解放朝鮮の認識(1)ソ連に北朝鮮共産化の意図はなかった。


記事番号:5451 (1999年01月09日 08時13分06秒)
投稿者:米津 篤八 (属性:会社員)
 メールアドレス:ynz@cablenet.ne.jp

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この記事は[Re: 朝鮮民主主義人民共和国の歴史的正統性に関する若干の事実確認。]へのコメントです。

内容

IGAさんには、ずいぶんお待たせしてしまったようですが、この間、関連の文献を読み
なおし、それぞれの論点に対して責任を持った回答をできるだけのメドが立ちましたので、
投稿を再開します。ただ、論点が多岐に渡ることと、問題の性質上、参考資料の紹介・引
用が多くなりますので、何度かに分けて投稿していく予定です。

かなり詳細かつ長文の投稿を連載することになりますが、朝鮮の現代史を学ぶことは、朝
鮮民主主義人民共和国の現在を(その抱える問題点も含めて)正しく理解するために必須
であり(それは韓国や在日の理解にもつながる)、相手を正しく理解することなくしては、
「連帯」とか「支持」などの、本来は美しい言葉も、一方通行の押しつけに終わってしま
う、というのが日朝近代史の忘れてはならない教訓です。

福沢諭吉が朝鮮近代化を目指した金玉均を裏切って以来、日本人は幾度となく朝鮮人に手
を差し伸べるふりをして、彼らをだまし、独立と近代国家建設への努力を踏みにじってき
ました。その裏切りを何一つ清算できず、裏切ったという事実すら忘れ去っている日本人
が唱える「連帯」「支持」が、日朝関係史にもう一つの裏切りの歴史を付け加えないとい
う保証は何もありません。朝鮮人は、日本人の裏切り行為を、いまも記憶しています。

共和国の現状は、社会主義の本質に由来するものか、その逸脱であるスターリン主義のせ
いか、金親子の個人責任か、朝鮮固有の歴史的要因や、国際環境はどう関係しているのか
……状況を正しく把握し、問題の原因がいずこにあるのかを正確に分析することなくして
は、処方箋を書くことはできないし、さらに問題をこじらせるだけでしょう。

まして、朝鮮の歴史の主体でもなくむしろ朝鮮人の主体性を抑圧・破壊してきた側の日本
人が----しかも自らの歴史的犯罪のオトシマエも付けることすらできていないのに----、
ご親切にも体制打倒の手助けなどできるような状況でもないことは明らかです。

朝鮮のことを一番よく知っているのは朝鮮人です。彼らこそが朝鮮の歴史をつくってきた
わけです。彼らの課題は彼らが解決するしかないのであって、それを日本人がかわりに担
うわけにはいきません。日本人が担うべきは日本人の課題です。そこには当然、先に述べ
た裏切り行為の歴史の清算や、いまなお朝鮮を踏み付けている足をどかすことも含まれま
す。

朝鮮人との「連帯」など不可能です。むしろいま日本人に求められているのは、彼らの自
己解放のための苦闘の歴史に何を学ぶべきか、振り返って、日本人が担うべき課題は何か
を考える、という謙虚な姿勢だと思います。

先走って結論めいたことをいえば、日本人が朝鮮を理解するにあたって最も大事なキーワ
ードの一つは、ナショナリズムだと私は考えます。
ただし、誤解を避けるために急いで付け加えますが、朝鮮人のナショナリズムは、日本人
が一般に頭に思い浮かべる排外主義・国家主義とは、かなり様相の違ったものであること
も理解しておく必要があります。私が理解する朝鮮人のナショナリズムは、例えば#3986
で引用した金恵美子さんの指紋裁判での証言のイメージです。

  # 14歳や16歳の時にこれ〔指紋押捺--引用者注〕をせえへんかったら警察に呼
   ばれ取り調べを受ける、て言われて、一人で抵抗できるこどもはほとんどおれへん
   と思う。
    そして強烈に抵抗感を奪って諦めさせている。それを5年ごとに繰り返すことに
   よって、精神的に圧迫を与えている。
    生まれたときから通名を強いてきたり、ずっと歴史教育含めて在日朝鮮人が朝鮮
   人であることを肯定できひん差別環境の中で同化(日本人化)させる。自分が自分
   であることを否定し続けなあかんかった中、民族性を取り戻すとゆうのは、人間と
   してあたりまえの自覚を持つことなんです。人間としてはじめから育ってきた人に
   は理解できひんでしょう」(『外登法おもしろ絵本』、新幹社)

