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もうじき掲示板もサービス停止だそうですので、このあたりでXoffさんのものの考え方について少し振り返った上で、その特徴について考えてみたいとおもいます。
▼xoff++さん:
>また、ですか。
>あいかわらず発想の転換がぜんぜんできないひとですねえ。
思考の焦点がぼやけた人が、いつもどおりのトンチンカンなことをいってもあまりまじめには聞いてもらえないのではないかとおもいます。
>あいかわらず甘いねえ。。。。
>人間が逃げなくってもそのまえにマネーは水を引くように逃げていってしまう。
>人なら義理や義務感や時には愛国心もわくだろうが、金には通用しない。
マネーと人間ではいろんなことがちがうでしょう。マネーは投資機会次第でいろんなところに移動していくでしょうが、人間のほうはそういうわけにはいかないとおもいますよ。また、国家もそのようなことを簡単に許すわけではありません。Xoffさんがいったい何のために上の例を挙げているのか、意味不明です。いったい何をいいたいのでしょうか?
>だいたいから、国家を「なにがしかの恩恵を被っている共同体」と考える事自体が、もう古いんですよ。
>これからの共同体にとっては、国家など良きにつけあしきにつけ、枠組みの一種類にすぎない。
Xoffさんにとっての「共同体」とはいったいなんでしょうね。Xoffさんのいっていることは、いつも「国家無用説」もどきを振り回すという形で、実際は日本という特定の国家とそれに愛着を抱く人々を攻撃しようとするというものですが、いったい何のためにそうしたことを繰り返しているのか、その精神構造にはたいへん興味深いものがあります。
自分がある程度安定した共同体にいて、その外部の人たちともある程度うまく関係をつくっているようなケースでは、そのように日本を攻撃するようなことは少ないのではないかとおもいます。思うに、自分の所属している組織その他で相手にされていない、その他の理由でいろいろなストレスがたまっているのではないかと思われます。もともと、きちんと金をかせいでそれで満足している人は、わざわざ自分の住んでいる国を攻撃したりはしないものです。何の利益もありませんからね。
そうでない人が自分のルサンチマンを、国家などの大きな主体に対して振り回すわけですが、ただの個人的怨恨をそのまま口に出すことは、さすがにできないので「国家などいらない」「人間は国家などなくても生きていける」その他の、妄想的なコスモポリタニズムを振り回しているのだとおもいます。この手の「厨房地球市民」は最近いたるところにはびこっていて、困ったものなのですが、そういう人は自分の足元が見えていないだけです。[#2551]であげられている日本大使館にかけこんだ在日朝鮮人学生のようなものですね。
そういう基本的な姿勢のレベルでの勘違いはひとまず措くとしても、Xoffさんの議論はあいかわらずピントがずれています。例えば、[#2535]であげられている靖国神社参拝批判ですが、なぜ靖国神社に国のために死んだ人を祀ることが、個人のリスク管理の感覚を甘くすると結論付けているのか、まったく理解できません。物事を順序立てて考える習慣がないので、このようなわけのわからない議論をおかしいと感じることができなくなっているのだろうとおもいます。
さらに抽象的な概念を頭の中でいじっている過程で、そのことと具体的な問題をきちんと関連付けて考えることができないために、論理の飛躍した無意味な結論をいきなり出してくることも、Xoffさんの得意技です。具体例としては、[#2532]の有事法制に関する議論などをあげることができるでしょう。
また学問の世界で、事実をどのように説明し、証明しているかという実際の手続きをよく知らないので、自分の妄想の中での敵のイメージを、現実世界の論敵にそのまま投影してしまい、実際には存在しない敵を撃破したつもりになってしまっているというのも、Xoffさんのよくやるパターンです。具体例としては、同じく[#2532]の中間部分、朝鮮の歴史をめぐる論争に対するコメントがあげられます。おそらく歴史家たちが論争の過程で資料批判をどのように行っているかということなどまるで知らないのでしょう。素人歴史家のやっていることと、プロの歴史家のしていることの区別もついていないのだとおもいます。
>以上。
「以上」はいいんですが、その前にわたしが[#2549]で指摘した問題、つまり「リスクをとるのは個人の責任だから、国家のために死んだり、損失を被ったとしてもそれは個人の責任」という主張は、そのまま日本社会に不満を持つ在日朝鮮人に向けられてもいいのだろうか、という問題に対してはいっこうに答えていませんね。答えられないので仕方ないから無視、ということであれば、その旨ひとことおっしゃっていただけると助かります。
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