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▼米津 篤八さん:
>もう少し私の投稿にきちんと目を通していただきたいのですが、
…と言われても、原文の、
>> ソ連の千島占領について、多くの人が正確なイメージを持っていないのではないでしょうか。
>> 実は私も今回勉強してはじめて知ったのですが、ソ連軍と日本軍が戦火を交えたのは、千島(ク
>>リル)最北端のシュムシュ島のみであり--それも先に砲撃を開始したのは無条件降伏したはずの
>>日本軍であり、戦死者もソ連兵のほうが多かった--、
を読む限り、ソ連側には落ち度は全くなく、抵抗した日本軍が一方的に悪い、と主張されて
いるようにしか、私には読めませんが。
>しかしいずれも偵察・測量を兼ねた小規模なものであり、日本軍の損害は報告されておらず、
>ですから、「前日から長距離攻撃を繰り返し」というのは、表現としてやや大げさかと思います。
「測量」という行為の目的を理解されて発言されてますか ? 攻撃目標に射撃を命中させる
ために行なうためのものでしょう ? 事実、上陸に先立つ 1:30 から砲撃が再開されているの
ですが、それは無視されるのですか ? また同時に空軍による支援爆撃も行なわれてますけど。
>ただし、ソ連軍が上陸を開始した午前2時は、ソ連現地時間の午前4時です。白夜に近い夏の
>シュムシュ島ではもう早朝と言うべき時刻であって、「深夜」とは言えません。
村上大隊長は、「軍使が夜中に来ることはない」と判断して戦闘配備を命じていますから、
戦闘開始時の現地の状況が夜だったのは確かだと思いますが。
>「濃霧」にもかかわらず、国端崎から輸送船団や上陸用舟艇を発見することができたのでしょう。
ソ連軍の発見は、「海上エンジン音多数」と、目では無く「耳で」行なわれています。
失礼ですが、米津さんが何を主張したいのか分かりません。仮に上陸開始が早朝であった
としても、ソ連軍の上陸は停戦交渉を目的としたものではなく、武力制圧を目的としていた
という事実に変わりはないと思いますが。
>「撃沈、擱坐された船舶は確認しただけでも13隻に達し」(『北東本面陸軍作戦(2)』)という
>記述を読むと、「正当防衛」の範囲を逸脱しているのではないか、と思われます。
軍事的常識に欠けた発言だと思います。本来、上陸戦闘というのは、敵に対し 10 倍近い
戦力がないと実施出来ない作戦ですから。水際で阻止できなければ、圧倒的な敵に攻撃され
守備側の全滅は必至という状況であり、全力で抵抗するのは当たり前だと思いますが。
>戦闘が拡大し、必要以上の戦死者を出したのは、日本軍側が常々抱いていた対ソ敵愾心が作用
>したことは間違いないでしょう。
停戦交渉を積極的に行なったのは「日本側」なのですけど…。
後世の分析で、この上陸作戦は戦力不足なままスターリンが強行させた無謀な作戦と見な
されており、実際上陸したソ連軍は日本軍の反撃で全滅寸前にまで追い込まれています。
ところが、相手を全滅寸前にまで追い込んだのにも関わらず、日本軍守備隊は軍本部からの
命令に従い、停戦交渉を「日本側から」開始しているのですよ。ちなみに、ソ連軍は連合軍
のマッカーサー司令部からの停戦命令を無視しています。
停戦成立時、ソ連軍指揮官は「(交渉中に)日本軍が総攻撃をしてこなかったことに感謝する」
とまで語っているようですが (世界文化社 マッカーサーの日本占領 p96)。
もし守備隊のソ連への敵愾心が強ければ、停戦交渉などせず、全滅させていたでしょう。
>もちろん私も「ソ連軍の行動が紳士的だった」などとは言っておりません。
米津さんがソ連軍の行動を非難されたことはほとんど無いのでは ?
>例えば『北東方面陸軍作戦(2)』によれば、8月16日午後にいたっても「南樺太を死守せよ」
>との方面軍の命令の下、
前提条件を削って投稿されたのは意図的ですか ? 「ソ連軍をその場で停戦させ、ソ連軍が前進
を続けるならば自衛戦闘により南部樺太を死守せよ」という命令のはずですが。同時に停戦交渉
に向かっていますから、ソ連軍が停戦に応じれば戦闘は起きなかったのではありませんか ?
>ポツダム宣言はサハリンの放棄と日本軍の武装解除をうたっているのですから、「南樺太死守」を
>目的とした日本軍の軍事行動は、明らかに宣言に違反します。
ポツダム宣言 & カイロ宣言は、満州・台湾・朝鮮半島・南太平洋上の日本の信託統治領に
関してはともかく、サハリンおよび千島列島の処遇に関しては、一言も触れていませんが。
ヤルタ秘密協定と勘違いされていませんか ?
>停戦交渉の不調も、日本軍があくまで武装解除を拒んだことが一つの要因でしょう。
一連の議論を通じて感じたのですが、米津さんは重大なことを忘れていらっしゃる
ようです。日本が降伏した以上、停戦する義務は日本軍だけでなく、ソ連軍の方にも
あるはずなんですが、それを全く想定されていないのは何故ですか ?