前置きが長くなりました。では本題に移ります。

        ***    ***    ***    ***

#5368で示したソ連の北朝鮮占領政策に関する私の主張に対して、IGAさんは次のよう
に反論されました。

>ソ連の対外政策が、第二次大戦前から常に膨張主義的、機会主義的、覇権主義的であった事は疑いよう
>の無い歴史的事実です。
>だからこそ、ナチスと不可侵条約を結んでポーランドを侵略し、バルト3国を侵略し、フィンランドの領土を
>奪ったのです。ソ連は、1941年6月までは紛れも無くナチスの同盟者として行動していたのです。
>ソ連の行動、そこには「民族解放」などという理念はかけらもありません。あるのは「帝国主義的野心」だけ
>です(「民族解放」を隠れみのにしている分、むき出しの侵略よりある意味悪質とも言えます)。
>さて、41年には独ソ戦がはじまりますが、やがて戦局はソ連側優位に転換します。
>そしてナチ占領下の東欧はソ連に「解放」されますが、その「解放」の内実は、自分達の養成した共産主義者
>達を使った傀儡政権を仕立てて衛星国化しただけであり、東欧諸国民にとっては、自分達の祖国を蹂躪する
>主体が、ナチスからソ連に変わっただけの事でした。
(中略)
>その様なソ連軍が「解放軍」であり朝鮮の自主性を尊重したなどと言うのは、私には理解できない事です。


東欧の情勢についてのIGAさんの見解は分かりましたが、それだけをもとに朝鮮も同じ
だというのは、大ざっぱすぎませんか。IGAさん自身、ソ連は「東アジア諸国の強引な
共産化を……出来なかった」ことを認めておられるわけでしょう。東欧と極東は地理的・
政治的・歴史的状況がかなり違うのですから、朝鮮について具体的に論じないまま「理解
できない」といわれても、議論になりません。

まず、これまでの議論を整理するために、韓国におけるソ連の北朝鮮占領政策研究の流れ
を簡単に紹介しておきます。これは1945年以降の南北朝鮮の歴史を専攻する韓国の若手研
究者30数名の共同研究・共同執筆による4巻本シリーズ『韓国現代史』第一巻(韓国歴史
研究会現代史研究班、91年、ソウル・図書出版プルピッ)を参照しました。

1)伝統主義的立場
 ソ連の「世界革命論」は侵略的・暴力的・破壊的な「赤化の野望」であり、いわゆる自
由民主主義体制を脅かす最も危険な要素であった。ソ連の対朝鮮政策も「あらかじめ準備
された」ものであり、朝鮮半島にソ連の衛星国家として傀儡共産政権を打ち立て、世界革
命の前哨基地を作ることを目的としていた。東欧と朝鮮に対するソ連の政策は、この意味
で共通点を持ち、基本的には何の違いもない。

2)修正主義的立場
 ソ連の朝鮮政策はアメリカへの防御的対応にすぎず、ソ連は傀儡政権を立てるための積
極的な努力をしなかった。「米軍=占領軍」「ソ連軍=解放軍」と規定するが、その論拠
は、解放直後の朝鮮民族が抱える二つの課題、すなわち親日派民族反逆者の除去という反
帝的な課題と、土地改革という反封建的な課題が、北朝鮮ではある程度解決されたのに対
して、南朝鮮ではそれらの課題が未解決のまま単独政府が樹立されたことにある。こうし
た改革は、ソ連軍によって自律権を保障された「下からの権力」である地方人民委員会に
よって主導的に実施されたという点で、米軍が人民委員会を全面否認し、弾圧した事実と
は対照的である。

3)最近台頭した新しい主張
 当時のソ連は一国社会主義的な外交路線をとっていたため、ソ連の朝鮮政策の進歩性だ
けを積極的に評価することはできない。すなわちソ連の朝鮮政策はアメリカのような帝国
主義的な利害によるものではないものの、自国の利害に基づくものであり、朝鮮民族の立
場から見て、ソ連の政策は朝鮮民族に有利なものばかりではなかった。
 しかし、ソ連はあらかじめ準備されたシナリオによって自分たちの目的に合うように共
産政権を強要したのではなく、左翼勢力に有利だった解放後の朝鮮半島情勢のためにそう
なっただけである。またソ連が北朝鮮に望んでいたのもソビエト政権の樹立ではなく、ブ
ルジョア民主主義革命であった。

IGAさんの主張は、1)伝統主義的立場にちょうどあてはまるものだと言えますね。
私は2)修正主義的立場に3)を加味した立場をとります。IGAさん宛の消失した投稿
でも書いたと思いますが、ソ連が自国の利害にとらわれていた側面は、アメリカの分割占
領提案に簡単に同意したことや、朝鮮戦争におけるスターリンの消極姿勢に見るように、
やはり見過ごすことはできないと考えています。

