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▼rugaruさん:
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> もともと金さんがこのボードを開いた理念とは 在日の人たちに対する現在の日本人たちの無知や偏見 それに伴う差別感とか言う物を 討論や対話と言った方法でなくしていこうと言った物ではなかったのでしょうか?
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>中略
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> もしも前者の理念を持って開いた物なら あなたの言う所の 無知で独善的な日本人が大挙押し寄せている今こそ あなたたち在日の人たちの信条や立場を明らかにする絶好の機会ではないでしょうか? あなたたちが今彼らの無知や独善性と戦ってこそ このボードを開いた意味が有ると私には思われます。 それを 君たちは無知だとか独善的だとか言って 失望したから対話を放棄するとしたのでは 彼らの偏狭性と一体どう違うのか疑問に感じます。
ご指摘、もっともだと思います。ただ、この種のボードを通じた実践は、すでに限界を迎えたと判断いたしました。
> 私は あなたと違って社会学には明るくありませんが 人間と言うのは本来無知蒙昧で偏狭かつ独善的な生き物であると思っています。 あなたがサンプリングしたような無統制状態で見苦しいスレッドを立てるような人間性は 何も我々のような無知な日本人に限った事ではないのではないでしょうか? その事に対する失望と言われても 正直言って 感情的なペシミズムに酔っているとしか感じられません。
これも別の機会にきちんと書こうと思っていますが、ぼくは「無統制状態で見苦しいスレッドを立てるような『人間性』」を問題にしているのではありません。そういうことだったら、確かにナニ人かにかかわらずどこにでもある話でしょう。
ちょっと遠回りの説明ですが、「誤解」と「偏見」は違います。ただの誤解であれば、正しい情報に接したとき修正されて終わりです。しかし、偏見は、たとえ正しい情報に接触したとしても、容易には修正されません。偏見は知識ではなく、情動的な側面の強い態度だからです。つまり、誤解を持つ人とは、話せば分かる。しかし、偏見を持つ相手とは、話しても(すぐには)分かりあえない。
99年のときと今回を比較したとき、ナショナルな問題に関連する日本(人)の心的準備状態が新たなフェイズに移行したことが相違点の背景だろうと判断しています。具体的にいうと、情緒的なナショナリズムが歯止めを失って膨張を始めたのではないか、と。残念ながら、情緒的ナショナリズムは、排外主義的態度や権威主義的態度と強い相関関係にあります。
話しても通じない状態の参加者が増えていくとすれば、かりにボードを続けたとしても、実質的には対話にならず、出会ったことにもなりません。
僕はもともと、[#67][#79]やHANBoard ver.3の初めあたりに書いてきたように、日本人はナショナリズムを涵養したほうがいいと主張してきました。しかし、ここに至って、理想論にすぎたかもしれないと考えています。
> あなたは上記のように失望されていますが 私は逆に放置している良識と受け止めました。 単なる煽りの目的で投稿したような文に鹿爪らしく抗議や反論など寄せると かえって調子に乗る輩も多いものです。 このような文には放置が一番の反論ですし また投稿の態度に対する注意などは管理者の専任事項と思い 自分もあえて注意の投稿などは控えてきました。 金さんの想像していない所で良識が働いているとは考えられませんか?
この点については、そういう判断をされた方も少なくなかっただろうと思います。ただ、ボードの管理者には、一般の参加者が知りうる以上の情報が集まってきます。そうした情報なども総合的に判断して、ご指摘のような「良識」が機能していないと判断しました。
> 最後にあなたの文で伺いたい事が有ります。
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>>偏見あるいは罪悪感によって非現実的なまでに歪んだ在日像に向かって一方的に非難を投げつける臆病さ。
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> 「偏見」はともかく 上記の「罪悪感」と言う物が何をさしているのか分かりません。私は一日本人として あなたたち在日の人たちの立場を理解する事は有っても 日韓併合に関する韓国人の方たちへの「不当な」行為に就いて 我々二世や三世の世代はなんら責任も罪悪感も感じる必要はないと思っていますし 実際感じておりません。
> これが私の考え過ぎで全く違った意味で使われていたのなら失礼をお詫びしますが あなたが上記のような「原罪」的な考え方をしているとするなら 非常に残念な態度だと思います。
かつて、ある小学校の道徳教育のお手伝いをしたことがあります。その小学校では、かなり熱心に加害の歴史教育を行ったらしく、ほとんどの子どもたちは在日やアジア諸国に対して強い罪悪感をもっていました。
が、加害者意識というのは諸刃の刃で、次のような考えをもつ子どももいたわけです。
「日本は確かに朝鮮に悪いことをした。だから、きっと朝鮮の人は日本がとてもキライに違いない。在日なんか、戦後も差別されつづけたのだから、韓国の人よりもっと日本がキライに違いない。日本がキライな人とは、仲良くなんかしたくない。だいいち、日本がキライなら、日本から出て行ってほしい」
これは、5年生だったか、6年生だったか、その小学校の生徒が書いた作文とその後のメールの要約です。子どもらしい、素直な推論構造でしょう? こういう子がたしか、クラスに3人いたのかな。それで、手に余った先生が僕(と韓国や中国からの留学生数名)に、子どもたちとメールの交換をしてくれないかと依頼してきたわけです。
僕は、小学生たちの質問に答えるかたちで、「在日は日本や日本人をキライではないし、むしろ生まれ育って、これからも生きていく土地として愛着を持っているんだよ」と書きました。それではじめてその小学生は心を開いて、その後の授業(異文化理解の応用編で、各地の民族文化を学ぶというようなものだったように思います)では積極的にクラスを主導していったそうです。もともと、洞察力やリーダーシップのある子だったがゆえに、教師の期待とは違う推論構造をもちえたのでしょう。
以上は小学生の例ですが、子どもに限った話ではありません。僕が「原罪」的な考え方をしているのではなく、そういう考えをもつ日本人が自らの「原罪」におびえて在日を攻撃することがある、という話です。
> 私はアナーキズムが理想的な社会体制だと信じておりますが それを実現させるほど 人間の品性が完成される時は来るんでしょうかね?
品性に期待するかぎりは無理だと思いますが、レジームに関する共同幻想の行き着く姿としては、アナーキズムもありえないことではないと思います。
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