意図もなく歌っていたのですが・・・。)これを耳にした私は友人3人を殴りつけた事がありました。そのうち一人は鼻の骨まで折ってしまいました。その大好きな先生に呼び出され「俺は、お前のことを朝鮮人とは思っていないよ。日本人と一緒じゃないか。少なくとも俺はお前のことを日本人と思っているから心配するな。」私は言いようのない屈辱感で胸が張り裂けんばかりになったことを、今でも思い出します。言うまでもなく、私はその先生を大嫌いになったのです。
先生が私に投げかけた言葉は、決して私を差別したんじゃないことは分かっています。無知が生んだ差別なのでしょう。
何処が差別なのか?
その先生の論理は、あくまでも日本人が主体なのです。朝鮮人の存在を同じ立場で見ることが出来なかったのです。
>SONGさんも私と一緒の食卓についていただけませんか?
そうですね。そうなれば本当にいいですよね。
#オフ会でも開いて、古代に於ける陶磁器の伝播に匹敵する<焼き肉レストラン>で日本酒とマッコルリと泡盛でも引っ掛けながら一献やりますか♪
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