|
▼米津 篤八さん:
>日本がアメリカの一国占領になった引き換えに朝鮮が分割占領されたこと、
先日、NHK の「その時歴史は動いた」で、ポツダム会談を二週連続で扱って
いました。番組内でポツダム会談で定められた米ソの作戦行動範囲が地図上に
示されていましたが、ソ連の大陸での活動範囲は満州までであり、朝鮮半島に
まで南下した行為は明らかにポツダム会談の合意違反といえます。
アメリカは連合国軍最高司令官命令第一号にて 38度線による朝鮮半島の分割
占領を認めましたが、これはソ連による占領の現状を追認しつつ、半島全域の
占領を阻止しようとしたものにすぎず、当初から分割占領することで合意して
いた訳ではないでしょう。
>>>ソ連の対日参戦はアメリカの強い要請によるものであって、「膨張主義」ゆえでは
>>>ありません。もともとソ連は対日参戦に消極的でした。
>しかしソ連のいち早い参戦を望んだのは、やはりアメリカの側でした。
>トルーマンの「ポツダム日記」(79年発見)には、
(中略)
>トルーマンがソ連の参戦に強い期待を抱いていたことが分かります。(アエラ95年8月7日号)
それらの日記の記述の日付けが何月何日なのかは知りませんが、ヨーロッパの
戦後処理をめぐっての意見対立、および原爆完成で、もはやソ連の対日参戦は不要
になったとアメリカは判断していた、という見方が一般的だと思いましたが…。
現に、ポツダム宣言はソ連を無視して米英中の三カ国で勝手に行なわれてい
ますし、米英による正式な参戦要求はついになされず、ソ連の対日開戦の時期
についても蒋介石政権との合意を得てから と釘を刺される始末で(日ソの主戦場
が満州になる以上、当然とは言えますが) 、とても米英がソ連の参戦を歓迎して
いたとは言えない状況でしょう。
結局、この蒋介石政権との合意はなされないまま、スターリンは対日参戦に
踏み切る訳ですが、米英にはもはや不要と判断され、当事者である中華民国との
合意も不十分なまま強行されたソ連の対日参戦が、連合国からの強い要請により
行なわれたものだ、と強弁するのは無理ではないでしょうか ?
また、占領後のソ連は満州および朝鮮半島北部から大量の物資、財産、施設
を強奪しており(北朝鮮では飢餓状態になり、暴動すら発生しています)、ソ連
の参戦が利権・利益目当てだったと言われても仕方ないと思うのですが…。
|
|