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【50】千島・サハリンでの戦闘とソ連参戦の背景。
 米津 篤八 E-MAIL  - 01/8/1(水) 3:03 -

引用なし
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   ▼加藤さん:
> ちょっと待って下さい。米津さんは、降伏したはずの日本軍が先に攻撃した、
>とおっしゃいますが、私の持っている秋田書店 歴史と旅 増刊、大平洋戦史
>総覧(平成三年)、によれば、8/17 午前中に対岸のカムチャッカ半島の砲台から、
>午後には爆撃機によるソ連の攻撃が開始された、とあります。
> さらに、ソ連軍が占守島に上陸を開始したのは翌18日「深夜」二時ですよ ?
>
> とても平和裏に守備隊の武装解除を試みようとした行為とは思えませんが。
>
> 上陸戦闘において、先に発砲したのは日本軍かもしれませんが、前日から
>長距離攻撃を繰り返し、深夜に上陸しようとする相手に反撃するのは、十分
>正当防衛と見なせる行動だと思いますよ ?

もう少し私の投稿にきちんと目を通していただきたいのですが、私が「平穏裏に武装解除と占領が進められた」と書いたのは、もちろんシュムシュ島戦闘が終わって以降、歯舞占領までのことであって、シュムシュ島で日ソ両軍の激戦が行われたことについては否定していません。

加藤さんのご指摘を受けて、あらためてシュムシュ島戦闘に関して、いくつか資料を読み直してみました。

『北方領土 悲しみの島々』(三田英彬、講談社、73年)や『北東方面陸軍作戦(2)』(防衛庁防衛研修所戦史室、東雲新聞社、71年)によれば、16日あるいは17日に、ソ連機が飛来して爆撃したり、カムチャツカ半島の砲台から小泊崎に座礁していたソ連船に向けて砲撃が行われたのは事実らしいですね。しかしいずれも偵察・測量を兼ねた小規模なものであり、日本軍の損害は報告されておらず、日本軍側もそれを攻撃の開始とは考えていなかったようです。ですから、「前日から長距離攻撃を繰り返し」というのは、表現としてやや大げさかと思います。

次にどちらが先に発砲したかですが、『北東本面陸軍作戦(2)』にはこうあります。
「島は一面の濃霧に包まれていた。国端崎からは「敵輸送船団らしいものを発見」、「敵上陸用舟艇を発見」、「敵上陸、兵力数千人」と急報が相次いだ。もはや軍師でないことは明らかであった。村上大隊長は直ちに「射撃開始」を命じた。ソ連は奇襲上陸を企図したもののようで、わが群が射撃を開始すると同時に射撃を開始した。」

奇妙なのは、ソ連側の戦史では日本軍が気づく前に射撃を開始したと記されていることです(『北東方面陸軍作戦(2)』)。日本とソ連の戦史のどちらが正しいのか、私には判断がつきませんので、この点は保留したいと思います。

ただし、ソ連軍が上陸を開始した午前2時は、ソ連現地時間の午前4時です。白夜に近い夏のシュムシュ島ではもう早朝と言うべき時刻であって、「深夜」とは言えません。だからこそ「濃霧」にもかかわらず、国端崎から輸送船団や上陸用舟艇を発見することができたのでしょう。

もう一点、「ソ軍の上陸を察知するや国端崎の砲兵、小泊崎の速射砲、大隊砲は、竹田濱の両側から激烈な砲火をソ軍に浴びせ」「撃沈、擱坐された船舶は確認しただけでも13隻に達し」(『北東本面陸軍作戦(2)』)という記述を読むと、「正当防衛」の範囲を逸脱しているのではないか、と思われます。

実際、水津師団参謀は「ソ連何するものぞ、進んで撃滅してやるぞ、という気持ちもあった」、第5方面軍渡辺参謀は『第91師団では「敵がソ連なら必ず撃滅する」と平素称していた』と、各々回想しています(『北東本面陸軍作戦(2)』)。戦闘が拡大し、必要以上の戦死者を出したのは、日本軍側が常々抱いていた対ソ敵愾心が作用したことは間違いないでしょう。

> また、千島列島に隣接する樺太では、日本本土の降伏を受けて停戦交渉を試みた
>日本軍の武官が三度に渡って殺害され、避難しようとする民間船が三隻攻撃され、
>二隻が沈没し、2000 人近い民間人が亡くなっています。
> これらの事実を見る限り、とてもソ連軍の行動が紳士的だったとは言えないと
>思いますが。

もちろん私も「ソ連軍の行動が紳士的だった」などとは言っておりません。
ですが、日本軍が8月15日のポツダム宣言受諾後も武器を捨てずに激しく抵抗したために、必要以上にソ連軍を刺激したことも事実だと思われます。

例えば『北東方面陸軍作戦(2)』によれば、8月16日午後にいたっても「南樺太を死守せよ」との方面軍の命令の下、「上陸した敵を撃滅せよ」との師団命令も出されています。そして一旦召集解除した兵員を再招集したため、民間からは「軍はまだやるのか」との苦情も出る始末だったそうです。

ポツダム宣言はサハリンの放棄と日本軍の武装解除をうたっているのですから、「南樺太死守」を目的とした日本軍の軍事行動は、明らかに宣言に違反します。停戦交渉の不調も、日本軍があくまで武装解除を拒んだことが一つの要因でしょう。

さらに、降伏直前の13日からは職域ごとに民間人の義勇戦闘隊を編成して猟銃や竹やりで武装させ、戦車壕を構築したことも、住民の犠牲を大きくした原因というべきでしょう。

