Re5: 勉強になります


記事番号:2766 (1999年08月10日 22時16分34秒)
投稿者:赤トンボ (属性:羽化)
 メールアドレス:fwhy1010@mb.infoweb.ne.jp

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この記事は[Re4: 勉強になります]へのコメントです。

内容

>クラウセヴィッツは職業軍人としてロシアの皇帝に忠誠を誓っていた時期があるのですが,
>その間,あるいはその前後,故国プロイセンとの忠誠関係はどういうことになるのですか?

赤トンボです。

1:クラウゼヴィツツの行動の軌跡

a) 1806年にプロイセン軍の将校として、プロイセン−ロシア同盟軍に参加したが、
 フランス軍に敗れて、捕虜になった。
b) 1807年7月、講和条約成立により釈放された。
c) 1808年、プロイセン軍に復帰した。
d) 1812年、プロイセン−フランスの軍事同盟成立後、ロシア軍と戦うことを拒否
 して、プロイセン軍を離脱し、ロシア軍に参加した。対プロイセン−フランス同盟軍
 との戦闘に加わった。
f) 1814年、プロイセン軍に復帰した。

2:忠誠関係はカネで買える?。

彼の世界的名著と言われる戦争論、上、中、下巻の各項目には、軍の武徳、勇敢、堅忍
はあっても、「忠誠」の項目はおろか、本に忠誠の文字すらありません。
彼の生きた時代の軍隊には、そのような言葉や概念が多分無かったのか、たとえ有って

も現代の「忠誠」とは異質のものであったと思います。なぜなら、

a) プロイセンで生まれ、プロイセンの軍人からロシア軍の軍人になり、祖国プロイセン
 と戦うという、裏切り行為をした。
b) 戦争終了後、祖国プロイセンの軍隊に復帰を希望し、それが許可されたこと。

現代のモラルからは、とうてい認められるものではありませんが、当時は問題になりま
せんでした。なぜなら、現代の忠誠関係ではなく、契約に従う単なる傭兵契約であり、
契約終了に伴い、プロイセン−ロシア−プロイセンと雇用主が変遷したに過ぎない

からです。

彼については、当時もその後も「裏切り者」の批判はありませんでした。論より証拠、
彼が書いた戦争論が、世界中でベストセラーになりましたから。

>忠誠というのは単に,職業人,社会人としての倫理観にもとづき,公的場面で契約や法律を
>守るという以上の意味はないと思うのですが。

オカネで買える忠誠心と、買えない忠誠心があると思います。貴方の言われる忠誠は、
クラウゼヴィツツが持っていた忠誠?と、同じものです。


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