さて、ソ連が事前に朝鮮政策を練っておらず、北朝鮮に共産主義を押し付ける意図がなか
ったことについて、前に紹介した『韓国現代史』は次のように実証しています。

 #参考1:まず、北韓に進撃したソ連軍が対日戦に参加したソ連軍のなかの補助部隊に
     過ぎなかったという点である。ソ連の当初の目的は、満州とサハリンでの利権
     を獲得するものであったため、韓半島に対して特別な関心を傾けていなかった
     ようだ。ソ連の対日戦参戦は第一極東方面軍と第二極東方面軍によってなされ、
     彼らの主要な目的は日本軍の出口と補給路を遮断することによって満州にいる
     関東軍を殱滅することであった。問題となる韓半島北端への攻撃は、シャニン
     少将が指揮する25軍の南方補助攻撃部隊によってなされた。

      結局ソ連の韓半島作戦は、日本軍の退路ないし補給路を遮断する補助的な必
     要によってなされたことが分かる。また、当時の状況が中国共産党に有利な状
     況では決してなかったため、ソ連にとって国境としての意味は、韓半島よりも
     満州により大きな比重が置かれたことは、容易に推測することができる。

      もう一つの例は、ソ連軍が北韓に進駐する際に見せた政策上の混線である。
     伝統主義的な立場は、ソ連が北韓に自らの体制と同様なソビエト体制を“強制
     的に”移植しようとしたと主張するが、実際はソ連はソビエト体制を強要しな
     かったものと見られる。もちろん占領初期の9月14日に発表した「人民政府樹
     立要綱」という文献においては、「ソビエト連邦はあくまで労働者・農民政権
     の樹立を、ソ・米・英・中の4国間に提案するであろう」と述べてはいるが、
     以後はこうした言及は見られない。

            スターリンが9月20日に発表した「北朝鮮でのソ連軍と現地政権機関および
     住民との相互関係に関するソ連極東司令官、沿海州軍管区軍事会議および第25
     軍に下したソ連軍最高司令官の指示」には、次のような条項がある。

       3.赤軍が占領した朝鮮の地で、反日民主団体と政党の結成を妨害せず、彼
       らの事業を助けること。
       4.現地住民に次のように広報すること。
        1)赤軍の北朝鮮進駐は日本占領者の殱滅が目的であり、朝鮮領土を要求
         したりソビエト式秩序を植え付けようとするものではない。
        2)北朝鮮人民の社会的および個人的所有は、ソ連軍の保護を受ける。
       5.現地住民に平和的に自分の事業を継続するように訴え、工業、商業、交
       通およびその他企業の正常な稼働を図り、ソ連軍政当局の指示と要求に応
       じて社会秩序を維持することに協力するように知らしめること。

      こうした指示文は朝鮮人に直接公布されたものではなく、軍司令部に指示さ
     れたものであるため、かえってその内容がいっそう信じるに値するものである
     と考える。上の内容を見れば、ソ連がソビエト政権の樹立を北朝鮮に強要した
     という感じは受けない。むしろこの内容は、1946年に施行された土地改革より
     も穏健な側面を持っている。これについてパク・ジェゴンは、ソ連は韓国革命
     の段階をブルジョア民主主義革命段階として把握しており、これによって政策
     を立てたと主張する。
     
      初期の労農政府樹立政策からこうした政策に変化したのは偶然ではなく、ソ
     連の対北韓政策が混線を引き起こす過程で現れたものと見られ、ソ連が具体的
     な対北韓政策を立てていなかったよい証拠となるだろう。あわせて軍政の役割
     をする民政府の設置が、ソ連より遅れて進駐した米軍政の設置よりも遅かった
     点も、ソ連に具体的な準備が欠けていたたことを物語る一つの例である。 
     
     (前出『韓国現代史』第一巻、41〜43p)

付言しておくと、ソ連の極東政策へのこのような視点は、ヤルタ会談でソ連が蒋介石政権
を承認した理由をも、うまく説明できる利点があります。ソ連にとっては、中国に親日的
な政権が登場して再びソ連を脅かすようなことさえなければ、蒋介石でもよかったのでし
ょうし、工業化の進んでいない中国はプロレタリア革命の段階には至っていないと考えて
いたのだろうと思われます。

