Re: フットボールは誰のものか?・・・豊かな国のものではない
記事番号:2739 (1999年08月09日 14時44分59秒)
投稿者:五番街 (属性:在米東海岸)
メールアドレス:nyako3@hotmail.com
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この記事には[Re2: フットボールは誰のものか?・・・豊かな国のものではない(当然ですよね) (ミル)]というコメントが投稿されています。
内容
帽子屋さん:
モ 私は共催決定される前、ニュース番組で韓国の大学チームの試合を拝見し
驚愕しました。彼らは試合にもかかわらず、土のグラウンドでプレーをし
ていました。
(略)
私は怒りました。こんな野蛮な国がワールドカップを開くと言うのか!と
フットボールは芝生の上でプレーされるものです。
転んでも痛くない。絨毯のような柔らかいフィールド。
ヒースロー空港からロンドンへ向えば、イングランドの人々がいかにフット
ボールを愛しているか分かります。数え切れないほどの芝生のグラウンド。
そこで楽しそうにプレーする大人と子供。
南米のどんなに貧しい国でも、芝生のグラウンドが無数に在ります。
資産家になった人々は、地域への還元として芝生のグラウンドを寄贈するか
らです。モータリゼーションによって道路から追われた人々は、そこでプレー
をしているのです。
芝生が無い、芝生を寄付することさえない野蛮な国、韓国。
(以下略)
北朝鮮に、全国的に芝生が整備されてるのでしょうか。
そこで人々が全員芝生でプレーをしているのでしょうか?いかなる文化がそこ
に根づいているのですか?
私はサッカーについては全く知りませんし、もちろん愛してもいませんが、それはともかく、
この帽子屋さんのコメントを読んで、ある疑問を感じます。
おそらく、帽子屋さんは、サッカーを芝生の上で行う競技という定義という地点から出発して
いますが、まず第一にこの定義は正しいのでしょうか?
ずいぶん以前に観たブラジルの映画では、自分のベッドさえないような貧しい家庭の少年が朝
目覚めると、サッカー・ボールを抱えて近くの広場に行き、友達とサッカーを始めるというオ
ープニングでした。むろんこの広場には芝生は張られていませんし、少年たちのユニフォーム
もありません。
このシーンから、サッカーがブラジルなどの南米に限らず、世界的な人気を獲得している理由
の一つが分かったような気がしました。サッカーは、ボールと広場さえあればできる安価なス
ポーツなのです。これが、サッカー人口が他のスポーツよりも多い理由の一つなのでしょう。
そして、日本などの高価なトレーニング設備を購入できる豊かな国に対して、貧しい国々が互
角以上の成績をあげられるのも、サッカー人口のすそ野が大きく広がり、歴史によって蓄積さ
れた技術があることが理由ではないかと思います。
このことからすれば、貧困国では、サッカーの試合は土の地面でも、行われていると推測するこ
とが可能です(むろん芝生のサッカー場もあるでしょうし、実際の状況は分かりませんが)。
国際試合などではかならずサッカー場に芝生が張られているのが常識で、それがこうした試合の
要件なのでしょうが、サッカーを土の地面で行うことは帽子屋さんの考えるように「野蛮」なこ
となのでしょうか?
私には、そうは思いません。芝生がなくとも、サッカーをする楽しみも、観る楽しみも消えるも
のではないと考えるからです。サッカーを芝生の広場で行うことがその国の「文化」ならば、芝
生にこだわりを持たないこともその国の「文化」です。破れたスニーカーでユニフォームもなく、
土の地面でサッカーを愛し楽しんでいる子供たちや人々を「野蛮」とみなすことはできません。
同様な問題は野球についてもあります。アメリカで生まれた野球は、硬球が使用されます。10歳
から始まるリトルリーグでも、その下の8歳からのウイーピーリーグでも、プロ野球と同様の硬球
が使用されています。
では日本の軟式野球は、邪道で野蛮なものなのでしょうか?帽子屋さんの考え方からすれば、そう
なると思います。しかし、私はそうは思いません。
日本で軟式野球が誕生した(導入された?)理由については全く知りません。あるいは、技術上の
問題から日本に野球が紹介された時期には硬球が非常に高価であったとか、危険を防止するとか、
重くて使いづらいとかの理由が日本で軟式野球が行われているのでしょうが、そうした理由はとも
かく、問題は、規則として軟球を使うことが定められ、その規則が受入れられていることです。そ
して、軟式野球は、硬式野球とはことなった野球の形式として認知されています。
同様に、韓国で大学サッカーを土の地面で行うのも、サッカーの本来の姿からすれば、大きく逸脱
しているとは思えません。これもサッカーの形式の一つだと思います。これは、芝生とサッカーと
を不可分の関係ととらえる文化を至上のものとする帽子屋さんからすれば「野蛮」に見えるだけで
あって、彼らは土の地面という規則のある「文化」を享受しているにちがいないと思います。
さて、ここまで書いてくれば聡明な帽子屋さんは、私が何を言わんとしているのかお分かりでしょう。
かつて帽子屋さんは、別の掲示板でサイードの「オリエンタリズム批判」やレヴィ=ストロースを
持ちだして、異文化を野蛮で未開のものと見下す西欧中心主義を批判したもの、として高く評価し
ていましたね。にも関らず、今回の投稿では、イギリスのサッカー文化を優位に置く発想から出発
していますね。
つまり、書籍上の知識としては、異文化に対して優劣をつける見方を批判していながら、その知識
から離れた日常の場面では、このように、ある基準を設定して、その基準に適合しない「文化」を
野蛮と呼ぶ見方をして、何の疑問も感じていないようです。
これは、こうした書籍から得た知識は、帽子屋さんの日常的な物の見方には何の影響も与えていな
いことを表していると思います。このような本の中に留まる思想や知識は、私にとっては全く意味
のないものとしか思えません。
なお、最後に付け加えると、国際試合などでは芝生を張ることなどが要件になっているのでしょう
から、Wカップの開催に立候補するのは、芝生のサッカー場の使用あるいはその建設、さらにその
他の要件を満たすことが可能であることを前提としていることは、ワザワザ考えるまでもないこと
だと思います。
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