Re2: フットボールは誰のものか?


記事番号:2749 (1999年08月09日 22時51分32秒)
投稿者:帽子屋 (属性:堕天使)

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この記事は[Re: フットボールは誰のものか?・・・豊かな国のものではない]へのコメントです。

内容

五番街様へ
時間が無いので手短に
私はちょっと出かけますので

>私はサッカーについては全く知りませんし、もちろん愛してもいませんが、それはともかく、
>この帽子屋さんのコメントを読んで、ある疑問を感じます。

愛してない人間がフットボールを語る・・・
フットボールファンの最も嫌う行為をやってますな

>おそらく、帽子屋さんは、サッカーを芝生の上で行う競技という定義という地点から出発して
>いますが、まず第一にこの定義は正しいのでしょうか?
>
>ずいぶん以前に観たブラジルの映画では、自分のベッドさえないような貧しい家庭の少年が朝
>目覚めると、サッカー・ボールを抱えて近くの広場に行き、友達とサッカーを始めるというオ
>ープニングでした。むろんこの広場には芝生は張られていませんし、少年たちのユニフォーム
>もありません。
>
>このシーンから、サッカーがブラジルなどの南米に限らず、世界的な人気を獲得している理由
>の一つが分かったような気がしました。サッカーは、ボールと広場さえあればできる安価なス
>ポーツなのです。これが、サッカー人口が他のスポーツよりも多い理由の一つなのでしょう。
>そして、日本などの高価なトレーニング設備を購入できる豊かな国に対して、貧しい国々が互
>角以上の成績をあげられるのも、サッカー人口のすそ野が大きく広がり、歴史によって蓄積さ
>れた技術があることが理由ではないかと思います。
>
>このことからすれば、貧困国では、サッカーの試合は土の地面でも、行われていると推測するこ
>とが可能です(むろん芝生のサッカー場もあるでしょうし、実際の状況は分かりませんが)。

私は芝生でフットボールの文化の話をしました。
芝生とは文化をはかるうえで適切だからです。
芝生は金がかかりますがさりとて金がかかりすぎるわけではない。極めて大衆的なものです。
それなのに韓国大学サッカーというもっともステイタスの高い試合ですら芝生が使われなかった
現状を見てこれは芝生が無いからであり、フットボールへの愛が足りないからに他ならない、と
言ったわけです。何も全部の試合が芝生で行われるなら、文化の有無の判別になりませんし、
そもそもブラジルでも1億5000万人全員が芝生でプレーをできるはずも在りません。少し待てば
、少し金を払えば、将来有望な若手が、サラリーマンが試合につかえる・・・これがふつうでしょう。

裾野の上の山稜の話をしてるのですが。
そして競技としてのフットボールのお話です。


>国際試合などではかならずサッカー場に芝生が張られているのが常識で、それがこうした試合の
>要件なのでしょうが、サッカーを土の地面で行うことは帽子屋さんの考えるように「野蛮」なこ
>となのでsしょうか?
>
>私には、そうは思いません。芝生がなくとも、サッカーをする楽しみも、観る楽しみも消えるも
>のではないと考えるからです。サッカーを芝生の広場で行うことがその国の「文化」ならば、芝
>生にこだわりを持たないこともその国の「文化」です。破れたスニーカーでユニフォームもなく、
>土の地面でサッカーを愛し楽しんでいる子供たちや人々を「野蛮」とみなすことはできません。

何を証拠に、土でフットボールをやる人が「享受している」と断定できるのでしょうか?
だれでも芝生の上でプレーしたいのですよ。私は芝生の上で始めてプレーする(ラグビーですが)
高校生(!)が感激して芝生に寝転んだ光景を目の当たりにしたことが在ります。私も芝生で寝転び
ましたよ(笑)。涙が出るほど、気が遠くなるほど気持ちが良かった。

