Re: 差別・人権・価値(感想と質問)


記事番号:2424 (1998年01月21日 02時46分14秒)
投稿者:ムキンポ (属性:金太郎飴嫌い)
 メールアドレス:mkimpo@tkb.att.ne.jp
 ホームページ:http://www2t.biglobe.ne.jp/~mkimpo/

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この記事は[差別・人権・価値(感想と質問)]へのコメントです。
この記事には[「知」の作為(メモ) (書生C)]というコメントが投稿されています。

内容


>(1)差別:やや米津さんに近い見解かも知れませんが、僕は便宜上2つのレベル
>に分けて考えるようにしています。ひとつは、「情緒」のレベルともうひとつは
>「知性」のレベルです。そして、「行動」(一般的なbehavior)はその両方と関係
>しています。情緒からでる行動(目つき、しぐさなど含む)もあれば知性からでる
>行動もあります。知性が情緒をコントロール仕切れるか、については僕もムキンポ
>さん同様、あまり楽観視していません。(しかし、全く不可能とも思えませんが。
>いずれにせよ、パーフェクトに「異質文化・人種などに対する違和感」(プラス
>マイナス含む)を全ての人類の脳細胞から除去することはあまり期待していません
>し、そこに期待をかけるやり方はある意味で非人間的だとさえ思います。)但し、
>後者については教育・環境など後天的な要素(勿論「情緒」も後天的:但し、胎児
>にも「快・不快」の感情があるので、難しいところだと思いますが)がかなり影響
>してくると思われるので、そこでの改善努力がまさに求められているのだと思いま
>す。もしかしたら、長期的(何十年あるいは何百年というスパン)にはこれらが
>情緒レベルに何等かの影響を与えてくるかも知れません。医学については全くの
>門外漢なので単なる希望的観測にすぎませんが。


差別というのは基本的に知性に基づくというより情緒に基づく
意識であり行動であると思います。
知性に基づく差別というのは具体的にどういうものを言うので
しょうか?
情緒レヴェルでの差別意識がまずあり、それを単に第3者に説明したり、
第3者を説得したり、あるいは自分自身で納得するために、様ざまな
理論的枠組み(たとえば優生思想・白人至上主義等)が考えられるのだ
と思います。
また教育によって差別意識はある程度、改変可能であると考えます。
情緒といっても必ずしも固定的なものではなく、可塑的なものであると
考えます。
日本人が「朝鮮人」を差別するのは、子供の頃から世間(親族・学校・
地域・メディア等)によってそのように教育され、それを内面化した
からに過ぎません。
そこには何ら論理的根拠がありません。
僕も子供の頃、そのように教育され、「朝鮮人」差別の心性を内面化
していました。
自分では自己教育によってそれを克服したつもりでいます。
でも100%ではないかもしれません。
それで米津さんから厳しく批判されるのかもしれません。


>(2)人権:でも僕も正直、「○○人」と「犬・猫」の情緒レベルでのコミュニケ
>ーションを「価値」という概念で括るのにはちょっと抵抗があります。(やはり、
>僕は構造主義には向かないのかな?)因みに、僕は動物大好き人間で、犬や猫達と
>家の中で暮らしています。冗談半分に、僕(と妻)はシェリー(猫)のことを
>「長女」、1才半の娘を「次女」と言ったり、「シェリーお姉チャンみたいに
>きちんと残さず食べましょうね!」などと言うことはあります。しかし、その
>僕でもやはり、そういう個別具体的な存在(例えば「長女」シェリー)を離れて、
>一般的に「○○人」「犬・猫」を比較可能なものとして論ずることはできません。


抵抗を感ずるのが普通だと思います。
「**人」と「犬・猫」とを価値的に同列に論ずることには、僕もやはり
抵抗があります。
しかし一切衆生悉有仏性というように、生きとし生けるものは等しく
平等であると仏教は教えます。
情緒レヴェルでは抵抗がありますが、論理的に考えると、等価である、
と僕は考えます。


>ムキンポさんは「価値」をどう定義されておられるのでしょうか?やはり、最終的
>には「好き・嫌い」的要素に収束されるとお考えですか?「シェパード犬は好き
>だけどチャウチャウ犬はどうもねえ。」というテクストと、「朝鮮人は好きだけど
>日本人はどうもねえ。」(あるいはその逆)というテクストに反映される「価値」
>には普遍的な「序列」(ランキング)は存在しない、とお考えですか?僕には
>ちょっとしっくりきませんが、構造主義パラダイムの枠内では正当化されるので
>しょうか?しかし、そもそも「差別」を論ずる際に、「構造主義」的発想は適し
>ているのでしょうか?多少疑問に思います。僕の誤読でしたらご訂正ください。


「価値」は「好き・嫌い」だけでなく、「快・不快」「美・醜」
「真・偽」「善・悪」「優・劣」「大・小」「高・低」「軽・重」
などあらゆる2項対立の網の目のなかで、人間に「向こう側」から
やって来て感受されるものだと思います。
それらには一切根拠がないと考えます。
だからこそそれらには可塑性があり、差別の解消も限定的に可能で
あると考えます。
人間は生きていくうえで必要なエロスを、それらの価値群のなかから
汲み上げており、当然、差別からも汲み上げています。


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