連合軍最高司令マッカーサーは、8/15 に全軍に対し停止命令を出しているのですけど。
ソ連は 8/12 にマッカーサーを対日連合軍最高司令官とすることに同意しているのにも
かかわらず、その停戦命令も命令違反への抗議も拒否していますが、どう思われます ?
元々、南樺太や千島列島はもちろん、満州すらソ連が攻撃してくるまで大戦中に戦場には
なっていませんし、攻撃開始したのも、戦力が圧倒的に優勢な方もソ連軍であり、停戦に
応じる責任はソ連側の方が重いでしょう。
中立的に見れば、日本軍よりも連合軍の停戦命令を無視しているソ連軍に非があるのは
明らかだと思いますが、何故米津さんはソ連の暴挙を弁護されるのでしょうか。
>「北海道占領」を持ち出したのは千島占領を確実なものにするためのアメリカとの取引材料であり、
>シュムシュ島の抵抗は関係ないでしょう。
極東ソ連軍司令、ワシレフスキー元帥は千島侵攻が始まった 8/18 に、 9/1 までに北海道
北部の占領をするよう命令を出しているのですけど…。占守島の抵抗等により、千島列島の
占領すら、9/3 にまで遅れ、9/2 に日本の降伏が正式に成立したために、断念されてますが。
南樺太の停戦協定が不調に終わったのも、北海道上陸の前進基地とする大泊港の早期制圧
が命令されていたから、という見方もあるくらいですよ ?
占守島での被害および日程遅れがなければ、米軍が展開する前にソ連軍が北海道に上陸し、
占領を既成事実化した可能性は高いと思いますが。元々、スターリンが不十分な戦力で無理
矢理千島列島を武力制圧させ、停戦命令に逆らってまで占領したのは、ヤルタ協定に法的
拘束力が無いことを見越して、領土割譲を既成事実化するためでしょうし。
ちなみに、ポツダム会談では米ソの作戦境界ラインは、幌延島と温禰古丹島の間に設定されて
おり、強引な占領行為が無かった場合、千島列島のソ連への割譲密約は反古にされた可能性が
高いと私は思います。
>日本がアメリカの一国占領になった引き換えに朝鮮が分割占領されたこと、
引き換え、というのは初耳ですが。ソ連の朝鮮半島侵攻はヤルタ協定違反 (ソ連に満州、遼東
半島の権益復活は認めるが、朝鮮は独立させる) だとばかり思っていましたが、具体的な米ソの
合意文書でもあるのですか ?
>アメリカは沖縄を日本から切り離して27年にわたって分割統治し、
>いまだに沖縄戦当時に軍事占領した基地に居座り続けていることも、付け加えておくべきでしょう。
米津さんはサンフランシスコ条約絶対派だったのでは ? あの条約に従えば、日本政府は基地
撤去どころかアメリカへの沖縄割譲にも文句言えないはずですが。アメリカの沖縄統治と、ソ連
の千島列島支配は条約上、ほとんど差はなく、むしろアメリカによる管理を明言している分、
沖縄統治の方が正統性あるはずです。
サンフランスシスコ条約に基づいて、ソ連の千島列島占領を擁護される米津さんが、どうして
アメリカの沖縄統治に不満を表明されるのでしょう ?
>「ソ連国籍取得」は条件にされておりません。日本国籍のままで居住し続けた人もいますし、
「スターリンの捕虜たち」(北海道新聞社 ヴィクトル・カルポフ著) によれば、南樺太
の住民 469 名 (抑留された住民 30万人の 0.16%) が国籍変更を求めたとあり、それ以外
の記述はありませんが…。日本国籍のまま居住した人というのは、何名いたのでしょうか。
>喪失財産は、千島を放棄を決定した日本政府が補償すべきものですし、
なるほど。米津さんは、個人補償より既存の条約が優先されるという立場なのですね。
それにしても、持ち出せない固定資産はともかく、現金財産まで全て奪ったことについて
は、どうお考えですか ?
>という見方が強まりつつあるそうです。裏を返せば、あと一週間早くソ連が参戦していれば、
>原爆の惨禍は避けられたかもしれません。
ソ連参戦による被害を軽視されていませんか ?
概算ですが、戦死者 8 万人、民間人の死傷者 18 万人、シベリア抑留の未帰還者
10万人… 国際公約違反の強制労働従事者軍属 60 万人、満州・樺太に抑留された
民間人 180 万人… 死者数だけでも原爆被害に匹敵する規模だと思いますが。
中立条約を破り、奇襲を行ない (対日宣戦布告は日本政府に届いてません)、連合軍
の停戦命令には従わずに戦火を拡大し、民間人を虐殺、略奪、抑留し、不当に捕虜を
強制労働に従事させ、満州から旧日本の資産を根こそぎ奪って中華民国からすら非難
されたソ連軍の行為について、米津さんは何も感じないのでしょうか…。
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