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▼金明秀さん:
初めて投稿させていただきます。日本人です。
いくつか発言したいことがありますので投稿させていただきます。
金明秀さんがお書きになった、
>アングラで捏造されたデマを信じる愚かさ。
>偏見あるいは罪悪感によって非現実的なまでに歪んだ在日像に向かって一方的に非難を投げつける臆病さ。
>気持ちよさそうに偏見や憎悪をぶちまけ、それが偏見や憎悪であることにすら気づかず、逆に正義面する偽善。
>それどころか、差別発言すら正当化されると思い込む独善。
>在日への無知にもとづく理不尽な踏絵と過剰な説明責任を一方的に押し付け、それへの返答がないことをさらに在日のせいであるかのように言い立てる傲慢。
>それらに気づいてなお自分には関係のない出来事であると傍観し、黙認する冷淡。
この部分、日本人である私にとって、将にこれまでの日本人に対する在日の姿勢そのもののように感じます。
金明秀さんの書かれたFAQに対して日本人投稿者からいくつかの訂正依頼の投稿がありました。訂正のもとになる資料の提示もしてあります。
しかし金明秀さんは一つも答えていらっしゃいません。もちろん金明秀さんも信頼に足る資料に基づき自らの信ずるところをお書きになったはずです。
そうであれば日本人投稿者の訂正依頼に対し、きちんと資料を提示して自己の信念を表明されるべきではないでしょうか。
何の反応もされないということはご自身の主張の正当性を損なうことになります。
また誤った情報を提示し続けることは日本人と在日との相互理解の妨げにさえなります。
対話の基礎となる共通の認識づくりは、何より大切なものと理解しています。
みずからの立場のみを全面的に受け入れるものとしか対話しないということであれば共感と理解の輪を広げることは出来ません。日本人と在日との信頼関係は対話による相互理解でのみ得られるものと考えます。
>在日への無知にもとづく理不尽な踏絵と過剰な説明責任を一方的に押し付け、それへの返答がないことをさらに在日のせいであるかのように言い立てる傲慢。
この部分に関しては、ブルーリボンの掲示依頼の件と理解します。私も対話の中で収斂した通り、個人がオープンな場所で内心の表示をする必要はないと考えます。
しかし、オープンな場所を提供するものの責任として、ブルーリボンを掲示するかしないかではなく、個人としてオープンな場所での内心の表示はしないとか、運営方針として、公正を維持するために特定の団体や主張に組することはしないなどの何らかの説明はあった方が理解を得られると考えます。管理者としての一定の説明責任はあると考えます。
在日への無知ということですが、在日の側からの資料提供と状況説明がなければ正しい理解はできません。日本人が個々に調べてもそれぞれが違った理解しかできないでしょう。供通の認識は得られません。当然日本人側からも質問や反論、反証の資料提示なども出てくるでしょう。それこそが共通の認識を作り、信頼と理解を生み出す対話だと考えます。
過去の在日の方々の投稿をみると、日本人からの問いかけに対話そのものを拒否するような返答が目に付きます。日本人が対話を求めているにも関わらず、自分で調べろとかそんなことも知らずに投稿するなとか。
日本人として不思議に感じることですが、在日の方の多くに、自らの生活基盤となっているはずの、日本人と日本社会に対する一片の共感や理解も感じられないような気がします。強烈な被害者意識と敵対心だけが目に付きます。日本人と日本社会を理解しようとしない存在を理解しろというのは無理があります。相互主義の原則でしょう。
在日社会にとって良いこと悪いこと様々でしょうが、日本人の朝鮮半島に対する関自体は高まっています。一定の方向に議論を導くより、特定の主義主張、立場、見解に偏らず、いろんな意見が表明できて自由な議論ができる、よりオープンな場所にされれば良いのではないでしょうか。
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