実際、当時の住民の回想によれば、本斗町や泊居町のようにソ連軍を浜辺でもてなして無血上陸させた例もあるそうですから(朝日86年12月16日付)、日本軍の作戦行動に大きな責任があることは明らかです。

> ちなみに占守島の第91師団の抵抗により、ソ連の進撃が遅れ、北海道上陸を
>防いだ、と言われているのですが、このような言われ方をされては… 米津さん
>はスターリンに北海道も差し出した方が良かった、とお考えなのでしょうか。

スターリンがトルーマンに北海道占領を提案したことは確かですが、加藤さんご自身が書かれているように、トルーマンが拒否したために提案を撤回したのです。「北海道占領」を持ち出したのは千島占領を確実なものにするためのアメリカとの取引材料であり、シュムシュ島の抵抗は関係ないでしょう。

また、米軍も日本の分割占領計画を立てていたこと、日本がアメリカの一国占領になった引き換えに朝鮮が分割占領されたこと、アメリカは沖縄を日本から切り離して27年にわたって分割統治し、いまだに沖縄戦当時に軍事占領した基地に居座り続けていることも、付け加えておくべきでしょう。

> ソ連国籍取得を希望しない住民を「全員退去させた」行為のどこが暴力的で
>ないのでしょうか。また、土地はもちろん、戦後働いて得たルーブルの給与すら
>没収され、全財産を失っているのですけど。
> しかも、目と鼻の先の日本には直接送らず、樺太の収容施設に一旦送り、寒空
>の中、戸外に二十日間も放置され、死亡した住民すら出ているそうです。

「ソ連国籍取得」は条件にされておりません。日本国籍のままで居住し続けた人もいますし、サハリン残留朝鮮人の多くはソ連国籍をとらず、無国籍でした。

土地については、そもそもアイヌのものを取り上げたものだという歴史的事実を忘れるべきではないでしょう。また喪失財産は、千島を放棄を決定した日本政府が補償すべきものですし、実際、旧島民も日本政府に対して補償を要求しています。

サハリンの収容施設を経由した理由はよくわかりませんが、まさか住民をわざと苦しめるためにそんな面倒なことをしたとも思えません。新たな資料が発掘されることを期待します。

>>ソ連の対日参戦はアメリカの強い要請によるものであって、「膨張主義」ゆえでは
>>ありません。もともとソ連は対日参戦に消極的でした。
>
> ハル回顧録によれば、スターリンの方から対日参戦予定があると表明した
>ことになってますが…。

もちろんスターリンがいずれ日本と一戦交える必要があると考えていたことは確かでしょう。しかしソ連のいち早い参戦を望んだのは、やはりアメリカの側でした。だからこそアメリカはソ連の千島・サハリン占領を認めたのです。

トルーマンの「ポツダム日記」(79年発見)には、「(ロシアが参戦すれば)ジャップは終わりだ」とあり、その翌日、妻ベスに宛てた手紙には、ソ連の助力があれば「これで戦争終結を一年早めることができるんだ。どれだけの若者が殺されなくてすむか」と書かれています。トルーマンがソ連の参戦に強い期待を抱いていたことが分かります。(アエラ95年8月7日号) 

出版を前提として書かれた政治家や軍人の回想録は自己弁護が多く含まれているため、それを直接に史料として使うことは避けられるのが普通です。ハル回顧録に依拠して当時のソ連の極東政策を論証する歴史書はありますでしょうか。あったらご紹介ください。

一方、トルーマンの日記と妻への手紙は非公開を前提としていますし、他の関係者の証言とも符合しますので、信憑性が高いと思われます。

実際、最近の日米のさまざまな研究によれば、ソ連の宣戦布告が日本降伏の決定的要因となったという見方が強まりつつあるそうです。裏を返せば、あと一週間早くソ連が参戦していれば、原爆の惨禍は避けられたかもしれません。

参考:「原爆神話からの解放(中)−原爆『天佑』説と日本降伏の真実」
   http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/kimura/columnbn/col0031.htm
   (木村朗国際関係論研究室コラムより)
   http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/kimura/columnbn/

(アイヌ自治地域の質問については、後ほどお答えします)

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┃┣ 【13】Re(1):北方四島領有権の根拠は? tm1019 01/7/11(水) 22:22
┃┃┗ 【14】Re(2):北方四島領有権の根拠は? 米津 篤八 01/7/12(木) 1:42
┃┃ ┗ 【16】Re(3):北方四島領有権の根拠は? tm1019 01/7/12(木) 22:14
┃┗ 【15】ロシアも不法占拠ですからねぇ… 加藤 01/7/12(木) 3:46
┃ ┗ 【17】国後・択捉は千島の一部。 米津 篤八 01/7/13(金) 0:51
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┃ ┃┗ 【24】ロシアの千島領有権の根拠。 米津 篤八 01/7/15(日) 2:57
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┃ ┃ ┣ 【39】「領土要求」の非現実性を認識することから。 米津 篤八 01/7/25(水) 3:11
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┃ ┃ ┗ 【53】NHK その時歴史は動いた より 加藤 01/8/11(土) 19:32
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┃ ┃ ┗ 【84】Re(1):ソ連の朝鮮占領が合意違反? 加藤 01/8/22(水) 2:59
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┃ ┃ ┗ 【104】あり得ない反撃なんかで占領を正当化しないで下さい 加藤 01/8/26(日) 3:06
┃ ┣ 【20】Re(1):国後・択捉は千島の一部。 tm1019 01/7/13(金) 22:22
┃ ┃┗ 【27】「北方領土」問題と日本の責任。 米津 篤八 01/7/16(月) 22:44
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