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▼ケグリさん:
>>国際法上認められた領土取得の一つに「先占」というものがあります。
>>先占とは、「どの国の領土でもない地域(無主地)に対して、自国領とする意思を表明し、実際上の支配(実効支配)を行うとき、その国家に領土権が与えられる」というものです。
>
>北方4島は、ソ連軍が侵攻してきた当時、人は、一人もいなかったのでしょうか?日本政府が領有権を放棄したとしても、そこに、人が住んでいる限り、その土地は、「無主地」とはならないのではないでしょうか。その人たちを無理やり追い出して、占拠すると言う行為は、国際法には違反していないのでしょうか?
国際法でいう「無主地」とは、人が住んでいない場所のことではなく、どの国家にも属していない地域を意味します。日本がアイヌの土地であるアイヌモシリ(北海道・サハリン・千島)を「合法的」に日本領に編入できたのも、アイヌが国家を持っていなかったからです。(「合法的」=「正しい」という意味で言っているのではありません。)
>この先占に先立って、先住民の物理的排除を行っていますね。それも、平和的方法ではなく、軍隊の力を借りた暴力的な方法を使って、住民を追い立てたのではないでしょうか?
ソ連の千島占領について、多くの人が正確なイメージを持っていないのではないでしょうか。
実は私も今回勉強してはじめて知ったのですが、ソ連軍と日本軍が戦火を交えたのは、千島(クリル)最北端のシュムシュ島のみであり--それも先に砲撃を開始したのは無条件降伏したはずの日本軍であり、戦死者もソ連兵のほうが多かった--、それ以降、歯舞までは平穏裏に武装解除と占領が進められたということです(『北方領土問題を考える』和田春樹、岩波書店、90年。『北方領土問題と日露関係』長谷川毅、筑摩書房、00年)。
また、「先住民の物理的排除」のようなことは行われていません。逆にソ連側は日本人島民の脱出を認めず、行政に組み込んで、配給を行い、仕事につかせました。もちろんソ連式の生活になじめなかったり、規律の乱れたソ連兵の略奪に悩まされたり、本土に家族がいたりで「自主的に」島を離れた人が多かったのも事実です。
しかし、日本人の引き揚げが正式に決定されたのは、1946年12月に米ソで締結された「ソ連地区引き揚げ協定」によります。そこには次のような文面があります(『北方領土 悲しみの島々』三田英彬、講談社、73年)。
第一節、引き揚げ該当者
一 先の者がソ連邦及びソ連邦管理下の地域からの引揚の対象となる
(イ)日本人捕虜
(ロ)一般日本人(一般日本人のソ連邦からの引揚は各人の希望による)
つまり公式的には引揚は自由意志によるものでした。実際は残留などごめんだ、という人が多かったわけですが、ごく少数ながら残留を選んだ人もいたことも事実です。少なくとも暴力的に「住民を追い立てた」のではありません。
#サハリンからの引き揚げの際は、当時あきらかに日本国籍を持っていたはずの朝鮮
人が「日本人」に含まれず、残留を余儀なくされたことは、ケグリさんもご存知の
ことと思います。
>また、その時、何らかの補償は、行われたのでしょうか?
旧満州、朝鮮、台湾からも多くの日本人が引き揚げたわけですが、中国・朝鮮・台湾の政府はその補償をしていません(する義務もありませんが)。同様に、ソ連も補償の義務を負わないでしょう。
旧島民は残置財産や旧漁業権に対する補償を日本政府に求めていますが、政府側は補償をすると北方4島の放棄を認めたことになる、という建前論で拒否しているようです。http://www.marimo.or.jp/~n_city1/nemuro/jp/kouhou/130401/tokusyu/tokusyu-1.htm
>56年前の二の舞になると言うわけですね。今度は、ロシア人住民を強制排除しなければならないから。領土問題というのは、やっかいなものですね。しかし、仮に、当のロシア人住民が日本への帰属を望み、日本政府も、彼らを排除せず、共生するという政策を掲げたら、面白い事になると思いますね。
排外主義を強めるいまの日本政府には、そのような政策は期待できませんね。外国人の参政権や二重国籍すら認められないと言っているのですから。
>ソ連の軍事力による有無を言わさぬ領有は、国際信義にも悖る行為だと思いますし、国際的非難に値する行為だと思います。
いや、ソ連の対日参戦と千島領有は米英との約束ですから、ソ連は血を流して国際信義を守ったのです。
#日本帝国主義に対してはbad mannerだったことは確かですが、当時の日本の和平派
にとっては、ソ連参戦は降伏受諾のための格好のきっかけを提供しました(『北方
領土問題を考える』参照)。ソ連参戦がなければ、その後に米軍の上陸作戦が予定
されていたわけですから、日本全土が沖縄戦の様相を呈していたことでしょう。
>思うに、貴兄の上記の文には、「ソ連の膨張主義、社会帝国主義(でしたか?)」も付け加えないといけないと思いました。
ソ連の対日参戦はアメリカの強い要請によるものであって、「膨張主義」ゆえではありません。もともとソ連は対日参戦に消極的でした。
第二次世界大戦でソ連領内は3年間にわたって戦場となり、ソ連人の死者は1600万人とも言われています(日本人の死者は約310万人)。対独戦で疲弊した兵にシベリアを横断させ、対日戦に参加させるためには、サハリンの解放、千島の領有、という目に見える「戦果」が必要だったのです。
以前にもソ連の極東政策について触れた投稿がありますので、ご参照ください。
朝鮮民主主義人民共和国の歴史的正統性に関する若干の事実確認。
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5368.html
解放朝鮮の認識(1)ソ連に北朝鮮共産化の意図はなかった。
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5451.html
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