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SONGです。
ibiさん、はじめまして。
>確か、日本は国連のなにかの報告で国内には少数民族問題はないとする立場をとっていると記憶しています
確かかなり以前ですが、中曽根元首相が首相在任中に何かの会合でも「日本は単一民族国家である。」と言うようなことを言って物議をかもした事もありましたよね。基本的に「マジョリティーが中心である。」そう言う意識がこの国の指導層に潜在的に根付いているのでしょう。
>また、日本社会にも、郷にいれば郷に従え、また、皆と同じであることが良いこと、当然のことと一般化されている節があるように思えます。
そこなんですよね。私が日本人の意識の根底に根ざしている<排外主義>的な意識というのは。<醜いアヒルの子>的理論なんですよ。現在の日本社会に於ける、病巣を浮き立たせる要因の一つとして<イジメ>と言うのがあります。(勿論、大なり小なり海外でもまた、朝鮮人社会に於いても当てはまることは出来ますが・・・。)日本の学校や会社組織に於いても根強く<制服>と言う物が存在することなんか、典型的な事例だと思います。<制服>を着ることによってその個性を没し、ある種のアイデンティティーを要求する事によって管理する側に安心感を得るのでしょう。また、それを要求される側にとっても同じような安心感も得ているのではないでしょうか。
>それ故、日本国籍を取得することで、民族性を保持することができるか、とても疑問なのです。
上記にも述べましたように、私は同じ<制服>を着ることによってその属性に紛れ込む事が出来たとしても、自身に脈々と受け継がれてきた歴史を<上書き保存>する事が可能だと思えること自体が理解に苦しむところです。感情的で、保守的で、観念的すぎて例えにならない言い方かも知れませんが、私は、祖父母や両親、そして今まで自分の物の考え方の基本的な価値観を築いてくれた祖国を捨てることは出来ないのです。このレスポンス以外で自分の言ってきたことと、矛盾するかも知れません。勿論、<国籍>=<民族>とは思っていません。<国籍>と<民族>をどういう風に位置づける、また関連づけるのは全くの個人の自由な裁量によるところだと思ってやまないです。またそうあるべきだと思います。<日本国籍取得>に関してはミクロレベルでの問題であるし、マクロレベルの問題でもあると思います。でも、ミクロが繋がっていってマクロになることも事実ですね。
私が、此処で自分の経緯を話しても仕方がないことなんですが、私はあるスポーツでその昔、朝鮮民主主義人民共和国の代表選手として国際大会で金メダルを得ることが出来ました。私の両親は朝鮮総連の非専任活動家でした。また親戚筋は朝総連活動家一色でした。私自身は就学時から日本の教育を受け育ってきたのですが、あるスポーツで頭角を現しはじめオリンピック候補となったとき、両親から「韓国代表でオリンピック出場の機会が得ることが出来るので、韓国籍に切り替えたらどうだ。私達(両親)や家族の風当たりは気にしなくて良いから、自分の幸せを掴みなさい。」と言われたことがありました。割り切れない気持ちで一人悶々としていた時期がありました。当時、(今もそうですが)朝鮮籍、韓国籍と言うことに非常にこだわる時代でした。その当時の自分の考え方が間違っていたのか、合っていたのか、今の自分は未だに分かりませんが、韓国政府の要請を断った経験があります。幸いにも後に朝鮮民主主義人民共和国代表として、国際試合で金メダルを獲得することは出来ましたが、オリンピックというスポーツマンとしてこだわりは、中年になった今でも夢に出てきます。でも、<後悔>はしていません。
>#言葉もできんくせに、民族性うんぬんぬかすな!というちゃちゃはいれないでね。
> 皆さん。これでも勉強はしてるんです。少しだけど。
関係ないですよ。でも、日本国籍になっても民族の誇りは、民族の言葉でありその歴史を正しき認識することですよ!頑張ってください!
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