「アジア系外国人を見たら犯罪者と思え」という言葉について


記事番号:1827 (19100年05月11日 16時48分40秒)
投稿者:五番街 (属性:在米東海岸)
 メールアドレス:nyako3@hotmail.com

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この記事は[Re: 大きなギャプを埋めて行きましょう。]へのコメントです。

内容

通りすがりさんの投稿#1750は、検討すべき多くの問題があると思います。私の投稿#1753 で
は、その一つを検討したのですが、今回は別の問題を取り上げます。

モ「少年を見たら殺人者と思え」「警官を見たらうそつきと思え」と同様に、
 「アジア系外国人を見たら犯罪者と思え」という言葉が残念ながら真実味を帯びてきています。
     (通りすがりさんの投稿#1750)

今日の日本では、同様に「十代の少女を見たら援助交際と思え」、「渋谷で若者をみたらチーマ
ーと思え」、「十代のグループをみたらオヤジ狩りと思え」、ついでに「外国人の若い女性をみ
たら売春婦と思え」、「日本人を見たら犯罪者と思え」など、いくらでも真実味を帯びた言葉が
つくれますね。

80年ほど前には、「朝鮮人を見たら日本人に危害を加えると思え」、「朝鮮人をみたら暴動を起
こすと思え」、「朝鮮人をみたら井戸に毒を入れたと思え」という言葉が真実味をもって日本人
の口に膾炙し、それが原因となって7000人にも及ぶ朝鮮人の大虐殺が起こりましたね。

あたりまえのことですが、ふつうの少女が援助交際を疑われたら怒ります。援助交際を行う少女が
多いという事実を理由として、一人の少女に対して援助交際を行っていると見なすのは、見なす側
の短絡妄想の所産です。

渋谷にいるだけでチーマーと思われたら若者は怒ります。渋谷でチーマーと呼ばれる若者のグルー
プが悪事を働いていることを理由として、一人の若者をチーマーと見なすことは、彼に対する侮辱
です。さらに、チーマーと思われたくなかったら渋谷に近づくな、とか、渋谷にいれば間違われて
当然という考え方は、短絡妄想による、いわば冤罪を肯定する自己中心的な暴論です。

一人のアジア系外国人が、彼がアジア系外国人であるという理由で犯罪者(あるいは潜在的犯罪者)
と見なされたら、彼は、不当に罪人にされたと感じて、見なした側に憎悪を感じるでしょう。

【「アジア系外国人を見たら犯罪者と思え」という言葉が残念ながら真実味を帯びてきています】
という、一見すれば客観的な発言には、冤罪の発生を防ぐ指向性が存在せず、換言すれば、冤罪を
発生させてもかまわないという、きわめて危険な見方です。


モ今回の石原発言を非難される在日の皆さんは、返す刀で祖国の人々に対して、
 「我々在日が築き上げた信用を崩壊さすようなことはしてくれるな」と発言し、
 行動してください。
    (同上)

非常に微妙な文章ですね。通りすがりさんの投稿#1750の主旨は、石原発言を非難するこ
とではなく、それを正当化することですね。したがって、通りすがりさんは、実際には「今回の石原
発言を非難される在日の方々」を支持していないにも関わらず、この表現の仕方では、あるいは当然
と考えていると誤読を発生させる可能性がありますね。

私なりにこの引用部分を分かりやすく書き直すと、「在日の皆さんは、今回の石原発言を非難するよ
りも、祖国の人々の日本国内での犯罪行為を止めさせるべきだ」となります。さらに端的に書けば、
「石原発言は非難されるべきものではなく、在日の人々の祖国から来る人たちが悪いのだ」という
ことになります。

さて、私なりの解釈では、通りすがりさんの言わんとすることは、結局は「アジア系外国人を見たら
犯罪者と思え」という短絡妄想の肯定と、さらに日本社会における外国人による犯罪を、現在の日本
社会の問題を表象するものという視点を欠落させ、日本人による犯罪とは異種として扱うことで、両
者間に絶対的な壁を設定することだと考えます。


なお最後になりますが、石原発言にしろ、通りすがりさんにしても、本質的な問題は、人間がいわば
自然に有する事象に対する概念化という思考のプロセスではないか、と考えます。そして、この思考
のプロセスは、いわば誰にでも見られる生活に密着した素朴な思考の問題ということもできると思い
ます。この問題を突っ込んで考えることは、私は非常に重要なことと思っていますが、複雑な観念論
を展開することになるので、別の機会に行うことにします。

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