フットボールプレーヤー、そして愛するものは皆芝生の上でプレーしたい・・・わたしの体験です
それは土の上で転ぶと痛いからです。ろくにスライディングタックルもできません。
五番街様はプレーヤーの気持ちが分からないのでしょうね。

野蛮なのは子供たちや人々では在りません。
それを見て、底辺ならともかく上部にまで至ってすら許容している「文化」そのものを野蛮と言ってる
のです。大学の選手はプロ予備軍ですよ。激しいプレーを要求しながら、土では怪我をしろというもの
です。そしてある程度底辺に芝生が普及しないなら、競技レベルの停滞を招きます。なぜなら土の
上でサッカーをやれば、決して身につかない技術が在るからです。そもそもイングランド発祥の競技
で芝生が前提となってるのですから当然です。スライディングタックル、パス、ドリブル・・・みな芝生で
ないと真の技術が身につきません。

フットボールを愛するものが、競技レベルの向上を願うのは当然ではないでしょうか?
そしてワールドカップ開催もまた愛するもの達が楽しめるべきものである、そう考えているのです。
その開催する資格もまた、フットボールを真に愛する人々であるべき、そう考えるのです。

そしてもっとも野蛮なのは、「愛していない」人間が、勝手にコドモ達や人々の気持ちをデッチアげる行為
ではないでしょうか。ちなみにサイードはそういう西欧人達の言説を厳しく批判しました。


>さて、ここまで書いてくれば聡明な帽子屋さんは、私が何を言わんとしているのかお分かりでしょう。
>
>かつて帽子屋さんは、別の掲示板でサイードの「オリエンタリズム批判」やレヴィ=ストロースを
>持ちだして、異文化を野蛮で未開のものと見下す西欧中心主義を批判したもの、として高く評価し
>ていましたね。にも関らず、今回の投稿では、イギリスのサッカー文化を優位に置く発想から出発
>していますね。

「歴史の真実」の掲示板はおかげで誰も書き込まなくなってしまいました。
こんな所で、意趣がえしですか(笑)。責任もってあちらで書き込んでくださいよ(笑)

ちなみに完全な誤解ですね。そもそも、競技規則が統一され基本技術が確立されている以上
芝生がない、ことを許容することは「愛している」行為とは言えないと思います。

>つまり、書籍上の知識としては、異文化に対して優劣をつける見方を批判していながら、その知識
>から離れた日常の場面では、このように、ある基準を設定して、その基準に適合しない「文化」を
>野蛮と呼ぶ見方をして、何の疑問も感じていないようです。

あなたは、土のグラウンドでスライディングタックルにいってズルムケになる行為を経験してないので
しょうな(笑)。野蛮じゃないのですかな、血だらけになる行為が(笑)
プレーしてなければなんでも言える。無知は無敵!と言いますが…失礼。


>これは、こうした書籍から得た知識は、帽子屋さんの日常的な物の見方には何の影響も与えていな
>いことを表していると思います。このような本の中に留まる思想や知識は、私にとっては全く意味
>のないものとしか思えません。

オリエンタリズムを学習してから言ってください。
貴方は当事者でもないのに、勝手に「芝生の無い国」の子供たちを「勝手に代弁」したのですよ(笑)
これをオリエンタリズムと言わずに何と言うのでしょう・・・って恥かしくなるので止めましょうよ。
少なくとも知らないのにオリエンタリズムを使ってわたしを非難するよりは「意味在る行為」です(笑)

>なお、最後に付け加えると、国際試合などでは芝生を張ることなどが要件になっているのでしょう
>から、Wカップの開催に立候補するのは、芝生のサッカー場の使用あるいはその建設、さらにその
>他の要件を満たすことが可能であることを前提としていることは、ワザワザ考えるまでもないこと
>だと思います。

責任もって「歴史の真実」を復興させてくださいね(笑)
ちなみにわたしは含む所はまったくありませんので(笑)

では、また


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