|
重箱の隅をつつき返すようで恐縮ですが、気分を害さないでください。
▼Hidekiさん:
>▼tabitoさん:
>
>別に重箱の隅をつつくつもりはありませんので、気分を害されないで下さい。
>私の手元にある高校(普通の公立高校です)の日本史の教科書を見ると、
失礼ですが、あなたは高校生ですか。お手元にあるのは山川の教科書ですか。高校の日本史の教科書は、大学受験でいい点数を取るために書かれた本ですから、鵜呑みにするのは賢明ではありませんよ。
>1930年代前半から軍部の中国大陸での暴走が始まり、
1930年前半というと、恐らく満州事変のことを仰りたいのでしょう。
確かにあの事変は現地関東軍の独断専行によるものでした。しかし、事変の勃発当初から陸相は参謀本部の指示のない独断専行であることを認め、閣議は不拡大方針で一致してい、天皇は奉天帰還を勅命し、野党も統帥権の干犯であるとして激しく非難しました。関東軍は馬占山でシナ軍との睨み合いを強いられ、彼らの計画は躓きかけました。
しかし、関東軍の石原莞爾と気脈を通じていた朝日新聞が抜け駆け、敗戦を報道すると新聞各社の報道合戦となり、日本中から「関東軍がんばれ」の声が高まりました。参謀本部も退くに退けなくなり、作戦後早急の撤退を条件としつつも攻撃命令を出しました。こうなると世論は幣原外相非難に集中し、民政党は事態を収拾できず、若槻礼次郎内閣は総辞職しました。
いったい、満州事変を拡大したのは誰でしょうか。
>それと並行す
>る形で日本国内でも思想・学問の弾圧が起こったと書かれています。
>つまり、今日的な日本のような言論の自由は当時の日本にはなかった
>と見られるのですが如何に?
仰る通り、当時の日本に言論の自由はありませんでした。共産主義者は徹底弾圧されました。
>あと、これはうろ覚えなのですが、当時のマスコミも、「非常時なんだから、
>ブンヤさんも協力するのが筋だろう」との圧力がかかって、とても批判的
>な記事など載せられなかったと聞いています。勿論マスコミにも責任はある
>と思いますがね。
上述したように、当時の新聞紙は政府以上に好戦していました。むしろ政府が手を焼くことも屡でした。
>このように、当時の日本は世論が国を動かしていたとは考え辛いのですよ。
>確かに近衛首相が対米戦に懐疑的だったとは、書いてあります。
>しかし、日本が結局対米戦を起こすに至ったのは、明らかに対米戦以前
>の軍部の大陸での独走のせいのように見えるのですよ。
では、当時の日本国民は対米開戦を望んでいなかった、と。
戦後マッカーサー元帥に「何故対米開戦を裁可したのか」と尋ねられ、昭和天皇は「もし裁可しなければ、朕は国民によって精神病院に送られるか、首を刎ねられていただろう。避けようにも避けられなかった」と答えました。戦争を望んでいたのは、他ならぬ日本国民だったのです。
まあ、靖国問題からはどんどん外れていきますね・・・。
|
|