さて、スターリン主義のソ連をどう見るかについては、さまざまな論争がありますが、少
なくとも「資本主義が高度に発達し、国境を越えて市場を求めた段階」という意味での帝
国主義とは言えませんので、「帝国主義的野心」という言葉は不適当です。ソ連の膨張主
義は、市場拡大への要請からのものではなく、軍事的安全保障の側面が強いのではないで
しょうか。その点からも、世界市場への影響力増大の一環としてのアメリカの朝鮮政策と
は、区別して考える必要があると思います。

#5368でも紹介したシカゴ大学歴史学部のブルース・カミングス教授は、ソ連の性格を踏
まえて、次のようにソ連の朝鮮政策を分析しています。

 #参考2:ソ連はまた満州なり朝鮮なりを完全な衛星国とするための財源も意志も欠い
     ていたように思われる。そのようなことからソ連は1946年には満州をあきらめ、
     朝鮮に対しては東欧諸国よりもはるかに大きい自由裁量権を認めた。ソ連の基
     本目標は、朝鮮が再び満州ないし極東ソ連領に対する攻撃の発信基地にならな
     いことを保障することにあった。そうした限界のなかではあったが、朝鮮人が
     とくに解放後1年目のこの時期に、かなりの程度の行動の自由を手に入れた意
     味はきわめて大きい。

      1945年のソ連の膨張主義は巨大な軍事組織によって達成された。……こうし
     た拡張は軍事力にのみ依存するものであって、資本主義帝国の膨張に見られる
     ような国内の経済的力学はまったく働いていない。したがって、この膨張主義
     はきわめて抑圧的であるかもしれないが、限界ぎりぎりまで伸長してしまうと
     脆弱なものとなる。満州と朝鮮を手に入れたことで、ソ連はウラル山脈を越え
     てロシアの広大な領域に対する辺境の後背地にまで進んだが、これを支えるソ
     連の産業と農業の基盤は全くなかったのである。中国と朝鮮でソ連がなぜ限ら
     れた目的の範囲内でしか行動しえなかったか、その根本的理由はここにあると
     いうのが筆者の意見である。

      ソ連が朝鮮に何の準備もなしで入ってきたことは、朝鮮到着の数日および数
     週間の矛盾した政策にはっきり示されていた。日本人がやった様々なこともソ
     連による占領当初の混乱に油を注いだ。日本人は南ではアメリカを歓迎したが、
     これとは反対に北にいた日本当局者はソ連に対しては一切協力しなかった。そ
     れどころか日本人は工場や鉱山、堤防、公式記録などなどを破壊したというの
     が事実である。

     (B.カミングス『朝鮮戦争の起源』第二巻、583p、91年、鄭敬謨/加地永都子
      共訳、シアレヒム社発行・影書房発売)

なお、平凡社『大百科事典』(1985)の「東欧」(南塚信吾)の項によれば、ソ連は東欧
各国をファシズムから解放した当初(1944-45)は、各国が対ソ友好国たることを望みはし
たが、どんな体制をとるかは各国にまかせていたそうです。そして、強引にソ連形の社会
主義を押し付けていったのは、47年にトルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランを西
側が提唱して以来である、とのことです。
スターリン時代のソ連の政策が、一国社会主義思想に基づく防御的なものだったことを示
す一例といえましょう。

ところで「北朝鮮はソ連の傀儡であった」とする伝統主義的立場は、共和国や社会主義圏
の歴史資料の入手が極めて困難だった冷戦体制下、朴正煕独裁体制にとって不都合な研究
が国家保安法などによって押さえられていた時代に、共和国の正統性をおとしめ、逆に韓
国の正統性を誇張し、体制維持に協力する役割を果たしました。

時代がうつり、ソ連・中国の資料が公開され、韓国の学界が従来の冷戦・分断思考から解
き放されるにつれ、御用学者をのぞいては、伝統主義的立場は過去のものとなったといえ
ましょう。

ところが、日本では韓国の進歩的・実証的・統一志向的な論調が翻訳・紹介される機会は
乏しく、共和国からの亡命者などのセンセーショナルな「証言」ばかりが商業メディアを
中心に大々的に伝えられる傾向があるので、韓国ではすでに克服されつつある北朝鮮傀儡
論、金日成偽物論などの伝統主義的立場が、頑固に生き延びている状況があります。

思想・言論の自由の大切さを説いてやまないIGAさんが、逆に軍事独裁下韓国の思想・
言論弾圧の産物ともいえる「北朝鮮傀儡論」に縛られているのは、一種のアイロニーを感
じさせるものがあります。


次回は、朝鮮は誰によって解放されたかについて、書こうと思います。


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